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黒い鞄 終章

     気が぀くず、空はすっかり暗くなっおいた。

     高架䞋の空気は冷たく、配管から萜ちる氎滎の音がい぀の間にか止んでいた。膝が痛かった。しゃがみ蟌んだたた䜕時間経ったのか分からない。指先が悎んで、感芚がなかった。

     私は鞄の前にいた。

     開けた鞄の前に、しゃがみ蟌んだたた、ずっずそこにいた。

     鞄の䞭にあったのは原皿だった。A4甚玙の束。クリップで留められおいた。角は少し折れおいたが、玙そのものは驚くほど綺麗だった。雚颚に晒されおいたはずの鞄の䞭にあったにしおは、䞍自然なほど。

     私はその原皿を、最初から最埌たで読んだ。

     高架䞋にしゃがみ蟌んだたた、冬の終わりの冷たい空気の䞭で、癟䞉十䞃枚の原皿を読んだ。読み始めたずきはただ昌過ぎだったのに、読み終えたずきにはもう倜だった。背䞭が匷匵り、腰が軋み、足の感芚がなくなっおいた。

     だが、読むのを止められなかった。

     止めようずいう発想すら浮かばなかった。

         

     垰りの電車の䞭で、私は原皿のこずを考えおいた。

     鞄の䞭に入っおいたのは、滋賀の鬌䌝承を远ったルポルタヌゞュだった。フリヌラむタヌを名乗る人物が、線集郚からの䟝頌で近江の鬌䌝承を調べ始め、琵琶湖呚蟺の怪異を取材し、最終的に自分自身が取材察象になっおいく過皋を蚘した手蚘。

     曞き手の名前はどこにもなかった。「僕」ずいう䞀人称以倖に、この人物を特定する情報は原皿のどこにも曞かれおいない。

     異様な原皿だった。

     だが、同時に、読むべき原皿だずも思った。ここに曞かれおいるこずは、広く読たれるべきだ。鞄の䞭に閉じ蟌めおおくべきではない。この取材蚘録には䟡倀がある。滋賀の鬌䌝承に぀いお、ここたで䞹念に歩き、聞き、考え抜いたルポルタヌゞュは他にない。

     公開すべきだ。

     その確信は、電車を降りおからも消えなかった。自宅に戻り、原皿をスキャナヌにかけ、テキストデヌタに起こし、誀字を盎し、䜓裁を敎える䜜業を始めた。

     六぀の連茉を曞いおきた䞭で、こんなに楜な仕事はなかった。なにしろ、曞く必芁がないのだ。原皿はすでに完成しおいる。私はそれを曞き写すだけでいい。転写するだけでいい。

     今たでのフィヌルドワヌクの䞭で、こんなに楜なものはなかっただろう。私は鞄を開けお、その䞭にあった原皿をここに曞き写しただけなのだから。

     取材もしおいない。考察もしおいない。構成も、文䜓も、党おあの原皿のたただ。私がしたこずは、手曞きでもなく印刷された原皿をデゞタルデヌタに倉換し、読みやすいように章立おを敎え、公開したこず。それだけだ。

     それだけのこずに、䜕の抵抗もなかった。

     六぀の連茉では、毎回、「曞くべきではないかもしれない」ずいう逡巡があった。ブレヌキがあった。螏みずどたる感芚があった。

     今回はそれがない。

     ない、ずいうこずの異様さに、このずき私はただ気づいおいなかった。

     序章にも同じこずを曞いた気がする。同じ蚀葉を、ほずんど同じ文脈で。だがそのずきはただ、自分がこの原皿を公開するこずの意味を深く考えおいなかった。

     今は少し、考えおいる。

     少しだけ。

         

     この原皿を公開すべきだず、私は信じおいる。

     理由を問われれば、いく぀か挙げるこずができる。滋賀の鬌䌝承に぀いお貎重な䞀次資料を含んでいるこず。民俗孊的な考察ずしお読み応えがあるこず。怪談ずしおの完成床が高いこず。

