
【インフルエンザが流行っている】に思うこと
昨日今日で言語化する機会をいただいたので、メモがてら。
インフルエンザに関しても予防接種する、しない、両面あるので個々人の判断で、という他はないのですが、インフルエンザ脳症→高次脳機能障害の児の保護者をしている身として、できたら知っておいていただきたいこと2025年現在として
インフルエンザ脳症は東アジアでの報告が多い: インフルエンザ脳症、特に急性壊死性脳症(ANE)は、日本、韓国、台湾といった東アジア地域で多く報告されています。
地域差の背景: 誘因となる感染症(インフルエンザなど)は世界的に分布しているのに対し、患者数の地域差がある背景には、人種間の遺伝子の違いが関与している可能性が推測されています。
があります。基本的に多くの方に大事ないものではありますが、予防接種は感染後の症状悪化(特に喘息などの悪化)の効果の方が大事とされてもいますので、この辺り気になる方は、できれば本格的なシーズンになるまでにご確認いただけるとよいかな、と思います。
今期、私の周りの特定界隈では、インフルエンザが例年より一ヶ月前倒れしそうの話自体は当然でておりまして、例年通りの10月に予防接種を受けるのか、前倒しで9月に受けた方がよいのかが話題となりました。その界隈の多くの方は、この手のことを保護者という責任を担いながら判断することに慣れていらっしゃいますが、それは現実的に9月に受けにいくリソースはあるのか、なども当たり前に含むものです。
本件は予防接種を個人に強制する意図は全くありません。「個人の主体的判断」は各種医療でも求められるようになって久しく、ゆえにセカンドオピニオンなどはもちろん、Patient Centricity(患者中心の医療)となってもいます。
なっているからこそ、思うことがあります。
一見耳障りのよい
「自分で考える」
「主体的対話的」
は、考えられる側、選択肢がある側にとって機能するもの。
ともすれば悪意さえなく「自分で考えて」のせいで却って選べなくなっている、または、しんどさの谷間に落ちる。
ある種のこの手の訓練を延々とやっている保護者から、特に何事もなく問題なく過ごせて知らないままでいられる保護者に、知ってほしいという必要などないのではないかと。
おそらく、その方々には不要な情報なのです。多くの場合、知らないままで幸せなのです。そこに、わざわざ知ってほしいということは、知ってほしい側の傲慢なんだろうなぁと。
マイノリティ側にいると、その手のことはそれなりの数になるので、いちいち言語化する気にもならなくなります。
私でさえそうなのですから、おそらく、世の、より多くのマイノリティの方々が有している、ひたすらに現実を見る力の過程で、ある種の豊かさと、切なさが、そこにはあるのだとも思います。
無理に予防接種をする、でもなく、大切な家族やご自身の健康が、良い感じに守れますよーに。
谷間に落ちずにずーっと、知らないままでいられるなら
それを妨げたいわけでは、ないのです。
だから、どこまで書いてみてよいものなのかなぁと思うのです。
そして、あくまで個人的には
子どもたちに主体的な教育を、の前に保護者側こそ
「主体性」とはなんなのか
自身は何をするのか
を問われるのだと、そう改めて思う次第。
……この手のこと久しぶりに言語化したのですが、自分自身こその課題だなぁと、しみじみと。