
白衣のその先へ ~好きが人生をつれてきた~
あらすじ
私は、四十年間、歯科衛生士として多くの患者さんと向き合う中で、「健康は治療で取り戻すものではなく、日々の暮らしの中で育まれるもの」だと気づいた。
仕事と家庭の両立、夫の病気、自分自身の迷いと葛藤を経験しながら本当に人を支えるとは何かを問い続けてきた。そして。たどりついた答えが「呼吸」と「睡眠」という、生きる土台の大切さだった。
歯科衛生士として歩んだ四十年の軌跡と関わった方々への感謝。
人生の後半で見つけた、新たな使命を綴りました。
誰もが自分の健康を、自分で守れる社会を願い、希望を手渡したいという思いを込め、私の夢が沢山の人の笑顔の中に繋がっていくことを願った作品です。
プロローグ
「先生、またモンゴルへ行くの。」
晴れやかな笑顔で診療室に入ってきたご婦人はそう言った。
診療台に腰を下ろしたその人は、少女のような笑顔だ。
年齢を聞けば誰もが驚く!
八十一歳。
でも、そのご婦人の瞳は、旅を楽しみにする子どものように輝いていた。
「来週出発だから、その前に歯をきれいにしてもらおうと思って。」
この歯科医院に通われて三十年以上。
私がこの歯科医院で働く前からの患者さんだ。
モンゴルへ旅立つ前には、必ず歯のクリーニングに来られる。
長い飛行機の旅を、気持ちよく過ごしたいから。
それが、この方の旅支度なのだ。
初めてその話を聞いたとき、私は少し驚いた。
モンゴル。
私には、あまり馴染みのない国だった。
正直に言えば、「そんな遠くまで、年に何度も旅ができるなんて、すごい方だな。」そのくらいにしか思っていなかった。
ある日、思い切って尋ねてみた。
「そんなにモンゴルのどこが好きなんですか?」
その女性は、少しも迷わず答えた。
「全部よ。」
そして続けた「魅せられるって、そういうことでしょ?」
そして、目を細めながら
「雄大な自然も、どこまでも続く景色も、人も最高なの。」
その言葉に、私は返す言葉をなくした。
誰かが、こんなにも一つの国を愛せるものなのだろうか。
好きだから、何度でも会いに行く。
好きだから、年齢なんて関係ない。
好きだから、旅立つ前に歯もきれいにして、最高の気持ちで出発したい。
クリーニングを終えた女性は、鏡をのぞき込み、満足そうに微笑んだ。
「これで安心。」
その笑顔は、旅の始まりの笑顔だった。
「先生、行ってきます。」
「はい、気を付けて。お土産話楽しみにしています。」
診療室を出ていく後ろ姿を見送りながら、私は、ふと思った。
私は四十年以上、歯科衛生士として働いてきた。
歯を守ることが私の仕事だと、ずっと信じてきた。
でも、本当に守っていたのは歯だけだったのだろうか。
あの人の「またモンゴルへ行きたい。」という願い。
その願いを支えることも、私の仕事だったのではないか。
そう気づくまでには、高校二年の夏に何げなく手に取った、一冊の薄いパンフレットから始まる40年という長い時間が必要だった。
第一章 高校二年の夏
高校二年の夏だった。
夏休み中、部活動の練習のために登校した。
陸上競技部で中距離を走っていた私は、大会前で長距離を毎日1本走りこむトレーニングをしていた。
練習を終えて、着替えのために教室に戻る途中だった。
私は、たまたまドアの開いていた進路指導室へ立ち寄った。
進路指導室はエアコンがきいていて涼しかった。
汗をかいた後で涼んでいこう、そう思った。
将来、何になりたいのか。
そんなことを真剣に考えていたわけではない。
ただ、みんなが進路の話をし始める時期だったから、私も少しだけ気になっていた。
それくらいの気持ちだった。
進路指導室には、大学受験用の赤本がぎっしりと並んでいた。
進学校だったから、先生たちも大学進学に力を入れていた。
国公立大学、有名私立大学…。
赤い背表紙が隙間なく並ぶ本棚は、まるで「ここを目指しなさい。」と語りかけてくるようだった。
そんな赤本をを眺めながら歩いていると、一冊だけ場違いに見えるものが目に入った。
四角い角を紐で吊るされ、相談用の机の横にぶら下がるように掛けられた、驚くほど薄いパンフレット。
誰にも気づかれず、静かに私を待っていた。
私は足を止めた。
「歯科衛生士専門学校」
歯科衛生士?聞いたことはある。
でも、どんな仕事なのかはよく知らない。
しかも、歯医者は小さい頃から嫌いだった。
でも、なぜか手に取ってみた。
ページは少なく、数分で読み終わってしまうほど薄かった。
それが不思議なことに心が動いた。
「これでいいかもしれない。」
夢があったわけではない。
憧れがあったわけでもない。
誰かに勧められたわけでもない。
ただ、偶然にその一冊を手に取った。
それだけだった。
人生は、大きな決断から始まるものだと思っていた。
でも、振り返ってみると違った。
何気ない午後。
何気なく入った進路指導室。
何気なく開いた一冊のパンフレット。
その偶然が40年以上にわたり白衣を着続ける人生へとつながっていくことになる。
もちろん、そのときの私は知る由もなかった。
数えきれない患者さんと出会うことも。
笑顔に励まされる日があることも。
別れに涙する日があることも。
そして歯を守る仕事だと思っていた私が、人の「好き」や「生きる喜び」を支える仕事だったのだと気づく日が来ることも。
あの日、進路指導室で手にした一冊の薄いパンフレットは、私に職業を教えてくれたのではない。
それは何万人もの人生に寄り添う旅の始まりを告げる、一枚の切符だった。
第二章 白衣に袖を通す前に
歯科衛生士専門学校へ入学して間もなく、私は現実の厳しさを知った。
何となくで選んだ道だった。
医療従事者になるためには、大切なことが、たくさんあるのはわかっていた。
でも、学ぶことは想像していたよりも、はるかに多かった。
口の中には一本一本名前のある歯があり、それぞれ役割が違う。
骨や筋肉、神経、細菌、薬。
覚えることは山ほどあった。
教科書を開けば専門用語が並び、何度読んでも頭に入らない日もあった。
それでも、不思議と「違う道を選べばよかった。」とは思わなかった。
実習が始まると、さらに緊張した。
白衣に袖を通す。
まだ新品の白衣は少し硬く、鏡に映る自分は歯科衛生士そのものだった。
でも「本当に私にできるのだろうか。」
そんな不安ばかりが大きくなっていく。
