芋出し画像

教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝䞋巻・第䞃章 ゜ワ゜ンずコンピ゚ヌニュラ・ピュセルの捕瞛

【アナトヌル・フランス『ゞャンヌ・ダルクの生涯』完蚳プロゞェクト】1908幎発行の名著を、膚倧な独自泚釈ずずもに珟代日本語で蘇らせる個人翻蚳プロゞェクトです。継続的な掻動維持ず出版支揎のため、䞀郚を有料公開ずしおいたす。

▌総合目次・リンク集なぜ、21䞖玀に『ゞャンヌ䌝』を完蚳するのか

⚠䞋蚘プラットフォヌムで公開䞭。
- note各章をマガゞンにたずめお投皿。䞀郚有料。
- カクペム各話を分割しお投皿。少しず぀読みたい人向け。
- pixivFANBOX原文付き察蚳バヌゞョン。支揎者限定。


⚠字数が倚い12,000字ため、蚳者の裁量で小芋出しを぀けおいたす。

【この章のポむント】
- ゜ワ゜ン守備隊長の裏切り
- ブルゎヌニュ公が最新兵噚を投入
- ゞャンヌは退华䞭に遅れを取り捕虜ずなる

7.1 コンピ゚ヌニュたでの行軍ず巡瀌の旅

 ラニヌから旅立った乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルは、自身の郚隊ず、途䞭で合流したフランス貎族の兵士たちを合わせお、およそ1000階の階兵を率いおサンリスの前に珟れた。

 ゞャンヌはこの軍隊の嚁勢を借りお、町ぞ入れるよう芁求した。

 垂民からすれば、歊装した兵士を垂内に受け入れるこずほど恐ろしい灜難はない。したがっお、垂民たちはどんな時も「城壁の倖に兵士を留め眮く」特暩を厳重に守っおいた。

 シャルル王でさえ、平和的な戎冠匏ぞ向かう行軍䞭にこれを経隓しおいる。

 サンリスの人々はゞャンヌの芁求に察し、こう答えた。

「町が備蓄しおいる家畜飌料、穀物、オヌツ麊、その他の食料、ワむンが䞍足する事態を考慮し、圌女の郚隊の䞭でも最も名高い3040人ほどの入城は蚱可するが、それ以䞊は認められない」[378]

⚠サンリス Senlisパリの北40マむル64.3キロに䜍眮する郜垂。シャンティむヌの森ず南の゚ルムノンノィルの森ずの間にある。

 蚀い䌝えによるず、ゞャンヌはサンリスのあず、次の目的地コンピ゚ヌニュずレ゜ンの間にある゚ランクヌル教区のボラングリヌズ城ぞ向かったらしい。

 なぜそこに立ち寄ったのかは䞍明だが、聖マルガリヌタに捧げられた゚ランクヌルの教䌚ぞ巡瀌したのではないかず考えられおいる。

 か぀お、聖カタリナに捧げられたフィ゚ルボワの教䌚に立ち寄っお瀌拝したように、そこで聖マルガリヌタに瀌拝したいず思ったのかもしれない。毎日毎時間、ゞャンヌのもずを蚪れおいた倩䞊の貎婊人の䞀人に敬意を瀺すためだ。[379]



 圓時、アンゞェの町には、法孊の免蚱を持ち、トゥヌルずアンゞェの教䌚の聖職者参事䌚員で、アンゞェのサンゞャン教䌚の銖垭叞祭を務める人物がいた。

 ゞャンヌが、゚ランクヌル教区のサンマルグリット聖マルガリヌタ教䌚を蚪れる10日ほど前の月18日、午埌時頃、圌はひどい頭痛を​​感じた。それは午前時たで続き、死ぬのではないかず思うほど激しい痛みだった。

 圌は聖カタリナに祈りを捧げお特別な信心を誓うず、すぐに治った。

 この倧きな恵みに感謝を瀺すために、圌はフィ゚ルボワにある聖カタリナの聖域たで埒歩で向かい、月日金曜日、そこで囜王ず「神にふさわしい乙女」のために、そしお王囜の平和ず繁栄のために倧きな声で祈り、ミサを捧げた。[380]

7.2 ブルゎヌニュ公の軍備火薬地雷に぀いお補足

 シャルル王の評議䌚は、コンピ゚ヌニュをブルゎヌニュ公に匕き枡す代わりに、ポンサントマクサンスを譲枡した。

 コンピ゚ヌニュは、圓の町自身が匕き枡しを断固ずしお拒吊し、王の意向に反しお囜王の所領であり続けるこずを望んだため、ブルゎヌニュ公の望みを叶える譲枡するこずができなかったからだ。

 ブルゎヌニュ公は譲枡されたポンサントマクサンスを保持した䞊で、コンピ゚ヌニュを奪い取るこずを決めた。[381]

 月17日、䌑戊協定の期限が切れるず、圌は立掟な階士団ず匷力な軍隊を率いお出陣した。ブルゎヌニュ人ずピカヌル人ずフランドル人が4000人、むングランド人1500人で構成され、リニヌ䌯ゞャン・ド・リュクサンブヌルが指揮を執った。[382]

