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03_画面越しの感情

    まだ名前のない感情

    SNSで「おめでとう」と打ちながら指が重くなるあの瞬間


    スマートフォンが当たり前になってから、私たちの感情生活は激変した。
    10年前には存在しなかった感情が、今や毎日のように胸の中に生まれている。
    今回は、画面越しにしか生まれない三つの感情に名前を付ける。

    七、祝指重(しゅくしじゅう)

    SNSで知人の成功を見て「おめでとう」と打ちながら感じる、指先の微かな重さ。

    友人がSNSに投稿した。
    転職が決まった、結婚する、本が出る、念願の資格に合格した。
    何でもいい。
    あなたは「おめでとう!」とコメントを打つ。
    心から祝福している。
    本当に。

    でも、「お」を打つ指が、ほんの少しだけ重い。

    この感情は嫉妬とは違う。
    嫉妬には明確な方向性がある。
    「自分もそうなりたいのになれない」という矢印。
    祝指重にはその矢印がない。
    友人の成功を心から喜んでいる。
    でも同時に、自分自身の現在地が、うっすらと照らし出される。
    比較しているのではない。
    ただ、光が当たると影もできるように、誰かの前進が自分の静止を浮かび上がらせるだけだ。

    厄介なのは、この感情に気づいた瞬間、自己嫌悪が重なることだ。
    「祝えない自分」を恥じる気持ち。
    でも、祝えないのではない。
    祝っている。
    指が重いだけで、心は軽い。

    「祝指重」は、人間の善意と自意識が同時に存在できることの証拠だ。
    矛盾ではない。それが人間なのだと思う。

    八、既読浮遊(きどくふゆう)

    メッセージを既読にしてから返信するまでの間に漂う、相手の感情を想像する宙ぶらりんの時間。

    スマホに通知が光る。
    友人からのメッセージ。
    開いて読む。
    既読がつく。

    ここからの数秒あるいは数分、数時間が「既読浮遊」の時間だ。

    返信の言葉を考えている。
    でもそれ以上に、「相手がこちらの既読を見ている」ことを意識している。
    相手の画面にはもう「既読」の二文字が表示されている。
    つまり、「読んだのに返していない自分」が、相手の目に映っている。

    返信を急がなければ。
    でも雑な返信はしたくない。
    でも時間が経つほど「既読スルー」に近づく。
    でも焦って変な文面を送るのも。

    この浮遊感は、手紙の時代にはなかった。
    電話の時代にもなかった。
    「読んだことが相手にわかる」という技術が生み出した、まったく新しい感情だ。

    面白いのは、既読浮遊の最中、私たちは「相手の中の自分」を想像しているということ。
    自分の感情ではなく、相手が自分に対して抱いているかもしれない感情を先回りして感じている。
    感情の幽体離脱のようなものだ。

    既読機能がなかった時代に戻りたいとは思わない。
    でも、あの頃の手紙には既読浮遊がなかった分、返事を書く時間は穏やかだっただろう。

    九、通知幻聴(つうちげんちょう)

    スマホが鳴っていないのに、通知音が聞こえた気がする現象に伴う、繋がりへの渇望と気恥ずかしさ。

    ポケットの中でスマホが震えた気がした。
    取り出す。
    画面は暗い。
    通知はない。

    「あれ、気のせいか」と呟いてポケットに戻す。

    この経験は、ほとんどの人にあるはずだ。
    「ファントム・バイブレーション・シンドローム」と呼ばれ、研究もされている。
    でもここで注目したいのは、その瞬間に胸をよぎるあの感情だ。

    通知がなかったことへの、ほんの少しの落胆。

    落胆つまり、「誰かから連絡が来ていてほしかった」のだ。
    それに気づくと、少し恥ずかしい。
    大人が、まるでポストの前で手紙を待つ子どものように、誰かからの反応を無意識に待っている。

    「通知幻聴」が教えてくれるのは、私たちの脳が常に「繋がり」を監視しているということだ。
    意識していなくても、身体は他者からの信号をキャッチしようとアンテナを張り続けている。

    孤独ではない。寂しいわけでもない。
    でも身体は、誰かの存在を探している。
    それは弱さではなく、社会的な生き物としての本能なのだろう。
    通知幻聴は、人間の繋がりへの根源的な欲求が、テクノロジーの衣をまとって現れたものだ。

    あなたの「まだ名前のない感情」はありますか?

    祝指重、既読浮遊、通知幻聴。
    スマホ時代の感情は、まだ言葉が追いついていない領域が広大に広がっている。
    あなたが「画面越し」に感じた不思議な感情があれば、ぜひ教えてください。

    次回は「食卓の哲学」。
    食べることにまつわる、名前のない感情を三つ名付けます。

    #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門

     
     
    18年間の経験を持つバス運転士です。 日々の運行で安全に目的地に到着することを使命としています。 しかし、バス業界は運転士不足、地域路線の減便や廃止など、多くの課題に直面してます。 バスは地域にとっては欠かせない交通手段です。バスの魅力や今後の課題を考えていきたいと思います。

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