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介護とアンモニアは、嘘をつかない

    めんどくさいまま、朝になる

    五月十八日、月曜日。
    朝の五時四十八分に、以前セットしたまま忘れていたアラームが鳴った。

    なんで今日に限って鳴るんだよ、と思った。
    三時間と少ししか寝ていなかった。眠いというより、頭の中に薄い油膜が張っているようだった。世界の輪郭がぼやけて、昨日の臭いだけが残っていた。

    猫の小便の臭いだった。

    廊下に敷いたマットをめくると、裏側に黄色い染みが広がっていた。マットがあるから木の床に直接は染みないはずだと思っていたのに、隙間からじわじわ漏れていた。老いた猫は、もうトイレという場所を完全には覚えていない。覚えていないというより、世界の端と中心が溶けてしまったのだろう。廊下も部屋もマットも、たぶん猫にとっては等しくただの地面になっている。

    妻は昨夜、黙ってそれを拭いていた。
    俺も黙って手伝った。クエン酸を吹きかけ、重曹を撒き、ネットで「猫 尿 臭い 消す」と検索し、出てきた方法を片っ端から試した。

    人間の知恵は、老いた命の排泄物の前ではいつも場当たり的だ。

    夜は妻の誕生日だった。
    本来ならもう少しちゃんとした日になるはずだった。プレゼントを買いに出かけ、どこかで食事をして、なんでもない夫婦の会話をして、今日くらいは平和だったね、と言って眠るような日。

    けれど、家に戻れば猫の小便があった。
    そして、叔父の介護があった。

    叔父、哲郎。
    正確には血の繋がった叔父ではない。義理の父である英郎の兄だから、俺とは血縁関係がない。血の繋がりがない、という言い方をすると、なにか冷たい計算をしているように聞こえる。けれど、この数ヶ月、俺の中でその事実は何度も何度も浮かび上がってきた。

    血は繋がっていない。
    なのに、なぜ俺がここまでやらなきゃいけないのか。

    そう思うたび、自分が薄情な人間に思えた。
    けれど、薄情だろうがなんだろうが、めんどくさいものはめんどくさい。

    哲郎とは、生涯で何回顔を合わせただろう。
    多く見積もっても三十回くらいではないかと思う。

    幼少の頃の正月に、お年玉をもらった。
    それから、父と母に連れられて横浜の実家へ行った。父と母は生活に困ると、保土ケ谷の祖母ヨネの家に頭を下げに行った。俺はその場に連れて行かれる小さな子供だった。いま思えば、あれは一種のパンダだった。子供がいると、大人同士の金の話も少しだけ柔らかくなる。父は哲郎に怒られていた。母は黙っていた。俺はその横で、何が起きているのか半分もわからないまま、ただ居た。

    その場に居ることが、子供の役割だった。

    母、郁子は沖縄から横浜に来た。
    好きだった男を追って来て、内地の横浜までやってきた。そいて横浜市磯子区で俺を産んだ。認知されない子として。シングルマザーとして。帝王切開だったらしい。

    そのあと、同じアパートの一階と二階に住んでいた英郎と、俺が先に仲良くなった。三歳か四歳のころだという。俺が英郎に懐き、それをきっかけに郁子と英郎が話すようになり、やがて一緒になった。

    だから高岡家にとって俺は、突然やってきた子供だった。
    血の繋がらない小さな子供。
    そのせいもあってか、祖母ヨネにも、哲郎にも、可愛がられた記憶はある。

    哲郎は一眼レフを持っていた。

    横浜の実家で、俺はそのカメラをじっと見ていた。黒くて重たそうで、光を閉じ込める機械のようだった。ファインダーを覗かせてもらった。世界が四角く切り取られるのが不思議だった。哲郎は俺の様子を見て、言った。

    「一人、おまえにこれをやろうか」

    そのカメラは、いまも家の二階にある。
    お年玉と、一眼レフ。
    俺にとっての哲郎は、ほとんどその二つでできている。

    その哲郎がいま、仙台の部屋で寝たきりに近い状態になっている。

    きっかけは、横浜のアパートの建て替えだった。
    祖母ヨネが九十九歳で亡くなり、哲郎は一人になった。祖母の葬儀の前後、哲郎は少しおかしかった。もう四十を超えていた俺に向かって、まるで幼稚園児に話しかけるように「僕ちゃん、僕ちゃん」と言った。

