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教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝䞊巻・第十八章 シャロンずランス降䌏戎冠匏

【アナトヌル・フランス『ゞャンヌ・ダルクの生涯』完蚳プロゞェクト】1908幎発行の名著を、膚倧な独自泚釈ずずもに珟代日本語で蘇らせる個人翻蚳プロゞェクトです。継続的な掻動維持ず出版支揎のため、䞀郚を有料公開ずしおいたす。

▌総合目次・リンク集なぜ、21䞖玀に『ゞャンヌ䌝』を完蚳するのか

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【この章のポむント】
- ãƒ•ランス王シャルル䞃䞖の戎冠ず聖別
- ã‚žãƒ£ãƒ³ãƒŒã®ç§çš„な再䌚ず故郷ぞの恩恵
- å’Œå¹³ãžã®æš¡çŽ¢ãšãƒ–ãƒ«ã‚ŽãƒŒãƒ‹ãƒ¥å…¬ã®äºŒæžšèˆŒ

18.1 シャロンの町

 トロワを出発した王軍は、シャンパヌニュ地方のさびれた地域に入るず、アルシArcisの近くでオヌブ川を枡り、シャロンからリヌグ12.5マむル20キロ離れたルットルLettréeに宿営した。

 シャルル王はルットルから、䜿者モンゞョワをシャロンの町に掟遣し、王を迎え入れお服埓を誓うよう求めた。[1471]

 シャンパヌニュ地方の町々は、たるで䞀本の手の指のように密接な関係で連なっおいた。

 王倪子がただブリニョン倧叞教Brinion-l'Archevêqueの宿舎にいたころ、シャロン垂民はトロワの同胞からこれたでの顛末を知らされおいた。説教者のリシャヌル修道士が、ゞャンヌ・ラ・ピュセルの手玙を持っおきたこずさえ知っおいた。

 そこでシャロン垂民も、ランス⚠トロワぞの返信ではない。遠埁軍の目的地ランス垂民に宛おお次のような手玙を曞いた。

「リシャヌル修道士には驚かされる。
 我々は、圌を立掟な人物ず評䟡しおいた。
 しかし、圌は魔術垫になっおしたった。
 トロワ垂民が王倪子の兵士たちず戊っおいるこずを䌝える。
 我々も、党力を尜くしお敵に抵抗する決意である」[1472]

 ずはいえ、圌らシャロン垂民は自分たちが曞いたものを䞀蚀も信じおおらず、ランス垂民も本気にしないだろうずわかっおいた。
 しかし、別の君䞻を迎える前に、ブルゎヌニュ公に察しお匷い忠誠心を瀺す筋を通すこずは重芁だった。

 シャロン叞教兌䌯爵のゞャン・ド・モンベリアヌルザヌルブリュックは、囜王を出迎えるためにわざわざルットルたで䌚いに来お、町の鍵を囜王に枡した。圌はコメルシヌの領䞻の䞀人だった。[1473]

⚠コメルシヌの領䞻Sires de Commercy䞊巻・第䞀章で、ゞャンヌの故郷近郊を荒らし回っおいる略奪者の䞭に「コメルシヌの若領䞻、ロベヌル・ド・ザヌルブリュック」ず呌ばれる人物が䜕床か登堎しおいる。シャロン叞教の息子か近芪者ず思われる。

 月日、囜王ずその軍隊はシャロンの町に入った。[1474]

 そこで、乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルは故郷の村から来た蟲民〜人ず、ゞャンヌの芪戚であるゞャン・モレルず䌚った。
 圓時43歳くらいの蟲倫で、兵士たちが村を通り過ぎる際にダルク䞀家ずずもにヌフシャトヌに避難したこずがある。ゞャンヌは圌に、自分が着おいた赀いガりンを莈った。[1475]

 シャロンでは、モレルより10歳ほど若い、゚ピナル出身のゞェラルダンずいう別の蟲倫にも䌚った。

 ゞャンヌは圌を「compÚre代父・霊的な身内」ず呌び[1476]、ゞェラルダンの劻むザベレットを「commÚre代母」ず呌んだ。[1477]
 なぜなら、ゞャンヌは圌らの息子ニコラを掗瀌盀の䞊で抱き䞊げた名付け芪になったからで、霊的な意味で母芪だったからである。

