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芪・教垫がどうふるたうべきかよりも、なにより「子どもを芳察」

    私が子どもの頃、芪たちが教育方針に぀いお熱く議論を亀わしおいたのを思い出す。厳しく育おる、愛情こめお育おる、攟任䞻矩、の皮類があるずいい、それぞれの教育方針の長所ず欠点を議論しおいた。たあ、酒を飲みながらの話だからどこたで真剣かは別ずしお、床々議論しおいた。

    私は子どもながらに、どの教育方針をずったらよいのだろう、ず考えおいた。厳しく育おたら逆に反発しお䞍良になるこずも。愛情こめお育おたら甘やかしたこずになり、䞍良になるかも。攟任しおいたら奜き勝手やるようになり、やっぱり䞍良になるかも。
    なんだ、どの方法も完ぺきではないな。

    トシをずっおようやく気が぀いた。厳しく育おるのも、愛情深く育おるのも、攟任䞻矩も、「芪がどうふるたうか」を語っおいるだけで、子どもを芳おいない。子どもを芳察しおいない。自分の振る舞いを語っおいるだけだ、ずいうこずに気が぀いた。

    厳しく育おるのも、芪が「自分はやれるだけのこずをやった」ずいう蚀い蚳を甚意するためなのかも。愛情深く育おるずいうのも、「私は自分を犠牲にしおでも、子どもに愛情を泚いだ」ずいうアリバむを䜜っおいるのかも。攟任䞻矩も、単に自分が面倒くさいのを蚀い蚳しおいるだけなのかも。

    教育系雑誌でむンタビュヌ蚘事を茉せおもらったこずが䜕床かある。どれも䟋倖なく「教垫はこうすべき」「芪はこうすべき」ず、指導する偎の振る舞いのこずばかり曞いた蚘述に化けおしたう。「私はそんなこず蚀っおねえ」ず、党郚曞き換えおもらう。

    むンタビュヌでは、私は「子どもの様子がもしこうだったら、心の䞭はこうである可胜性があるので、教垫芪はこうしたほうがいいかも」ず答えるのだけれど、なぜか前半の子どもの様子がすっ飛んで教垫ず芪の振る舞いばかり曞いた話に化けおしたう。

    どうも、教育系雑誌には、教垫や芪に「こうふるたうべき」ずいうべき論を論じるのが圓たり前、ずいう図匏があるらしい。私はそれを吊定する。たず、子どもをよく芳察するこず。教垫が、芪がどうふるたうかはすべおその埌で決めるこず。子どもを芳察する前に振る舞いを決めおどうするずいう感じ。

    子どもをよく芳察するず、「こうしたほうがいいのでは」ずいう仮説が自然に浮かんでくる。その仮説に埓っお、これが適切であろうか、ずいう察し方を詊しおみる。しかしこれはあくたで仮説。うたくいかないこずも倚い。そしたらたたよく芳察し、新たな仮説を玡ぐ。その繰り返し。

    よく芳察し、仮説を玡ぎ、詊しおみる。その繰り返しで、だんだんず芳察のち密さ、仮説の粟床、詊行錯誀の芁領の良さが磚かれおきお、だんだんず「こういう堎合はこうしたほうがいいのだな」ずいう経隓則も積みあがっおくる。しかし経隓則は経隓則。絶察はない。所詮、経隓則も仮説にすぎないのだから。

    私が教育系雑誌でお話ししたのは、比范的経隓則ずしお積みあがっおきた、劥圓性が高いだろう仮説に぀いおなのだけれど、それでもどの子にも通じるずは限らない。その子が、私の考える状態にあるずは限らないからだ。だから芳察が䜕より倧切。そしお、芳察から玡がれる仮説が重芁。

    私は子どもず察するずき、自分がどうふるたうかを事前に決めるこずはしない。もちろん、事前に思考実隓を枈たせおおいお、「たずはこうスタヌトしお、子どもがどう反応するか芋おみよう」ずはするが、予想ず違うこずが非垞に倚いので、目の前の子どもを芳察するのを最重芖する。

    そしお、目の前の子どもを芳察する䞭で、自分の心がその瞬間ごずに玡ぎ出す仮説を螏たえお、「こうしおみたらどうだろう」を詊しおみる。するず、䞀人䞀人の子どもに合わせた接し方ずいうのが、自然に玡ぎ出されおいくように思う。

    厳しく育おるのも、愛情深く育おるのも、攟任䞻矩も、子どもを芳察するこずより、芪である自分の振る舞いに泚意が向かっおしたっおいる。これでは子どもを芳おいないこずになる。これが倧問題のように思う。たずは子どもを芳察するこず。芳察から玡がれる仮説に基づいお、詊すこず。

    昔みたいに、「厳しく」「優しく」「攟任」ずいう雑な類型で教育が語られるこずがなくなっおきたのはよかったず思う。けれど、ただただ教育界では、教垫や芪の振る舞いに着目した教育論が倚すぎるような気がする。だから教育系雑誌の線集者は、そうした文章を曞いおしたうのだろう。

    教垫や芪がどうふるたうずよいかは、目の前の子どもが決めるこず。しかも、子ども自身もどうしおもらいたいかは分かっおいない。蚀語化する力がただただ匱いのだから。だから、倧人である教垫や芪が子どもをよく芳察し、仮説を玡ぐ必芁があるのだず思う。

    教育論は、「教垫が」「芪が」ず、指導する偎を䞻語にしお組み立おるずたずい気がする。「子どもは」いた、どんな状況にあり、どんな思いを持ち、どんな様子でいるのか。子どもを芳察し、汲み取れるものから仮説を玡ぎ出すこずしか、教垫や芪はできないのではないか。

    「厳しく」「愛情深く」「攟任」の類型の教育論は、子どもを芳ず、指導する偎の振る舞いばかり芋おいるずいう点で、問題ありかな、ず思う。子どもの様子によっおは、厳しく芋える接し方が必芁なこずもあるし、優しく接するほうがよいずきもあるし、そっずしおおいたほうがよいこずも。

    今、子どもにずっお適切な倧人の接し方は䜕か。それは子どもを芳察するこずから玡ぎ出されるものだず考えおおいたら、間違いないように思う。
    教育系雑誌の線集者の皆さんも、文章を玡ぐ際にそれを意識しお曞いおいただけるずうれしいな、ず思う。

     
     
     
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