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Photo bynukumizu_yutaka

がんのこと

    令和7年8月1日、私はがんの告知を受けました。定期健康診断を受けた病院から突然電話があり、「至急お知らせしたいことがある」と言われ、午後に受診。内視鏡検査で胃に悪性腫瘍が見つかったのです。検査の所見では、印環細胞がんという未分化型の進行がんで、通常のがん細胞のように塊ではなく、下層に潜り込んでいくようなたちの悪い細胞であり、進行が早いため対応を急がなければならないとのことでした。
    45歳7カ月、カルテに記載された自分の年齢が目にとまったとき、50に満たない現実に絶望しました。
    二人に一人ががんにかかるといわれる現代。自分あるいは家族ががんになってしまったとき、どうすればよいのか。ある日突然、がんの告知を受け、当たり前に続くと思っていた未来が消え去り、絶望と不安、焦燥の中で、様々な情報を短期間に且つ正確に選び取り、更には決断、実行していかなければならないのです。そこには切実な経済的問題もあります。
    自身の病を公にすることは、究極のプライバシーであるがために覚悟がいることです。しかし、手術を終え回復していく過程の中で、「誰にもこのような思いはしてほしくない」という思いと「普段からがんに備えてほしい」という願いが湧き出てきました。
    本文は自身の経験と反省をもとに、左氏の「備え有れば患い無し」の教訓をもって、大切な人の「備え」の一助になればと思い稿を起こしたものです。

    1.がんについて知る
    先ず、「がん」と聞くと家系の遺伝によるものと思いがちですが、遺伝要因の影響を強く受けるがん「家族性腫瘍」、「遺伝性腫瘍」は全体の5%以下ともいわれています。家族内や血縁者に同じがんが多い場合の要因は、がんを防ぐ遺伝子(DNA)の変化が受け継がれている遺伝要因と生活習慣が似ている「環境要因」とされ、先天的にがんになりやすい遺伝子が引き継がれるケースは、ごく稀だということです。がんの多くは、加齢や慢性的な炎症、ストレスなどによって起こる後天的な遺伝子変異の積み重ねが主な要因だと考えられています。
    がん細胞は健康な人でも日に約五千個できているといいます。通常であれば、免疫細胞ががん細胞を攻撃して死滅させるわけですが、免疫力が低下した状態が続くと、攻撃をすり抜けてしまうがん細胞が出てきます。この細胞はそのまま増殖を続け、やがて悪性腫瘍となります。この悪性腫瘍になんらかのかたちで気付くことで、私たちは、はじめて自分ががんだとわかります。これは1950年代に「近代免疫学の始祖」といわれるフランク・バーネットが唱えた「がん免疫監視説」によるものですが、現代の免疫学にも通用するものです。
    そして、この一連の細胞活動は誰の体にも起こり得ることなのです。
    先ずは他人事とは思わず、予防・検診方法を含め、日頃からがんの情報に触れることが大切です。私自身も令和五年にピロリ菌の感染がわかり、胃がんリスクが高いことを自覚していました。にもかかわらず、自分事とはどうしても考えられずに最新治療のニュースに関心を寄せるのみでした。しかし、本当にがんになってしまったときには、標準治療すなわち外科手術、抗がん剤治療、放射線治療が現実的な選択肢となります。
    ただ、がんの遠隔転移や周囲の重要な臓器に浸潤している場合、あるいは腹膜播種などの場合は手術が受けられず、抗がん剤等の薬物療法や放射線治療となる場合があります。
    ここで、私が胃がん手術の事前説明を受けた際の資料がわかりやすいので、参考として一部記したいと思います。
     胃がん切除の目的・必要性
     胃がんを放置すれば徐々に進行し、出血、狭窄による経口摂取不良、腹水、腸閉塞、疼痛、転移臓器の機能不全などが出現し、最後はあなたの命を失うことになります。「胃がん」の治療法はがんがどこまで進んでいるかによってかわってきます。現時点での有効性と安全性から判断すると、あなたにとっては手術療法が適切であると考えています。代替可能な他の治療法として化学療法や放射線治療がありますが、治療成績は切除手術より劣ります。

