
世界を旅して知った、今日を心地よく生きるということ
世界一周の旅に出て7ヶ月。現在は、19カ国目。ヨーロッパを巡っている。アメリカから引き続きキャンピングカーに乗り込み、家族4人で何千キロもの道を走りながら、毎日自炊を続ける生活だ。


実は、旅の最初の方に訪れたアジアでは、思うように写真が撮れなくて本気で凹んでいた。
世界一周の旅なんだから、誰もが息を呑むような世界の絶景や、異国情緒あふれるドラマチックな瞬間を撮らなきゃいけないのかな、とどこかで焦っていたんだとも、思う。
でも、有名な観光地やランドマークを目の前にしても、私の心は「綺麗だな」という客観的な感想で終わってしまって、どうしても自分の心が動かなかった。
そんな私が、アメリカ、そしてヨーロッパとバンライフを続ける中で、今は心動く瞬間がたくさんある。
観光地でもなんでもない、キャンピングカーという狭い動く我が家の中で、家族がご飯を食べていたり、笑っていたりする、なんでもない地続きの時間。



「本当に必要なものって、びっくりするくらい少ないんだな」そんな風に毎日の自炊生活の中で実感したとき、ふと、旅の途中で出会ったある光景を思い出した。
それは、カンボジアのトンレサップ湖という、水の上で暮らす人たちの場所。

ベトナム戦争の歴史の混乱から、陸の上で生活することができず、水の上で生きるしかないという過酷な背景を持つ人たちだ。
観光ツアーの一部として、多くの人が訪れる場所でもあり、その観光が暮らしを支えている側面もある。外から来た私には簡単には語れない複雑さが、そこにはあった。
でも、私の目に映るここで暮らす人たちは、誰かに見せつけるわけでもなく、ただ単純に、今日という日を家族と楽しんでいた。

どの家にもハンモックがあって、そこに揺られながら家族で団らんしている。そして、生きるためだけなら絶対に必要ではないはずの草花が、綺麗に飾ってあったのだ。


当時の私は、なぜその光景がこんなにも心に残ったのか、うまく言葉にできなかった。
でも今なら、少しわかる気がしている。
あの時、私が心を動かされたのは、過酷な環境の中で生きる人たちだったからではなかった。
水の上という限られた場所でも、家族で団らんし、草花を飾り、今日という日を少しでも心地よく過ごそうとしながら、暮らしていたことに、静かに心を揺さぶられていたんだと思う。
ただ、正直に言うと、この光景を言葉にしていいのか、今も少し迷いがある。短い時間、外から見ただけの私に、その人たちの暮らしの全てなんて分からない。だからこそ、私が見た一場面だけを切り取って、豊かな暮らしだったと安易に語ることには、どこか怖さがある。
それでも、あの日見た光景が、なぜかずっと心に残っていた。
ハンモックに揺られながら団らんする姿や、草花が飾られた風景を見たとき、彼らが生きている姿ではなく、どんな場所でも、人がちゃんと暮らしを育てていることだったのかもしれない。
その受け取り方が正しかったのかは、今でも分からない。でも、あの時感じた感動だけは、今も私の中に残っている。そして、自分の中に確かに残った感覚だけは、無かったことにしたくなかった。
実はそのとき、私はノートにこんな言葉を残していた。
「水上で暮らす人たち。学校も、買い物も、すべてが水の上にある生活。それでも家族で団らんの時間を楽しんで、ハンモックに揺られながら、色とりどりの布をかけたり、草花を飾ったり、それぞれの暮らしを大切にしているように感じる。カンボジアで過ごすうちに、暮らしの見え方が少し変わった」
今、この過去の自分の呟きを読み返して、すとんと胸に落ちた。「あぁ、私、あの時からちゃんと、暮らしの視点で世界を見ていたんだな」と。
当時はまだ、自分のアンテナがどこに向いているのかうまく言葉にできなかったけれど、あのとき水面の上で見つけた小さな感動は、ずっと消えずに私の中に残っていたみたいだ。
それが、キャンピングカーでの自炊生活というミニマムな暮らしを自分たちで繰り返す中で、ようやく自分の体験としてカチッと繋がった。
生きていく上で本当に必要なものは、びっくりするくらい少ない。それでも人は、限られた暮らしの中で、好きな布をかけたり、草花を飾ったり、大切な人とご飯を囲んだりしながら、今日を少しでも心地よく過ごそうとする。水の上でも、キャンピングカーの中でも。
国が違っても、暮らしのかたちは案外、地続きなのかもしれない。
世界を巡る旅はまだ続くけれど、これからも、目の前にある背伸びしない暮らしの姿を、ただ、じっくりと見つめていきたい。



