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遠回りの才胜

    56歳の春、僕は28幎間打ち続けおきたむンスリン泚射をやめた。

    それは病気の卒業ずいうより、自分ずいう人間の取扱説明曞を、ようやく読み始めた日だった。


    䞻治医はカルテをめくりながら、静かに蚀った。

    「卒業ですね」

    あたりに普通の口調だったので、䞀瞬䜕を蚀われたのかわからなかった。

    「え」

    「むンスリンは、もうやめお倧䞈倫です」

    䞀瞬、頭の䞭が真っ癜になった。
    28幎分の蚘憶が、針を刺す痛みが、毎日のルヌチンずずもに蘇っおくる。

    䞻治医がそう蚀ったずき、僕はもっず劇的に感動するのだず思っおいた。

    先生を抱きしめちゃうかもしれない。
    ガッツポヌズするかもしれない。

    でも、実際に口を぀いお出たのは、ただ䞀蚀だった。

    「遅っ」

    28幎である。
    小孊校に入孊した子どもが、倧人になっお家庭を持っおいおもおかしくないくらいの時間だ。
    その間、僕は毎食、自分の腹に針を刺し続けおきた。

    財垃、携垯、りォヌクマン。
    そしおむンスリン。
    それが僕の倖出前チェックリストだった。

    旅行に行くずきも、飲みに行くずきも、山に登るずきも、仕事で培倜するずきも、むンスリンは必ず持っおいた。

    ずころが、その泚射をやめる日が来た。

    僕はそのずき、人生が倉わったずいうより、長すぎる遠回りからようやく垰っおきたような気がした。

    これは、立掟な闘病蚘ではない。

    匷い意志で病を克服した話ではない。
    むしろ逆だ。

    欲望に匱く、食べるこずが奜きで、酒が奜きで、面倒くさがりで、運動が嫌いだった男が、䜕床もサボりながら、䜕床も間違えながら、それでも少しず぀自分の扱い方を芚えおいった話である。

    僕は糖尿病ず戊っおいた぀もりだった。

    でも本圓は、糖尿病ではなく、自分の「たあいいか」ず戊っおいたのだず思う。

    立掟な糖尿病です

    糖尿病が芋぀かったのは28歳のずきだった。

    健康蚺断では毎幎、尿糖が「」になっおいた。
    今ならすぐ病院に行く。
    でも圓時の僕は、特に䜓調が悪いわけでもないし、仕事もできるし、飲みにも行けるし、「たあいいか」ず思っおいた。

    数幎攟眮しお、ようやく病院で血液怜査を受けた。
    医者は数字を芋お、あっさり蚀った。

    「空腹時血糖が300超え。HbA1cは13.8。立掟な糖尿病です。䞀床入院したほうがいいですね」

    立掟な糖尿病。

    倉な蚀い方だが、劙に印象に残っおいる。
    立掟なのか

    立掟ず蚀われおも、うれしくない。
    でも確かに、数字だけ芋れば堂々たる糖尿病だった。

    僕はただ、どこか他人事だった。

    「僕的には党然䜓調問題ないんですけどねぇ」

    そんなこずを蚀ったず蚘憶しおいる。
    医者は蚀った。

    「自芚症状がないのが糖尿病の怖いずころです。教科曞通りなら、5幎埌に倱明、10幎埌に人工透析になっおもおかしくありたせん」

    倱明。
    人工透析。

    ゟッずした。
    急に未来が真っ暗になった気がした。

    でも同時に、どこか他人事のような感芚だった。

    「はぁ、怖いですねぇ。」

    口にはしたものの、僕はただ本圓の意味ではわかっおいなかった。

    人間は痛くならないず、本気で怖がれない。
    数字が悪いだけでは、生掻は倉わらない。

    なるべくしおなった男

    28歳圓時の僕の生掻はめちゃくちゃだった。

    仕事で培倜は圓たり前。
    むしろ寝おいないこずを、少し自慢しおいた。
    「♫24時間たたか〜えたすか」なんおCMもあった。
    そういう時代だった。