先生や先輩の動きは無駄がなく美しかった。
器具を渡すタイミング。
患者さんへの声のかけ方。
すべてが自然だった。
私は何度も失敗した。
焦れば焦るほど、手は思うように動かない。
帰宅してから一日の実習内容を思い出し、「もっとできたはず。」と悔しい思いで実習日誌をまとめる日々。
それでも翌朝になると、また実習医院へ向かい白衣を着た。
そこに迷いはなかった。
少しずつ、少しずつ。
昨日できなかったことが、今日はできるようになる。
その積み重ねが、自信へと変わっていった。
あの頃の私は、国家資格を取ることだけを目標にしていた。
でも、本当に学ばなければいけなかったのは、技術ではなかった。
人と向き合うこと。
相手の気持ちを想像すること。
でも、その大切さを知るのは、まだ先のことだった。
第三章 「ありがとう」の重み
国家試験に合格した日。
ようやく一つの肩の荷が下りた。そんな気持ちだった。
やりがいは、まだ、よくわかっていなかった。
家族も自分のことのように、とても喜んでくれた。
高校二年の夏、何気なく手に取った一冊の薄いパンフレット。
あの日から続いた学生生活が、ようやく実を結んだ瞬間だった。
歯科衛生士として、初めて白衣に手を通した日は、今でも鮮明に覚えている。
鏡に映る自分は少しだけ大人に見えた。
でも、心の中は不安でいっぱいだった。
「本当に私に務まるのだろうか」
期待よりも緊張の方が大きかった。
診療室には、機械の音が静かに響いていた。
消毒薬の臭い。
磨き上げられた器具。
先生や先輩たちは迷いなく動いている。
私は、その後ろ姿を追いかけるだけで精一杯だった。
初めて担当した患者さんのことは、今でも忘れられない。
とても上品なご婦人だった。
淡い花柄のブラウスに、濃紺のスカート。
首元には、スカートと同じ深い紺色のスカーフが上品に結ばれていた。
姿勢はすっと伸び、穏やかな笑顔をたたえている。
派手ではないのに、その人が診療室へ入ってこられた瞬間、その場の空気は凛としたように感じた。
私は思わず息をのんだ。
綺麗な方…。
緊張していた私は、その美しさを目の前にすると、さらに緊張が増していく。
「よろしくお願いします。」
そう声をかけるだけで、喉が渇いた。
手が震えないように意識すると、余計に震える。
患者さんに伝わってしまうのではないかと、さらに緊張した。
そのときだった。
患者さんがにっこり笑って言った。
「新人さん?」
私は恥じらいながら、うなずいた。
すると、その方は優しく微笑みながら、「大丈夫。誰にでも最初があるから。」
そう声をかけてくださった。
その一言で、張りつめていた心がふっと軽くなった。
患者さんに励まされる。
そんなことがあるとは思ってもいなかった。
私は歯科衛生士として患者さんを支える立場なのに、支えられたのは私の方だった。
それから四十年以上。
思い返せば、私を育ててくれたのは、教科書ではない。
先生でもない。
目の前の患者さん、一人一人だった。
「ありがとう」その一言をいただくたびに嬉しく、辛い思いは消えた。
でも、それ以上に私の心に残っているのは、患者さんからいただいた数えきれない言葉や思いだった。
歯科衛生士は、歯だけを診る仕事ではない。
その人の生活を知り。
その人の想いを知り。
その人らしい人生に寄り添う仕事なのだ。
そのことを、この頃の私は、まだ少しずつ学び始めたばかりだった。
第四章 三ヶ月後はもうないのよ。
歯科医院には、毎日さまざまな人が訪れる。
その中に、私が心に残しているご夫婦がいる。
九十代のご主人と、八十代の奥様。
お二人は、三ヶ月ごとの定期健診に、いつも一緒に来院されていた。
予約の時間より少し早く来られ、待合室で並んで腰を掛ける。
何を話しているかまでは聞こえない。
それでも、お二人の穏やかな笑顔を見ているだけで、こちらまで温かい気持ちになった。
長い年月を一緒に歩んできた人だけが持つ、静かな空気がそこにはあった。
私はお二人の姿を見るのが好きだった。
診療が終わると、ご主人は奥様を気遣うように立ち上がり、奥様は自然にご主人の歩幅に合わせる。
特別な言葉はなくても、お互いを思いやる気持ちが伝わってきた。
「こんな風に歳をとれたらいいな。」
そんなことを思いながら、お二人の後ろ姿を見送るのが、私の小さな楽しみだった。
ある日、受付で奥様のお名前が呼ばれた。
でも、その隣に、いつものご主人の姿はなかった。
「今日はお一人ですか?」
そう声をかけると、奥様は少し寂しそうに微笑み「主人は入院したんです。」と静かに話された。
私は「そうですか、お大事にされてください。」と。
奥様は、いつも通りに少し高めの声で、最近のお口の中の様子を話されて、歯のクリーニングを終えた。
診療室を出る時、「次の予約はご主人も一緒にお取りしますか?」
と聞くと、奥様は少し目を閉じた。
そして、穏やかな口調で静かにおっしゃった。
「三ヶ月後は…もうないの。」
その声は、とても優しかった。
悲しみを押し殺した声でもなく、涙声でもない。
長い人生を、共に歩んできた人だけがたどり着けるような、静かな響きだった。
私は言葉を失った。
返す言葉が見つからなかった。
奥様は目を閉じたまま、それでも口元には、かすかな微笑みが浮かんでいるようにも見えた。
閉じた目の中には幸せな日々が浮かんでいたのだろう。
その表情を見たとき、私は思った。
このお二人は、どれほど心が満ち足りた時間を積み重ねてこられたのだろう。
長い人生には、楽しいことばかりではなかったはずだ。
それでも、最後にこんな穏やかな微笑みを浮かべられるほど、深い時間を分かち合ってこられたのだ。
私は、その微笑みを、今も忘れることができない。
歯科医院で出会うのは、歯ではない。
人生を共に歩いた夫婦の時間であり、言葉にならない愛情なのだ。
その日、私は教えられた。
その二日後、ご主人は旅立たれたと聞いた。
その後、お一人で見える奥様は、それまでと変わらず少し高めの明るい声でお口の様子を話される。
お一人になられても、ご主人の温かさに包まれて生活されていることが伺える。
第五章 名前のない知らせ
歯科衛生士として働き始めてから、私はたくさんの学生とも出会ってきた。
大学の側にある歯科医院に勤めた時期があった。
