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教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝䞊巻・第十䞉章 レ・トゥヌレル奪還オルレアン解攟

【アナトヌル・フランス『ゞャンヌ・ダルクの生涯』完蚳プロゞェクト】1908幎発行の名著を、膚倧な独自泚釈ずずもに珟代日本語で蘇らせる個人翻蚳プロゞェクトです。継続的な掻動維持ず出版支揎のため、䞀郚を有料公開ずしおいたす。

▌総合目次・リンク集なぜ、21䞖玀に『ゞャンヌ䌝』を完蚳するのか

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【この章のポむント】
- åž‚民ずゞャンヌの結束による匷行突砎
- ã‚žãƒ£ãƒ³ãƒŒã®è² å‚·ãšã€Œå£°ã€ã«ã‚ˆã‚‹éŒ“舞
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13.1 フランス軍の兵士ずオルレアンの民兵

 翌日、月日の金曜日、乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルは倜明けに起きた。
 埓軍叞祭に告解懺悔、眪の告癜し、仲間の叞祭ず戊士たちの前でミサが歌われるのを聞いた。[1037]

 熱心な町の人たちは、すでに起きお歊装しおいた。
 ゞャンヌが告げたかどうかはずもかく、ロワヌル川を枡っおレ・トゥヌレル芁塞を自分たちで攻撃しようず固く決意しおいた垂民たちは、ブルゎヌニュ門に矀がっおいたが、門は閉ざされおいた。

 ゎヌクヌル卿が歊装兵ずずもに門を守っおいた。

 貎族たちは、垂民が䜜戊の党容に気付いお、むやみに参戊したがる堎合に備えお、この予防策を講じおいた。

 門は閉ざされ、厳重に守られおいた。

 本来ならオルレアンの貎重な宝であるレ・トゥヌレル芁塞を、みずからの手で戊っお取り戻そうず決心した垂民たちは、ゞャンヌに頌ろうずした。

 聖人の前で門は開き、城壁は厩れる。
 だから、オルレアンの人々は乙女を呌びにいった。

 ゞャンヌは率盎か぀恐ろしい姿でやっお来た。
 たっすぐにゎヌクヌル卿のもずぞ行き、圌の蚀葉を聞き入れようずせず、こう蚀った。

「あなたはこの人たちが出かけるのを邪魔しおいる悪い人です。でも、あなたが望もうず望むたいず、圌らは出かけおいき、先日ず同じようにうたく行動するでしょう」[1038]

 ゞャンヌの声に興奮し、乙女の存圚に勇気づけられた垂民たちは、「殺せ」ず叫びながら、ゎヌクヌル卿ず兵士たちに襲いかかった。

 老将は、圌らに䜕もできないし、自分の考えに同意させるこずも䞍可胜だず悟るず、みずから圌らに加わった。

 門を倧きく開けさせるず、垂民に向かっお叫んだ。

「来なさい。私があなたたちの隊長になろう」

 ノィラヌル卿ずドヌロン卿ずずもに、門を守っおいた兵士たちず町のすべおの郚隊の先頭に立っお出撃した。

 城壁の東にあるラ・トゥヌル・ヌヌノヌヌノ塔のふもずに小舟が停泊しおいた。
 その小舟でむル・オ・トワル䞭州に到着し、そこから小舟隻を぀なげお䜜った橋で、むル・オ・トワルず゜ロヌニュ偎の岞蟺南岞を隔おおいる狭い支流を枡った。[1039]

 先に到着した者は、攟棄されたサン・ゞャン・ル・ブランの砊に䟵入し、他の者たちを埅ちながら砊を砎壊しお楜しんでいた。[1040]

 党員が枡り終えるず、垂民たちは陜気にレ・オヌギュスタン砊堡塁に向かっお進軍した。
 この砊は、レ・トゥヌレル芁塞の正面に䜍眮しおおり、修道院の廃墟の䞊にあった。倧橋の端にあるレ・トゥヌレル芁塞を攻撃する前に、その砊を占領する必芁があった。

 しかし、塹壕から敵が出おきお、フランス軍から匓射皋分の距離たで前進し、長匓ずクロスボりから矢の雚を降らせたので、オルレアンの人々は耐えられなかった。
 垂民たちは埌退し、小舟で䜜った橋たで逃げ、川に投げ蟌たれるのを恐れお、むル・オ・トワル䞭州に枡った。[1041]

 ゎヌクヌル卿が率いる兵士たちは、戊争に慣れおいた。
 ノィラヌル卿ずドヌロン卿、そしお勇敢なスペむン人ドン・アロン゜・デ・パルタヌダずずもに、圌らはサン・ゞャン・ル・ブランの斜面に陣取り、敵に抵抗した。

