メインコンテンツへスキップ
見出し画像

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №4 第一章 尊良天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)

    串呂哲学研究会
    画像

    復刻版 №4
    徹底的に日本歴史の誤謬を糺す 其の壱
    神皇正統第五十世尊良天皇顕彰
     附 再現芳聖の串呂の一部
    第一章 尊良天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)

    目 次
    第1分冊
      第一節 尊良親王が皇位を継承し給いし経緯
    第2分冊
      第二節「金崎神宮」が「尊良天皇」奉斎の神宮である事を立証する串呂
      第三節「尊良天皇」奉斎の「金崎神宮」と「皇大神宮内宮」との神風串呂
      第四節「金崎神宮」と「後醍醐天皇御陵」との神風串呂
      第五節「金崎神宮」と岡山県新見市哲西町「天王」との神風串呂
      第六節「金崎神宮」と「尊良天皇御陵」との神風串呂
      第七節「金崎神宮」と「石清水八幡宮」との神風串呂
    第3分冊
      第八節「尊良天皇」とその再現「三浦芳聖」との関連の神風串呂
      第九節「尊良天皇」が「高御位」に登極された事を立証する神風串呂
      第十節「高甲良山」と「尊良天皇」再現「三浦芳聖」との神風串呂
      第十一 節「尊良天皇」隠祀の「寺野ちゝ薬師」と之に関連する串呂


    凡 例

    🟢旧漢字は固有名詞等の一部を除き新漢字に変換し、旧仮名遣づかいは新仮名遣いに変換しました(國→国、ふ→う)。「寺野ちゝ薬師」以外の「ゝ、ゞ」は普通の文字で表記し、卅→三十、廿→二十、拾→十、皈→帰、壽→寿、竝→並などと表記しました。横書き用記述に合わせて「串呂地文連記」の東西・南北の方向を反転した場合もあります。本文中の引用箇所は、「 」『 』【 】で明確にしました。
    🟢改行で一行空けるようにし、さらに適宜てきぎ改行を補い、難読漢字にはルビを付し、句読点や括弧かっこ等を補い、見出しを付け、原著にはない串呂図や系図、写真・画像、WEB地図、記号(⛩)、絵文字(🟠)等を挿入し、資料先のサイトをリンクしました。頁数は復刻版独自の頁数で原著とは関連していません。
    🟢明らかに誤字・脱字・誤記と判明している箇所は訂正し、個人情報保護の為に固有名詞などの関係個所を一部削除したり簡略化しました。
    🟢金ヶ崎神宮→金崎神宮と表記し興国こうこく天皇践祚せんその日を延元二年二月五日と改めました。
    🟢三浦芳聖師は、遠祖の人生を追体験ついたいけんする為に一人で何役(尊良たかなが天皇、興国こうこく天皇)も務めたようですが、誤解を避ける為「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体」で統一しました。また「五皇一体」と簡略表記した箇所もあります。
    🟢串呂図の地名・住所は最新のものを表記し、本文中の住所も文意を損なわない限り最新住所を記載しました。府県名を省略した場合もあります。
    🟢編集上の注記として挿入した箇所は〔編集者注記〕、消滅したり変更された地名は〔現在不明・廃村消滅か〕、地名を特定する為に「高松町〔田原市〕」のように記載し、和暦われき皇暦こうれきの後に西暦を挿入しました。例〔1370年〕。

      串呂哲学研究会 鈴木すずき超世志ちょうせいし


    第一章 尊良天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)

    第一節 尊良親王が皇位を継承し給いし経緯

    1、後醍醐天皇から比叡山に於て皇位を継承

    画像
    比叡山延暦寺(『延暦寺- Wikipedia』)

    吾が三浦皇統家系譜では、延元元年〔1336年〕十月九日比叡山に於て、「後醍醐ごだいご天皇」より御直々おんじきじきに「守永もりなが親王」

    ( 興国こうこく天皇と尊称、尊良たかなが天皇第一皇子で、後醍醐天皇の猶子ゆうしとして、第七の宮となっている。御母は右大臣「西園寺公顕さいおんじきんあき」の女むすめ藤原清子ふじわらきよこ)

    に御譲位になった様に記しるされてありましたが、之は「守永親王」が嘉暦かりゃく三年〔1328年〕九月御降誕になった時、「後醍醐天皇」には、此の皇子は「六白金星ろっぱくきんせい戊辰つちのえたつ年」で

    「一白水星いっぱくすいせい戊子つちのえね年」の「後醍醐天皇」や、「八白土星はっぱくどせい戊申つちのえさる年」の「尊雲法そんうんほう親王」(後に還俗げんぞくされて大塔宮おおとうのみや護良もりなが親王)の本津もとつ御神霊ごしんれいであり、

    而も第一皇子の第一皇子であり、御母も右大臣西園寺公顕さいおんじきんあきの女むすめであり、且つ又第一皇子尊良親王と後醍醐天皇とは十六年歳が違うだけで余りにも歳が近過ぎるし、将来討幕を敢行かんこうして「天皇」親政の御代とした場合は、

    「後醍醐天皇」が六十一歳の還暦かんれきとなれば此の皇子は二十一歳となるから、此の皇子に「皇位」を継承しようと御定めになり、「後醍醐天皇」御躬おんみずから「大統宮おおとうのみや守永親王」と御命名遊ばされた。

     
     
     
    神皇正統嫡皇孫、三浦芳聖先生によって解明された、神皇正統家極秘伝の神風串呂を研究している有志の会です。神風串呂は、皇祖神により構築された地文に秘められた真の皇統史であり、日本民族の進むべき道を指し示す道標であり、皇祖神から日本民族への希望あふれるメッセージであります。

    あなたへのおすすめ