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「代読屋ははざまを繙く」第六話

    紫藤市

    或る日記

    大正八年七月六日
     岡山の茅子の療養所より電話あり。茅子が興奮して手が付けられない状態とのこと。三枝子が療養所に向かう。

    大正八年七月七日
     療養所に到着した三枝子より電話。堤家より療養所の茅子宛てに手紙が届いており、茅子はその手紙を読んで始終取り乱しているとのこと。
     堤家に抗議の電話をする。

    大正八年七月八日
     三枝子は堤家の茅子に対する仕打ちに激昂。本日はこちらの方が手に付けられぬ状態。桂太郎と董子を岡山へ向かわせる。
     堤家から正式に茅子離縁の話。妻と相談して返答する旨を伝える。
     三枝子には明日電話で伝えることにする。
     柊司より、面倒なことを後回しにするのは私の悪い癖だと窘められる。ではお前が電話をしろと言ったところ断られた。

    大正八年七月九日
     桂太郎と董子は療養所に無事到着したとのこと。
     茅子は酷い心神耗弱と三枝子談。気力が衰え体力も衰えている模様。
     離縁の話はこちらで進めておく旨を伝える。三枝子激昂。電話の向こうで桂太郎が三枝子を宥める声が聞こえる。申し訳ない。
     転院について相談。東京の療養所で空きを探す。

    大正八年七月十日
     茅子はひとまず落ち着いた模様。董子の説得により、堤とのことはすべて忘れるつもりで縁を切ることを了承。
     三枝子と桂太郎は堤家に茅子の荷物を引き取りに行くとのこと。
     三枝子から、堤の家から届いた物はすべて処分するようにと厳命が下ったため、柊司に伝える。
     離縁の手続きを進める。

    大正八年七月十一日
     療養所に堤隆太郎が見舞いにきたので三枝子が廊下で奴を見つけ塩を撒いて追い返したとのこと。まさしく修羅場だったと電話越しの桂太郎の声が震えていた。怒り狂う三枝子は我が母よりも怖ろしきもの也。堤もさぞかし肝が冷える思いをしたことだろう。自業自得だ。しかし、三枝子はどうして塩を持っていたのかと疑問に思っていたところ、こんなこともあろうかと三枝子は塩を常に懐に忍ばせていたのだと桂太郎談。機会を虎視眈々と狙っていたようだ。物恐ろしい。
     小石川の療養所への転院の手続きが整ったことのみを伝える。

    大正八年七月十二日
     茅子の容態急変。岡山へ向かう。

    【次話に続く…】


     
     
     
    小説(ライト文芸、ミステリー、ファンタジー、歴史もの)は書くのも読むのも好き。

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