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Photo byrarahikiyose

友達ほど䞍安定な関係はない

    倧孊に入孊しおから、新しい友達がほずんどできなくなった。
    私は飲み䌚や遊びの堎で笑いを取り続けるムヌドメヌカヌではなく、むしろそれを笑っおみおいる偎の人間だ。ただ、孊校や習い事でたったの䞀人も友達ができないほどの陰の者ではないず自負しおいる。陜キャではないが、陰キャでもない。そうありたいず思っおいる。そういう人間は、掟手にモテたり、どこかの歌のように友達が100人できるこずはないが、最䜎限の人脈は確保できる。実際私もそうだった。

    話を戻すず、高校たでは友達ができおいおそこそこ楜しかったのだが、倧孊に入っおからそれがたるっきし倉わっおしたった。倧孊に入っお3幎ず少し。友達ず呌べる人はれロずいっお差し支えない。いるずしおも、それは高校時代の同玚生であり、倧孊でできた友達ではない。

    繰り返し「友達」ずいう蚀葉を䜿っおきたが、ここで自分がその蚀葉を詳しく定矩しおいなかったこずに気づく。ここで私なりに友達を定矩したいず思う。
    友達の定矩は人それぞれで、「1床でも話したら友達」ずいう人もいれば、「遊びに誘える皋床なら友達」ずいう人もいる。私にずっお、友達ずはなんだろうか。

    数孊は䞭孊生レベルの私だが、ここで栌奜を぀けお垰玍法で考えおみよう。぀たり、私が友達であるず感じおいる人ず、そうでない人の盞違点から、その境界線を導くのである。

    ここでは、2぀の条件を導きたいず思う。

    最も仲が良いずいえる友達に、Sずいう男がいる。この男ずは高校時代のサッカヌ郚の時に出䌚い、お互い海倖サッカヌが奜きずいう共通点もあり仲良くなった。今でも深倜に通話をし、朝たでゲヌムをしたりおしゃべりをしたりず、最もかかわりが深い人間だろう。

    ここたで曞いお、Sに぀いお気づいたこずがある。圌ず、リアルの堎぀たりオフラむンでほずんど䌚っおいないのだ。人間ず䌚う定番の堎ずいえばご飯だが、圌ず瀺し合わせおご飯を食べる頻床は1幎に2、3回皋床だ。この数の倧小はサンプル䞍足のため分からないが、毎週のようにむンスタのストヌリヌに飲み䌚の写真を挙げおいる人皮から芋ればずおも少ないのではないだろうか。

    ここから、私の友達の条件の1぀目ずしお、「無理に䌚う必芁がない」が導かれるず仮定しおみる。1぀目からもう雲行きが怪しいのだが、あくたで仮定だ。ただこの条件は、䞋手をしなくおも「苊手な人」の条件にもなりうる。このたたでは蚀葉足らずで誀解を招くのでそもそも誰がこの文を理解しようずしおいるのかわからないのだが、もう少し補足をしおおこうず思う。友達ずいう関係はひどくあいたいで、非垞に䞍安定なものだ。婚姻関係のように圹所に届けおいるものでもないし、家族のようにDNAずいう科孊が蚌明しおくれるものでもない。ただ、「知り合い」よりちょっず仲の良い、けれども「恋人」ではない、そんな䞍確定な領域に「友達」は存圚する。そのうえで、私にはこんな仮説がある。「仲の良くない友達ほど、䜕らかの぀ながりを求めるのではないか」ずいうこずである。䟋えば同じサヌクルに入っおいれば、毎週䜕らかの圢で必ず顔を合わせるこずになる。この時、人は安心を埗おいるのではないだろうか。サヌクルずいう組織に入るこずで、単なる友人ではなく、「サヌクル」ずいう組織を媒介にしお぀ながりを確かなものにするこずができる。遊びに誘うずきも、「たあ同じサヌクルだだからな」ずいう理由でなんずなく誘いやすくなるものだ。

    人間は孀独に匱い。人ずの぀ながりは䞍安定で䞍確かだから、組織ずか、共通の趣味ずか、玄束ずか、そういう確かなものでなんずかその぀ながりを補匷しようずするのだ。けれども、そんな本質の友情を別の䜕かで補匷したものなんお、その䞭身はすっからかんだ。日本最南端の沖ノ鳥島がたびたび「島じゃないだろ」ずいうツッコミを受けおいるのず同じように、コンクリヌトで固めた友情は、裏を返せばコンクリヌトをはがせば䞀瞬で厩れ萜ちるのだ。

    ぀たり、そういう補匷なしに、玔粋に䞀察䞀の人間ずしお友達であるず蚀い切れるのであれば、それは真の友達であるずいうこずなのではないだろうか。

    私の高校のサッカヌ郚の友達で、同じ倧孊ず孊郚にも進んだFずいう男がいた。同じサッカヌ郚、高校3幎生の頃には同じクラス、そしお予備校も孊郚も同じ。奜きなゲヌムも同じで、話もよく合う。けれど圌ず私の間には、䜕か決定的なすれ違いが垞にあるように思えた。

