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怠惰ながらに、もう一文字

    私は怠惰だ。そういう人はありふれている。その上で言う。これは私の、怠惰と、少し先の話。

    生まれた。小学生になった。入学式のスピーチをしたことを覚えている。幼稚園生のときから小学生のときにかけ、いわゆる、先生から好かれるポジションであったのだ。よく喋るし、いろんな人のお世話をするし、そこそこに勉強も出来るし。「いいこ」と形容されがちだった。
    文字だらけの世界で、漢字を特に好む方だったと思う。そこらじゅうの看板の文字。麻雀、麻婆豆腐、爆竹を読めて喜んでいた。これは、ずっと読書をしていたおかげで。分厚い本を借りて優越感に浸るタイプの小学生をしていた。あの厚みが、今では懐かしい。日本語が好き!という感覚を明確に得たのは、小学校の家庭科の先生に文章を褒められてからだった。家庭科の縫い物の知識に関するワークシートの、感想欄。そこの文章を褒めてもらったのが、文章を褒められた最初の記憶。その先生が率いていた音楽委員会に所属し、ベースを弾いていた。そのベースさえ褒められたので、私はベースが出来るんだと直感した。出来るから、音楽のことが好き!と形容するようになった。原体験がちょろすぎるが、小学生はおそらくこんなものだ。読書でしたことは、知識の先取りである。音楽でしたことは、出来る感覚の先取りである。
    ただ、先に取っていたくせに、その知識を、技術を伸ばすことを怠った。漢字の勉強を必死にしたわけでも、ベースの練習を真剣にやったわけでもなかった。でも漢字のテストでは大体九割取れたし、ベースだってたびたび先生に褒められた。何も努力をしない。でも、出来てしまう。その出来た感の先取り全てが、私を努力から遠ざけた。だって、何もしなくても良かったんだから。そうすると、悲しいかな、景色が変わらないのだ。看板は昔より眩しくて、興味をなくして読まなくなったし、読書量だってグッと減ったし、ベースだってもう弾いていない。世界は変わったが、私の視点が変わらない。だから、つまらなく感じる。それを人は大人になったと呼ぶのだろうか?

    中学生のころから今まで、吹奏楽を続けている。中学校三年間、ユーフォニアムという大きい白菜くらいのサイズをしている楽器をやっていた。成績は振るわなかったが、まあ、いい日々だったはずだ。あまり覚えていないし、過去の自分も報われないし。友人とだらだら演奏する日々。家に帰ることに躊躇なんかないし、なんならサボって遊びにいくことを楽しみにしていた。だって、やらなくても出来るという成功体験を積んできたから。コンクール前には少しだけ真剣になるし、コンクールが終わったら全力で練習してもいないのに悔しくて涙が出た。ユーフォニアムを演奏することで、それが出来るんだと、実感していた。
    私は、ユーフォニアムを吹くことが出来る。だって、吹いていてもめちゃくちゃ怒られることはないし、たまに褒められるし。ユーフォニアムが私に染み付いた、唯一出来ることになった。
    勉強も忙しくなるだろう、と高校入学と同時にやめてやろうと思ったが、一種の喪失感のようなものが湧いてきた。よく考えると、吹奏楽以外にやれることがないのだ。小学生の時から苦手だった算数、運動、暗記。その全てが、他のことをしない言い訳として足を引っ張った。吹奏楽以外には何にもできない!そんな諦観。高校でも、吹奏楽を続けた。ユーフォニアムパートになった。ここが分岐点だったのだろうな、今になって、思う。
    顧問が、強い言葉を使う人だった。
    「お前らがこの程度の人間だったら将来がねえぞ!」
    色々言われた、いわゆる説教。言っていることはきっと真っ当で、部員を「社会に出られるように育てている」のだろうと、言葉を受け止める。私はあまり強くない。誰かの、私の鼻の奥が痛くなろうと、涙が出ようと、顧問の言葉は無論止まらない。

    それでも、私は出来ると思っていた。ユーフォニアムだけは、ずっと、出来ることだと信じていた。どれだけ説教されても、それだけは出来る。縋りついていた、希望のようなものだった。
    先取っていた知識が追いつかれた。いつのまにか、私の誇っていた知識はみんなの当たり前になっていた。そんな中で、看板なんてどうでもいいものになった。だってみんな読めるし。スマホの中の情報と、友人との会話が私の視野の全てになった。この頃から、バストロンボーンやトロンボーンなど、別の楽器を部活終わりに吹かされることが増えた。
    高校二年生、九月。部内のトランペットを吹く友人と共に顧問に呼び出された。なんとなく、察していた。楽器を変えられるのだろう。技術不足で。
    「お前は性格がユーフォに向いていない」
    脳天を容赦なく貫いた言葉、あれはきっとピストルだったと思う。私はチューバパートに異動することになった。私の四年半が根本の性格から否定された瞬間である。具体的なことは言われなかった。とにかく、性格が向いていないのだと。信じていた、出来ることを壊された瞬間だった。ユーフォニアムが出来ると思っていた、出来るから性格だって向いているものだと思い込んでいた。私の代わりにユーフォニアムを吹くことになったのは、高校から吹奏楽を始めたトランペットの友人である。息が詰まる。