ある日、一人の男子学生が来院した。
背が高く、体格もしっかりしている大学四年生だ。
大学の卒業論文に追われ、寝る時間もないほど忙しい毎日を送っていた。
診療台に座るたびに眠そうな表情で、「すみません。昨日も徹夜でした。」と照れくさそうに笑う。
その姿を見ながら、私は「頑張りすぎないでね!」と心の中でつぶやいていた。
親知らずを抜くことになってしまったときも、麻酔が効くのを待つ間も居眠りをしている。
「卒論が終わるまで、強い痛みが出ないと良いね。」
そんな言葉を交わしたことを覚えている。
数週間後、その学生は晴れやかな表情で来院した。
「卒論、通ったんすよ。」
その一言で医院中に歓声が上がった。
私も嬉しかった。
「おめでとう。」
その笑顔は、未来への扉が開いたように輝いて見えた。
私も、その人生を疑うことはなかった。
親元を離れて大学に入り、四年間、一人暮らしをしながら、頑張って勉強して卒論が通り、晴れて憧れの職業に着く。
そんな、学生を支えたご両親も、どんなに喜ばれていただろう。
ところが、その喜びは長くは続かなかった。
ある日、歯科医院に一本の電話か入った。
警察からだった。
「情報提供の協力をお願いします。
交通事故で意識不明の男性が、そちらの歯科医院の診察券を持っていました。
身元について教えていただけないですか?」
突然のことで理解するまでに時間がかかった。
診察券の名前を聞いて胸が張り裂けそうだった。
その名前は、あの学生だった。
卒論に合格し、これから社会へ羽ばたこうとしていた命は、あまりにも突然途絶えてしまった。
私は声が出なかった。
診療室で見せてくれた笑顔が、何度も頭に浮かんだ。
「卒論、通ったんっすよ。」
あの弾んだ声が、今も耳の奥に残っている。
私の息子が卒論に追われた時にも、何度も思い出した。
どんなに大変でも、それを乗り越えた先にある夢と、希望を離さないでと強く願う。
歯科衛生士は、患者さんの人生のほんの一場面に立ち会う仕事だ。
けれど、その一場面は、決して小さなものではない。
その人が、懸命に生きた時間の一部であり、未来へ向かう希望の一部でもある。
私はあの日、命の長さは誰にもわからないことを知った。
だからこそ、目の前にいる一人一人との時間を大切にしようと改めて心に誓った。
彼の残した四年間の論文は、どこかで誰かの力になっているであろう。
彼の残した志は、決して消えることは無いだろう。
第六章 五歳の女の子が教えてくれたこと。
歯科衛生士として働いていると、忘れられない子どもたちとの出会いがある。
その中でも、一人の五歳の女の子のことを、私は忘れることができない。
初めて診療室に入ってきたその子は、小さな体をぎゅっと縮こませて、お母さんの後ろに隠れるように立っていた。
まだ五歳。
本来なら、乳歯が可愛らしく並び、笑うと無邪気な笑顔がこぼれる年頃だ。
けれど、その子のお口の中を見た瞬間、私は息をのんだ。
どの歯にも穴が開いていた。
一本や二本ではない。
すべての歯がむし歯になっている。
私は言葉を失った。
これほどまでに進行したむし歯を、五歳の子どもが抱えている。
その現実が信じられなかった。
食べることもつらかったはずだ。
夜、痛くて眠れない日もあっただろう。
そして、初めての歯医者。
どれほど怖かっただろう。
どれほど不安だっただろう。
それでも、その子は泣かなかった。
ただ、小さな手をぎゅっと握りしめていた。
診療が終わっても、その小さな背中が頭から離れなかった。
お母さんに「お子さんの様子を教えてください。」と待合室にいるお母さんに話をしに行った。
その時、一緒にいたお父さんの、刺すようにお母さんを見た目と、言葉を選ぶように話すお母さんの様子が気になった。
通われている保育園の名前だけを聞いた。
歯科衛生士として、むし歯を治療することは出来る。
歯を守るお手伝いもできる。
でも、その子が置かれている環境まで変えることはできない。
その無力さに胸が締め付けられた。
歯は、その子からのSOSだった。
私はこの仕事を通して何度も教えられてきた。
口の中は、その人の生活を映す鏡であること。
子どもの口の中には、子ども自身ではどうにもできない現実が映ることもある。
あの日、診療台の上の小さな体の女の子は、私に問いかけていた。
「大人は、この子を守れるのだろうか。」
その問いに、今も私は答えを探し続けている。
第七章 呼吸という贈り物
歯科衛生士として、四十年以上患者さんと向き合ってきた。
歯を守ることに誇りを持ち、目の前の患者さんにできる限りのことをしてきた。
それでも、どこか心に引っかかるものができてきた。
口の中は健康になったのに、「よく眠れない」「疲れが抜けない」「朝からだるい」と話される方が少なくない。
私は、歯だけを診ていていいのだろうか。
歯が健康になることは、本当のゴールなのだろうか。
本当に目指したいのは、その人が、毎朝気持ちよく目覚めることだった。
深く眠れた朝は、体だけではなく心も軽い。
窓を開けて朝の空気を吸い込み、「今日も一日が始まる」と自然に思える。
好きな趣味を楽しむ元気がある。
仕事に向かう足取りが軽くなる。
家族や友人と何気ない会話に笑顔が生まれる。
「行ってきます。」
「おかえりなさい。」
そんな当たり前の言葉が、温かく交わされる。
大切な人と食卓を囲み、「おいしいね。」と笑い合える。
行ってみたかった場所へ旅に出かける勇気が湧いてくる。
新しいことに挑戦してみようという気持ちも生まれる。
そんな一日が積み重なり、その人らしい人生になっていく。
私は、睡眠を整えることは、人生を整えることにつながると信じている。
だからこそ、歯だけではなく、舌、呼吸、そして食事にも目を向けるようになった。
その人が「今日もいい一日だった」と思える毎日を支えたい。
それが四十年以上歯科衛生士を続けてきた私が、たどり着いた答えだった。
たくさんの人のお口の中を見てきた。
その中で気づいたことがある。
歯は誰もが大切だと知っている。
けれど「舌」を意識して生活している人は驚くほど少ない。
舌は、ただ味を感じたり、食べ物を動かしたりするだけの器官ではない。
飲み込むこと。
正しく発音すること。
鼻で呼吸すること。
眠っている間の気道を確保すること。