⚠CommÚre日仏蟞兞では「おしゃべり女、噂奜きな人」ず蚳されおいるが、父・母に次ぐ「名付け芪、共同芪」のこず。叀フランス語に由来する䌝統的な蚀葉だが、珟圚も法埋甚語「共同芪暩者」ずいう意味で䜿甚されおいる。

 村にいたころのゞャンヌは、ゞェラルダンがブルゎヌニュ掟だずいう理由で圌を信甚しおいなかった。
 しかし、シャロンでのゞャンヌは、ゞェラルダンに信頌を瀺し、軍の進軍状況に぀いお語りながら「裏切り以倖は䜕も恐れおいない」ず蚀った。[1478]

 すでにゞャンヌは暗い予感を抱いおいた。おそらく、これからは自らの魂の玔真さfranknessず心の単玔さsimplicityが、人々の邪悪さや、状況の混乱させる力によっお、激しく攻撃されるず感じおいたのだろう。

⚠ゞャンヌの性質に぀いお補足。
🔞玔真さfranknesscandeur盞手のこずを考えずに、ありのたたに振る舞う性質。汚れを知らない玔真無垢さ。
🔞単玔さsimplicitysimplicité気取らない態床のこず。䞀般的なシンプルsimpleず違い、人の性質や抂念を意味する。

どちらも人の性質を衚す蚀葉で、ようするに「裏衚がない」。正盎さは信頌される䞀因になるが、配慮・遠慮のなさは盞手を䞍快にさせるこずもある。ゞャンヌは自分の性質を快く思わない者がいるこずに気づいおいたのかもしれない。

 聖ミカ゚ル、聖カタリナ、聖マルガリヌタの蚀葉は、すでにその原始的な明瞭さをいくらか倱っおいた。なぜなら、それら「ゞャンヌの声」は、もはや倩䞊の事柄ではなく、フランスずブルゎヌニュの囜家機密を扱うようになっおいたからである。

⚠補足䞖俗の事柄に深く関わるこずで、初期の神秘性を倱い぀぀あった

 シャロン垂民は、ランス垂民に宛おお「同胞のトロワ垂民の䟋に倣っお、フランス囜王を迎え入れた」こずを䌝える手玙を曞き、「皆さんも同じようにするずいい」ず勧めた。

 この手玙の䞭で、圌らは「シャルル王が芪切で、優雅で、情け深く、慈悲深いこずを知った」ず述べおいる。実際、囜王はシャンパヌニュ地方の町々に察しお寛倧に接しおいた。

 シャロン垂民は、さらに「囜王は偉倧な粟神ず立掟な態床の持ち䞻だ」ず付け加えた。[1479] それは倧いに意味のある、重芁な発蚀だった。

18.2 ランスの町䞻君を倉える奞蚈

⚠念のため補足ランスReimsの町は、フランス王が聖別されお戎冠匏を挙げるノヌトルダム倧聖堂がある。フランス北東郚シャンパヌニュ地方の郜垂で、今回の遠埁の最終目的地。圓時はむングランドずブルゎヌニュ公の支配䞋にあり、シャルル䞃䞖からすれば敵地に䟵入するも同然だが、各郜垂の門をひらかせるこずで真のフランス王が誰であるかを知らしめる効果がある。

 ランス垂民はきわめお慎重に行動した。

 フィリップ公ブルゎヌニュ公およびブルゎヌニュ軍ずむングランド軍の隊長たちに䜿者を掟遣しお、「フランス王が町の近くに到着したら、町の門を開かざるを埗ない」こずず、これたでに把握しおいる「王軍の進行状況」を䌝えお、敵の進軍に察抗するよう芁請した。[1480]

 しかし、ランス垂民は救揎を埗るこずを急がなかった。
 もし揎軍が来なければ、ブルゎヌニュ偎から非難されるこずなくシャルル王に降䌏できる。どちらの陣営からもおびやかされる恐れがないようにず䌁んでいたからだ。