    胃がんの場合、がんの場所や大きさ、浸潤の深さによって、胃の二分の一から三分の一、あるいは全摘出となります。私の場合はステージⅠと判断されましたが、がん細胞の性質により胃の半分近くを切除しました。
    このように、標準治療においては、手術療法が最も安全で有効であり、化学療法や放射線治療は次の手段ということがわかると思います。ちなみにノーベル生理学医学賞を受賞した本庶佑京都大学名誉教授が発見したPⅮ―1による免疫療法、薬名オプジーボは画期的なものですが、現段階では治療成績(がん細胞が消失、縮小)は全体の20%から30%といわれていますので、手術以外のがん治療がいかに難しいかが想像できます。
    がんの根治は目下人類の課題ともいえます。今から50年以上前の1971年、アメリカでは、ニクソン大統領によってがん治療に関する法律が発効されました。当時、進められていた月に人類を送り込む「アポロ計画」と同様に巨額の国家予算がつぎ込まれ、がんの征圧を目指しましたが、完全な成果は得られていません。日本においてもがんの罹患者は、全体で増加か横ばいです。
    このように膨大な費用と時間をかけて研究が行われているにもかかわらず、未だに完全な治療方法が確立されないという事実を見れば、「〇〇でがんが治った」というようなことは、奇跡に近いことなのかもしれません。
    ただ、新たな治療方法の研究が日進月歩で進んでいることも確かです。アメリカの国立がん研究所主任研究員小林久隆先生による「光免疫療法」の研究は、楽天グループ創業者の三木谷浩史氏の支援を受けてスピード感をもって進められ、2020年に日本において世界初の承認を得ています(但し、適用範囲が限定的)。2022年には関西医科大学に光免疫医学研究所が設立され、2032年までには、八割のがんに対応できることを目指しているといいます。

