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10_存在と不在のあわい

    まだ名前のない感情

    誰にも会わなかった日の終わりに、コンビニで「袋いりません」と声を出したくなる気持ち

    最終回。
    この連載で名付けてきた27の感情は、日常の些細な瞬間に宿るものばかりだった。
    最後に、もう少しだけ深い場所にある感情を三つ。
    「いること」と「いないこと」の境界線上の感情を名付けて、この連載を閉じたい。


    二十八、留守電残温(るすでんざんおん)

    亡くなった人の留守番電話のメッセージを消せないでいる時の、声だけが生きている不思議な感覚。

    祖母が亡くなって三年が経つ。
    スマホの留守電に、祖母の声が一件だけ残っている。

    「もしもし、おばあちゃんだけど。
    元気にしてる? 寒くなったから風邪ひかないようにね。
    はい、じゃあね」

    たった十五秒のメッセージ。
    内容に特別なことは何もない。
    でもこの十五秒を消せない。

    留守電残温は、「声の不在」と「声の存在」が同時に起きている感情だ。

    祖母はもういない。
    でも再生ボタンを押せば、声は今も出てくる。
    「寒くなったから風邪ひかないようにね」と、三年前と同じ温度で。
    声だけが時間を止めている。
    身体は消えたのに、声は生きている。

    写真とは違う。
    写真は「過去の姿」を見せる。
    でも留守電は「過去の声」を聞かせる。
    声には温度がある。
    抑揚がある。
    息遣いがある。
    だから留守電を再生すると、祖母が「今ここにいる」ような錯覚が一瞬だけ起きる。
    そして再生が終わると、不在が戻ってくる。

    「残温」という言葉を選んだのは、この声の温かさが、人がいなくなった後もしばらく残る体温のようだと思ったからだ。
    部屋を出た人の椅子に、まだ温もりが残っているように。

    消さない。
    消せない。
    でもいつか、スマホが壊れたら消えるかもしれない。
    その時のことを考えると、また違う感情が胸を刺す。
    でもそれは、まだ名前を付けられない感情だ。

    二十九、旧居残像(きゅうきょざんぞう)

    引っ越した後、前の家の電気のスイッチの位置に手が伸びてしまう、身体に刻まれた記憶。

    新しい部屋に引っ越して一週間。
    夜、トイレに起きる。
    暗い廊下を歩き、壁に手を伸ばす。スイッチを探る。

    ない。

    手が探しているのは、前の家のスイッチの位置だ。
    新しい家ではスイッチは反対側の壁にある。
    頭ではわかっている。
    でも手が、まだ前の家に住んでいる。

    「旧居残像」は、頭が引っ越した後も身体が引っ越せないでいる感覚だ。

    スイッチだけではない。
    冷蔵庫を開けようとして違う扉に手をかける。
    洗面台の蛇口を回す方向を間違える。
    玄関のドアの開く向きが逆で一瞬戸惑う。

    身体には独自の記憶がある。
    「手続き記憶」と呼ばれるもので、自転車の乗り方や箸の持ち方と同じ種類の、意識しなくても動く記憶だ。
    家のスイッチの位置も、何千回と繰り返すうちに手続き記憶になる。

    引っ越しは、頭の中の地図を書き換える作業だ。
    住所が変わり、最寄駅が変わり、ゴミの日が変わる。
    それは数日で適応できる。
    でも身体の地図を書き換えるには、もっと時間がかかる。

    暗闇の中で前の家のスイッチを探す手は、まだあの家に帰りたがっているのかもしれない。
    あるいは、あの家での時間がそれだけ深く身体に刻まれていたということかもしれない。

    旧居残像は、一ヶ月もすれば消える。
    手は新しいスイッチの位置を覚え、前の家の記憶は上書きされる。
    でもその一ヶ月間、身体は二つの家の間をさまよっている。
    それは少しだけ、切ない時間だ。

    三十、存在確認衝動(そんざいかくにんしょうどう)

