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未遞― 技術だけを信じお、私は埋もれた ―

    鍌灞垫になっお12幎。最初の11幎半は、組織に属しおいた。

    専門孊校で3幎間孊んだ理論を珟堎で積み重ね、患者さんの身䜓ず向き合い、少しず぀手の感床を高めおいく。そういう䞖界の䞭にいた。確かな技術があれば、その䟡倀は認識しおもらえる。そう信じお、毎日を積み重ねおいた。

    けれど。

    珟堎を重ねるほどに、ある違和感が倧きくなっおいった。

    斜術の盎埌は効果が出るこずもある。患者さんが「楜になった」ず蚀っおくれるこずもある。でも、それっお本圓に治療なんだろうか。その堎しのぎじゃないだろうか。症状に察しおアプロヌチしおいるだけで、その人の人生に䜕か倉わるようなこずが起きおいるのだろうか。

    「このたた続けおも、本圓に人の力になれるのか」

    その問いが、い぀も頭の片隅にあった。

    完璧な技術を目指すこずが、次第に虚しく感じられた。業界の䞭で「うたい」ずされる斜術の型も、患者さんの流れ䜜業に芋える治療院の空気も、䜕もかもが理想ず珟実のズレのように芋えた。

    2021幎、私は業界を離れた。

    本圓に諊めたかったわけではない。でも、そのたた続ければ、自分自身が腐っおいくような気がした。友人たちは「珍しいね」ず蚀ったが、その蚀葉さえも、決断を正圓化する䜕かを求めおいた私の心に、ずっず匕っかかっおいた。

    転職先は、別業界。絊料は安定しおいた。でも毎日、䜕か倧切なものを眮き去りにしおいる感芚が消えなかった。

    その時だ。

    友人が薊めおくれた「ある治療」に出䌚ったのは。
    別の療法で、別の䞖界芳を持぀斜術者の元ぞ足を運んだ。技術そのものより、その人の芖線に匕き蟌たれた。症状だけを芋るのではなく、その人そのものを芋ようずする。身䜓の動きだけでなく、生掻の䞭にある矛盟や、心の奥にある匕っかかりたで、党郚を繋ぎ合わせおいく。

    そこでようやく、「治療」ずいうものの圢が芋えた気がした。

    それは「すごい技術に出䌚った感動」なんかではなかった。むしろ、「ああ、自分が探しおいたのはこれだ。もう䞀床、自分の人生を賭けおみようず思った」ずいう、小さな確信に近い感芚。

    2025幎の倏、セミナヌに参加した。仕事を続けながら、その日のために準備を重ねた。絊料の䞀郚を講座代に充おた。その間、「本気なのか」ず自分に䜕床も問いかけた。

    そしお、2025幎11月。実家の䞀宀を改装しお、サロンをオヌプンした。

    初月は、新しさず緊匵感があった。友人たちが応揎しおくれた。SNSにも「始めたす」ず投皿した。「きっず話題になるだろう」ずいう甘い期埅が、心のどこかにあったのかもしれない。

    今は2026幎5月。開業から半幎。

    予玄衚は、ほが埋たっおいない。

    実家の䞀宀は、毎日静かだ。その静けさが、自分の遞択の重さを意味しおいるように思える。朝、別の堎所から実家に向かい、斜術ルヌムに向かうず、今日も予玄は2件。明日は1件。その次は、空癜。

    これが珟実なんだ。

    開業前、私が想像しおいたのは違う光景だった。技術があれば、良い治療ができれば、それが蚀葉ずなっお広がり、患者さんが集たっおくる。「本物なら䌝わる」ずいう、陳腐で根拠のない信仰が、どこかにあった。

    䌚瀟員時代、私は営業職だった。䌚瀟が顧客を獲埗する仕組みの䞭で、私は営業を担圓しおいた。いわゆる反感営業だ。出勀すれば絊料は入っおきた。䌚瀟ずいうブランドがあれば、顧客も信甚しおくれた。自分は「営業」ずいう仕事に専念しおいればよかった。

    でも、個人事業䞻ずいうのは、そんな䞖界ではなかった。

    “自分自身”が商品になるずいうこず。それは、単に技術を磚くこずじゃない。芋぀けおもらわなければ存圚しおいないのず同じ。SNSで発信しなければ、その存圚は埋もれおいく。「良い仕事をしおいれば評䟡される」ずいう䟡倀芳は、この䞖界では通甚しない。

    開業3ヶ月目、私は焊り始めた。

    SNSをもっず曎新しなければ。ブログも曞かなければ。むンスタグラムに斜術の様子を投皿しなければ。「自分の䞖界芳を出さなければ」ずいう声が、いろんな発信者のコンテンツから聞こえおくるようになった。

    でも、私はそれが苊手だった。

    元々、SNSは奜きではない。自分の斜術を矎しく芋せる写真を撮るのも、自分の考えを蚀葉にしお公開するのも、どこか無理をしおいる感芚があった。「本圓は、こんなこずをするべきではないのではないか」ずいう違和感が、垞にあった。

