奪われ続けるひと
私には本業にしたい職業とういうのがあるから、それを優先する生活を整えようと日々を送っている。
そうなると色々と同時進行させるのが都合が良くて、元より無理をした生き方をしているのだが、四月からその負担がさらに上がった。
環境的な要因も大きく、すぐに逃げ出したいということで、数年前よりルームシェアの話を進めていた相手と、改めて話を煮詰めようとしたのがいけなかった。
私は客観的に見て、物事を小難しく考え、鬱陶しいくらいに確認を重ねてからでないと行動しない。そのくせ確認行動を終えるのが早すぎる。
良く言えば私は頭の回転が早いのだが、相手の考え方が全く違った。
私からすれば、こちらの負担は一切考えていないようにしか見えなかった。
実際想像はできていないだろう。
窮状は随分伝えたはずだが、わからなかったらしい。
何もかも速度が合わない。合わせていたから、随分時間を無駄にしてしまった。最初からこちらに合わせる気はなかったのだろう。
そこを見抜けなかった私の落ち度である。
また、そのスピードについてこられないのは他人だけではない。私の身体もついてこられない。
身体が受け止められない負担を精神だけで受け止めてしまう。
ついでに負担がかかればかかるほど睡眠時間が減るので、回復ができない。
悪循環だけが続いて、睡眠時間が削れていく。
ついに声が出せなくなってしまった。
喉におかしなところがあるのだと思って、わざわざ耳鼻咽喉科に行った。
結果、胃液で荒れているが異常なし。筋肉とリンパは腫れているらしい。
胃液はまあ、日常的に吐いているからだろう。
ほかにおかしなところがない方がいいのだが、発声の度に痛みが走るの事実だ。
眠れないと回復しないのも指摘された。
分かっているんだ、そんなことは。ただ焦りだけが募っていく。
しかし、停滞を是とできる性格ではない。
進み続けなければそれを気にしてまた病む。
だから本業にしたい職業で、目標にしているうちの一人の本を読んだ。
学ぶところがあることを望んで読んだ。
読んだ結果、幸運だと思いこんでいたそのひとは、その分不幸にも見舞われていた。その本の中でも随分離別と断裂が多い人生であった。
そうなる理由と精神もなんとなく理解できる。
思考の方向性が大きく違うわけではなかった。
大きな差と言えば、周りにどんなひとがいるかどうかだろう。
また、そのひとたちに必要とされるかどうか。
私はあまり必要とされることがない。いつも消耗品としてだけ扱われているからだ。
この間、ひとのためにいかに動けるか、相手をどうすれば喜ばせられるかを考えるべきであって、その行動が一番大切であると言われた。
難しい話だ。私にとって、他人の役に立つというのは自己犠牲のもとにしかなりたってこなかった。
これまでそうやって生きてきたし、今なおその感覚は抜けない。いかにして自分を切り売りするか。
そうやって削り続けて、何も残っていないのが今だ。
これは私のせいかもしれない部分はあるが、周りのせいだと言える部分も大いにあるだろう。普通のひとより切り売りできる部分が多すぎた。これ以上は駄目だと判断できる能力がなかった。
やはり、変わらなくてはならない。
奪われ続けるだけになるくらいなら、奪い続ける側になったほうがマシだと、尊敬するうちの一人が言っていた。
私はその意識がうすい。
まずは奪われないよう自分を防御する術を身につけることが必要である。
良い方向へ動こうとしなければ、やはりほしいものは得られない。
歯を食いしばって、前進するしかないのだ。