    「なんでこんな楽器」と、その友人が言う。私の出来るの度合いを、易々と友人が越して行く。私の四年半は、一年半に越された。なんだか、その“越された”を感じた時に、私はぼー、っとしていたような感じがする。友人が嫌いだとか、憎いとかではない。それでも、喉に何かつっかえているのに、吐き出せないし飲み込めないし正体もわからない。つっかえているから呼吸だって上手にできやしない。もしやこれは自分自身か?練習をもっとやっていればこうはならなかった?でも性格が向いていないって、性格は過去からの産物だ。つまり、過去から何かを怠っていたのか?景色が変わらないと思っていたら、そもそも見えなくなってしまった。

    変えようとしなかったのは、私だった。チューバを吹く。吹けはする。部内に、中学生からチューバをしている同い年の友人がいる。比べる。出来ない。これからの私は、出来ないことをずっと握りしめて、信じるしかないのか?景色は真っ暗で、窮屈で、耳が遠くなる。
    白菜のようなものを抱えていた身に、チューバという鈍器は重すぎた。毎日同級生に指導される。今まで後輩にユーフォニアムを教えていたのに。思えば、私は小学生の頃から何も変われていないじゃないか!ユーフォニアムを毎日真面目に練習せず、後輩に教えることで自分が上手くなった気になる。今ではほとんど周囲の人が読める漢字を誇らしく読んでいた、あの時となんら変わりがない。私は、面倒なことを避けることだけ覚えていった。練習をサボった帰り道の夕日があんなに綺麗だったことを、憎んでしまった。出来ない部分の練習をやらないまま、出来るところばかり練習していた記憶は美化されなかった。ユーフォニアムを吹いていた記憶が、脳内で濁っていく。

    楽器の変更をある種の景色の移り変わりと捉えるには、明かりが足りなかった。楽しい、そう思えない。どれだけ吹いて奏でても楽しくない。目の前が真っ暗になるって、本当にある現象なんだ、と驚いた。チューバが、出来ない。楽しむことも、出来ない。出来ないが積み重なって、暗闇に、落ちていく。そんな時。
    ぽつ、ぽつ。周囲に明かりが灯る。……違う。元からあった明かりが、見えるようになっただけ。
    「無理しないで」
    周囲からの言葉が、ちらちら光る。暗闇に慣れた目には、わずかな明かりが眩しすぎる。暗闇に落ちていたのではなく、現実に目を瞑っていただけだった。この明かりに目が慣れてしまっては、だめだと思った。看板のような、その明かり。あぁ、眩しすぎて景色が見えない。ものがあることだけ、わかる。私は、ここまで沢山の物に囲まれていたのか。それでもまだ欠けているもの。それが、出来る、ということ。今まで大事に抱えていた出来るという感覚は小さいものだった。私には、何なら出来る?

    思い出す。説教の記憶でなく、褒められた記憶を。出来ると思い込んでいた時代のことを。小学生の時からの、記憶を。
    「あなたの書く文章、──」
    家庭科教師のあの言葉の輝きが、私の現状を眺めるように、遠くでぼんやり瞬いていた。

    書こう。書いてみよう。過去に褒められたことに縋って。

    今になって、筆を取る。自分の過去ごと書きつける。出来ないばかりを書いたこの文章。漢字は得意だったはずだから、文章を昔褒められたことがあるから、日本語が好きだから、文章こそ出来るはずだと。出来るということの定義も曖昧だし、そんな希望は、何かを出来るようになりたい私の、ちょっとした願望に近い。でも、楽器の練習と違って、文章は書かないと一つの成果にならない。楽器は練習しなくても今まで吹いてきた分の技術貯金で吹ける時があるが、文章を書くという行為は、やらないと、生まれない。生まないと、何もそこには起こらない。後退するより、何かをしたい。吹奏楽は上手く出来ない。文章において今、私は出来ると出来ないの狭間にいる。
    それでも書く。看板をまた読むために。だってまだ知らないことだらけだ、世界は。出来ることも出来ないことも、まだわからないだろう。看板の明かりは案外私をちゃんと照らしていたのかもしれない。いつかは自分の力で景色が見えるように。怠惰ながらにこの句点を打つ。結局景色は変わらないかもしれない、わからない。それでも、もう一文字だけ。

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