
考えを人と共有するのが苦手でも生きていける(小さな灯り#10)
私はあまり喋らない子供だった。
その頃は、何も考えていなかったから喋らなかったのか、それとも考えを伝えるのが億劫だから喋らなかったのか。
理由は覚えてはいない。
しかし、成長しても考えを他者に共有することはほとんどなかった。
特に、個人的な考えについて。
そうすると、自分の腹の中で勝手にぐるぐる考え込んでしまって発酵させていく。
身体に良い時もあれば、悪い時もあるものが出来上がりることもある。
子供の頃から眉間にシワを寄せてググっ…と考えていることが多かった。
それが次第にクセになってしまい、楽しいはずのテレビを観ていても眉間にシワがよるようになり、家族から「凄い顔してるよ」「面白くない…?」と言われることが多かった。
そして今ではボトックスを打つ。
眉間のシワは怖さを演出するため、ただでさえ声が低いのに顔も怖いとなると誰も仲良くなれないのでは?と思ってじんわりした痛みを感じながら、半年に一度菌を注入している。
私は感情的な性格をしているけれど、それをうまく伝えられる自信がない。
本当はワッと吐き出すこともできるんだろうけど、支離滅裂になることが多いと思っている。
感情は常に0:100ではないから、ブレるのは普通だと思う。
だから、何も整理せずに感情をザッと書き出し、それを清書する。
そうすると、「私が一番嫌だったのはココなんだ」「私はこれが言いたかったのか」と、自分ですら気づかなかった事を知ることができる。
それは凄く良いことでもあるけれど、問題は共有すべき相手がいる時だ。
自分1人で納得して解決できるなら良いのだが、他者と共有していかなければ改善できない場合、スピード感がないと温度が高まった状態でぶつからないとシラける場合がある。
自分で整理したことを後日、お届けに行くと「こないだ言えよ」となりかねない。
いや、それより嫌なのは「終わったことなのに掘り返してきた」と思われることだ。
思いを言葉にするために時間のかかる私にとって、ずっとぶつかっている問題のひとつ。
まあまあな大人になってはいるのに、自分の考えをどう伝えようかで未だにぐるぐるしている。
子供の頃の私は、大人になれば細木数子さんのように、ズバリ言うわよ。と切り出せるようになると思っていた。
全く治っていない。むしろ、世の中に色んな人が居るとわかることで、余計に出来なくなっている気がする。
死ぬまでに解決する日はやってくるのだろうか?
まあ…それでも40年生きてこれてるなら大丈夫なんだろうな。
同じようなことを考えている若い人は安心して欲しい。
それでもまあまあ、生きてるの楽しいから。