
05_雨と傘の感情学
まだ名前のない感情
突然の雨で見知らぬ人と軒下に集まった時の奇妙な連帯感
日本ほど傘と親密な国はない。
コンビニの傘立て、折りたたみ傘の進化、天気予報への執着。
そして、雨の日にしか生まれない感情がある。
十三、傘縁(かさえん)
何年も使っていないのに捨てられない傘への、理由のわからない執着。
玄関の傘立てに、5本の傘がある。
日常的に使っているのは2本。
残りの3本は、もう何年も出番がない。
骨が一本折れたビニール傘。旅先で買った派手な柄の折りたたみ傘。
誰かに借りたまま返しそびれた黒い傘。
どれも捨てていい。
でも、捨てない。
なぜ捨てられないのか、自分でもよくわからない。
傘は道具だ。
壊れたら捨てる。
使わないなら捨てる。
論理的にはそうだ。
でも傘には、他の道具にはない特殊な記憶が宿る。
傘は「天候という非日常」の中で使われる。雨の日、嵐の日、突然の夕立の日。
傘を開いた瞬間の記憶には、必ずその日の空気が含まれている。
だから傘立ての中の傘は、一本一本が「ある雨の日」の記念碑なのだ。
「傘縁」傘との縁。
人間関係と同じように、傘にも縁がある。
出会い、一緒に雨を凌ぎ、やがて疎遠になる。
でも縁を切るには忍びない。
傘立ては、使われない縁の集積場だ。
十四、相傘窮(あいがさきゅう)
傘を差し出されて断れない時の、濡れる自由を奪われた微かな窮屈さ。
突然の雨。傘を持っていない。
すると隣にいた同僚が「入りますか?」と自分の傘を差し出してくれる。
善意だ。ありがたい。でも。
相傘窮は、二つの不自由の間で揺れる感情だ。
一つ目の不自由は「濡れること」。
傘がなければ濡れる。
それは不快だ。
でもどこかに、雨に濡れることへの密かな快感がないだろうか。
子どもの頃、水たまりに飛び込んだあの解放感の残響。
大人になっても、雨粒が顔に当たる感覚には、わずかな野性の喜びがある。
二つ目の不自由は「相手のペースに合わせること」。
相合傘は物理的に距離が近い。
歩幅を合わせなければならない。
行きたい方向に自由に歩けない。
そして何より、会話をしなければならない(もしくは、不自然な沈黙を共有しなければならない)。
傘を断れば相手の善意を踏みにじる。
受ければ自分の自由を手放す。
その間で一瞬だけ揺れる。
そして「ありがとうございます」と傘の下に入る。
入った瞬間、相傘窮は消える。
代わりに、少しだけ温かいものが胸に灯る。
不自由の中に、人の体温がある。
十五、雨宿同盟(あまやどどうめい)
突然の豪雨で見知らぬ人と同じ軒下に避難した時に生まれる、一時的で無言の連帯感。
午後三時、夏の空が突然暗くなった。
次の瞬間、バケツをひっくり返したような雨。
走って近くのビルの軒下に飛び込む。
そこには既に三人いた。
スーツの男性、買い物袋を抱えた女性、イヤホンをした学生。
誰も言葉を交わさない。
でも、全員が同じ方向降りしきる雨を見ている。
この瞬間に生まれる感情を、何と呼べばいいのだろう。
友情ではない。連帯でもない。
でも確かに、「仲間」の感覚がある。
同じ災難に遭い、同じ場所に逃げ込み、同じ空を見上げている。
名前も知らない。
話もしない。
でも「同じ側にいる」という感覚がある。
誰かが「すごい雨ですね」と呟く。全員が頷く。
たったそれだけの交流。
でも、その「頷き」に含まれる情報量は意外に多い。
「私たちは今、同じ体験をしていますね」という確認。
「あなたも困っていますね」という共感。
「でも、まあ、なんとかなりますよね」という楽観。
やがて雨が弱まる。
一人、また一人と軒下を離れていく。
誰も「さようなら」とは言わない。
同盟は、雨と一緒に自然消滅する。
「雨宿同盟」結成も解散も宣言されない、天候だけが結んで解く人間関係。日本の軒下には、毎年何万もの同盟が生まれて消えている。
あなたの「まだ名前のない感情」はありますか?
傘縁、相傘窮、雨宿同盟。
雨の国・日本には、雨にまつわる感情の語彙がもっとあっていい。
あなたの「雨の感情」を、ぜひ聞かせてください。
次回は「夜の感情」。
太陽が沈んだ後にだけ姿を現す、三つの感情を名付けます。