    2.病院について(主治医とセカンドオピニオン)
    病院の選択はもちろん個人の自由ですが、実際には、はじめに受診した病院あるいは紹介先の病院で治療を進めることになります。特に進行がんで手術となれば、できるだけ早くことを進めなければならないので、その焦りからいわれるがままになりがちですが、検査はスピーディに行い、検査後には結果をしっかりと理解する時間が必要だと思います。
    自分が納得できるまで主治医に何でも質問し、病状をできるだけ詳しく把握することが重要です。その上で、最善の治療方法を主治医とともに選択し、決断しなければなりません。もちろん全て主治医にお任せするという選択肢もあります。何れにしても最善策を得るには、主治医がどれだけ信頼できるかがカギとなります。自分は医療の素人、先生はプロという関係性ですが、今は自分の命がかかっているときですから、余計な遠慮はいりません。わからないこと、納得できないことは正直に伝え、もし納得できない場合は、セカンドオピニオンなどの選択肢もあります。
     セカンドオピニオンは、主治医の他に意見を聞く制度ですが、意外だったのが保険診療外だったということです。病院によって費用は異なりますが、例えば、がん研有明病院では30分以内で3万3千円(税込)かかります。命に代えられるものはありませんが、何度も使えるようなものでもありません。紹介状も必要です。そしてセカンドオピニオンは、他の医師の意見を聞くものであり、治療や検査は原則主治医がベースとなります。また、がん治療には、日本がん治療学会等が作成するガイドラインというものがあり、国内の病院ではこのガイドラインに沿って治療が行われるため、病状判断が同じ場合は、治療方法もほぼ同じになるということです。
    私は、はじめに受診した病院で、外科医から「今の病状では胃の入り口(噴門側)の一部を残すかあるいは全摘手術になる」といわれ、手術を受けることを躊躇しました。なぜなら胃の全摘は予後が悪く、体重の大幅な減少など自分の体力や身体機能を考えると、全摘した場合の生存確率に不安を感じたからです。胃の全部を取り食道を腸につなげる、あるいは胃の出口(幽門側)が無くなって直接腸にいくわけですから、どういう状態になるか容易に想像がつきます。しかし、がんを取らなければ持っても二年。手術を受けても受けなくても先行きは暗いものでしたが、取ってしまったものは元には戻りません。ただ、不幸中の幸いで、私の病期はまだ初期であったこともあり、「後悔だけはしたくない」と思い、全摘は最後の手段として考えました。
    とにかく胃の入り口と出口を温存する形で手術ができないかと主治医に相談しましたが、「実際に開けてみてどうかだが、今の病状では全摘の可能性も否めない。ガイドラインがあるから他にあたっても同じ判断になると思う。他の病院に行くのであれば、はじめて診断を受けた病院に戻って、そこから新しい病院に紹介状を出してもらったほうが良い」という趣旨のアドバイスを受け、私は転院することを決めました。
    それから約一カ月後、知人の縁で今回手術を受けた医師に出会うことになるのです。
    先生は消化器外科医で胃がんを専門とし、これまで3千件以上の胃がん手術を執刀し、腹腔鏡手術やロボット支援手術の経験も豊富で、様々な症例に対応してこられた方でした。私の主張にも否定することなく丁寧に答えてくださり、実際に胃の噴門側と幽門側の温存を実現してくれました。
    この病院を受診したとき、正直、「病院によってここまで違うものか」と思いました。転院に際し再度検査を受けたのですが、病院内の雰囲気や先生の対応を見るにつれ、感覚的な話にはなりますが、病院の力の差を感じました。
    昨今、日本の病院の多くは赤字経営に陥り、地方では存続が危ぶまれているところもありますが、お金がなければ高額な医療機器も更新できません。この病院では最新医療機器が国内でも初導入されるなどして、高い精度の検査や治療が受けられます。
    幸せなことに日本では保険診療内であれば、どの病院でも同じ負担で医療を受けることができるので、いろいろな病院を見ることも大切だと感じました。そして、本当に重要なのは、自分の病状を正確に判断できる医師とそのための設備を持った病院に巡り合えるよう最善を尽くすことだと思います。