 ブルゎヌニュ公はこの包囲戊コンピ゚ヌニュに立掟な倧砲を持ち蟌んだ。䞭でも、ルメスりェル砲、ルヌゞュ・ボンバルド砲、りッパンビ゚ヌル砲は巚倧な石匟を発射するこずができた。

 公爵が、ゞャン・ド・リュクサンブヌルに珟金を払っお賌入した臌砲も同様に持ち蟌たれた。ボヌルノォワヌル砲、ブルゎヌニュ砲、巚倧なクダヌルcoullard砲、いずれも可動匏戊争兵噚戊争機械だった。

 広倧なブルゎヌニュ領に含たれる諞䟯は、匓兵ずクロスボり兵をコンピ゚ヌニュに掟遣した。

 ブルゎヌニュ公はプロむセンずゞョヌゞアのカッファ[383]から匓を調達し、有刺矢ず無刺矢を甚意した。工兵ず鉱倫を雇い、町の呚囲に火薬地雷を敷蚭し、ギリシャ火薬を投げ蟌んだ。

⚠蚳者の芚曞英蚳版の原文「He engaged sappers and miners to lay powder mines round the town」を芋お、15䞖玀前半に地雷ず驚いお調べたら  あった。

🔞火薬なしの地雷敵の進軍を遅らせるために、本の鋭い釘が付いた小さな仕掛け「カラスの足跡pieds de corbeau」を地面に撒いた埋めた。ようするに「マキビシ」である。

🔞火薬地雷14䞖玀、䞭囜・明で「容噚の䞭に黒色火薬を詰めた兵噚」を補造。ペヌロッパで実物非垞に高性胜が確認されおいるのは16䞖玀に入っおからだが、15䞖玀埌半〜16䞖玀初頭にレオナルド・ダ・ノィンチが「地雷に点火する導火線の構造」をスケッチしおいる。
————————————
1430幎圓時、裕犏なブルゎヌニュ公が、東方から茞入した新兵噚原始的な火薬地雷を所有・䜿甚しおいおもおかしくない。

 ようするに、囜王シャルル䞃䞖よりも裕犏で、キリスト教䞖界で最も壮麗な領䞻であり、階士道のあらゆる技術に粟通しおいたブルゎヌニュ公フィリップは、コンピ゚ヌニュを舞台に、勇たしい包囲戊をやる決意を固めおいた。[384]

ブルゎヌニュ公フィリップの肖像

7.3 コンピ゚ヌニュの守備隊ずゞャンヌ到着

 圓時、フランスで最も倧きく最も匷固な町の䞀぀だったコンピ゚ヌニュは、ギペヌム・ド・フラノィヌ隊長が率いる兵士400〜500人で構成された守備隊に守られおいた。[385]

 この地方の名門貎族の出身で、近隣の貎族たちずは垞に争い、貧しい民衆ずも垞に口論しおいた圌は、アルマニャック掟の貎族たちに劣らず邪悪で残酷な男だった。[386]

 垂民は、他の人物を隊長に据えるこずを望たず、シャルル王ずその䟍埓たちの意向に逆らっお、ギペヌム・ド・フラノィヌを守備隊のトップにずどめた。

 実際、垂民の刀断は正しかった。ギペヌム卿ほど町を守る胜力に長けた者はおらず、自分の矩務を果たすこずに熱意を傟ける者もいなかったからだ。

 フランス王が、町をブルゎヌニュ公に匕き枡すよう呜じた時、圌はきっぱりず拒吊した。

 その埌、ブルゎヌニュ公がコンピ゚ヌニュず匕き換えに倚額の金銭ず豊かな遺産を玄束したずき、圌は「町は自分のものではなく、囜王のものである」ず答えた。[387]

 そこで、ブルゎヌニュ公はグルネヌシュルアロンドを容易に占領し、さらに、゚ヌヌ川ずオワヌズ川の合流地点にあるショワゞヌシュル゚ヌヌショワゞヌオバックずも呌ばれるを包囲した。[388]

 ガスコヌニュ出身の埓階士ポトン・ド・ザントラむナが率いる郚隊は、゜ワ゜ンずショワゞヌの間で゚ヌヌ川を枡り、包囲軍に奇襲を仕掛けおすぐに撀退し、倚くの捕虜を連れお垰っおきた。[389]



 月13日、乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルはコンピ゚ヌニュに到着し、゚トワヌル通りの宿に泊たった。[390]

 翌日、代衚叞政官プロキュルヌルProcureursたち[391]は、ゞャンヌにポット杯分のワむンを莈った。[392]

⚠代衚叞政官Procureursコンピ゚ヌニュ独自の呌称。町の行政を叞る垂参事䌚員゚シュノァンéchevinsのこず。

 町の人たちはこのようにしお、ゞャンヌに倧きな敬意を瀺そうずした。

 なぜなら、圓時、囜王の副官であるノァンドヌム䌯ずその他倚くの軍叞什官ず共に、王囜宰盞であるランス倧叞教ルニョヌ・ド・シャルトルもコンピ゚ヌニュに滞圚しおいたが、垂民はそれゞャンヌぞの敬意以䞊のこずはしなかった。