実は、生きるために欠かせない働きを担っている。
本来、舌は上あごについているのが自然な位置だ。
ところが、舌の力が弱く下あごに下がったままになることがある。
それが口呼吸になる。
睡眠の質にも影響を及ぼす。
朝起きても疲れが取れない。
昼間に眠気が強い。
集中力が続かない。
無意識の食いしばりや、いびきに悩む。
私はそんな人を何人も見てきた。
だからこそ、舌を本来の位置へ導き、その動きを取り戻すトレーニングには、大きな意味があると強く思う。
舌が変わると、呼吸が変わる。
呼吸が変わると、睡眠が変わる。
睡眠が変わると、朝が変わる。
朝が変わると、その人の一日が変わる。
そして、その一日が積み重なって、人生は少しずつ変わっていく。
私は、舌を鍛えているのではない。
その人が、自分らしい毎日を取り戻すお手伝いをしているのだ。
「昨日は六時間以上眠れました。」そんなメッセージが届いた。
昨日、オンラインで舌のトレーニングをした人からだ。
「睡眠について相談したい。」
そんなコメントをいただき、オンラインでお話をさせてもらうことにした。
ZOOMの画面越しに挨拶から始めて、私の自己紹介をさせていただき、お悩みを聞いた。
睡眠時無呼吸症候群と診断され、持続陽圧呼吸療法の器具(CPAP)を毎晩使用していた。
さらに、食いしばりもあり、マウスピースも装着。
想像すると大変な夜の姿が見えるようだ。
そして睡眠時間は、その努力をしても四時間から五時間ほど。
朝起きても疲れが取れず、日中も強い眠気に悩まされている。
うっかり昼寝をすると、呼吸が止まり苦しくて目が覚める。
カウンセリングをしながをしながら、舌を上げてもらう。
驚いた、全く上がらない。
「上のあごにつけてください。」
「ついてないですか?」
下の歯列の中にうずまるように舌が見える。
私は上を見上げ、なんと伝えよう…と言葉が止まった。
考えた末「舌打ちしてみてください」「…」少し動かそうとしているのがわかった。
だが、出来ない。
「舌は、前に出ますか?」「はい。」唇から舌は出せるが、右の口角に持たれるように斜めに下に下がる。
舌に力が入らない。
「では、そのまま上の唇に舌先をつけられますか?」「はい。」これはできる。
よし、ここから行こう、と思った。
「舌を上の唇、舌の唇に交互に着けてみましょう。」
一回、二回、三回、それだけで「ふう。」ため息をつかれた。
少し休んでもらうために、舌の正しい位置のスライドを共有した。
舌を上のあごにつける意味と重要なポイントをお話しした。
「睡眠中の気道を確保することが大切なポイントです。」
うなずきながら聞いていた。
そして、画面越しのその人は、何も言わなくても、ご自身で動かし始めている。
「正しい舌の位置をもう一度お話します。」そして画面越しに位置の確認をした。
舌を上げようとしているのがわかる。
「そうです。」「そこです。」休みながら繰り返すこと四十分。
舌が上がってきているのがわかった。
「できています。」私の言葉に嬉しそうな声が返ってきた。
「これでいいですか?」「はい、その位置です。」
正しい位置まで舌を持っていけた。
その日は、そこまででトレーニングを終わりにした。
でも、翌日の朝、届いたのが「昨日の夜は六時間眠れたんです。」のメッセージでした。
「あごの周りが筋肉痛です。」との一文も。
「使えてる証拠です。無理せず続けてください。」とお返事した。
一週間後に、今回のトレーニングの様子と、次のトレーニングをしましょうと。
少しずつ呼吸が楽になったと。
食事中にむせることがなくなったと。
喉が渇きにくくなったと。
嬉しそうに報告してくれている。
舌の正しい位置をご存じない方は少なくない。
この方に様に、全く舌に力が入らない方は少ないが、
私が、一緒にトレーニングさせていただいた、数十名の方は、皆さん正しい位置を知っていただくことから始めている。
「舌は筋肉です。」「舌はインナーマッスルです。」とお話しすると、皆さん驚かれる。
舌は筋肉で鍛えることができます。
舌はインナーマッスルで舌から足の裏までの筋膜がつながっています。
呼吸だけではなく体のバランスにも舌は大きな役割をしています。
第八章 整うバランス
私が歯科医院で十年以上担当している患者さんがいます。
五十代の頃から、歩くときに、左足の動きが少し遅れていることが気になっていました。
ご本人は、膝に痛みがありスポーツ施設で週に数回のトレーニングに行かれていると話されていました。
運動不足解消とダイエットのためにもと。
治療中に気になるのは、舌に力が入らず、治療やクリーニングの時に呼吸が苦しくなることが多い。
何度か「舌が上に上がりますか?」と聞いてみたが、ご自身は舌が下に下がったままだということに気づいていない様子。
五十代のご婦人だったので、担当の女医に許可をもらい「タレントさんの美容法としても取り入れられています。」と舌を上のあごにつける効果をお話しした。
「女優さんも?なら私も、ならやらなくちゃ。」そう言って笑顔で帰られ
た。
半年後、「気づいた時しかやってなかったけど。」と舌を上にあげることを覚えていてくださった。
そして、感じた。
診療室に入られる時の足取りに左右の差がなくなっていたこと。
少し猫背気味で右に身体が傾いていたのも、今回は気にならなくなっていた。
お顔もあごのラインがすっきりしていた。
エプロンをしながら「お痩せになりましたね、スポーツ施設のトレーニングですか?」と聞くと、「あ、あそこは、ずいぶん前に辞めたんですよ。でも、そう言ってもらえて嬉しい。」と笑っておっしゃった。
お口の中を見ると舌の反応が違う。
「舌の動きが良くなっていますね。」というと「そう?本当に気づいた時しかやってなかったのよ。」と嬉しそうに。
「まだ、主人には、いびきがうるさいと言われてるけど、きれいになりたいから続けるわ。」
美容の目的からお話したことで、体幹バランスに効果が出ているとしたらと思うと嬉しい。
呼吸の改善は体幹バランスの改善より時間がかかるようだ。
ただ、続けてくださればお役に立てることと思っている。
第九章 呼吸できること
私が歯科衛生士として四十年、多くの患者さんのお口と向き合ってきました。
その中で、気づいたことがあります。
それは、「正しく呼吸できていない人がいる。」ということです。