 しばらくの間、ランス垂民は䞡陣営ぞの忠誠を維持した。
 このようなやり方は、非垞に困難で危険な状況䞋では賢明な刀断だった。

 シャンパヌニュ地方のこれらの町が、いかに巧劙に「䞻君を倉える」奞蚈を駆䜿しおいたかを芳察する際には、圌らの生呜ず財産がかかっおいたこずを忘れおはならない。



 早くも月日には、フィリベヌル・ド・モラン隊長トロワに駐留しおいた守備隊の隊長がノゞャンシュルセヌヌからランス垂民に手玙を曞き送った。圌はブルゎヌニュ軍ずずもそこに滞圚䞭で、「もし救揎が必芁なら、善良なキリスト教埒ずしお助けにいく」ず䌝えた。[1481]

 ランス垂民は、この申し出を理解できないふりをした無芖した。

 結局のずころ、フィリベヌル・ド・モランは、ランス垂民が圓おにできる隊長指導者ではなかった。圌の提案は、圌自身が蚀うように、キリスト教埒ずしおの慈悲心・慈善行為にすぎなかった。

 本心では揎軍を望んでいないランスの有力者たちは、䜕よりもたず、圌らランス垂民のもずもずの解攟者であり、町の総督か぀フランス倧執事長を務めるシャティペン卿の動向に甚心しなければならない。[1482]

「Et tribuit eis petitionem eorum.神は圌らの芁求を蚱した願いを叶えた」

 むスラ゚ルの民のようにならないよう、ランス垂民は「願いが叶わない方法」で助けを芁求しなければならない。

⚠シャティペン家Chastillonシャンパヌニュ地方の䌯爵家。サンポル、ブロワ、パンティ゚ヌノル、シャルトルなどフランス各地に分家が拡散し、いずれも有力貎族。なお、シャルル䞃䞖に仕えるランス叞教のルニョヌ・ド・シャルトルは分家筋。

⚠むスラ゚ルの民Israelites旧玄聖曞『出゚ゞプト蚘』からの匕甚。虐げられおいたむスラ゚ルの民ヘブラむ人、ナダダ人は奎隷の身分から解攟されたが、居堎所を倱い、長い間荒野をさたよう。

18.3 ランスの町シャルル䞃䞖の手玙

 フランス軍がただトロワの城壁の前にいたころ、ランスの門前に䌝什が珟れた。囜王が月日の月曜日にブリニョンラルシュノェックブリニョン倧叞教の宿舎滞圚䞭に曞いた手玙を蚗されおいた。

 この手玙は、すぐに町の評議䌚に届けられた。

「あなたがたはすでにご存知だろう」

 手玙の䞭で、シャルル䞃䞖はランス垂民に語りかけおいる。

「ランスの善良な民よ、あなたがたはすでに、
 神が私たちに䞎えおくださった、
 叀くからの敵であるむングランドに察する
 勝利ず成功の知らせを聞いおいるだろう。

 それは、オルレアン垂の前で、
 その埌はゞャルゞョヌ、ボヌゞャンシヌ、
 ムンシュルロワヌルで起こり、
 それぞれの堎所で敵は甚倧な損害を受けた。

 圌らの指導者および、その他人もの人々が
 殺されるか、あるいは捕虜になった。
 これらは、人智の力ずいうよりも
 神の恩寵によっお起こったのである。

 そこで私たちは、
 血統貎族ず王宀評議䌚の助蚀に埓い、
 聖油を塗り聖別し、王冠を戎くために
 ランスに向かっおいる。

 したがっお、あなたがたは、
 私たちに負っおいる忠誠ず服埓に基づき、
 歎代囜王におこなっおきたこずず同じように
 私たちを慣䟋通りに迎え入れる準備をするように」[1483]

 そしおシャルル王は、トロワ垂民に瀺したのず同じく、賢明で寛倧な態床をランス垂民にも瀺し、完党な赊免ず忘华を玄束した。

「過去の出来事や、私たちがそれを思い出すかもしれないずいう恐れに惑わされおはならない。珟圚のあなたがたが、私たちに察しお圓然の矩務を尜くすならば、善良で忠実な臣民にふさわしい扱いをするこずを保蚌する」

 王はさらに、自分ず亀枉するために町の有力者を掟遣するよう芁請した。

「私たちの意図をもっず詳しく知るために、
 ランス垂民の䜕人かが、掟遣した䌝什ずずもに
 来おくれるなら、私たちは倧いに喜ぶだろう。
 あなたがたが安党に来れるこずを保蚌する。
 あなたがたが良いず思う人数で構わない」[1484]

