僕にもおんなじ香水を #1邂逅
僕は三上慶だ。しがないサラリーマン。会社では当たり障りのない、親しみやすいキャラでなんとかやり過ごしている。
物心がついた頃から、好きになる相手はいつも男性だ。中学から高校生の頃は、女性を好きになろうと努力した時もあったが、どうしても恋までには至らない。友人としての好きは男女問わずにできるのに、なぜか恋になると女性にはなかなか難しかった。どれだけ美しくても、かわいいなと感じてもできなかった。その頃は僕が僕であることをひどく憎んでしまった。女性からの好意に応えられることができず、ただ一方通行の大きな矢印だけが向けられる苦しみも計り知れなかった。
だから今は誰にでも当たり障りのない接し方ができるのかもしれない。そんな僕の唯一のストレス発散は発展場だ。これまで生きてきた27年間で出した正解なのだ。
発展場は、本名も身分も一切明かさずに遊びたい人が集う場所。その一晩限りの関係ほど気が軽いものはない。連絡先の交換はできればしたくない、しかし遊びたいといったわがままに応えてくれる場所がある。決して大声で話せるような場所ではないのだ。特に匿名性が高く、僕の希望に適した場所を探しては毎週行っている。僕のような一般労働者のストレスのはけ口として重宝してもらっている。
僕は、こういった文化の存在は今こうして生きていられる糧としてありがたく思っている。だが、会社の食堂や飲み会では話せるものではないと思うと肩身の狭い思いもするが、得られる恩恵に比べれば代償は小さい。
この頃、イケている人となかなか巡り会えなくなってきている。だんだん、オッサン、結構年齢層が高い場所ばかりチョイスしてしまっている。選球眼というか選場眼というものが衰えてきたのではないかと軽く不安になる。年齢層が高いこの場所にこれ以上いても何も得るものがない。そろそろ出ようと立ち上がる。
その瞬間、入り口の方から黒髪の美形の男性が歩いてきた。周りにいる男性の視線を掻っ攫う。もちろん、僕も彼に目を奪われた。ただただ眺めることしかできなかった。
「若い人はお前しかいないのか。…まあいい、どうだ?」
とあの美形の黒髪長身男性が声掛けられた。僕のことは一番歳が近いであろうという理由だけで声掛けられたのだろう。これくらいでときめかないぞと強く心を決めて、僕は頷いた。
ホテルまでの道中は一言も交わさずにただ歩く。居ても立ってもいられなくなった僕は、どうやら無意識にポケットから煙草箱とライターを取り出してしまう。そして、タバコを口に咥えて、火をつける。
吸って、吐く、また吐いては、吸っては吐く。流れる紫煙にぶつかる彼の様子を横目で気付かれないように見つめた。彼は煙を気にする様子はなさそうだった。
歩く動作は一度も止めることはなかった。向かうホテルは彼も僕も同じところを目指しているように、曲がり角に曲がるタイミングもピッタリと息が合った。やはりここだよねと、某有名なビジネスホテルの看板を見上げる。カウンターのお姉さんが言う。
「チェックインとアウトはこちらの画面で操作してください。ご不明点がございましたらお声がけください。」
なんとも無機質で、僕のような人種にはありがたい恩恵。慣れた操作でささっとチェックインする彼を思わず見つめてしまう。スマートだなぁと感じた同時に、彼はかなり慣れているのではないかと脳裏に浮かんだ。
「終わったよ。行くよ」
「あ、うん…」
そこからは緊張してあまり覚えていない。毎週毎週遊んでいる僕が緊張するなんて、初めてだった。声掛けられた時の強い決心はもうどこかにいってしまったようだ。どうせワンナイトだ。それなのに、どうしてこんなに舞い上がって、完全に惚れてしまっているのではないか!
先にシャワーしていいよと促され、流されるがままに浴びにいく。様々な雑念が絡みついてきている。解けないコードの絡まりのように。水で雑念を洗い流そうとしてみたが、簡単には流れ落とせなかった。誰かの手で解いてもらわないといけないくらい絡まっている。
シャワーを終えた僕は、ベッドで彼が戻るまで待った。その時間がひどく長く感じた。普段なら横になってスマホをいじっている僕が、ベッドの端っこにちょこんと座っている。テレビも付けず、何もしなかった。しなかったのではなく、何もできなかったと言った方が正しいのかもしれない。時計を見てみればまだ5分も経っていない。
「まだ5分も経っていないのか。20分かなと思ったのに」
小さく呟く。この感情はなんなのか自問自答し、思考の海に沈んでいく。そこからどのくらいの時間が経ってのかも分からない。
後ろから声が聞こえ、驚く僕。僕はしばらく声が出なかった。
「大丈夫?終わったよ。」
「ああ」
僕の返事を合図に、触れるだけのキスから、そして2回目。回数を重ね、キスをした回数が数えきれなくなった頃、キスがだんだん深くなった頃、僕は恋に落ちる音がした。名も知れぬ彼のためなら命でも賭けられるくらい堕ちてしまった。僕もそのつもりなんて一切合切なかった。
こんな愚かなこと。
あんなバカなこと。
何よりも彼にハマってしまったこと。
そうなるなんて想定すらもしなかった。ただ欲求を満たすために着いていっただけなのに。どうしてこんなに堕ちてしまったんだろう。この自問自答は何回繰り返したことか、もう分からない。時は残酷だと酷く痛感した。
彼は汚れた体を洗い流し、服を着ようとした慶に声をかける。
「なんか食べたくないか?近くに油そばがあるんだけど、そこ食べたい…一緒に行く?」
遠慮がちに声かけられ、こう誘われて舞い上がらない人はいないだろう。堕ちた側の人間の気持ちくらい察してくれよ。食べた油そばには何度か訪れたことはあるが、今日初めて味は全く分からなかった。そこでも一言も言葉を発することができず、言葉を重ねることもなく、彼と別れた。彼とはこれが初めての出会いだった。
それから発展場に何度か通い詰めるも、一緒に食べた油そばの店にも足を運んだが、彼は現れなかった。