 人数はかなり少なかったが、午埌時ごろにラ・むル隊長ずゞャンヌが傭兵たちずずもに川を枡っおくるたで持ちこたえおいた。

 フランス軍が苊戊し、むングランド軍が戊闘態勢を敎えおいるのを芋お、圌らは連れおきた銬に乗り、槍を構えお敵に向かっお突進した。

 垂民も勇気を取り戻し、圌らを远いかけおむングランド軍を抌し戻した。
 しかし、砊堡塁のふもずで垂民は再び撃退された。[1042]

 ゞャンヌは激しく動揺しながら、砊から岞蟺ぞ、岞蟺から砊ぞず銬を走らせ、階士たちを呌んだが、階士たちは来れなかった。

 圌らの蚈画は狂い、戊闘の序列は逆転し、態勢を立お盎す時間が必芁だった。

 ぀いにゞャンヌは、オルレアンの私生児卿、ブサック元垥、ゞル・ド・レ卿のバナヌ旗が島の䞊にたなびいおいるのを芋た。砲兵隊が到着し、ゞャン・ド・モンテスクレヌル砲兵長名砲手で知られるメヌトル・ゞャンはカルバリン砲ず砲手たちずずもに、攻撃に必芁なすべおの兵噚を運び蟌んだ。

 兵士4000人が、レ・オヌギュスタン砊の呚りに集結した。

 しかし、すでに倚くの時間を費やしおいた。
 圌らの戊いはようやく始たったばかりだずいうのに、倪陜は沈みかけおいた。[1043]

 ゎヌクヌル卿の兵士たちは、むングランド軍が倧橋の端からレ・オヌギュスタン砊にいる同胞を揎護しに来た堎合に備えお、包囲軍を揎護するために埌方に陣取っおいた。

 しかし、ゎヌクヌル卿の郚隊で口論が起こった。
 ドヌロン卿やドン・アロン゜のように、持ち堎から離れないほうが良いず刀断した者もいれば、戊いに参加しないこずを恥じる者もいた。そのため、傲慢な蚀葉や芋栄を匵るような発蚀が飛び亀った。

 最終的に、ドン・アロン゜ずある兵士は、どちらが䞀番手柄を立おるかを競い合うこずを、互いに挑み、手を取り合っお砊に向かっお走り出した。

 メヌトル・ゞャンのカルバリン砲による䞀斉射撃で、砊の柵が倒壊した。
 すぐに、ふたりの勇者が匷匕に突入した。[1044]

 ゞャンヌは「倧胆に突入せよ」ず叫んだ。[1045]
 そしお、城壁に軍旗を立おた。ゞル・ド・レ卿がゞャンヌのすぐ埌を远った。

 フランス軍の数は増え続けおいた。
 圌らは砊に猛攻撃を仕掛け、すぐに力づくで占領した。
 その埌は、ゎドンむングランド人ぞの蔑称が立お篭もる修道院の建物を次々ず攻撃しなければならなかった。

 結局、レ・トゥヌレル芁塞たで逃げ蟌んだ数人を陀いお、むングランド兵は党員殺されるか捕らえられた。

 小屋の䞭で、フランス軍は倚くの自軍兵士が監犁されおいるのを発芋した。
 圌らを救出した埌、砊に火を攟ち、むングランド軍に新たな惚状を知らせた。[1046]

 ゞャンヌが、仲間たちが容赊なく行っおいた略奪を止めるために、火を攟぀よう呜じたず蚀われおいる。[1047]

 勝利を収め、倧きな優䜍を勝ち取った。
 しかし、フランス軍はなかなか自信を取り戻せなかった。
 火の光に照らされた暗闇の䞭で、初めおレ・トゥヌレル芁塞の防壁が間近に迫っおいるのを芋たずき、兵士たちは恐れをなした。

「ここを占領するにはカ月以䞊かかるだろう」ず蚀う者もいた。[1048]

13.2 倜䞭の軍議ず聖女たちの評議䌚

 貎族、隊長、兵士たちは静かな倜を過ごすために町ぞ戻った。
 匓兵ず垂民の倧半は、ル・ポルトロヌLe Portereauロワヌル川䞡岞のオヌギュスタン砊修道院の西に広がる䞀垯を指すにずどたった。
 ゞャンヌもたた、翌朝すぐに戊闘を再開できるように、そこに留たりたかった。[1049]

 しかし、隊長たちが銬ず埓者を野原に残しおいったのを芋お、ゞャンヌは圌らに埓っおオルレアンぞ向かった。[1050]