    3.手術と術後
    がんの告知から3カ月後の11月、私は手術を受けることを決断しました。理由は、胃の機能温存の可能性がこれまでより増えたということと、担当した先生の患者に寄り添う姿勢があったからです。患者が何を求め、何を不安に思っているのかを一回の診察でわかってくれているような先生でした。手術をしないという選択肢も否定せず、ただそうするとどうなるかということも経験をもとに、はっきり説明されました。
    最終的に自分の判断は自分に帰する。「ここまでやってダメなら仕方がない」という思いと、この先生に巡り合ったことを直感的に吉として手術に臨んだのです。
    がんの発見から手術までの時間は、患者の病状や病院の状況によって異なるとは思いますが、参考までに今回の流れを時系列に記します。
    令和6年8月  1日 がんの告知を受ける
           15日 初診・検査(血液検査、CT検査)
           18日 胃カメラ検査
           25日 受診・検査結果診断 手術日は最速で九月二十八日
       【転院先】
        10月27日 初診・検査(血液検査、CT検査)
           31日 胃カメラ検査
        11月10日 受診・検査結果診断 手術日は12月2日に決定
    この流れを見ると胃がんの場合ですが、初診から検査を経て手術に至るまでの期間は、一カ月半程だということがわかります。
    入院、手術から術後の記録
    11月30日 入院 病院食(制限なし)
    12月 1日 午前:術前検査(内視鏡) 午後:術式説明 朝昼絶食
        2日 9時 手術準備(術着に着替え、歯みがき、トイレ)
    9時30分 
     手術室へ 徒歩で移動、自分で手術台に上がる
     横になった後、酸素マスク装着、点滴
     吸引による麻酔、点滴麻酔注入、点滴が入った左腕の痛みを訴えたところで意識を失う
     意識が戻り手術は終了
     執刀した医師から手術の成功を告げられる
    12時30分 
     朦朧とした中、ストレッチャーで病室へ戻る
     ベッド上で身動きとれず、痛みにより呼吸が浅い
     尿管、ドレーン(体外に体液を排出する管)処置
     酸素吸入、心電図・酸素モニター装着、フットポンプ装着
     一晩痛みに苦しむ。フットポンプは血流のための装置で、寝返りができない中でかなり助けられた
    3日(術後1日目) 点滴、尿管、ドレーン継続
     午前:採血・レントゲン検査(自室にて) フットポンプをはずす
    看護師の補助のもと飲水、更衣、初回歩行。痛みがひどくトイレ(自室)の往復困難 
     午後:リハビリのトレーナーが来たが、痛みにより断念
    4日(術後2日目) 絶食(飲水可)、痛みが続く 
     午前:尿管を抜く(排尿時に強い痛み、翌日から少しずつ和らぐ) 
     午後:リハビリバイク10分、院内歩行 ※以降毎日実施
    5日(術後3日目) 採血・レントゲン検査(自室にて) 流動食開始
    痛みで眠れず
    6日(術後4日目) ドレーンを抜く(痛みが和らぐ) 点滴がはずれる
    7日(術後5日目) 固形食、痛みも落ち着き、管や点滴がとれて楽になる
    8日(術後6日目) 退院準備
    9日(術後7日目) 退院
    術後は合併症もなく、「日にち薬」といわれるように少しずつ快方に向かいました。
    自分の身体が一日一日回復していることを感じながらベッドの上で過ごす中で、一つ不思議な感覚を覚えたことがありました。
    患者は手術中、麻酔が効いているので当然ながら記憶はありません。しかし、自分の体の細胞は手術中の出来事を目の当たりにしていて、メスを入れられ内臓の一部が取り除かれた衝撃を記憶しているのではないかと感じたのです。それは、術後数日間、自分の意識とは別に体がこわばり、緊張状態を維持していると感じたことからかもしれません。うまく表現できませんが、自分のものだと思っていた身体は、実は生命維持という最重要事項においては、すべて細胞の力に委ねられていて、自分の意識ではどうにもならないものだったのです。

    4.退院と最終診断
    退院後は、冬であったこともあり部屋の温度変化やベッドから起き上がる際に病院のように自動リクライニングがないことなど、普段なんでもないことがとても辛く感じました。特に胃の切除では、しばらくの間、食後にダンピング症候群といわれる腹痛や下痢、めまいなどの症状があり、食事方法に気をつかわなければなりません。回復も少しずつ少しずつ食べる量が増え、良くなっていくという状況でした。
    12月15日、退院後初めての受診。ここで今回のがんがどこまで進行していたかを正確に知ることができました。術前の病期判断は、内視鏡検査や造影CT検査による見立てであり、術後の検査により最終的な病期が確定し、実際どの程度進行していたかがわかります。胃の場合は、先ず内側に粘膜があり、その下に粘膜筋板、粘膜下層、固有筋層、腹膜の順で形成されており、がんがどこまで深達しているかで術式や術後の治療方法が異なります。「がん細胞は粘膜下層まで到達しているだろう」というのが、術前に受診した全ての医師の見立てでしたが、結果は粘膜内にとどまっていたとのことでした。転移がなく深達度も最初期のT1a、そのおかげで術後の抗がん剤治療や放射線治療は必要なく済むことができました。