    ファミレスで周囲の人が怪訝な顔をした。
    俺は小声で言った。

    「恥ずかしいからやめろよ」

    あのとき哲郎の中では、俺はまだ小さな子供だったのだと思う。
    高岡家に突然やってきた、血の繋がらない、けれど少し可愛かった子供。
    哲郎の記憶の中で、俺は成長していなかった。

    その後、哲郎は怪我か病気かで入院した。手術には親族の同意書が必要だと言われ、俺は仙台から横浜まで、そのサインをするためだけに行った。病院の書類の上で、俺は親族だった。血の繋がりはないが、制度の上では、俺しかいなかった。

    このままずっと横浜まで呼び出されるのはかなわない。
    そう思ったころ、哲郎が住んでいた古いアパートが耐震の都合で建て替えになると聞いた。だったら仙台に来てもらった方がいい。何かあったとき、横浜まで行くよりは近い。

    そうして俺は、知人の不動産会社を頼り、年金で暮らせる安い部屋を探した。
    哲郎は仙台へ来た。

    しばらくは悠々自適だった。
    ショッピングモールで見かけることもあった。
    七十後半を超えた齢になってからは、すり足ではあったが、自分で買い物をし、身なりも整えていた。同じ市中で暮らすことになっても、お中元やお歳暮を持っていく程度の付き合いだった。こちらも日々の仕事がある。頻繁に訪ねることはなかった。

    ところが、今年に入ってから急に変わった。

    大家さんから電話があった。
    「大丈夫でしょうか」と言われた。

    部屋へ行くと、哲郎は恍惚の人になっていた。

    去年まで立って歩いていた人間が、ほとんど寝たきりの老人になっていた。布団の上に沈み込むように横たわり、目だけがこちらを追った。部屋の空気は、老人の体温と、食べ残しと、アンモニアの臭いが混ざっていた。

    そこから介護?らしきものが始まった。

    介護、という言葉を使うのは嫌だった。
    なぜなら、介護という言葉には、どこか高潔な響きがあるからだ。
    誰かを支える。命を守る。老いに寄り添う。
    そんな綺麗な言葉が勝手についてくる。

    でも現実は違う。

    結局、たまたま身内が甥である俺しかいないから
    大家から電話がきた。
    だからヘルパーから連絡が来る。
    食材を用意してほしい。
    ガスが通っていないから開通してほしい。
    デイサービスで具合が悪くなったから病院へ連れて行ってほしい。
    処方された薬の錠数、区分、仕分ける朝昼夜分。
    ひとつひとつは小さい。
    けれど、小さい用事がいくつも重なると、こちらの生活の端を食い破ってくる。

    俺にも仕事はある。
    月末が近い。金になる仕事をやらなければいけない。明日までに修正しなければいけない案件もある。クライアントの担当者が待っている。
    けれど、哲郎の薬が飲まれているかどうかを確認するために、車を出さなければならない。

    土曜日、俺は哲郎の部屋へ行った。
    妻が金曜日に病院へ連れて行き、風邪薬を朝昼晩に分けて袋に入れて置いてきた。
    妻は心配していた。
    昨日の対応で疲れたから、ちゃんと飲んでいるか見て行ってほしいと言った。
    そう、妻の叔父ではない、俺の叔父だ。

    案の定、飲んでいなかった。

    袋はそこにあった。
    朝、昼、晩と分けてある。けれど日付は無視され、袋は中途半端に開けられ、五錠あるはずの薬のうち三錠だけが消え、二錠が残っていた。
    残りを飲ませる。

    哲郎に言うと、うん、うん、と頷いた。
    わかっているようにも見える。
    わかっていないようにも見える。

    その曖昧さが、いちばん面倒だった。

    完全にわからないなら、こちらも諦めがつく。
    でも、話せば反応する。頷く。ありがとうとも言う。
    だからこちらは、まだわかるはずだと思ってしまう。
    わかるはずなのに、薬は飲めない、飲まない。
    わかるはずなのに、生活リズムは崩れていく。

    妻は心配する。
    誤嚥したらどうしよう。
    風邪をこじらせたらどうしよう。
    薬を飲ませないと。

    その言葉を聞くたび、俺は苛立った。

    俺たちが朝昼晩、車で通って薬を飲ませるのか。
    飲んだことの確認に足、運ぶのか?
    実の親でもない。血も繋がっていない。
    生涯で三十回くらい会っただけの相手だ。
    お年玉をもらった。カメラをもらった。それはたしかにある。
    けれど、それで人の老後を引き受けなければならないのか。