 カルトロップで足に刺し傷を負い[1051]、疲劎困憊で、匱り果おおいたゞャンヌは、金曜日にもかかわらず、い぀もの習慣に反しお「断食」を砎った。[1052]

⚠カルトロップcaltrop階銬の通行を劚害するために地䞊に蚭眮する歊噚。菱圢の鉄びし。

 この件に関しおあたり信甚できないパスケレル修道士によるず、ゞャンヌが宿泊先で倕食を終えるず、名前の明かされおないある貎族がやっお来お、圌女にこう話しかけたずいう。

「隊長たちは軍議を開きたした。[1053] 圌らは、我々がむングランド軍に比べおいかに少数であったか、そしお神の倧きな恵みによっお勝利を埗たず認識しおいたす。今や町は十分な物資を補絊できたので、王からの揎軍を埅぀こずができたす。したがっお、軍議では、兵士たちが明日出撃するのは埗策ではないず刀断したした」

 ゞャンヌは次のように答えた。

「あなたたちは『あなたたちの軍議』をひらき、私は『私の評議䌚』をひらきたした。私を信じおください。私の神の助蚀が守られ、有効ずなるでしょう。䞀方、あなたたちの助蚀は無に垰するでしょう」

 そしお、䞀緒にいたパスケレル修道士に蚀った。

「明日は今日よりも早く起きお、最善を尜くしなさい。぀ねに私のそばにいるように。明日はこれたで経隓したこずのないほど倧倉なこずになる。明日、私の䜓から血が流れるでしょう」[1054]

 むングランド軍がフランス軍よりも数が倚かったずいうのは事実ではない。
 それどころか、はるかに少数だった。
 オルレアン呚蟺には3000人皋床しかいなかった。

 たた、このずき、囜王からの揎軍はすでに到着しおおり、隊長たちが揎軍を埅っおいたずいうのは矛盟しおいる。

 翌日からレ・トゥヌレル芁塞ぞの攻撃に着手するこずをためらっおいたのは事実だが、それは、攻撃䞭に防埡が手薄ずなった町にタルボット率いるむングランド軍が䟵入しおくるこずを恐れたためだ。

 オルレアン垂民は、サン・ロヌランぞの進軍圓初予定されおいた停装攻撃を拒吊し、党員がル・ポルトロヌに行っおしたった。

 ゞャンヌの評議䌚は、これらの諞問題に぀いお䜕も蚀わなかった。
 聖カタリナず聖マルガリヌタは、なんの心配も恐れも悩みもなかった。
 ああでもないこうでもないず「疑う」こずは恐れるこずであり、ゞャンヌの聖女たちは決しお疑わなかった。

 反論されおも、ゞャンヌの聖女たちは軍事戊術や戊略に぀いお䜕も知らなかった。聖女たちは、りェゲティりスの『軍事論』を読んだこずもなかった。

 だが、もしそれを読んでいたら、町は滅んでいただろう。
 ゞャンヌにずっおのりェゲティりスは、聖カタリナだった。

 倜の間、町の通りでは、パン、ワむン、匟薬、その他必芁なものはすべお、「ル・ポルトロヌに残っおいる垂民に届けなければならない」ずいう叫び声が䞊がった。
 川を枡る小舟が絶えず行き来しおいた。
 男性も女性も子䟛たちも、前哚基地に物資を運んでいた。[1055]

13.3 垂民の願いずゞャンヌの玄束

 翌朝、月日の土曜日、ゞャンヌはパスケレル修道士がミサを捧げるのを聞き、敬虔に聖䜓拝領を受けた。[1056]

 ゞャック・ブヌシェの家には、行政官や著名な垂民たちが集たっおいた。
 疲劎ず䞍安の倜を過ごした埌、圌らは怒りをかき立おる知らせを聞いたばかりだった。

 隊長たちが、レ・トゥヌレル芁塞の攻撃を延期したがっおいるずいう話を聞いたのだ。圌らは倧声で「自分たちは売られ、芋捚おられ、裏切られた」ず叫び、町の人々を助けおくれるよう乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルに蚎えた。[1057]

 だが、真盞はこうである。

 オルレアンの私生児卿ず隊長たちが、倜間にロワヌル川䞊流でむングランド軍が倧移動しおいるのを察知した。フランス軍が巊岞に気を取られおいる間に、タルボットがルナヌル門近くの城壁を攻撃するのではないかず譊戒を匷めおいたのである。

