
『カワイイ男といい女』
銀座の路地を少し入ったところに、
小さなバーがある。
そこでは毎晩、
誰かの人生が一杯に注がれている。
嬉しかった日も、
うまくいかなかった日も、
誰にも言えなかった想いも。
人は皆、
少しだけ何かを忘れに来る。
そしてまた、
自分に戻るために飲む夜がある。
【カワイイ男(50歳男性)】
「マスター、いつものウイスキーソーダ割。」
隣で、彼女の声が重なる。
「私はテキーラサンライズ。」
俺はこの店に通う客のひとりだ。
以前は一人だったが、
最近は彼女と来ることが多い。
彼女もこの店を気に入り、
旅行に行くたびにマスターへ
土産を渡している。
そういう律儀なところが、
俺は好きだ。
若い頃の俺は、
酒、女、車に明け暮れていた。
派手に遊び、派手に使った。
けれどどこかで思っていた。
――長くは続かない。
そんな俺は運よく投資が当たり、
今は働かなくても生活することが出来ている。
それでも週の半分は、
地元の後輩の仕事を手伝っている。
金のためじゃない。
人と関わっていたいからだ。
そんな生活の中で、
沖縄に通うようになった。
彼女と出会ったのも沖縄だった。
離婚して移り住んだらしい。
この歳になっても子供っぽい俺を、
笑って受け止めてくれる。
天真爛漫で、よく笑ってくれる”いい女”。
落ち込んでいても、
彼女といると前を向ける。
俺は結婚したことがない。
でも今は、
それでよかったと思っている。
「マスター、
マスターは大切な人はいるかい?」
マスターはグラスを磨きながら答えた。
「家族です。
両親や甥や姪が、
元気でいてくれたら嬉しいです。」
彼女が笑う。
「恋人はいないの?」
「今はいません。ご縁がなくて。」
――ご縁、か。
俺たちだって、
計画して出会ったわけじゃない。
ただ出会った。
それだけだ。
「マスターにも、いいご縁があるといいな。」
グラスを傾けながら思う。
人生の後半戦に、
派手さはいらない。
隣で笑う人がいること。
それだけで、酒はうまい。
【いい女(52歳女性)】
「マスター、いつものウイスキーソーダ割。」
彼の低い声に重ねるように、私は言う。
「私はテキーラサンライズ。」
最初はただの付き添いだった。
でも今では、
この店は彼との待ち合わせ場所になっている。
落ち着いた空気。
距離をわきまえた優しさのあるマスター。
居心地がいい。
私は昔、旅行会社で働いていた。
学生の頃から一人旅が好きで、
知らない街を歩くのが好きだった。
景色も、人も、空気も、
その場所でしか出会えないものばかりだった。
その時会社の上司と結婚した。
そして離婚した。
理由はありきたりなもの。
浮気だった。
一度じゃない。
何度も。
私は慰謝料を受け取り、
大好きだった沖縄へ移り住んだ。
そこで彼に出会った。
東京に住んでいるのに、
なぜかよく日焼けしている人。
最初は、
それが少しおかしくて笑ってしまった。
彼が沖縄に来るたびに会うようになり、
気づけば一緒にいるのが
当たり前になっていた。
いい歳をして無邪気で、真面目。
人を笑わせることができる”カワイイ男”。
「マスター、
マスターは大切な人はいるかい?」
彼が聞く。
「家族です」とマスター。
少し照れたように笑う。
「恋人はいないの?」
「いません。ご縁がなくて。」
私はグラスを軽く揺らす。
「出会いなんて、分からないものよ。」
「もしかしたら、
もう出会っているかもしれないしね。」
ご縁は、選ぶものじゃない。
落ちてくるものだ。
彼の横顔を見る。
結婚という形じゃなくていい。
約束がなくてもいい。
ただ――
最後まで、隣で笑っていられたらいい。
「マスターにも、
いいご縁がありますように。」
「また来るわね。」
そう言って、
私はグラスを置いた。