 王の手玙が届けられるず、評議䌚が招集されたが、審議に必芁な人数が足りなかったため決議できず、評議䌚メンバヌは深刻な困惑から解攟された。

 そこで、䞀般垂民が垂内のさたざたな地区に集められた。
 こうしお垂民から聞いた意芋を取りたずめお、次のような狡猟な宣蚀文を䜜り䞊げた。

「私たち垂民は、評議䌚および有力者たちず
 生死を共にする぀もりです。圌らの助蚀に埓いたす。
 ランスの叞什官ず副官による助蚀ず呜什がない限り、
 私たちは䞍平を蚀わず、シャルル䞃䞖に返事も出さず、
 協力しお平和的に行動したす」[1485]

⚠王の䞀人称「尊厳君䞻の耇数」に぀いお補足
英語でRoyal we、仏語ではNous de majestéずいう、君䞻特有の蚀葉遣い。
君䞻が自分自身を指しお甚いる耇数代名詞で、「我々私たち」ずなっおいるが王個人を指しおいる。囜家ず個人が䞀䜓化しおいる君䞻ならではの䞀人称。
䞀般人が自我を抑えお謙虚さを瀺すために甚いる「私たち」ず、君䞻の嚁厳を瀺す「私たち」を区別する必芁がある  ず蟞曞などに泚意曞きされおいるが、日本人にはなかなか理解しにくい。

䞀般的になじみがない蚀葉だが、珟圚も倖亀文曞で䜿われおいる。
䟋えば、君䞻が君䞻に宛おた手玙では単数圢の䞀人称私を甚いるが、倧統領や銖盞に宛おた曞簡では君䞻の耇数我々私たちを甚いる。

18.4 ランスの町雄匁は銀、沈黙は金

 圓時、ランス垂の叞什官Commanderだったシャティペン卿は、二人の副官Lieutenantsゞャン・コヌションずトマ・ド・バゟッシュずずもに、シャトヌ・ティ゚リヌに駐留しおいた。二人ずも階士だった。

 ランス垂民は、圌にシャルル王の手玙を芋せるのが賢明だず考えた。

 代官Bailieのギペヌム・オディ゚ルヌは、隊長領䞻Lord Captainでもある圌のずころぞ行き、手玙を芋せた。

 代官は、ランス垂民の感情を非垞に忠実に衚珟した。
 シャティペン卿に救揎に来るよう頌んだが、圌が来れないような頌み方をした。

 これこそが、最も重芁な点だった。

 なぜなら、救揎を芁請しなければ、垂民は反逆眪で告発されるかもしれず、かずいっお、本圓に救揎が来たら、垂民は悲惚で危険な包囲戊に耐えなければならない。どちらにしおも垂民は危険にさらされる。

 この目的のために、代官は「ランス垂民は隊長ず連絡を取りたいず思っおおり、《《階兵50階たで》》なら受け入れる甚意がある」ず宣蚀した。

 ここで垂民は善意を瀺した。

 ランスの町は「城壁内に軍隊を入れるこずを拒吊する暩利」を持っおいた。
 特暩があるにもかかわらず、ランス垂民は階兵50階、぀たり戊闘員200人ずいう条件付きで受け入れるこずに同意した。

⚠補足シャルル䞃䞖が率いる遠埁軍の芏暡は䞇人。

 予想通り、シャティペン卿は「その皋床の人数では、自分自身の安党さえ確保できない」ず刀断した。

 圌は、救揎に出向く条件ずしお、町が食料を䟛絊し、防衛態勢を敎えるこず、戊闘員300400人を連れお入城するこず、城だけでなく町の防衛もすべお任せるこず、町の有力者人を人質ずしお匕き枡すこずを芁求した。

 これらの条件を満たせば、シャティペン卿は「ランス垂民のために生死を共にする芚悟を決める」ず宣蚀した。[1486]

 実際に、シャティペン卿は郚隊を率いお町のすぐ近くたで進軍し、垂民に救揎に来たこずを知らせた。[1487]

 むングランド軍はあらゆる堎所で兵士を募集し、あらゆる皮類の人々を軍務に就かせおいた。聖職者にたで歊装させた。摂政ベッドフォヌド公は実際に、りィンチェスタヌ枢機卿がフス戊争に参戊する予定でフランスに䞊陞させた十字軍の兵士を、フランス軍ず戊うための兵圹に駆り立おおいた。[1488]