 さらに、日の出ずずもに、圌らは、むングランド軍が倜のうちにむル・シャルルマヌニュ䞭州の小島の南にある前哚基地サン・プリノェを取り壊したこずを知った。[1058]

 これらの状況から考えお、倕方たでにむングランド軍はサン・ロヌランの陣営ずロンドン砊堡塁に集結するだろうず確信した。



 長い間、オルレアンの人々は「囜王の兵士たちは包囲を解くのが遅い」ず苛立っおいた。実際、隊長たちは、オルレアン垂民ほど包囲を終わらせるこずに熱心ではなかった。[1059]

 隊長たちは戊争で生蚈を立おおいるが、垂民たちは戊争で呜を萜ずす。
 それがすべおを決定づけた。

 行政官たちはゞャンヌに「すでに䞀歩を螏み出した解攟の道筋を、これ以䞊遅滞なく完了しおほしい」ず懇願した。圌らは口々にゞャンヌに蚎えた。

「みんなで話し合った結果を䌝えたす。私たちは、神ず囜王から受けた䜿呜を今すぐに成し遂げるようあなたにお願い申し䞊げたす」

 ゞャンヌは「神の名においお、そのようにしたしょう」ず蚀った。
 その埌、すぐに銬に乗り、ずおも叀い蚀い回しを口にしお叫んだ。

「私を愛する者は、私に埓え」[1060]

 ゞャック・ブヌシェの家を出ようずしたずき、アロヌズニシン科の川魚。特にロワヌル川で珍重されたアロッサを指すが届けられた。ゞャンヌは埮笑みながら䞻人に蚀った。

「神の名においお 倕食にいただきたしょう。ゎドンむングランド人の蔑称を連れお垰っお、分け前を食べさせおやりたす」

 さらに、こう付け加えた。

「今倜は、倧橋を通っお垰っおきたす」[1061]

 この99日間、それは䞍可胜だった。
 しかし、幞いなこずに、ゞャンヌの蚀葉はたもなく真実ずなる。

13.4 垂民の願いずゞャンヌの玄束貎族ず傭兵ず垂民の枩床差

 オルレアン垂民は早合点しすぎおいた。
 タルボットずサン・ロヌラン陣営のむングランド軍を恐れおいたにもかかわらず、貎族たちは早朝にロワヌル川を枡り、ル・ポルトロヌで匓兵や民兵ずずもに倜を過ごした銬や埓者たちず合流した。

 オルレアンの私生児卿、ゎヌクヌル卿、ゞル・ド・レ卿、グラノィル卿、ギトリヌ卿、コアラズ卿、ノィラヌル卿、むリ゚卿、シャむむの領䞻たち、キュラン提督、ラ・むル隊長、ザントラむナ隊長たち党員がそこにいた。[1062]

 乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルも圌らず䞀緒だった。

 行政官たちは圌らに、防護柵、あらゆる皮類の矢、ハンマヌ、戊斧、鉛匟薬、火薬、カルバリン砲長砲、倧砲、はしごなど、倧量の兵噚を送った。[1063]

 攻撃は朝早くから始たった。
 攻撃を困難にしたのは、堡塁に立おこもり、塔に陣取ったむングランド兵の数ではなかった。圌らはわずか500人しかいなかった。[1064]

 確かに、圌らはモリンズ卿の指揮䞋にあり、その䞋にはポむニングス卿ずグラスデヌル隊長がいた。グラスデヌル隊長はフランスではグラシダスず呌ばれ、身分は䜎いが、勇敢さではむングランド軍では第䞀人者だった。[1065]

 包囲される者から攻撃者に転じた偎、オルレアン垂民、兵士、匓兵の数はその10倍だった。

 これほど倚くの戊闘員が集たったこずは、フランス人にずっお倧きな名誉だったが、これほど倧人数を䞀床に投入するこずはできなかった。

 階士たちは土塁に察しおはあたり圹に立たず、垂民は非垞に熱心だが粘り匷さはなかった。[1066]

 最埌に、慎重で思慮深いオルレアンの私生児卿は、タルボットを恐れおいた。[1067]

 実際、オルレアンの切矜詰たった状況をタルボットが知っおいたなら、フランス軍がレ・トゥヌレル芁塞を攻撃しおいる間に町を占領できたかもしれない。戊争は垞に偶然の連続だが、その日のむングランド軍は協調的な動きをする気配が䞀切芋られなかった。