    そう思う自分が嫌だった。
    しかし、嫌だと思うより先に、めんどくさいと思っていた。

    めんどくさい。
    本当にめんどくさい。

    妻の優しさは、俺の冷たさを照らす。
    彼女は真面目だ。人に対して誠実だ。先週の金曜日、俺が東京へ出張している間に、哲郎をデイサービスから引き取り、病院へ連れて行き、薬をもらい、自宅へ戻した。
    女手ひとつで、それをやった。大変だったに決まっている。

    アカの他人の妻が心配している。
    その横で義理の甥である俺は、心のどこかで思っている。

    誤嚥性肺炎になって、とっとと逝ってくれた方が楽なんじゃないか。

    最低だと思う。
    大昔にクリスチャンになったくせに、と自分で思う。
    隣人を愛せと、頭では知っている。
    でも聖書の言葉は、紙の上では美しい。

    目の前にあるのは、薬の飲み残しであり、食材の買い出しであり、ガス会社への電話であり、デイサービスからの連絡であり、おむつを拾ってまとめたゴミ袋の重さであり、
    廊下に粗相した猫の小便である。

    紙の上の愛は臭わない。
    現実の愛は臭う。

    俺は哲郎の部屋で、飲み残しの薬を見ながら思った。
    これが生きるということなのか。

    寝て、少しテレビを見て、届けられた飯を食べて、排泄して、また寝る。本人はそれでいいのだろうか。いいも悪いも、もう判断できないのだろうか。そうなると神様は、あまりにも残酷な喪失感を抱かせないために、人間の記憶を少しずつ飛ばしていくのかもしれない。認知症とは神の愛の別の名か?

    もし全部わかったまま、老いて、動けなくなって、人に迷惑をかけていることを自覚し続けたら、人は、その恥を耐えられないのではないか。

    だから認知は、神の慈悲なのか。それとも、ただの故障なのか。

    そんなことを考える自分が、また嫌になった。

    昨日、妻の誕生日プレゼントを買いに行ったとき、ピンクのTシャツを着た人たちが駅にいた。何かのライブかな?と思って見ていたら、向こうから歩いてくる男の胸元に「大森靖子命」と書いてあった。

    大森靖子。
    仙台に来ていたのか。

    心が一瞬だけ跳ねた。

    十年ほど前、俺は大森靖子をよく聴いていた。ヘビロテで聴いていた。
    彼女の歌は、嘘が少ないと思った。
    綺麗に整えた言葉ではなく、心の動きに忠実な言葉があった。嫌なものは嫌。欲しいものは欲しい。痛いものは痛い。そういう剥き出しのものが、音楽になっていた。叫びになっていた。

    俺はその逆だった。
    心の動きを覆い隠し、人によく思われるように発言し、行動する人間だった。だから惹かれたのだと思う。

    胸元に「命」と書かれた男たちは、なんだかまぶしかった。
    大森靖子命。
    命。
    その文字が、駅の午後の雑踏の中で妙に光って見えた。

    当日券を探した。
    検索した。
    けれど、もう無理そうだった。

    そもそも妻の誕生日に、プレゼントだけ渡して「じゃあライブ行ってくる」と言えるわけもない。俺はそういうことができない。いや、昔は、そういう時にドタキャンしてライブに行って、妻の怒りを買う。そして学んで、今は、そういうことをしない自分を、まともだとも思うし、つまらなくなったな、とも思う。

    帰ってから、久しぶりに大森靖子のプレイリストを流した。
    よかった。いま聴いてもよかった。

    音楽は、時間を少しだけ戻す。
    あるいは、過去の自分を現在に連れてくる。

    あのころ救われた自分が、老いた、これまた認知症が始まった猫の小便の臭いのする家に、戻ってきた。清々しい風が一瞬だけ吹いた。ほんの一瞬だけ。

    そのあと、また猫のマットをめくった。
    小便が染みていた。臭気が立ち上る、思わず顔をそむける。
    妻が掃除を始めた。俺も手伝った。

    命、命、命。
    老いた猫の命。
    哲郎の命。妻の命。俺の命。

    命は、Tシャツに書かれているときは強い言葉なのに、廊下に染みているときはただ面倒だった。

    俺たちは一体どこへ行くのだろうと思った。

    介護というものは、人間のエゴを照らす。
    自分は自由でいたい。
    自分の時間を守りたい。
    自分の仕事を進めたい。
    自分のやりたいことをやりたい。
    そういう当たり前の欲望を、介護は真正面から照らす。