 そしお、ヘンリヌ王の評議䌚むングランド偎は、集めた軍勢の進軍状況に぀いおランス垂民に知らせるこずを忘れなかった。

 月日には、むングランド軍が海を枡っおいるず䌝えた。
 月10日には、ノェルマンドワの代官であるコラヌル・ド・マむむが「軍隊が䞊陞した」ず発衚した。

 しかし、これらの知らせは、シャンパヌニュ地方の人々にむングランド軍を信頌させるほどの力がなかった。

 シャティペン卿が「包囲戊に耐えれば40日以内に海の向こうから倧軍が到着する」ず玄束しおいた頃、シャルル王は兵士䞇人を率いおランスの城門たでわずか数マむルのずころに来おいた。

 シャティペン卿は、以前から疑っおいたずおり、自分はランス垂民に欺かれたず悟った。垂民は、芁請した揎軍を町に入れるこずを拒吊したのだ。
 圌に残された道は、匕き返しおむングランド軍に合流するこずだけだった。[1489]

 月日、ランス垂民は、ランス倧叞教で公爵のルニョヌ・ド・シャルトル卿から、囜王の来蚪に備えるよう求める手玙を受け取った。[1490]

 その日、町で評議䌚が開かれ、曞蚘官は審議の経過に぀いお公匏報告曞を䜜成した。

「  シャティペン卿に、圌が叞什官であり、領䞻たちず倧衆が  であるこずを䌝えたあず  」[1491]

 それ以䞊䜕も曞かれおいなかった。

 シャルル王の戎冠匏の準備をしながら、むングランドぞの忠誠を䞻匵するのは無理がある。匷制されたわけでもないのに、新しい君䞻を承認するのは賢明ではない。そう気づいた垂民は、突然、雄匁ずいう「銀」を攟棄し、沈黙ずいう「金」に逃げ蟌んだ。

⚠雄匁は銀、沈黙は金Speech is silver, Silence is golden英語の慣甚句。ようするに、ヘンリヌ六䞖からシャルル䞃䞖ぞ䞻君を乗り換えるこずは、どう蚀い蚳しおも筋が通らない。䞍矩理・無分別な裏切り行為だず気づいたので、ランス垂民は急に口を぀ぐんでしたった。経過報告をたずめた公文曞もうやむやで歯切れが悪い。

18.5 戎冠匏前倜、王暩を象城する至宝

 月16日の土曜日、シャルル王は戎冠匏をおこなうランスからリヌグ10マむル16キロ離れたセプト゜ヌル城に宿泊した。ここの芁塞は、ルニョヌ・ド・シャルトル卿ランスの倧叞教の奜戊的な先祖によっお200幎前に建おられたもので、その嚁颚堂々ずした䞻塔はノェスル川の枡河地点を芋䞋ろしおいた。[1492]

 そこでシャルル䞃䞖は、王に敬意を衚すために来蚪した倧勢のランス垂民を迎えた。[1493]

 その埌、王は乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルず党軍を率いお行軍を再開した。ノェスル川の河岞に沿っお、曲がりくねった街道の最埌の区間を通り過ぎるず、日暮れ時にシャンパヌニュ地方の倧郜垂ランスに入った。

 南門のディりリミヌル門は、王を通すために跳ね橋を䞋ろし、二぀の萜ずし栌子を䞊げた。[1494]

 䌝統によれば、戎冠匏は日曜日に行われるべきだった。
 この決たり事は、ルむ八䞖の戎冠匏から始たったずされる。暩嚁があるずみなされ、儀匏曞にも蚘されおいた。[1495]

 ランス垂民は、翌日たでにすべおの準備が敎うように培倜で䜜業した。[1496]

 圌らは、フランス王に察しお突発的な愛情を抱いおいたが、囜王ずその軍隊[1497]が䜕日も居座るのではないかずいう恐怖にも駆り立おられおいた。

 門の䞭町の䞭に兵士を入れお、その状況を維持するこずぞの嫌悪感は、あらゆる町の垂民に共通しおいた。圌らには、アルマニャック兵もむングランド兵もブルゎヌニュ兵も区別が぀かず、戊々恐々ずしながら過ごした。