 ずはいえ、この倧軍は無敵ではなかった。誰も制埡できなかった。オルレアンの私生児卿でさえ、それをどう運甚しおどう行動に移せばよいかわからなかった。

 圓時、戊いの勝敗は、ごく少数の戊闘員の手にゆだねられおいた。
 前日の戊いも、〜人の男によっおすべおが決たった。

 塹壕の前に集たったフランス軍は、数人の兵士がはしごをかけおよじのがり、攻撃を詊みおいるのを、芋物人の倧矀ががんやりず芋おいるような有様だった。

 軍隊の芏暡にもかかわらず、長い間、攻撃は䞀連の䞀階打ちに終始した。
 最も熱心な兵士が城壁に20回も近づき、20回もの退华を䜙儀なくされた。[1068]
 死傷者も出たが、倚くはなかった。
 貎族たちは生涯ずっず戊争にかかわるため甚心深く、傭兵たちは自分の郚䞋を気にかけおいたが、垂民は戊争の初心者だった。[1069]

 ただひずり、ゞャンヌだけが党身党霊をかけお戊いに身を投じおいた。
 ゞャンヌは絶えずこう蚀っおいた。

「元気を出しお。退华しないで。砊はすぐにあなたたちのものになるから」[1070]

13.5 垂民の願いずゞャンヌの玄束負傷ずおたじない

 正午になるず、誰もが昌食のために匕き䞊げた。
 そしお、午埌時ごろ、圌らは再び戻っおきお䜜業に取りかかった。[1071]

 ゞャンヌは最初のはしごを運んだ。
 それを城壁に立おかけようずしたずき、右胞の䞊の肩をクロスボりの回転矢viretonで射抜かれ、矢の半フィヌトが肉に突き刺さった。[1072]

⚠回転矢vireton飛行䞭に回転するように矜を斜めに付けたクロスボり甚の特殊な倪矢。本曞では、䞀般的な「矢arrow」ず厳密に䜿い分けおいる。

 ゞャンヌは自分が傷぀くこずを知っおいた。
 王にそのこずを予蚀し、それでも王はゞャンヌを雇わなければならないず䌝えた。ゞャンヌはそのこずをオルレアンの人々に告げ、前日には埓軍叞祭のパスケレル修道士にも話しおいた。[1073]

 そしお確かに、この日間、ゞャンヌはその予蚀を実珟させるために最善を尜くしおいた。[1074]

 むングランド軍は、矢がゞャンヌの肉を貫いたのを芋お、倧いに勇気づけられた。圌らは、魔女が血を流せば、魔性の力はすべお消えるず信じおいた。

 フランス軍は、倧いに悲しんだ。
 圌らは、傷぀いたゞャンヌを戊堎の倖れに運んだ。
 パスケレル修道士ず小姓のミュゎがゞャンヌず䞀緒にいた。
 ゞャンヌは痛みに怯え、恐ろしくお泣いおいた。[1075]

 戊闘で兵士が負傷したずきによくあるように、兵士たちの䞀団がゞャンヌを取り囲んだ。そのうちの䜕人かが、ゞャンヌに「たじない」をかけようずした。

 兵士たちの間では、傷口に向かっお『䞻の祈りパヌテル・ノステル』を぀ぶやいお傷をふさぐのが習慣だった。

⚠パヌテル・ノステルpaternostersラテン語で「われらの父」ずいう意味。キリスト自身によっお瀺された代衚的な祈りを指す。

 止血のたじないは、呪文や祈祷によっお唱えられた。
 特定の『䞻の祈り』には出血を止める力があるず蚀われ、魔法の蚀葉が曞かれた玙なども䜿甚された。

 しかし、それは悪魔の力に頌り、倧眪を犯すこずを意味した。
 ゞャンヌはたじないをかけられるこずを望たなかった。

 ゞャンヌは「眪だず知っおいるこずや、神の意志に反するこずをするくらいなら、死んだほうがたし」だず蚀った。

 しばらくするず、ゞャンヌは再び蚀った。

「私は自分が死ぬこずを知っおいたす。しかし、い぀、どのように死ぬかはわからないし、時間も知りたせん。もし私のこの傷が眪なく癒されるなら、私は完党に癒されるこずを望みたす」[1076]

 手圓おをするため、ゞャンヌの甲冑は脱がされた。
 矢傷にはオリヌブオむルず油脂が塗られ、応急凊眮が終わるず、ゞャンヌは泣き叫びながらパスケレル修道士に告解した。

 すぐに、倩䞊の助蚀者である聖カタリナず聖マルガリヌタがゞャンヌのもずぞやっお来るのを幻芖した。聖女二人は冠をかぶり、甘い銙りを攟っおいた。

 こうしお、ゞャンヌは慰められた。[1077]
 再び甲冑を身に぀け、戊堎ぞず戻っおいった。[1078]

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