口呼吸、舌の位置、睡眠時のいびき、睡眠時無呼吸症候群。
一見すると小さなことの様ですが、呼吸は私たちの命を支える土台です。
当時の私は、そのことの大切さを、歯科の知識として理解しているつもりでした。
けれど、本当の意味で「呼吸の大切さ」を知ることになった出来事があります。
十一月のある夜、高校一年の長男は自分の部屋で眠りについていました。
主人は、翌日からの展示会の仕事で、展示会の会場近くのホテルに泊まることになっており、私はお風呂に入り、寝る準備をしていた時、
家の電話が鳴りました。
最近は、電話と言えば携帯電話を使うことが多く、家の電話が鳴ったことに少し違和感を感じました。
でも、出てみると、主人の会社の人からでした。
「○○さんが具合が悪くなり、救急搬送されました。」という連絡でした。
「搬送先がわかったら、また連絡します。」と言ってご自分の携帯番号を教えてくださり、私も携帯番号をお伝えした。
私は不安になり、寝ていた長男を起こして、「お父さんが、救急車で運ばれた。一緒に病院に行ってほしい」と頼みました。
私と長男が着替えていると、先ほどの主人の会社の人から電話があり、病院の名前と所在市を教えてもらいました。
私の家から、高速道路で車を走らせ二時間ほどの病院でした。
当時、車の運転はしていましたが、高速道路を運転したことは無い。
それよりナビをセットする手が震えて目的地が打てない。
見かねた長男がセットしてくれて、出発。
どうしたらいいのか、わからないまま、車は進み、途中の景色も覚えてない中で、気が付けば病院の駐車場に車を止めていた。
救急搬送室のドアについているチャイムを押すと、中から病院の男性職員がドアを開けてくれました。
中で待っていてくれた、主人の会社の人に挨拶とお礼をしていると、病院の男性看護師さんが来て、「まだ手術中ですが、手術室の前でお待ちください。」と。
手術?
何の?
さらに不安が、押し寄せてくる。
手を握りしめて、うつむいていた。
主人の手術が終わるまでの間に、
主人と一緒にいてくれて、救急車を手配してくれた主人の会社の人が、私と長男に状況を話してくれました。
展示会の準備が終わり、翌日の展示会本番に向けて関係者全員で食事をするために、二駅先の食事会場へ、準備の苦労話や笑い話が花咲く中で食事会を終え、ホテルのある二駅先に向かうため、電車に乗ると主人が急に苦しみだし、ホテルから一駅手前の駅で降りて、駅員さんに救急車の手配を頼み搬送されたとのこと。
「病院に着くまで、意識はありましたから。話はできてましたから。」
そう、私と息子を気遣うように言ってくれた。
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。」そう言ったのが精一杯で、また言葉が出ない。
しばらくして、「ご家族様、どうぞ。」
そう言われて、私と長男が案内されたのは、医師が座ってモニターを見ている部屋でした。
「奥様とお子さんですか?」そう言った医師は、「もう大丈夫です。」
そしてモニターをペンで刺しながら説明してくれた。
「急性心筋梗塞です。」「こちらの冠動脈に詰まりがありました、手首から血管にカテーテルを通し、ステンドという小さな網目状の筒を入れてあります。」
この後は、二週間ほどの入院になります。
お薬の常用も必要になります。
説明後、手術室から出てきた主人は、顔色は少し白っぽく右腕には点滴の管がつながったままストレッチャーでICUへ。
意識はあり「どうやって、ここまで来たの?」と。
「車です。」「悪かったね。」そう言って、長男の手を握り運ばれていった。
それまで、一緒に付き添ってくれた、主人の会社の人に展示会、会社も二週間欠勤になることを告げた。
ホテルまで車で送らせてもらった。
深夜のため、入院手続きは翌日になることから、一時帰宅した。
現在は定期的に循環器科への通院をしながら普段どうりの生活が可能になっています。
「呼吸が変わると人生が変わる。」
そんな言葉は大げさだと思っていました。
しかし、家族の命が危険にさらされた経験は、私の価値観を大きく変えました。
健康、とても大切でありながら、これといった健康を守る力をつける機会がない。
でも、それは空気が、体の血が、体の七割を占める水が、巡ることを考えることではないかと思う。
第十章 治すから、支えるへ、私は伝え続けたい。
歯科衛生士として四十年を経験して、患者さんの笑顔を見るたびに、私は思う。
もし、主人が倒れる前に、呼吸の大切さを知っていたら。
主人が心筋梗塞で倒れたあの日から、私は何度も自分に問いかけてきた。
答えの出ない問いだとわかっている。
過去を変えることは出来ない。
それでも、その問いは今も私の中に生き続けている。
歯科衛生士として、私は「歯」を守る仕事をしてきた。
そして、患者さんと向き合う時間を重ねるほどに気づいた。
舌の位置。
呼吸の仕方。
眠りの質。
食べる力。
話す力。
そのすべてがつながり、一人の一生を支えている。
舌は、小さな筋肉に過ぎない。
けれど、その小さな筋肉が呼吸を変え、睡眠を変え、表情を変え、人との会話を変え、毎日を変えていく。
私自身が、呼吸が変わったことで、睡眠の質が変わった。
睡眠の質が変わったことで、気持ちが明るくなった。
気持ちが明るくなったことで、毎日が楽しくなった。
それを伝えた。
そして、私はその変化を何度も目の前でも見てきた。
「朝が楽になったよ。」
「家族にいびきが減ったと言われた。」
「食事がおいしく感じられるようになった。」
その一言を聞くたびに、私は思う。
この仕事は誰かの人生を支える仕事なのだと。
主人の出来事をきっかけに、私は改めて「命」を考えるようになった。
命を支えているものは何だろう。
食べること。
眠ること。
そして、呼吸すること。
私たちは、一日に二万回以上も呼吸を繰り返しているという。
それなのに、その呼吸を意識して暮らす人は決して多くはない。
歯科衛生士として四十年間、口の中を見続けてきた私は、ようやく一つの答えにたどりついた。
健康は呼吸から始まる。
その答えを探し続けた先に、私が出会ったのが「舌トレ」だった。
第十一章 一本の線でつながった瞬間
舌トレの筋トレ。
最初は、正直なところ、私も半信半疑だった。
