
4月。少し遠くなった娘
明日から、私は仕事に復帰する。
娘は16時から昼寝を始めて、22時になる今もまだ眠っている。このまま朝まで寝るのだろうか。明日から始まる、本格的な保育園生活に備えているのかもしれない。
育休期間全体を振り返るには、今は書く時間が足りない。だから今日は、慣らし保育が始まった、この4月のことを書こうと思う。
1歳4か月を前に歩き始めた娘。まだまだ危なっかしいので、ヒップシートに乗せて保育園へ連れて行った。
対面抱っこで、朝の道をゆく。
歩いたり、「わんわん」と言ったりする娘の姿を見ていると、もう幼児なんやなぁと思う。
だけど、抱っこした娘の体はまだまだふにゃふにゃで、温かくて、やわらかい。
こんなに小さな子が、親と離れて保育園へ行く。そんな寂しさを抱えて登園するのだけど、園に着くと、この先生たちとお友だちに囲まれているなら、安心だと思える。
ある日、私と離れてギャン泣きしている娘のところへ、0歳から保育園に通っているであろう保育園の「センパイ」が近づいてきて、娘の腕を触ったりとんとんしたりしてくれていた。
1歳にして、悲しんでいる子を思いやる心が育っているのだと思い、じんとした。
家庭だけで育まれる社会性の範囲と深さにはおそらく限りがあって、子どもたちは、遅かれ早かれ社会へ出ていく。
それなら早くから社会性を身に着けることにメリットはあれどデメリットはないはずだ。
保育園で過ごす時間は、きっと娘の世界を広げてくれるだろう。
娘と離れる寂しさと、保育園で加速度的に成長していく姿への期待。その二つがないまぜになって、ぐるぐるしながら、私は一人で家へ帰った。
これから娘は、私も夫も知らぬところで、
楽しいこと、うれしいこと、ちょっと嫌なこと、恥ずかしいこと、
いろんなことを経験して、いろんな感情を育てていくのだろう。
私が娘のほぼすべてを把握していられる時期は、もう終わりを迎えたらしい。
それは正直、寂しい。
保育園から月に一度販売される写真や、保育士さんからの伝聞、連絡帳だけでは足りなくて、もっと動画も撮ってほしいと思ってしまう。
けれど、もうここから先は、娘のことをすべて知ろうとすること自体が違うのかもしれない。
娘の一挙手一投足を見ていたい。
何を見て、何を感じ、どういう表情をしたのか、本当は全部知りたい。
でも、それは、娘を一人の人間として尊重できていないということでもあると思う。
当たり前だけど、忘れてはならないこと。それは、娘と私は、完全に別の人間だということ。
慣らし保育一日目。
ギャン泣きする娘と別れるとき、私は涙が出なかった。
そのことに自分でも驚いた。寂しさよりも、新しい世界へ向かう娘の姿にわくわくする気持ちの方が強かったのだと思う。
4月最終日。
別れるときにギャン泣きはしなくなった。だけど「うー」と声を出して、顔をくしゃくしゃにして悲しそうな顔をする。
夕方になると、寂しくなって泣きだすこともよくあるらしい。
ゆっくりでいい。
いつか必ず、泣かずに「ばいばい」してくれる日がくる。
そして遠くない未来、私に手も振らずに先生や友だちのところへ駆けてゆく日もくるだろう。
そうして、
私から少しずつ離れてゆけ。
いつでも戻る場所がわかるように、私は大きく手を振って待っている。
娘よ、羽ばたけ。