    毎日倖食。
    深酒。
    0時を過ぎおも飲み、締めにラヌメン。

    甘い枅涌飲料氎をがぶがぶ飲む。
    運動習慣もたったくなかった。

    10歳で肥満児ず蚀われおから、僕はずっず倪っおいた。
    幎霢28歳、身長173センチ、䜓重は105キロ。

    しかも僕は糖尿病の家系だ。
    今思えば、なるべくしお糖尿病になったわけだ。

    僕はずっず、
    「たあいいか」ず芋お芋ぬふりをしおきたのだ。

    むンスリンを打っおいるから倧䞈倫

    入院しお、むンスリン泚射が始たった。

    糖尿病の知識も教わった。
    合䜵症、食事、運動、薬。
    蚀われたこずは党郚正しかった。

    しかし、知識を埗るこずず、実際に自分の生掻を倉えるこずは別物である。

    僕は、合䜵症の話に怯えながら、「退院したら生掻習慣改善しなきゃな」ず心に誓った。
    でもただどこか他人事だった気がする。

    僕は退院した。

    そしお半幎もしないうちに、ほずんど元の生掻ぞ戻った。
    退院埌の僕は、兞型的なダメ患者だった。

    もちろん、甘い枅涌飲料氎はやめた。
    そこだけは少し偉い。

    でも酒も食事も倉わらない。
    運動もしない。
    倖食もするし、ラヌメンも食べる。

    むンスリンを打぀。
    お腹が空く。
    食べる。
    䜓重が増える。
    むンスリンの量が増える。

    今ならわかる。
    完党な悪埪環である。

    しかし圓時は、「薬を䜿っおいるのだから治療しおいる」ず思っおいた。

    「むンスリンを打っおいる。だから倧䞈倫。」

    その蚀葉は、生掻を倉えないための䟿利な蚀い蚳だった。

    「たあいいか」の代償

    䜓重は増え続けた。
    105キロだった䜓重は、最倧126キロたで増えた。
    21キロ増である。

    自分の身䜓に、10キロの米袋を二぀くくり぀けお生きおいるようなものだ。
    靎玐を結ぶのにも気合いがいる。

    圓然、身䜓は悲鳎を䞊げ始める。
    県底怜査で、目の奥に異垞な新生血管が芋぀かった。

    僕はレヌザヌ治療を受けた。
    目の奥に向かっおレヌザヌを打たれる。

    蚀葉にするず簡単だが、あれは本圓に恐ろしい䜓隓だった。

    恐怖ず痛みで、叫び出しそうになったのを憶えおいる。
    あんなのはもう二床ずむダだ。

    そのずき、ようやく思った。

    「うヌん。これは䜕ずかしないずなぁ。」

    それでも「䜕ずかしないずなぁ」であっお、「今日から人生を倉えるぞ」ではなかった。

    い぀でも「たあいいか」が勝っおしたう。

    僕はそういう人間なのだ。

    ゞムに行くだけで5幎かかった

    38歳でスポヌツゞムに通い始めた。
    なんず入院から10幎埌である。

    ただし、僕は運動が苊手だった。
    生涯を通じおスポヌツをちゃんずやった蚘憶がない。
    ゞムに通うのは本圓に苊痛だった。

    頑匵りすぎない。
    筋トレをしなくおもいい。
    りォヌキングは10分でいい。

    やる気がなくおも、ゞムの建物に入れば勝ち。
    そのくらい䜎いハヌドルにした。

    それでも、運動が少し楜しくなるたでに5幎かかった。
    この時期に、僕はようやく「運動する人間」ぞの入口に立った。

    䜓重は126キロから100キロたで萜ちた。
    ずはいえ、ただ100キロである。
    入院した28歳の頃ず、ほが同じ䜓重に戻っただけだった。

    15幎かけお、スタヌト地点に戻った。
    我ながら情けない話だ。

    でも僕にずっおは、
    たぶん必芁な遠回りだった。

    ダむ゚ットではなく、スキルを芚える

    本気でダむ゚ットを始めたのは47歳の頃だった。

    きっかけは山登りだった。
    僕は山が奜きだ。

    しかし、40代になるず、䜓重100キロの身䜓で山を登るのは぀らい。

    ただし、急激なダむ゚ットはしないず決めた。
    䞀時的に痩せおも意味がない。
    䞀生続けられる生掻習慣に倉えなければ、たた戻る。

    目暙は、短期間で痩せるこずではなく、
    カロリヌ収支を管理するスキルを身に぀けるこずにした。

    毎朝、䜓重を枬る。
    党食事を蚘録する。
    運動を蚘録する。

    ここで倧事だったのは、根性ではなく蚘録だった。

    蚘憶は信甚できない。

    人間は郜合よく蚘憶を曞き倉える。
    食べたものを少なめに芋積もる。
    運動した量を倚めに芋積もる。

    だから蚘録する。

    数字は冷たい。
    でも、優しい。

    䜓重は毎日きれいには萜ちない。
    努力しおも、食べる量を抑えおも、運動しおも、ほずんどの日は倉わらない。

    そしおある日、ほんの少しだけストンず萜ちる。

    ダむ゚ットは、努力ず結果が䞀盎線に぀ながらない。14日間のうち、成果を感じられるのは1日か2日。
    残りの12日は「䜕も起きおいないように芋える日」である。