舌は食べるため、話すために動く筋肉。
そのくらいの認識しかなかった私にとって、「舌が呼吸を変え、睡眠を変え、健康を支える。」という考えは、新鮮でありながらも驚きだった。
しかし学びを深めるたびに、これまでの四十年間で見てきた患者さんの姿が、次々と頭に浮かんできた。
舌を上のあごにつける。
舌の根の部分を意識しながら動かす。
口を開けたまま話を聞くお子さま。
いびきに悩む人。
熟睡できない人。
滑舌が不安な人。
歯周病が良くならない人。
食いしばりが治らない人。
体幹のぶれに不安がある人。
「最近、食事でむせることが増えた」と話す患者さん。
当時は、それぞれが別々の悩みだと思っていた。
けれど、呼吸、睡眠、舌の動きを学ぶうちに、私の中で散らばっていた点と点が、一つ、また一つ結ばれていった。
「ああ、そういうことだったのか。」
思わず心の中でつぶやいた。
四十年間、無駄になった経験は一つもなかった。
患者さんとの会話も、何気なく見過ごしていた小さな変化も、主人の心筋梗塞で感じた命の重みも、そのすべてが、この瞬間のためにあったのではないかと思えた。
一本の線が、確かにつながった。
私が伝えたいのは、舌トレというトレーニング方法そのものではない。
呼吸を整えること。
よく眠ること。
おいしく食べること。
笑顔で話すこと。
そんな「当たり前の毎日」を支えることこそが、私の仕事なのだと気づいた瞬間だった。
四十年間、歯科衛生士として働いてきた。
むし歯や歯周病を予防し、患者さんの歯を守ることが私の仕事だと思っていた。
もちろん、その仕事に誇りを持っていた。
けれど、心のどこかで、いつも説明のつかない違和感があった。
「治療は終わったのに、なぜか元気になれない人がいるのだろう。」
歯をきれいにしたのに、歯周病を治したのにおいしく食べられないのは、疲れがとれないのはなぜだろう。
なぜ、同じように治療しても、その後の生活に差が生まれるのだろう。
答えは、見つからなかった。
それぞれ別々の問題だと思い込み、目の前の仕事に向き合うことしかできなかった。
でも違った。
答えはずっと患者さんの口の中にあった。
呼吸、舌、睡眠、食べる力。
それらは決して別々ではなく、一つの命を支える大切な働きだった。
私は、四十年間かけて、その答えにたどりついた。
もっと早く知っていたら。
そんな思いがよぎらなかったと言えば嘘になる。
主人のことも、患者さんのことも、違う未来があったのではないかと考える夜もあった。
それでも、今は思う。
四十年という歳月があったからこそ、この答えにたどりつけた。
今までの経験がなければ、この小さな舌の大きな役割を、本当の意味で伝えることはできなかっただろう。
遠回りではなかった。
私の歯科衛生士としての人生は、この瞬間につながるための四十年だったのだ。
第十二章 それでも私は伝え続けたい
一本の線でつながったからと言って、すぐに道が開けたわけではない。
「舌の大切さを伝えたい。」
その想いは、日に日に強くなっていった。
しかし、現実は思うほど簡単ではなかった。
「舌トレって何ですか?」
「そんなことで変わるんですか?」
そう尋ねられるたびに、私は言葉を探した。
目に見えないものの価値を伝えることは、想像していた以上に難しかった。
それでも、私はあきらめようとは思わない。
必要のない人はいない。
それは生きること、そのものだから。
「ありがとう」そう言ってくれる、患者さんの笑顔を知っているから。
穏やかに、長い時間を共に過ごした、ご夫婦の持つ幸せな空気を知っているから。
短くても夢のために精一杯生きた青年が教えてくれた一生懸命が持つ力の強さを知っているから。
小さくても、愛を求めて生きている少女の想いを知っているから。
主人の心筋梗塞が教えてくれた、命の重みを忘れられないから。
そして何より、四十年間の歯科衛生士人生が、「この仕事を続けなさい」と背中を押してくれているような気がするから。
私の力は微力かも知れない。
でも、一人でも多くの人に伝えたい。
歳をとったから、腰が痛くなる。
歳をとったから、血圧が高くなる。
歳をとったから…本当にそうだろうか?
気を付けていても、年だから仕方がない。
そうだろうか?
病気になってからではなく、病気になる前にできることがあるのではないか。
健康とは、特別な誰かのものではなく、毎日の呼吸や眠り、食べることの積み重ねの先にあるのではないか。
第十三章 六十歳から始まる夢
六十歳。
以前の私なら、この年齢は人生を振り返る節目の年だと思っていた。
けれど、今の私は違う。
私には、叶えたい夢がある。
それは、舌トレの大切さを、一人でもい多くの人へ届けること。
主人の心筋梗塞を経験し、呼吸の大切さを知ったこと。
四十年間、歯科衛生士として患者さんと向き合ったこと。
そして、舌トレによって笑顔を取り戻していく人たちと出会えたこと。
そのすべてが、私に一つの夢を与えてくれた。
この学びが、日本だけではなく、世界中に広がってほしい。
それは、舌トレという方法を広めたいからではない。
その先にある「健康に生きる喜び」を一人でも多くの人に届けたいからだ。
呼吸が変われば、眠りが変わる。
眠りが変われば、朝の目覚めが変わる。
おいしく食べられるようになれば、自然と笑顔が増える。
笑顔が増えれば、家族との時間も増える。
家族との時間が増えれば、仕事に向かう気持ちも変わっていく。
人生は、ほんの小さな変化の積み重ねで、大きく動き始める。
私はその変化を、何人もの患者さんから教えていただいた。
だからこそ、この学びを私だけのものにして終わらせたくない。
住む国が違っても、話す言葉が違っても、暮らしは違っても、人は誰もが呼吸をし、眠り、食べて、笑って生きる。
だからこそ、健康の土台となる舌と呼吸の大切さは国境を越えて伝えられると私は信じている。
一人から十人へ。
十人から百人へ。
そして、その人が、また誰かへ伝えていく。
そんな優しい広がりが、いつの日にか世界中の「当たり前の健康」につながっていく未来を願っている。
六十歳になって見つけたこの夢は、決して遅すぎる夢ではない。
人生で一番新しい夢。
だからこそ、これからの人生をかけて、この夢を育てていきたい。
四十年間、歯科衛生士として患者さんと向き合ってきた。
