
関川の共同浴場と東赤谷駅跡
2026年5月のある金曜日。私は山形から新潟まで車を走らせていた。
途中の交差点で赤信号になり、停まる。その交差点には「南赤谷」という名前がつけられていた。私は「赤谷」という地名に見覚えがある。かつて、新潟の新発田と東赤谷の間を結ぶローカル線、国鉄赤谷線のことを知っていて、「赤谷」という文字から、記憶がよみがえった。
高校生の頃、宮脇俊三の「終着駅へ行ってきます」でこの路線のことを読んだ。
「線路の両側をススキの穂が白く流れる。山側のススキは高いところから斜めに生えているので、ときどき白い穂が窓枠を払う。」
「あたりが暗くなって、ススキの穂が白さを増している。その向うに、わずかな客を乗せ、車内の照明のみ明るいディーゼルカーが、走馬灯のように現れた。」
読んでから何十年も経つが、「東赤谷」という名前が私の頭の片隅にあった。
信号はほどなく青になった。「赤谷」の2文字を頭に残しつつ、私は再び車を西に走らせた。
私が目指していたのは関川村にある雲母温泉の共同浴場だ。温泉場に、地域の人たちが日常的に使っている共同浴場があり、一定の時間帯は街の人以外の訪問者にも開放されているという。こうした雰囲気が好きな私は平日の真っ昼間から温泉に入るという贅沢な時間を過ごすため、一目散にそこを目指した。到着したのは午後2時ごろ。
車が5台程度止められる駐車場に車を止める。私の車の他に1台、軽自動車が停車していた。先客がいるようだ。用意していたタオルと財布と車の鍵を手に、共同浴場に向かう。看板もないシンプルな平屋の建物が目の前にある。戸を開くと「入浴料1回 200円(200円入れるとブザーなります)」「ご利用時間 組合員:朝6時〜夜8時30分、一般入浴者:朝6時〜夜7時」といった掲示が出ている。その隣に、緑色の大きな鉄製の料金箱がある。そこには手書きで「続けてお金を入るとフザが鳴らない事が有ますのですこし間をおいてから入て下さい」「料金不足タタ有ります 1円5円玉は使用出来ません(係より)」と書かれている。
「ブザーが鳴る」「間を置いてお金を入れる」と、諸々の注意事項に目を止めて、料金箱に100円玉を1枚ずつ、ゆっくり投入した。
2枚の100円玉を投入するとすぐに「ブー」という大きなブザー音が鳴り響く。大きな音が出るだろうな、と事前に警戒をしていたので私は特に驚きはしなかったのだが、それにしてもよく響くブザーだ。近くに鳥が集まっていたら一気に退散するだろう。それ程までにけたたましいブザー音が昼下がりの共同浴場に鳴り響く。
料金を払ったので、私は入浴する正当な権利を得た。自信を持って男性浴場の扉を開く。更衣室には先客がひとり居て、湯上がりの時間を静かに過ごしていた。それ以外に入浴客は居ない。さっと衣類を脱いで浴室に入る。こちらは私だけの空間だ。
共同浴場でよく見かけるスタイルだが、シャンプー・リンス・シャワーなどはなく、湯船と湯浴み用の手桶が数個しかない。純粋に温泉に浸かるだけのスタイルだ。
手桶で湯船から湯を掬い、湯の熱さを確認しながら体を軽く流す。とても湯が熱くて有名な草津温泉の共同浴場ほどは熱くないので、安心して湯船に入る。
透明な湯が体を包む。湯が無色・無臭で透明なため、湯船の底のタイルの剥げがよく見える。湯船の底まで腰を下ろすと、首まで湯に浸かる。最近はここまで深く湯船に浸かることがなかったので、湯船の深さに驚いた。浴室の窓はひとつだけ開放されており、外気が入る。その風が、浴室の中に涼やかな空気を運び、心地よさを増幅させる。
湯船は私にとって思索の場だ。今回の旅のことやいま巡っている地域のことに、思いを巡らせる。その中でふと、先ほど交差点で目にした「赤谷」という地名を思い出す。
先ほど見た交差点は「南赤谷」だった。ということは、赤谷線が走っていた地域もそう遠くない場所にあるのではないか?
私が愛読する宮脇俊三作品に描かれていた赤谷線の風景が、手の届く場所にあるのではないか?