     だが、本圓の理由は別にある。

     この原皿は、鞄の䞭に閉じ蟌めおおくべきではない。高架䞋の暗がりで朜ちおいくべきものではない。読たれるべきだ。䞀人でも倚くの人に届くべきだ。

     それは䜿呜感に近い。

     䜿呜感、ず曞いお、少し立ち止たる。六぀の連茉にも䜿呜感はあった。だがあのずきの䜿呜感には、垞にブレヌキが䌎っおいた。曞かなければならない、だが曞きすぎおはいけない。その均衡の䞭で、私は六぀の連茉を曞いおきた。

     今回は、ブレヌキがない。

     ないこずに気づいおいる。気づいおいるのに、螏もうずしない。螏む必芁を感じない。

     おかしいだろうか。

     おかしいのかもしれない。だが、この原皿を読んでしたった以䞊、公開しないずいう遞択肢は私の䞭に存圚しない。存圚しないのだ。消えたのではなく、最初からなかったかのように。

         

     ここたで読んでくださった方に、䞀぀だけお䌝えしおおかなければならないこずがある。

     あなたが今読み終えたもの。䞀章から第九章たで。その党おが、なんばの高島屋裏に眮かれおいた黒い鞄の䞭身だ。

     あなたは鞄を開けた。

     正確に蚀えば、私が開けた鞄の䞭身を、私が曞き写し、私が公開し、あなたがそれを読んだ。鞄そのものに觊れたわけではない。だが、䞭身には觊れた。最初の䞀行から最埌の䞀行たで、あなたはあの鞄の䞭にあったものを、党お読んだ。

     高島屋の裏で、颚雚の䞭に眮かれおいた黒い鞄。誰も觊れなかった鞄。譊察すら取り合わなかった鞄。

     その䞭身が今、あなたの䞭にある。

         

     鞄はただ、あそこにあるだろうか。

     私は原皿を取り出した埌、鞄を元の䜍眮に戻しお、金具を閉めた。䞭身は空になったが、鞄そのものはそのたたにした。なぜそうしたのかは分からない。持ち垰ろうずいう気にならなかった。鞄はあそこにあるべきものだず、䜕の根拠もなく感じた。

     あるいは、鞄はもう空ではないのかもしれない。

     誰かが新しい原皿を入れおいるかもしれない。あの鞄はそういう性質のものなのかもしれない。空になるず、たた䜕かが入る。入ったものを誰かが芋぀け、取り出し、読み、広める。

     そうやっお、鬌は残り続ける。

     名を倉え、堎所を倉え、圢を倉えお。

     原皿の最埌に曞かれおいた蚀葉を、私は䜕床も反芻しおいる。

     この原皿を読んだ埌に䜕かを感じたずしたら、それは気のせいだ。気のせいだず思っおほしい。

     私にもそう思わせおほしい。

         

     公開の準備は党お敎った。

     序章を曞き、原皿を章ごずに敎え、䜓裁を敎えた。あずはアップロヌドするだけだ。

     もう䞀床だけ、自分に問いかける。

     本圓にこれを公開すべきなのか。

     答えは、はい。

     迷いはない。迷いがないこずの異様さには気づいおいる。気づいおいるが、それでもなお、公開すべきだずいう確信は揺るがない。

     この原皿は読たれるべきだ。

     あなたに届くべきだ。

     届いた。

     届いおしたった。

         

     電話が鳎った。

     スマヌトフォンの画面に、知らない番号が衚瀺されおいた。〇六で始たる、倧阪の垂倖局番。

     出た。

     「突然のお電話倱瀌いたしたす。私、玫乃神倏奈ず申したす。なんばの黒いカバンのこずに぀いお、今お電話よろしいでしょうか」

    了

     
     
    同人ゲヌム開発者で実話怪談蒐集者。 6.0号機時代は元スロ専業だったがスマスロが荒くおヘタレダメ。 蛆蟲https://ujimushi.com はいぺりよんhttps://hyperiyon.com

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