    5.医療費について
    今回の手術で退院時に支払った費用は、高額療養費制度によって最終的には34万6418円(内、室料22万円)となりました。室料は個室の金額ですが、入院期間も短く、手術後の状態を思うと多少費用はかさんでも個室で良かったと思います。また、医療点数を見ると実際の入院手術費は123万円程で、支払い分を引いた金額が、健康保険によって賄われていることになります。
    その他、術前外来のCTや内視鏡検査等、一連の検査には3万円程の費用負担がかかります。術後の診察料は通常と変わりません。ただ今回の場合は、抗がん剤や放射線の治療が必要なく終わりましたので、継続して治療が必要な場合は、高額制度の利用を見込んで、毎月数万円の医療費がかかってくると思われます。
    一番の問題は、病休により当然ながら給与の支給が無くなるということです。しかし、税金、社会保険料は昨年の年収などをもとに計算されていますので徴収されます。そこで健康保険の傷病手当金支給制度があり、付属給を除いた給与の八割が支給されるわけですが、病院に申請書の記入を依頼し、その資料を受け取ってはじめて申請手続きができます。病院によって異なりますが、資料の申請から受け取りまで二週間から四週間かかることもありますし、期間記入欄には、期首は初診日以降の日付、期末には未来の日付は書けないので、療養が数カ月にわたる場合は、都度、来院した日付までの申請を繰り返すことになります。
    このように無給状態になってから手当金支給までにはタイムラグが生まれますので、一定期間の生活費分の蓄えは必須です。子供の学費の支払いがある場合、特に進学が重なった時などは切実な思いがあります。日ごろからひと月の生活費がいくらかかっているのかを極力正確に把握することで、見通しがつくのではないでしょうか。
    がん治療にはこのような経済的問題もありますので、定期的に保険などの内容を見て、自分が入院した場合や病休に入った場合の補償額を把握し、不足がないか確認することも大切です。

    6.がんの予防
     がんの厳しいところは、命にかかわり、こんなに重たい病気であるにもかかわらず、一度かかったからもう大丈夫、というものではないということです。再発、再々発、二度目の新発がんを経験する人もいるのです。
    また、がんの手術を乗り越えた人には、5年生存率という関所があります。ステージや深度、部位によって確率が異なりますが、5年間再発しなければ、ほとんどの場合寛解と考えられていますので、定期的な検査が重要となります。また、再発は手術によって取り切れなかったがん細胞が、再び大きくなることですが、同じ臓器や違う臓器に新しいがんができる新発がんの可能性もあります。がんは遺伝子異常や免疫不全などにより増殖するので、どちらにしても予防につとめた生活を送ることが重要です。
    我が国では「がん対策基本法」により、国民の責務として、がんの予防に必要な注意を払い、必要に応じ、がん検診を受けるよう努めるほか、がん患者に関する理解を深めるよう努めなければならない、と定められています。
    国立がん研究センターの冊子『科学的根拠によるがん予防』によると、日本人におけるがんの要因は、
    男性:喫煙29.7%、感染22.8%、飲酒9%
    女性:感染17%、喫煙(受動含む)6.2%、飲酒2.5%
    となっており、予防には禁煙、節酒、食生活、運動、適正体重といった五つの健康習慣を身に着けることが大切だといいます。女性の感染には、「マザーキラー」ともいわれるHPV感染による子宮頸がんがあります。
    喫煙、飲酒は、細胞の炎症や酸化を引き起こす活性アルデヒドを体内に発生させます。京都大学の研究により活性アルデヒドの蓄積が免疫不全を引き起こすことが解明されています。免疫の疲弊は、がんの要因の一つだと考えられています。
    厚生労働省の調査では、がんは昭和56年から継続して日本人の死因第一位となっています。死亡数は年々増加し、年間170万人が罹り、そのうち70万人が、治療法がない状態に陥っているといいます。また、罹患者の多い大腸がんは食の欧米化に起因し増加、全体の年齢別では50歳代を境に加速度的に増えています。
    がんはこれまでになかった現代のストレス(精神的なもの、非自然的な環境によるものを含め)や加齢(高齢化、長寿化)などによる免疫の低下が大きく関わっているといいます。また、がん細胞が悪性腫瘍として発現するまでには、数年から十数年の年月がかかっていると考えられ、要因は昨日今日のことではありません。
    前述の「がん免疫監視説」を鑑みると、日頃から酸化や慢性的な炎症、活性アルデヒドなどによる細胞へのストレスを防ぐ食生活、運動による筋力の維持、自然に触れて心をリフレッシュさせるなどして、免疫力が低い状態を常態化させないことが、がんの予防につながるのではないかと考えます。
    2022年に2万2千個ともいわれるヒトゲノム情報(人の遺伝子情報)が完全解読され、がんの遺伝子変異に基づく「がんゲノム医療」は飛躍的に進歩しました。それでもがんの根治が実現しないのは、先ず、大腸がんや胃がんなど聞き馴れたがん以外にも希少がんを含めると200種近くあるということ、そして同じ臓器でも場所や浸潤によって対処が異なり、がんの性質も固形がんの他に腺がんがあり、その中には乳頭腺がん、低分化腺がん、印環細胞がん、管状線がんなど多くの種類があること、更に、がん細胞やそれを攻撃する免疫系機能が想像以上に複雑であり、細胞は人によって様々に違いがあるからだといいます。
    同じがんでも人によって進行のスピードや薬の効き方にも違いがあるようです。現代医療においては、がん(悪性腫瘍)が進行してしまってからの根治は、未だ困難な状況だと言えます。基本法にもあるように、予防と検診による早期発見こそが、現状では最も大切なことだと私は思います。