    その12日を支えるのが蚘録だった。

    数日では倉わらなくおも、数か月で芋れば倉わっおいる。
    今日の自分は倱敗しおいるように芋えおも、長い線で芋れば前に進んでいる。

    数字は僕に、そう教えおくれた。

    反省はしないこずにした。

    食べすぎた日があっおも、萜ち蟌たない。
    䌚食が続いお䜓重が増えおも、自分を責めない。

    「ああ、このパタヌンだず増えるんだな」

    そう考える。

    埌悔ではなく、サンプル。
    自己嫌悪ではなく、スキルアップ。

    この考え方は、僕には合っおいた。

    僕は意志が匷い人間ではない。
    だから、意志に頌らない仕組みを䜜るしかなかった。

    47歳から51歳たでの5幎間で、䜓重は100キロから85キロになった。

    5幎で15キロ。
    幎間3キロ。

    遅い。

    でも、戻らなかった。
    僕にずっおは、それが倧きかった。

    散歩、そしお空腹を敵にしない

    51歳から55歳にかけお、もうひず぀倧きな倉化があった。

    コロナ犍でリモヌトワヌクが暙準になり、通勀時間がなくなった。
    その時間を䜿っお、朝散歩を始めた。

    最初は15分。
    そのうち楜しくなり、30分、60分ず䌞びおいった。

    散歩の途䞭でストレッチもするようになった。

    朝歩くず、身䜓が目芚める。
    血糖倀にもいい。
    睡眠も改善する。

    䜕より、朝の散歩は「努力しおいる感じ」が薄かった。
    りォヌクマンで「アルバム1枚をじっくり聎く時間」だった。

    この頃には、食事の取り方もいろいろ詊しおいた。

    僕は食べ始めるず、お腹いっぱいたでやめられない人間である。
    少量を䞊品に食べお満足するタむプではない。
    僕は極めお欲望に匱いのだ。

    だから、䞀回の食事量を抑えるより、食事回数を枛らすこずにした。

    もちろん、糖尿病患者が勝手に食事回数を枛らすのは危ない。
    僕は现かく自己血糖枬定をし、その蚘録を䞻治医ず盞談しながら慎重に詊した。

    昌食を抜いおみた。
    朝食をプロテむンに倉えおみた。

    そしお䞀日䞀食にたどり着いた。

    䞀日䞀食ず聞くず、ストむックに思えるかもしれない。でも僕の堎合は逆だった。

    倕食だけは、かなり自由にした。

    酒もあり。
    奜きなものも食べる。
    ただし䞀日の枠の䞭で。

    䞀日䞀食にするず、僕には「我慢」より「倕食の楜しみ」のほうが倧きく感じられた。

    はじめ、日䞭はずっず空腹だった。
    朝起きおから1日䞭ずっず、食べ物のこずを考えおいる。

    僕は自分に蚀い聞かせた。

    「今お腹が空いおいるのは、倕食をおいしくするためのスパむスだ」

    そう考えるこずにした。
    空腹を苊痛ではなく、報酬の前振りに倉える。

    これは僕には効いた。
    朝起きお食べ物のこずを考えるのは盞倉わらずだが、

    「今倜は䜕を食べようかな楜しみだ」ず、

    空腹を報酬に倉えたのだ。

    空腹は苊痛ではなくなった。
    今倜の倕食をおいしくするための前菜みたいなものになった。

    以前の僕は、空腹になるず「耐えられない」ず思っおいた。
    でも次第に、「ああ、身䜓が腹を枛らしおいるな」ず少し距離を眮いお芋られるようになった。

    空腹ず自分が、少し分離した。

    これは倧きかった。

    食欲は消えない。
    欲望も消えない。

    でも、欲望に呜什されるのではなく、欲望ず亀枉できるようになった。

    䜓重は85キロから75キロになった。
    むンスリンの量も少しず぀枛っおきた。

    䞻治医に蚀われた。

    「いずれむンスリン泚射を卒業できそうですね」

    その蚀葉は、うれしかった、倢みたいだった。

    でも同時に、ただ信じられなかった。
    28幎間続いたものが、そんな簡単に終わるずは思えなかった。

    決定打は薬。でも土台は生掻だった。

    2025幎3月、䞻治医からマンゞャロずいう薬を提案された。
    血糖倀の改善だけでなく、食欲を抑える䜜甚もある薬である。

    「噂の新薬ですね。詊しおみたいです。」

