
私は推しの眼差しに恋をする(マツモトクラブ座旗揚げ公演:それでも笑わせる)
私は推しの人への眼差しに恋をする。
その人が、誰かをどう見つめ、どう理解しようとするのか。
その眼差しから生まれた演技に、私は何度でも惹かれてしまう。
舞台を見ている間くらいは、その気持ちを恋と呼んでもいい気がしている。
お笑いで国崎和也さんを知っている人は、多分、驚いてしまうような話だと思う。
M-1では「天上天下奇妙奇天烈」と称賛(?)されたほど、唯一無二の存在だ。
私が国崎さんの漫才に夢中になった理由も、その「ありえない世界を可視化する表現力」に惹かれたからだった。
理解しようとするんじゃない。
感じるように、ランジャタイの漫才を浴びる。
今まで味わったことのない没入体験だった。
その笑いに気づいた瞬間の衝撃は、今でも忘れられない。
ギャグ漫画が三次元になったような感覚なのか。
それとも、国崎ランドに迷い込んでしまったような感覚なのか。
そこからは、彼の言葉も、動きも、文章も……あらゆる表現に夢中になった。
そして気づけば、「人間・国崎和也」が好きになっていた。
国崎さんは、子どものような自由な発想と、繊細な人間観察を併せ持つ、不思議な人だと思う。
人を愛おしむ力が、とてつもなく強い。
そんな国崎さんが出演する『マツモトクラブ座』を観に行った。
国崎さんの舞台演技を拝見するのは、これで七回目。
凛とした優しさに号泣したこともある。
自由にのびのびと駆け回る姿に、爆笑したこともある。
舞台の上では、その瞬間だけ国崎さんではなくなる。
国崎さんを通して見えてくる、まったく別の誰かになる。
その人たちは皆、どこか愛おしい眼差しを持っている。
今回はどんな人物に会えるのだろう。
月末締めや四半期締めで仕事は慌ただしい時期だったけれど、それでも足取りは軽かった。
マツモトクラブさんの脚本は、期待どおりだった。
笑って、少し切なくて、最後には胸の奥がじんわり熱くなる。
「やっぱり、うまいなぁ。」
そんなことを思いながら観ていた。
でも、私が最後に涙をこらえられなかった理由は、脚本だけではない。
国崎さんの一人語りだった。
そこにいたのは、お笑いで見慣れた国崎さんではなかった。
役として生きる一人の人間だった。
それなのに、不思議と国崎さん自身の人柄が、言葉の端々からにじんでくる。
夢を与える側の人間として。
一緒に舞台をつくる仲間として。
仲間を語るその眼差しが、あまりにも温かかった。
売れても、変わらない。
自分だけが前に出るのではなく、隣にいる人たちを自然に見つめ、敬意を払っている。
その姿が、本当に格好良かった。
私は、国崎さんの演技を見ていたはずなのに、最後は「人間・国崎和也」を見ていたのかもしれない。
舞台の上に立つ姿は、ただただ美しかった。
立っているだけで、震えた。
ああ。
私は、誰かを大切に見つめる、その眼差しに恋をしているのだと思う。

寝るまで本気で恋をしている。
でも翌朝、目覚ましアラームが鳴れば、その恋はちゃんと覚める。
現実に戻って、また普通の日常を過ごす。
そして、次の舞台でまた恋をするだろう。
私の推し活は、その繰り返しなのかもしれない。