    7.むすびに
     進行がんは放っておけば、死に至ります。私はがんの罹患を知ってすぐに、病期ステージごとの死亡率を調べました。まだ自分のステージがはっきりしない中で、自分はどのくらいの確率で生きることができるのか。調べている途中にふと思ったのは、たとえがんでなくとも、人間の死亡率は100%なんだということです。
    「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」、幸若舞『敦盛』の一節を思い出しました。生あるものは必ず滅す。これは生命の大原則です。今からおよそ2400年前、釈尊は諸行無常を悟り、生老病死の四苦を唱えました。日本の文芸は古くから仏教の影響を受け、様々なかたちで表現されているのです。貴公子平敦盛と剛直な熊谷直実との美しくも悲しい物語は、今もなお、世のはかなさを人々に伝え続けています。
    どうすることもできない生老病死という現象。その中でも自分の生存が脅かされたとき、すなわち死に直面したとき、私たちは最も大きな不安を抱きます。逃れられない苦しみとそれに伴う大きな不安を、人はいかにして乗り越えることができるのか。ここに宗教の役割があると考えます。
    仏の大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く。仏教では苦の対義語は「楽」となります。楽はただの快楽ではなく、執着から離れることによって得られる真の安心ですが、生きることへの執着、今まで生活をともにしてきた家族や大切な人たちへの執着は、捨てきることはできません。しかし、私たちは自分の考えの及ばない大きな力の存在を信じ、真摯な祈りを捧げることによって、安心を得ることができるのです。
    がんという病気の恐ろしさは、心身ともに不調なく元気なところに発覚し、突然、生・病・死の苦しみに向き合わなければならなくなってしまうことです。「昨日と今日とでは自分はなにも変わらないのに、なぜ・・」。がんを告知されたことによって、奈落に落とされてしまうのです。「がん」という言葉は一種タブーのような響きがあります。がんにかかった人に何と声をかけていいのか、ためらう人もいると思います。私自身も自分ががんだと人に言うことをためらいました。「誰にも会いたくない、見られたくない」とも思いました。さらに、先のことが全く考えられなくなりました。家族のこと、仕事のこともなにもかも、「これから」が、将来が想像できなくなってしまったのです。
    しかし、そういう中でも「生きているうちは、できる限りのことはやろう」と前向きに考えることができたのは、家族や周囲の励ましの声と祈りの力があったからだと思います。
    私は幸いにも早期発見であったことと様々な人とのご縁により、復帰に向かうことができました。今は助けられた命の意味を考えながら、少しずつ普段の生活を取り戻していきたいと思います。
    「一日一生」、感謝を忘れず。
     

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