
ミニマリズムと、アラインメントと
こんにちは/こんばんは。
シアジョイの戸澤です。
すっきりと、整った部屋で暮らしていたいな、と思います。
今の、実際の私の暮らし。その観点からすると、
半分は、うまく行っていて、半分は、道半ばという感じ。
部屋の中を見回してみます。
床の上。なんとか、モノが置かれていない状態です。
本棚。いろんな種類の本が無造作に押し込められています。書類も刺さっていてはみ出しています。
この本棚は、もともと私の本が並んでいたのですが、ミニマルな暮らしに憧れて、電子書籍に置き換えていきました。 それでできた空白の段を、子どもたちの本が埋めていきました。
同じようなことが、クローゼットや部屋割りでも起きています。 自分の持ち物を手放したけれど、囲まれているモノの量はあまり変わらず、むしろ子どもたちの成長に伴って、モノが増えつつある気もします。
自分のモノの「いる・いらない」は一瞬で判断がつくけれど、家族の持ち物については、勝手に触れるわけにいかず、
「これ、もういらないでしょ?」と聞いても、
「あ、それまだいる」というお決まりの返事が多いです。
子どもたちには自主的に片付けを身につけてほしい。でも、今すぐ部屋を、スッキリさせたい。という、ジレンマをよく感じています。
掃除や片付けについても、そう。
終わったあとに、棚やクローゼットが整うと、とても気持ちがいいです。
けれど、「なんで自分ばっかりやってるんだ」という不満のモードで手を動かしていても、惨めな気分から抜け出せません。
形だけ整えても、心が置き去りなら逆効果。
こんなことが、永年、続いています。
きっと、私の今回の人生の宿題なんだろう、と感じています。
ところが、もし私がずっと一人で暮らしていて、極限までミニマルな暮らしをしていたら、と考えると、
今よりずっと彩りのない人生になっていたかもしれません。 それは本当に、「アラインメントにつながるような生き方」なんだろうか、と自分自身に問いかけたりします。

アラインメントとは、「自分の心の根っこの部分」と自分自身とがピッタリと合ったような感覚、呼吸が整っているような、穏やかで、それでいてワクワクするような、「生きている瞬間」のことです。
私にとっては、極端なミニマリズムを追求してしまうと、かえってアラインメントから外れてしまうように思います。この人生で、 私は、自分とは全く部屋の使い方の違う人たちと家族になれた。だからこそ、一人ぼっちの人生では体験できなかった刺激や彩りを味わえているんですよね。

散らかり放題の部屋を見てもアラインメントから外れてしまうし、逆に、何もない空っぽの部屋に一人でいても、本当の意味でのアラインメントには辿り着けなそう。
大切なのは、「部屋が整うから、心が整う」のではないということ。 「まず私がアラインする(心を整える)からこそ、目の前のお掃除も軽やかにできるし、家族が持ち込んだ賑やかなモノたちさえも、愛おしい彩りとして優しい気持ちで愛でることができる」。
順番は、いつだって内側が先、外側が後。
ミニマリズムも、お掃除も、すべては私が心地よくアラインして生きるための、愛らしい手段に過ぎないのです。