主人の心筋梗塞を経験し、呼吸の大切さを知り、舌トレと出会い、多くの患者さんの変化を見届けてきた。
その中で、私が何よりも嬉しかったのは、検査の数値が変わったことでも、お口の機能が改善したことでもなかった。
患者さんの表情が変わることだった。
「結羽さん、やってみてよかった。」その笑顔に、私は何度も励まされてきた。
人は、体が変わると、心が変わる。
心が変わると、表情が変わる。
そして、その笑顔は、新しい一歩を踏み出す力になる。
私は、その瞬間に何度も立ち会ってきた。
だからこそ、私が届けたいのは舌のトレーニングだけではない。
笑顔を取り戻すきっかけを届けたい。
「もう歳だから。」ではなく。
「もう遅い。」でもなく。
「今日から始めよう。」と思える勇気を届けたい。
六十歳になって、私自身が新しい夢に出会えたように。
人は何歳からでも、新しい一歩を踏み出すことができる。
私は、その一歩に、そっと寄り添える人でありたい。
それが、四十年間という時間をかけて見つけた、私の人生の意味なのだ。
第十三章 夢は夢は誰かのために生まれる
私の若い頃の夢は、未来への憧れだった。
「あんな自分になりたい。」
「こんな仕事がしたい。」
「あんな服が着たい。」
「素敵な家に住みたい。」
キラキラしていた。
そして、若い頃の夢は、自分の未来を思い描くものだった。
技術を身に着けたい。
患者さんに信頼される歯科衛生士になりたい。
もっと成長したい。
夢の先には、いつも「なりたい自分。」がいた。
けれど四十年という歳月は、私に夢の意味を教えてくれた。
夢とは、自分が輝くためだけにあるのではない。
誰かの笑顔が増えること。
誰かが健康を取り戻すこと。
誰かが、「もう一度やってみよう。」と新しい一歩を踏み出すこと。
その姿を願ったとき、夢が自分のためだけのものではなくなる。
私は、患者さんから何度も教えられた。
体が変わると人は笑顔になる。
笑顔になると、心が前を向く。
心が前を向くと人生が少しずつ動き始める。
だから、私は舌のトレーニングを伝えたいのではない。
その人らしく生きる力を届けたい。
それが四十年という時間をかけて見つけた答えだった。
目も前の患者さんの治療に夢中だった、若い頃。
一人でも多くの患者さんの役に立ちたい。
その想いだけで走り続けてきた。
けれど、今ならわかる。
私が向き合っていたのは、歯ではなかった。
その人の人生だった。
食べること。
話すこと。
笑うこと。
眠ること。
呼吸すること。
そのすべてが重なり、その人らしい毎日が作られていく。
私は、その「あたり前」を支える仕事をしてきたのだった。
四十年という時間は、決して遠回りではなかった。
新人だった頃の失敗も、悩んだ日々も、患者さんとの笑い合った時間も、主人の出来事も、すべてが今日という日に続いていた。
一本一本は細い糸の様だった出来事が、今では一本の太い線となって、私の人生を支えている。
だから、六十歳になった今、私は迷わず言える。
これからの人生をかけて、この夢を育てていきたい。
それは、まだ出会っていない誰かが、笑顔で人生を歩んでいくために。
「もう歳だから。」とあきらめる人が、「今日から始めてみよう。」と思えるように。
最後まで自分の歯で、口で、力で食べて、呼吸して、大切な人と笑い合える未来が、一人でも多くの人に訪れるように。
もし私の経験が、そのきっかけになれるのなら。
もし、四十年間積み重ねた時間が、誰かの新しい一歩を支えられるのなら。
第十四章 あの頃の私へ
高校二年の夏、進路指導室で偶然見た一冊のパンフレット。
「歯科衛生士専門学校」
そのパンフレットを手にしたあなたへ。
進学するときも、通学しているときも、国家試験を受ける時も、就職するときも、常にあなたは正解を探していますね。
専門学校の成績は良くないよ。
言ってみれば劣等生。
きっと同級生は、あなたはすぐに仕事を変えると思っていますよ。
でも、定期試験も友だちが助けてくれます。
実習成績も追試で助けてもらえます。
国家試験も一緒に勉強してくれた友だちがいます。
最初の就職先では、助手さんに嫌味を言われたり、辛いこともあります。
でも、持ち前の「気にしない」性格で救われます。
そんな、あなたは三年目に、専門学校の先輩の勤める歯科医院から引き抜かれます。
それからが、あなたの本領発揮でした。
院長は、口は悪いけど、気持ちのいいゴルフ好きのイケメンです。
色々な技術や考え方を教えてもらいます。
この院長のところから、結婚退職します。
嫁ぎ先は知り合いのいない地域、そのため、まず仕事につきます。
これは正解です。
仕事仲間ができたことで、知らない土地でも楽しい毎日を過ごせます。
三年後、主人の転勤が決まります。
また、新しい土地での生活です。
引っ越しの片づけが終わると、すぐに仕事を探します。
知らない土地のことや生活情報は仕事仲間に助けてもらえます。
そしてまた、主人の転勤です。
三度目も転勤の次は就職先探しです。
幸運なことに、すぐに見つかる職場は、どこも、あなたに優しく、楽しく働けます。
妊娠で一時退職をしたのは、この時でした。
職場の皆さんの気遣いに甘えて八か月まで職場にいました。
長男は、おなかの中で歯を削る音を聞きながらすくすくと育っていましたよ。
仕事が充実していたからか、つわりもありませんでした。
長男が生まれて、三歳になって、職場復帰を考えた頃に、また転勤です。
今度は、長男の幼稚園探しからのスタートです。
マンションのお隣さんと同じ幼稚園に入ることができて、安心ですよ。
長男との時間に合わせての仕事復帰です。
家庭を優先しながら、子どもとの時間を守りながら働きます。
少年野球から高校球児まで十年間野球と仕事に夢中の日々きます。
気が付くと、自分に時間を使うこともなく過ごしています。
ふと立ち止まった時、自分のこれからを考えます。
いつか、子どもは離れていきます。
そんな時、どんな自分でいたいか?考えました。
第一に子どもに迷惑をかけないように健康でいたい。
第二に自分の夢を持つこと。
第三に誰かの夢をつなぐこと。
あなたは、四十年間、歯科衛生士として働いています。
それは、たくさんの患者さんがいてくれたからです。
「ありがとう。」をくれたからです。
