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Photo byエドゥアール・マネ / メトロポリタン美術館

アイデンティティについて。

    藤子Fノート

    自分とは何者なのか。

    思春期に突如芽生えるこの問いは、その後、長きに渡って己を苦しめる。

    無論、時として光明が開け、気持ちも明るくなり、己を鼓舞するものとなることもある。

    が、何かの拍子で再び同じ問いが目の前に降りてきて、悩みが再び暗雲となって頭の中に立ち込める。


    僕はどういう人間なのか。今後どういう人間でありたいのか。

    自問自答は、自分探しを誘引する。

    自分探しは、正答のない受験勉強をやらされているようなものだ。

    答えが延々と見つからないから、その分考える苦しみが長く続くことになる。


    そうして、自分とは何かという答えを掴んだ者だけが、大人へのステップを踏める。

    自己分析を終えたものだけが、どこかの会社に入り、生活できるお給料を貰えることになる。

    それがわかっているからこそ、悩める人たちの苦しみは大きい。

    そんな風にして、社会に出る直前の迷える人々は、次第に着実に追い詰められていく。


    僕は迷いに迷いながらも、ある時から、目の前のことを忙しくして、深く突き詰めない生き方を選んだ。

    社会の末端で、何とか人の仕事に噛り付いていくと、いつしか自分の手にも職が身に付いていく。

    あれ、僕はどんなことで悩んでいたんだっけ?

    いつしか、自分探しも、自分とは何かという問いも発しなくなっていく。

    何となく社会に出ることだって、実際のところ可能なのだ。


    時は流れて、織田信長の年齢を越えたわが身は、またまた自分探しの旅に出る。

    いや、元々思春期に始まった旅は終わってはいなかったのだ。

    旅が続いていることを、再び自覚したのである。


    自分のアイデンティティについて、思いを巡らす。

    さすがに長い人生を歩んできたので、実はそれについて、僕はとっくに知っている。

    自分がどういう人間であるべきなのか、もう迷う余地がないほどに理解している。

    だから、僕は正々堂々と、我が道を行かねばならない。

    アイデンティティを踏み越えて、もう一歩先へと。


    幸いにして、僕には信頼できる人たちがいて、心の拠り所を与えてもらっている。

    人生の歩みは、まだまだこれからなのだ。




     
     
     
    尊敬する藤子・F・不二雄先生の名作を、多様な切り口でレビューしてます 野望は世界初、F作品全てを記事化すること 気持ちは毎日投稿中 モットーは「一つの記事に一つの発見を」 本業はエンタメコンテンツを世に届ける仕事(28年目) X(twitter)FF23181933

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