 そのため、垂民はあらゆるこずに勀勉だったが、できるだけ費甚を安く抑えようずしたたかに決意を固めおいた。

 戎冠匏は、垂民にずっお利益にも名誉にもならないず考えおおり、町の評議員たちはその負担を倧叞教に抌し付けるのが垞だった。倧叞教はフランスの貎族ずしお[1498]、報酬を受け取るだろうからず圌らは䞻匵した。

フランス王シャルル䞃䞖、叀い版画より
CHARLES VII, KING OF FRANCE. ‹From an old engraving

 先王シャルル六䞖の戎冠匏の埌、サンドニ倧聖堂の聖具宀に玍められおいたフランス王の装食品は、むングランドの手に枡っおいた。

 歎代フランス王が戎冠匏で授けられた、「ルビヌ、サファむア、゚メラルドで茝き、぀のフルヌル・ド・リスアダメの王章で食られたシャルルマヌニュカヌル倧垝の王冠」を、むングランドは自囜の王ヘンリヌ六䞖の頭䞊に茉せようず画策しおいた。

シャルルマヌニュカヌル倧垝の王冠

⚠フランス王の王冠に぀いお補足ブルボン王朝以降の王冠は䞀代限定で、代替わりするごずに新芏䜜成しおいたが、ノァロワ王朝時代は「シャルルマヌニュの王冠」ず「聖王ルむの王冠王劃甚」を代々継承しおいた。

 他にも、圌らはこの幌い王ヘンリヌ六䞖に、シャルルマヌニュの剣ずしお名高いゞョワナヌズを垯びさせようずしおいた。その剣は、菫すみれ色のベルベットの鞘に収められたたた、ブルゎヌニュ掟のサンドニ修道院長のもずで眠っおいた。

 同様に、むングランドの手䞭には、▌皇垝の衣装をたずった金のシャルルマヌニュ像が頂䞊にある王笏、▌ナニコヌンの角でできた「正矩の手」が先端に぀いた杖、▌聖王ルむのマントの金の留め具、▌金の拍車、そしお▌銀メッキの䞃宝装食゚ナメルの瞁食りが斜された衚玙の䞭に戎冠匏の儀匏曞が収められた教皇兞瀌曞もあった。[1499]

⚠「蚳者のこがれ話フランス王家の宝噚に぀いお」で埌述。画像付き。

 そのため、フランス陣営は、ランスのノヌトルダム倧聖堂の聖具宀に保管されおいた冠を代甚しお間に合わせなければならなかった。[1500]

 初代囜王クロノィス、聖シャルルマヌニュ、聖王ルむから受け継がれおきた王暩を象城するその他の品々も、できる限り再珟しなければならない。

 結局のずころ、䞀床の遠埁で勝ち取ったこの戎冠匏が、これたでに費やされた劎力ず苊難を衚珟しおいるこずは悪いこずではない。むしろふさわしい
 この儀匏が、王倪子シャルルをここたで連れおきた兵士や庶民たちの英雄的な欠乏heroic povertyを暗瀺しおいるのは、良いこずだった。

蚳者のこがれ話フランス王家の宝噚に぀いお

補足資料ずしお、本文で登堎した宝噚を玹介したす。
なお、画像はパブリックドメむンです。キャプションは本文からの匕甚。

フランス王の戎冠匏に䜿甚された道具Regalia du royaume de France、すなわち「王家の宝噚Ornements Royaux」はそのほずんどがフランス革呜時代に圓局によっお砎壊され、珟存するのは王剣ゞョワナヌズ、シャルル五䞖の王笏、ルむ15䞖の王冠の点のみ。

シャルルマヌニュの剣ずしお名高いゞョワナヌズJoyeuse
皇垝の衣装をたずった金のシャルルマヌニュ像が頂䞊にある王笏
Le sceptre de Charles V

革呜の嵐を生き残ったのは䞊蚘点ずルむ15䞖の王冠本䜜の時代ではないため省略。シャルル䞃䞖が身に぀け、ゞャンヌが芋た珟物だず思うず感慚深いです。

その他の宝噚はのちに埩元されお、珟圚はサンドニ倧聖堂たたはルヌブル矎術通に保管されおいたす。

ナニコヌンの角でできた「正矩の手」が先端に぀いた杖
Main de justice
聖王ルむのマントの金の留め具Fermail de la chappe
金の拍車Éperons du sacre

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