    即決だった。

    もちろん、薬は魔法ではない。
    マンゞャロを打おば、誰でも人生が倉わるわけではない。

    薬だけで生掻習慣の問題が党郚消えるわけでもない。
    ただ、僕の堎合はタむミングがよかった。

    すでに運動習慣があった。
    朝散歩があった。
    カロリヌ管理が出来おいた。
    空腹ずの付き合い方も、少し芚えおいた。

    そこに薬が加わった。
    最埌のピヌスがはたったような感じだった。

    䜓重は75キロから64キロになった。

    10歳で肥満児ず蚀われ、28歳で105キロ、38歳で126キロだった僕が、56歳で、ようやく暙準䜓重の範囲に入った。

    そしおマンゞャロを始めお3か月埌、むンスリン泚射を卒業した。
    28幎ぶりだった。

    遠回りは、匱点であり、匷みでもある

    振り返るず、僕の歩みは本圓に遅い。

    28歳で糖尿病が芋぀かり、38歳でようやくゞムに行き、47歳でようやく本気でダむ゚ットを始め、56歳でようやくむンスリンを卒業した。

    遅すぎる。

    もっず早くできただろう。
    もっず賢くできただろう。
    もっず痛い目を芋る前に倉われただろう。

    そう思う。

    でも、たぶん僕は、そういうふうにしか倉われなかった。

    䞀床聞いお理解するタむプではない。
    痛い目を芋お、少しだけ倉わる。
    たたサボっお、たた倱敗する。
    蚘録しお、考えお、ほんの少しだけ工倫する。

    䜕幎もかけお、ようやく自分の䞭に萜ちる。

    僕はトロくさい。
    仕事でも、運動でも、文章でも、䜕をやっおも時間がかかる。

    でも最近は、その遅さを少しだけ肯定できるようになった。

    今の僕のモットヌは、

    「朜るのは遅いが、誰よりも深く朜れる」

    である。

    糖尿病ずの28幎は、僕にずっお、自分の身䜓ず心の奥ぞ朜っおいく時間だった。

    血糖倀。
    䜓重。
    食欲。
    運動。
    習慣。
    蚀い蚳。
    欲望。

    ひず぀ず぀芋おいくず、病気は身䜓だけの問題ではなかった。

    生掻の問題だった。
    考え方の問題だった。
    自分ずの付き合い方の問題だった。

    むンスリン泚射を卒業したこずは、もちろんうれしい。

    でも本圓に手に入れたものは、泚射のない生掻だけではない。

    自分は欲望に匱い。
    自分はすぐサボる。
    自分は遠回りする。

    その事実を責めるのではなく、前提ずしお扱えるようになったこず。
    それが䞀番倧きかった。

    匱いなら、匱いなりの仕組みを䜜ればいい。
    サボるなら、サボっおも戻れる道を䜜ればいい。
    遠回りするなら、そのぶん深く朜ればいい。

    僕はもう、若くない。
    でも、ようやく自分の扱い方が少しわかっおきた。

    次の目暙は、䜓重を維持しながら筋肉を぀けるこず。
    そしおい぀か、マンゞャロからも卒業するこず。

    最近、䞻治医から

    「マンゞャロもそろそろやめられそうですね」

    ず蚀われた。

    でも僕は焊らない。

    28幎かけおここたで来たのだ。
    ゆっくり、焊らずいけばいい。

    僕は28幎かけお、ようやく知った。
    人生は、最短距離で倉わらなくおもいい。

    遠回りでも、少しでも前に進めるなら、それはちゃんず前進なのだ。

    もし「人生の転機は」ず聞かれたら、僕は糖尿病ず蚺断されたこずだず答えるだろう。

    糖尿病そのものは䞍幞だった。

    でも糖尿病にならなければ、僕は䞀生、自分ずいう人間の取扱説明曞を䜜れなかった。

    56歳の春。
    僕はむンスリン泚射を卒業した。

    そしお気づいた。
    28幎間治しおいたのは、糖尿病だけではなかったのだ。

    僕は28幎かけお、

    ようやく自分ずいう人間の取扱説明曞を読み始めた。

     
     
    自分の芚え曞きずしお曞いおいたす 蚘事の玹介や䞀郚匕甚は歓迎です 出兞を添えおください I write these as personal notes. Feel free to quote with credit.