
"鶯(うぐいす)の一文銭と写真の画角 光のイメージ"
鶯(うぐいす)の一文銭、という古民話がある。新潟県および各県に似た話が存在する。ストーリーの細かい部分にはバリエーションがあるもののその基本設定は共通している。
鶯の化身の美女に留守番を頼まれた男が、複数の蔵のある家の留守番を頼まれた。最後の蔵だけは覗いてはいけないと言われたが、きちんと約束を守り通したことから鶯の一文銭という宝物を貰えた、極めて簡単に書くとそんな大意だ。
このような、してはいけませんよ、のストーリーは主人公が大抵約束を破り、何らの不利益を被るものが多い。鶴の恩返しや雪女など枚挙にいとまがない。
小5の頃にこの話を習い、担任がその内容を自分の中で膨らませて水彩で描くという課題を出した。クラスの友人たちは各々熱心に課題に取り組んだ。その中でも両極端だった二人が、U君と私だ。
U君はその世界観のその後を描いた。宝である鶯の一文銭を庄屋が豪商に見せて両手を拡げてたいそう驚いている場面を、まるで映画のいちシーンのように克明に描いた。その絵は小学生にしては卓越した画力だったので、遥か昔のことだが私の脳裏に焼き付いて忘れられない。
対する私は鶯を手渡して見せているお互いの手もとを描いた。一文銭なのに小判の4-5倍の大きさで、目を瞑り羽を畳んで静かに眠るような鶯を、一文銭らしく華美でない色で、金属の細工の細かい部分まで丁寧にに描いた。二人とも素晴らしい出来だったからライバルに思えた。まさに自画自賛そのものなのはご容赦を。
本題に戻ろう。
・友人は色彩も豊富で舞台設定のように広角で。
・私は暗めのトーンの単色調でマクロ的に。
早熟にも少年期で既にカメラ好きだった私は、同じ条件でも捉える世界観や視野にこんなに差があることを知った。
遥かな時間を経て私はカメラを片手に雑踏を歩く。広く撮るときもあり、狭く撮るときとある。
どちらかと言えばマクロ的視野でディテールを写したくなるのは、少年の頃から変わらないのかも知れない。懐かしくて、ずっと忘れられない印象を私の中に残してくれた大切な思い出。U君にはあらためて感謝。