悩んだときに励まして、助けてくれた友人がいたからです。
仕事を支えてくれた同僚がいたからです。
背中を押してくれた先輩がいたからです。
協力してくれた家族がいたからです。
一つの出会いが、私を育て、迷ったときには進む勇気を与え、立ち止まった時には、もう一度歩き出す力をくれます。
だから、あなたは一人でここに立っているのではないです。
これまで、出会ったすべての人に助けられ、すべての人の想いの先にあなたは立ちます。
一人の言葉、一つの出会い、一つの笑顔が、あなたの未来を大きく変えてきます。
そして、四十年後のあなたは、たくさんの人に支えられながら、新しい夢に出会っている。
だから安心して、自分の信じた道をあるいていきなさい。
大丈夫、幸せな人生です。
高校二年の私の探していた正解を考えたとき、不思議と一人の人の笑顔が、ふと心に浮かんだ。
エピローグ
それは、モンゴルを愛し続けるあの方だ。
八十一歳になった今も、少女のような瞳でモンゴルを語る。
「モンゴルのどんなとこが、お好きなんですか。」と聞くと
「全部よ。」と答える。
「モンゴルはね、本当にいいところなのよ。」その人の笑顔で聴いた自分が恥ずかしくなるくらいに、情熱的に話し出す。
草原を吹き抜ける風の話。
どこまでも続く青い空の話。
遊牧民の暮らしや。馬と共に生きる人々の話。
どの話をするときも情熱的で「好き。」があふれている。
そして、その方の話は、いつも同じではなかった。
訪れるたびに、新しい発見があり、新しい感動があった。
「あの草原に立つとね、自分がどれだけ小さな存在かを知るんだよ。」
「モンゴルの人たちは自然とともに生きている。その姿に、私は何度も人生を教えられた。」
八十一歳とは思えないほど人瞳は輝き、話している姿そのものが生き生きとしている。
私は、その人の姿に心を奪われる。
どうしたら、こんなに輝けるのだろう。
年齢ではない。
肩書でもない。
人は、心から愛するものを持ち続けているとき、一番輝くのだ。
「好き。」という気持ちは、人をここまで豊かにするのだと感じていた。
話し方は穏やかだった。
決して自慢するわけでもなく、知識をひけらかすわけでもない。
ただ、本当に好きだから伝えたい。
その思いが、言葉の一つ一つから伝わってきた。
そして、その笑顔を見ていると、不思議と私まで笑顔になっていた。
人は何歳になっても、心がときめくものを持っている限り、前を向いて歩いて行けるのかもしれない。
その方はモンゴルを語りながら、人生を語っていたのだ。
好きなものを持つこと。
学び続けること。
誰かに伝え続けること。
その積み重ねが、人を若くし、人を豊かにする。
私は、その笑顔から、そんなことを教えていただいた。
あの日は、ただ「素敵な方だな。」と思っていた。
けれど、今なら、その理由がわかる。
人は夢を持っているから輝くのではない。
夢を誰かと分かち合っているから輝くのだ。
あの人は、私にそんな希望を見せてくださった。
当時の私は、その意味を深く考えることはなかった。
「素敵な人生だな。」
そのくらいにしか思ってなかった。
でも今、新しい夢に出会った私は、あの日の光景を、何度も思い出している。
私は、健康を支え、人の笑顔につながる学びを愛している。
愛する者は違っても「好き。」を誰かに伝え続けたいという思いは同じなのだと気づいた。
夢とは特別なことを成し遂げることではない。
自分が信じたことを楽しみながら、誰かに手渡していくこと。
その積み重ねが、人生を豊かにし、人を輝かせるのだと思う。
八十一歳のあの方が、私に見せてくださった生き方は、六十歳になった今、ようやく私の心の中で一つの答えになった。
私も、あの方のように、年齢を重ねるほどに、夢を方出る人でありたい。
笑顔で自分の好きなことを語り、その思いが誰かの新しい一歩につながっていく。
そんな人生をこれから歩んでいきたいと思う。
四十年という時間は、あっという間だったようでもあり、長く深い歳月だったようでもある。
振り返れば、劇的な出来事ばかりが続いていたわけではない。
むしろ、毎日の診療の中で患者さんと向き合い、悩み、考え、喜び、学び、そして、また次の日を迎える。
その繰り返しこそが、私の歩みそのものであった。
思い返すと心に残っているのは特別な一日よりも何気ない会話や、ふとした笑顔、少し良くなったと報告してくださったときの安堵の表情である。
そうした小さな積み重ねが、気づけば四十年という大きな時間になっていた。
人は一日で変わるものではなく、日々の選択と習慣の中で少しずつ変わっていくのだと、私は多くの人たちから教えていただいた。
人生も健康も、特別な一日だけで大きく変わるものではない。
呼吸を整えること、よく眠ること。食事を大切にすること、そして笑顔を忘れないこと。
そうした当たり前の生活が、十年後、二十年後の自分を静かに形づくっていく。
健康とは、ただ、病気でがない状態を指すのではなく、自分らしく生きられること、大切な人と穏やかな時間を重ねられること、毎日を前向きに味わえることなのだと、私は今、強く感じている。
もしこの文章を読み終えたあと、ほんの少しでもご自身の身体や心に目を向けていただけたなら。
自分の呼吸に少しだけ耳を澄ませ、
今夜は少し早く休もう。
明日は、もう少し丁寧に食事をしよう。
そんなふうに思っていただけたなら。
それだけで、この四十年には十分に意味があったと思えるのです。
健康づくりは、誰かに言われて始めるものではなく、自分を大切にする気持ちから始まるのだろう。
四十年の歩みは、終わりではなく、一つの節目に過ぎない。
これまで出会ってくださったすべての方々に、心から感謝申し上げます。
一つのご縁に支えられて、私はここまで歩んでくることができた。
これからも学びを忘れず、感謝を胸に、出来ることを一つずつ丁寧に重ねていきたい。
人生は、何歳になっても、なお育ち続ける。
だからこそ私も、今日という一日を大切にしながら、未来へ静かに、しかし確かに歩みを進めていく。
その先で、また誰かの力になれる日を夢見ながら、私はここからも歩いていきます。
私の夢が、誰かの笑顔の中で、これからも育ち続けて欲しい。
そう願いながら、この文章を閉じたいと思います。
ありがとうございました。