
鏡の世界、想像界、魔女空間
鏡の中の暖かくて、寂しい世界。
私が自分の悪いところ、性格を認識しつつもずっと変えずに20数年いたのは暖かくなんの欠落もなくただただ自分だけの静かな鏡の中の世界にいたからだ。
人は精神的に追い詰められる外傷、いわゆるトラウマを抱えるとその大きさに抱えきれずに自分だけの、自分の中の世界に逃げてしまう。
その世界はラカンの精神分析では想像界という名前がつくこともあるが自分で自分の欲求や欠落を全て補完することのとできる世界だ。
デメリットは我々が生きているのが他者との世界であるから生きづらさ、他者との不調和が発生することだ。
さて私はそんな鏡の中の世界にいる自分に気づき、それが社会でうまくやっていけない理由だと知っている。
しかしそれを自己批判したり心の中に他者を作り常にその声を響かせたりしても治らない。
それはまだ切羽詰っていないからだ。
実際会社に入ってどんどん下り坂で、もうすぐ滑落しそうだが、何とか踏みとどまっている。
頑張ろうとはしているからだ。
しかし本当に頑張ろうとできているのかは怪しい。
会社にも居場所がなくなりつつある。
怖い。
でも、頑張る気力がないのか、うまくできない。疲れるし怖いし大変だ。
だからこそ尚更自分のあたたかい世界に逃げてしまう。
これでいいんだと自分を肯定する。
でもそんな世界にも自分が心の中に棲まわせた「他者」があれこれと「社会規範に則した」否定の言葉をかけてくる。
まずこんな風に他者というのを悪として認識している時点でダメなのかもしれない。
そういえばまどマギの魔女空間もこの想像界に近いと思う。
私は中一の時にまどマギのさやかの話のところで視聴前から爆泣きしていた。というのは置いておいて、
オクタヴィアのいる世界はさやかの都合のいいように構成されている。恋敵は足蹴にされ、想い人は自分のためだけに旋律を奏でる。
そして当人はその世界に満足している。
大変幸せな事だ。
他者が介入してこない、全て自分に都合がよく、幸せな世界だ。
でも何でこんなに悲しいのだろう。
想い人の思い通りにならない辛い現実から離れて、夢の中のような自分の世界で、きっと幸せなはずなのに。
どうしてこんなに寂しいのだろう。
それは本人が望んだ形でそうなったからではない、というのはあるのかもしれない。
しかしやはりそれは他者がいないからだ。
他者がいなければそこには自分も存在しない。
存在という点で他者という自分を切り分けるものがないからだ。
それはただの虚構なのだ。それこそ夢とおなじ。
私たちが他者のいる世界で生きる限りはそれは夢でしかない。
そして夢はいつか覚めて、覚まされてしまう。
それが他者のいる世界と何らかの繋がりを持つ限り。
だからこそ鏡の中だけの世界、オクタヴィアの魔女空間の世界は悲しいのだ。
さやかはまだ中学2年生で、想像界から他者のいる、規律と秩序の世界、象徴界への移行の過渡期だ。
しかし現実には(私も含め)象徴界へ移行する途中に外傷を負ってドロップアウトして自分だけの世界、それは引きこもりだったり不登校だったりするが、に逃げ込んでしまう少年少女も多いだろう。
まどマギは少女から女になるというテーマの話でもある。
魔女というのはある種そういった問題も描き出しているのかもしれない。
私はなんとか会社に入って働くところまでたどり着いた。
それは運が良かっただけなのか分からない。
早くみんなのいる世界にいきたい。