    誰にも会わず一日が終わりそうな時、コンビニに行って「袋いりません」と声を出したくなる気持ち。

    在宅勤務の日。朝から晩まで家にいた。
    画面越しの会議はあった。
    チャットのやり取りもした。
    でも、生身の人間と声を交わしていない。

    夕方、妙な衝動に駆られる。
    外に出たい。
    具体的には、コンビニに行きたい。
    買うものは特にない。
    でも行きたい。

    この衝動の正体を、自分でもうまく説明できない。
    食料が必要なわけではない。
    運動がしたいわけでもない。

    レジに並ぶ。
    「袋いりません」と言う。
    店員が頷く。
    それだけのやりとり。
    でもそのわずかな交流の後、胸の中の何かが、ほんの少し満たされる。

    「存在確認衝動」それは、自分がこの社会に存在していることを確認したい欲求だ。

    一日中誰とも会わないと、自分の輪郭がぼやけてくる。
    頭の中だけで一日が完結してしまう。
    画面の中の自分は、本当に「自分」なのか。
    チャットの文字列は、本当に「自分の声」なのか。

    コンビニの店員に「袋いりません」と言う。
    店員が反応する。
    その反応が、「あなたはここにいますよ」と言ってくれる。
    他者の目に映ることで、自分の存在が確定する。

    大げさだろうか。
    でも、コロナ禍以降、この感情を知っている人は多いのではないか。
    リモートワークが当たり前になった世界で、私たちは「存在確認」のためにコンビニに行く。
    買い物が目的ではない。
    「ここにいる」を確認しに行くのだ。


    おわりに・名前を付けるということ

    全10回、30の感情に名前を付けてきた。

    譲空振り、未踏喪失、沈黙臨界。時差邂逅、曜日迷子、締切覚醒。祝指重、既読浮遊、通知幻聴。終味惜、再訪負債、冷蔵庫の忘却。傘縁、相傘窮、雨宿同盟。深夜万能、布団引力、夜悔再生。名忘恐、別同歩、返礼螺旋。購後冷、列中悔、空箱逡巡。衣替再会、花粉背信、終電解放。留守電残温、旧居残像、存在確認衝動。

    これらはすべて、名前がなかっただけで、ずっと私たちの中にあった感情だ。

    言語学者のベンジャミン・リー・ウォーフは、「言語が思考を形作る」と論じた。
    言葉がなければ認識できない。
    認識できなければ、共有できない。
    共有できなければ、「自分だけがおかしいのではないか」と不安になる。

    でも名前があれば違う。
    「ああ、これは『夜悔再生』か」と思えれば、布団の中で身をよじる自分を、少し遠くから、少し笑いながら見つめることができる。

    名前は、距離だ。
    そして距離は、優しさだ。

    この連載で名付けた30の感情が、あなたの日常の中で「あ、これ」と思い出されることがあれば、それ以上の喜びはない。

    そして、まだ名前のない感情は、きっとこの世界にあと何百も、何千もある。
    この連載は終わるが、名付ける旅はまだ始まったばかりだ。

    あなたの「まだ名前のない感情」を、これからも探し続けてほしい。


    この連載を読んでくださったすべての方へ

    全10回にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました。
    コメント欄で教えていただいた「名前のない感情」の数々にも、深く感謝しています。
    いつか、読者の皆さんの感情にも名前を付ける「番外編」を書けたらと思っています。


    あとがき

    10回にわたって読んでくださった皆さんへ。

    この連載では、日本語にまだない30の感情に名前をつけてきました。
    どれも、誰もが感じたことがあるのに、
    言葉にならなかった気持ちです。

    一つでも「ああ、これ、わかる」と思ってもらえたなら。
    それがこの連載の存在意義だと思っています。

    読んでくださってありがとうございました。

    高川力也


    📖 シリーズ全記事:
    ①〜⑩は「まだ名前のない感情」マガジンにまとめています。
    → [https://note.com/shiny_avocet886/m/m0bab5b95cb39]

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    18年間の経験を持つバス運転士です。 日々の運行で安全に目的地に到着することを使命としています。 しかし、バス業界は運転士不足、地域路線の減便や廃止など、多くの課題に直面してます。 バスは地域にとっては欠かせない交通手段です。バスの魅力や今後の課題を考えていきたいと思います。

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