    照らされたところで、人は急に聖人にはなれない。

    親ならまだわかる、という言い方も本当は嫌だ。
    親だって面倒なものは面倒だろう。
    愛があれば面倒ではなくなる、というのは嘘だ。
    愛があったって排泄物は臭うし、
    愛があっても病院の待ち時間は長いし、
    愛があっても仕事の締切は迫る。

    高齢化社会。
    ニュースでは何度も聞いた。
    介護問題。
    地域包括ケア。
    老老介護。
    認知症。
    孤独死。

    そういう言葉を、俺は何度も聞いてきた。
    ニュースの中で、他人事として。

    けれど実際は、電話としてやってくる。
    「食材を用意してください」
    「ガスの開通をお願いします」
    「薬が飲めているか確認してください」
    そういう小さなお願いの形をして、生活に割り込んでくる。

    社会問題は、玄関のチャイムを鳴らさない。
    電話で来る。
    LINEで来る。
    ケアマネのやわらかい声で来る。

    そしてこちらは、断れない。

    いや、断れるはずだ。
    嫌です。できません。そちらでどうにかしてください。
    そう言えばいい。

    でも俺は言わない。
    ケアマネと打ち合わせをする。大家に相談する。病院へ行く。薬を確認する。ガス会社に電話する。食材を買う。

    なぜやるのか。

    愛か。
    違う。

    責任感か。
    それも少し違う。

    世間体か。
    たぶんある。

    自分が悪い人間だと思われたくないから。
    自分で自分を悪い人間だと認めたくないから。
    そのために動いているのではないか。

    俺は、善人ではない。
    善人のふりをしている人間だ。

    そう思うと、また腹が立つ。
    哲郎にではなく、自分に。
    妻にでもなく、自分に。
    しかし、自分に腹を立てても何も解決しない。薬は飲まれないし、猫はまた廊下に小便をする。

    五時四十八分に起こされた朝、俺は眠気の中でこれを書いている。
    いや、書いているというより、吐いている。

    介護を美談にしたくない。
    魂の成長などという言葉で包みたくない。

    もちろん、そういう見方もあるのだろう。
    生まれながらに障害を持った子供が、その家族の魂を成長させる。
    助け合い、愛し合い、家族は深くなる。
    だから、その子は障害を持って生まれた。
    そういう話を聞けば、頭では理解できる。

    だが、当事者になった瞬間、その言葉は遠くなる。

    魂の成長。
    学びのチャンス。
    神が与えた試練。

    そんな言葉は、疲れた人間の肩に乗せるには重すぎる。

    ただ、めんどくさい。とにもかくにも、めんどくさい。
    誰がなんと言おうと、めんどくさい。

    それでも、俺は行くのだろう。
    今日も、明日も、何か連絡が来れば哲郎の部屋へ行くのだろう。
    薬を確認し、食材を置き、大家に電話し、ケアマネに返事をするのだろう。

    愛がないまま、行く。
    優しくないまま、行く。
    めんどくさいと思いながら、行く。

    もしかすると、人間の善意とは、そんなものなのかもしれない。

    美しい心が先にあって、そこから行動が生まれるのではない。
    汚い心のまま、面倒だと思いながら、それでも身体だけが少し動く。
    その動いた分だけが、外から見ると善意に見える。

    だとしたら、善意とは心の名前ではなく、移動距離の名前なのかもしれない。

    仙台から横浜まで、手術の同意書にサインをしに行った距離。
    自宅から哲郎の部屋まで、薬を見に行った距離。
    廊下の端から洗面所まで、猫のマットを抱えて歩いた距離。
    妻の誕生日に、大森靖子のライブへ行かず、家へ戻った距離。

    その全部が、愛ではなくても。
    その全部が、正しさではなくても。
    人はその距離の中でしか、自分の冷たさと付き合えないのかもしれない。

    窓の外が明るくなってきた。
    月曜日が始まっている。

    眠い。とにかく眠い。

    今日やらなければならない仕事がある。
    金になる仕事がある。
    修正しなければならないデータがある。
    妻はまだ疲れている。
    猫はまたどこかに小便をするかもしれない。
    哲郎の薬は、たぶん今日も正しくは飲まれない。

    俺は聖人ではない。いい人でもない。
    恩知らずかもしれない。冷たい人間かもしれない。

    それでも、朝は来る。

    そして俺はたぶん、また車の鍵を探す。
    めんどくさい、と思いながら。
    本当にめんどくさい、と思いながら。

    それでも玄関を出る。

    なぜなら、誰かの命はいつも、こちらの都合など知らない顔で、廊下に染みているからだ。

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