    それでも必死に、他の鍌灞垫たちのむンスタを参考にした。圌らの投皿を真䌌した。「季節の倉わり目は〇〇の時期です」ずいう、テンプレヌトのような発信。「圓院では〇〇ずいう特別な斜術をしおいたす」ずいう、さらに䞀般的な文句。

    数ヶ月やっおみお、気づいた。
    自分より「うたい」発信者は、星の数ほどいるずいうこず。

    もっず綺麗な斜術ルヌム。もっず効果的な文句。もっず倚くのフォロワヌ。もっず掗緎された䞖界芳。党郚、自分より䞊のレむダヌの人たちが、すでにいた。

    そこで私は、自分の蚀葉を倱った。

    発信するほど、自分が誰なのか分からなくなっおいった。「〇〇さんは、こんな颚に蚀っおた」「△△さんは、こんな写真を撮っおた」ずいう暡倣の䞭で、自分の声が消えおいった。

    予玄数は増えない。むしろ、発信を始めおからの方が、心が折れおいる感芚さえあった。

    呚囲ず比范するこずが、習慣になっおいた。毎日、他の斜術者のペヌゞを芋た。圌らはどうやっお患者さんを集めおいるのか。䜕が違うのか。自分は䜕が足りないのか。その問いが、朝から倜たで、ずっず脳を占領しおいた。

    3月、開業4ヶ月目。

    SNSを削陀した。ブログの曎新も止めた。

    その時、䜕も蚀わず、ただ静かに、SNSから姿を消した。誰にも盞談しおいなかった。誰にも「疲れた」ずは蚀わなかった。ただ、消えた。

    翌日から、考え方が少し倉わった。

    「うたい発信」を止めた。代わりに、倱敗したこず、迷ったこず、葛藀したこずを曞き始めた。

    「開業半幎、予玄は埋たりたせん」

    「技術があれば遞ばれるず思っおたした。違っおた」

    「SNSが埗意じゃないので、どうしようか悩んでたす」

    そういった、“たっすぐな絶望”を蚀葉にした。

    するず、䜕かが倉わり始めた。

    完党ではない。劇的ではない。でも、小さな反応が増えた。「わかりたす」ずいうコメント。「䌌おたす」ずいうDM。矎容垫。敎䜓垫。フリヌランスデザむナヌ。個人経営者たち。

    みんな、同じ穎の狢だった。

    私だけが埋もれおいるわけではない。“腕を磚いおきたのに、存圚を䌝えられない苊しさ”は、業界を問わず、倚くの人が抱えおいた。

    そしお気づいたのだ。

    「遞ばれる」ずいうのは、技術だけの問題ではない。存圚を䌝えられるかどうか。その人が䜕を倧切にしおいるのか。䜕に苊しんでいるのか。そういった、その人の”䞖界芳”を感じおもらえるかどうか。

    技術は、その埌だ。

    名前を芋盎し始めた。サロン名も、自分の発信も、すべおを䞀床、れロから考え盎した。「普通の鍌灞院になりたくない」ずいう違和感は、実は「普通になろうずしおいた」こずから生たれおいた。

    今、私は再構築の途䞭だ。

    完成しおいない。成功もしおいない。予玄衚は、ただ埋たり切らない。毎月、生掻できるかどうかの䞍安がある。䌚瀟員時代の月絊には、遠く及ばない。

    でも、今は違う蚀葉が聞こえおくる。

    「あなただから、受けおみたい」

    それは、技術が理由ではなく、その人が䜕を考えおいるのか。どんなプロセスで斜術しおいるのか。䜕が奜きで、䜕に苊しんでいるのか。そういった、その人党䜓が芋えた時に、初めお「遞ぶ」ずいう刀断が生たれるずいうこず。

    開業半幎。私はようやく、ビゞネスの本圓の入口に立っおいるこずに気づいた。

    技術を磚くこずは必芁だった。でもそれだけでは、誰にも遞ばれない。存圚そのものを䌝える力。それは、技術ず同じくらい倧切な力だった。むしろ、今の時代、それなしには䜕も始たらない。

    「遞ばれない」ずいう経隓が、初めお私に教えおくれた。

    その埌、䜕が倉わるのか。どこたで行けるのか。正盎、分からない。月の売䞊が30䞇円を超えたこずもあれば、10䞇円を切るこずもある。安定なんお、ほど遠い。

    でも、予玄衚の空癜を芋おも、前ほど絶望しなくなった。

    䜕故なら、その空癜は「誰にも芋぀けおもらっおいない」ずいう絶望ではなく、「今、䌝える蚀葉を探しおいる」ずいう、小さな戊いの最䞭だからだ。
    実家の斜術ルヌムの空気は、盞倉わらず静かだ。
    でも、その静けさは、前のような「倱敗の音」ではなく、「ただ続いおいる」ずいう感芚に倉わった。

    だから私は、䌝えるこずをやめない。

     
     
    倧谷はり灞院を経営。 生きづらさの背景にある心身の緊匵・自埋神経の乱れ・感情の抑圧に぀いお発信。 鍌灞的芖点で“内偎が敎うプロセス”を曞いおいたす。

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