妄想が一気に膨らむ。居ても立ってもいられなくなり、私は湯船から飛び出した。
更衣室に戻る。私が入場した際に居た先客の姿は無かった。自分一人が、平日昼下がりの更衣室で体を拭きながら、湯上がりの心地よい時間を過ごす。
入口の窓は、下半分こそすりガラスなのだが、上部は透明だ。暖簾など、視線を隠すものも特にない。油断していると全身を外に見せてしまいそうでヒヤッとする。平日昼下がりで通行人が少ない時間帯とはいえ、過度に安心せず、早々に衣類を身につける。それでも、温泉の温もりが冷めることはない。いいお湯だ。
車に戻る。手元のスマートフォンで地図を開き、「赤谷線」で検索をかける。いま入浴した共同浴場から車を1時間弱走らせると、「赤谷線」の終点であった「東赤谷」の跡地に着けるという。「赤谷線」は元々新発田と東赤谷を結んでいた路線なので、自分が車を借りた新発田へもスムーズに戻れるのではないかと期待した。こうなれば、もう「東赤谷」に立ち寄るしかない。私は興味本位で「東赤谷」に向かうことにした。カーナビに住所を入れ、「目的地までおよそ1時間です」の声を耳にし、駐車場をバックして共同浴場を出発する。
JR米坂線沿いに西へ車を走らせ、その後南に進路を変える。5月の平日、15時すぎ。太陽はゆっくりと西に傾き始めた時間だが、夏を思わせるような暑い日差しが降り注ぐ。車窓には、遠くに残雪が残る飯豊山地が見える。道路の両端には、水が張られ、これから稲が植えられようとしている水田が続いている。水田をきらきらと輝かせる太陽の陽射しを浴びながら、私は窓を全開にし、上半身全体で涼しい風を受けながら車を走らせる。
次第に山が近づいてきた。ふと気がつくと、向かって左に、田園風景の中を突っ切る一筋の細い道が目に留まる。自動車が走るには狭い道だ。これは国鉄赤谷線の廃線跡を自転車道に転用している道ではないか。鉄道好きなので、このような景色を見ると「廃線跡だろうな」と分かり、思わずアクセルから足が浮く。
自転車道は徐々に自分が車を走らせる国道に近づき、併走する。途中で、「ここに駅があったのでは?」と思わせるような小さな広場や東屋などを目にする。車を停めてその場所を観察しようか迷ったが、まずは宮脇俊三の作品で描かれていた東赤谷の今の姿を自分の目で確かめるのが先だ。
赤谷の中心地のような集落を過ぎると、急に人家の無い地域に入った。田園風景もなくなり、道路の両脇には鬱蒼とした森林が続く。何より、熊に遭遇するのが怖いので、先ほどまで感じていた清々しい気持ちを一気に切り替えて、人感センサーならぬ”熊感センサー”で即座に熊を見つけるくらいの厳しい目つきで道路周辺を凝視しながら、慎重に車を走らせた。
すると、猿が3匹ほど、道路を歩いている。毛むくじゃらの動物が動いているな、と瞬時に確認したが、熊にしては小さく、顔は毛むくじゃらではない。熊よりはまだマシな方だと思い、安心しつつも車でぶつけてしまわないように、車のスピードを落として猿たちの横を通る。
程なくして、カーナビが話しかけてくる。「目的地に到着しました。音声案内を終了します。」
東赤谷の駅の跡に着いたか、と思ったが、眼前にあるのは材木の仮置き場らしき広場が見え、脇道への分岐点がある道の真ん中だ。特に、案内看板や石碑など、「東赤谷駅跡」とわかる目標はどこにもない。
「本当にここなのか?」
いま、自分が居る場所が本当に自分が目指していた場所なのか、半信半疑で戸惑いながら、スマートフォンの地図を開いた。すると確かに、いま自分が居る場所はかつて東赤谷駅があった場所だ。ただ、目の前には材木置き場ぐらいしかない。案内看板も石碑もない。ここにかつて駅があったことを示すものが、何もない。あまりに拍子抜けして、車をどこに止めるか戸惑ってしまった。
車を脇に停めて、車外に出る。宮脇作品が描いていた季節と異なるため、ススキの白い穂は無い。そもそも、ススキ以上に森林が目立つ。車の姿もなく、弱い風が木々を微かに揺らす音しか聞こえない。山菜などを採りに来る近所の住民の方も、材木置き場で作業をする方の姿も全くない。
自分が走ってきた道を見ると、先ほどの猿たちが歩いていた。一瞬、猿が熊に見えたので内心とてもヒヤヒヤであった。長居していて、油断して熊に出くわしたら一大事なので、早々に立ち去ることにする。宮脇俊三の描いた鉄道車両や線路はもちろん存在しないが、ススキがなびく景色もなく、「ここが東赤谷駅だった」とわかる痕跡も全く無い。この地の雰囲気をもっとじっくり味わいたかったが、熊の恐怖には負ける。いそいそと周辺の風景を写真に収めて、すぐ運転席に戻る。私はそそくさとエンジンをかけ、勢いよく車を発進させた。余韻に浸るより、身の安全の確保が最優先だ。先ほど出会った猿たちに再び出会いつつ、私は新発田への道を進んだ。
先ほどまで高いところから水田を明るく照らしていた太陽は、すっかりその位置を西に傾け、田園風景を茜色に染めていた。熊に怯え猿に驚き、逃げるように東赤谷を去った私は、茜色の景色の中、新発田へと車を走らせた。