 これらの高貎な貎族たちは、もはや長くは持ちこたえられないだろうショワゞヌ城に倧砲やその他の軍需品を送るこずを決め[393]、そしお今回もたた、これたでず同じように乙女ゞャンヌが起甚された。

7.4 ゜ワ゜ンの守備隊長ギシャヌル・ブルネルの裏切り

 フランス軍は、゚ヌヌ川を枡るために゜ワ゜ンに向けお進軍した。[394]
 ゜ワ゜ンの町の隊長はピカルディ出身の埓階士で、フランス陣営からはギシャヌル・ブルネル、ブルゎヌニュ陣営からはギシャヌル・ド・ティ゚ンブロンヌず呌ばれおいた。圌はどちらの陣営にも埓軍した経隓があった。

 ゞャンヌは圌をよく知っおいた。぀らい出来事を思い出させた。
 圌は、パリ郊倖の堀の前でゞャンヌが負傷しおいるのを芋぀け、圌女の意志に反しお銬に乗せようずした者の䞀人だった。

 シャルル王に仕える貎族ず兵士たちが近づいおくるず、ギシャヌル隊長は゜ワ゜ンの人々に「党軍が町を陣取るために来る」ず信じ蟌たせた。

 そのため、町の人々はフランス軍を迎え入れないず決めた。
 そしお、少し前にサンリスで起きた出来事ず同じこずが起こった。

 ギシャヌル・ブルネル隊長は、ランス倧叞教ずノァンドヌム䌯ずゞャンヌを少数の郚隊ず共に迎え入れ、残りの軍勢はその倜、城壁の倖で宿営した。[395]

 翌日、橋の制圧に倱敗し、圌らは埒歩で川を枡ろうずしたが、春で氎かさが増しおいたため倱敗に終わった。軍は匕き返さざるを埗なかった。

 軍隊が去るず、ギシャヌル・ブルネル隊長はフランス王から守備を呜じられおいた郜垂をブルゎヌニュ公にサリュドヌル金貚4000枚で売华し、ゞャン・ド・リュクサンブヌル卿の手に匕き枡した。[396]

⚠サリュドヌル金貚Salut d'Orトロワ条玄で王倪子シャルル䞃䞖が廃嫡され、むングランドがフランスを統治しおいた1422〜1453幎に発行。むングランドの支配地域フランス北郚で流通しおいた。サリュヌSalutはフランス語の軜い挚拶で、貚幣には英仏の王章ずヘンリヌ六䞖が刻印されおおり、名称・デザむンずもに䞡囜の和合を衚しおいる。圓然ながら、フランス陣営からすれば屈蟱的な貚幣だろう。珟圚は別名「癟幎戊争の金貚」ず呌ばれるレア品。

 ゜ワ゜ンの町の隊長による、この裏切りず䞍名誉な行為の知らせを聞いお、ゞャンヌは「もし圌を捕らえたら、その䜓を四぀裂きにしおやる」ず叫んだ。

 この蚀葉は、圌女の怒りを衚珟するただの過激な想像ではない。

 圓時、特定の眪に察する眰ずしお、凊刑人は死刑囚を斬銖した埌、その死䜓を四぀に匕き裂くのが慣䟋で、これを「四぀裂き刑」ず呌んでいた。

 ぀たり、ゞャンヌは「裏切り者は四぀裂き刑に倀する」ず蚀ったも同然だった。
 この蚀葉は、ブルゎヌニュ人の耳にはかなり蟛蟣に聞こえたようで、䞭には「ゞャンヌが怒り狂っお神の名をみだりに唱えおいるのを聞いた」ず信じる者もいた。

 圌らは、正確な話を聞いおいなかった。
 ゞャンヌは神や聖人の名をみだりに唱えたこずは䞀床もなかった。

 怒ったずきは、悪態を぀くみだりに誓いを立おるどころか、「神のご意志のたたに」ずか、「聖ペハネにかけお」あるいは「聖母マリアにかけお」ず叫ぶのが垞だった。[397]



 ゜ワ゜ンの手前で、ゞャンヌず将軍たちは郚隊を分離しお別れた。
 将軍たちは兵士たちず共に、サンリスずマルヌ川の流域ぞず向かった。もはや、゚ヌヌ川ずオワヌズ川の間にある地域は、これほど倚くの兵士や芁人を逊うだけの䜙裕がなかったからだ。

 ゞャンヌずその䞀行はコンピ゚ヌニュぞず匕き返した。[398]
 圌女は町に到着するずすぐに、近隣地域で略奪するために出撃した。

ここから先は

7,447字

Â¥ 200

最埌たでお読みいただきありがずうございたす。「䟡倀がある」「応揎したい」「育おたい」ず感じた堎合はサポヌトチップをお願いしたす。