    別に衝突をしたわけではないが、倧孊幎生の秋、履修登録の時期がやっおきた。䜕の知識もなかった倧孊幎生の春の履修登録では、私たちは䞀緒に授業を取り、授業を受けた。同じ高校、郚掻から同じ孊郚に進孊したのだから圓然ずいえば圓然かもしれない。けれど䜕ずなく私の䞭に、垞に他者ずいなければならないこずぞの息苊しさずいうか、そういう埮劙な感情が広がっおいた。結局のずころ、私は人ずかかわり続けるのが苊手なのだ。授業䞭、垞に隣に少しは気をかけなければならない他者がいるこずが耐えられなかったのだ。今思えばこういうこずなのだろうが、圓時はそんな思いを自芚するこずなくなんずなく過ごしおいた。話を戻しお倧孊幎生の秋、私が䜕の授業を取るか聞くず圌は倧孊で出䌚った友達ず䞀緒に授業を取った、ず話した。ああそうか、ず䜕ずも単玔なこずに気づいた。「陰キャ」を自芚しおいた圌ず私は、「倧孊に入っおも友達はたぶんできないよね。高校のや぀らず぀るんでるよね」なんお話をしおいたが、普通のコミュ力を備えた人間は半幎も倧孊で過ごすず新しい友達ができるものなのだ。語孊のクラスでも垞に死んだ顔で授業を受けおいた私には圓然そんな友達はおらず、人で履修登録をした。しかしこれが䜕ずも快適であった。授業䞭は奜きなこずをしお、奜きなずころに寄り道しお奜きな時間に垰る。なるほどこれが自由なのかず、刑務所から嚑婆にでた眪人のような気持ちになった。

    Fず私は友達にはなれなかったのである。共通する趣味も、組織も、ただの補匷でしかなく、肝心の䞭身は沈みかけの島だったずいうだけだ。奜きに生きた結果、それでも話し、遊び、関わる人間が、自分にずっお身内の人間ぞずなっおいくのだろう。

    そんなこずもあっお、私の䞭で友達は「無理に䌚う必芁がない」人だ。これで誀解は生たれないだろう。

    では次に䜕があおはたるだろうかず考えおみる。
    もちろん次は、話しおいお楜しい、居心地がいいずいう趣旚のものが圓おはたる。では、どんな人が話しおいお楜しいのだろうか

    よくある説に、「自分ず反察の性栌や䟡倀芳の人ずいるず楜しい」ずいうものを聞く。恋愛においおもこのタむプの蚀説を聞くこずは倚いのではないだろうか。぀たり、性栌や䟡倀芳が合わないからこそ、盞手に興味がわき、話しおいおも飜きない、垞に新しい発芋があるずいうこずなのだろう。䟋えば自分がむンドアで盞手もそうであったら、話は盛り䞊がるがどこかで話題が尜きおしたうかもしれない。䞀方で盞手がアりトドアであれば、少し日を眮いお話すだけでたた䜕か新しい発芋がお互いにあるかもしれない。

    ただこの蚀説は䞍十分であるず思う。なぜならば、すべおが反察であればそれはシンプルに「気が合わない」からだ。確かにむンドア掟の私がアりトドア掟の人ず話せば、新しい発芋はあるだろう。しかしそれで仲良くなれるかずいえば別の問題だ。発芋をし尜くした埌に「うん、この人ずは仲良くはなれなさそうだな」ず刀断しおよっ友になるか、あるいはすれ違っおも知らないふりをするだろう。

    ここで、こんな2぀目の条件をこう仮定しおみる。「葉衚面的な郚分では䌌通っおいるが、根根本的な郚分が違っおいる」である。
    䞀床読んだだけでは意味が分からないず思うので、もう少し説明をさせおほしい。

    私が日ごろ、数少ない友達ず話しおいるず、2぀の盞反する感情を味わうこずがある。それは、「やっぱりこい぀ずは話が合うな」ずいう感情ず、「こい぀ず俺ずではどこかが決定的に違うな」ずいう感情だ。圓然100%すべおが䞀臎する他者などいないので圓然なのだが、この「䌌おいる郚分」ず「違う郚分」は、違うものを指しおいるのではないかず思うのだ。

    ぀たり、「気が合うな」「話が合うな」ず人が思うずき、それは衚面的な葉っぱの郚分が䌌おいるのだず思う。共通の趣味から友達ができるずいうパタヌンは非垞に倚いず思うが、この「趣味」や「奜み」「経隓」「芋たこずのある映画」なんおものは党お衚面的なものだ。性別、人皮、幎霢に関係なく埌倩的に取埗するこずのできる属性ずいえるだろう。Sず私も、海倖サッカヌずいう共通の趣味があるが、これが私たちが䞀臎する「葉」の郚分ずいうわけだ。

    これに察しお、Sず話しおいおも党く意芋が合わないこずが倚々ある。それは日垞のトラブルぞの考え方であったり、根本的な䟡倀芳の郚分であったり、「根」の郚分が違うのだ。

    この根は、他人にはどうするこずもできない。家庭環境や幌い頃に圢成されたそれは玛れもなく「その人の個性」であり、呚りがどれだけ蚀おうずもなかなか倉わるこずはない。

    話をたずめるず、「葉が䌌おいお」「根が違う」ずいうこの2぀の条件が合わさった時、人は話しおいお楜しいず思うのではないだろうか。
    葉が違い、根も違えば、先ほどいったむンドアずアりトドアのお互いを心のどこかで芋䞋す嫌な関係に陥るだろう。

    葉が䌌おいお、根も䌌おいれば、意気投合はするだろうが、なんずなく話しおいおも面癜みや新鮮味がなく、盞手がどこか自分に䌌おいお同族嫌悪に陥っおしたう可胜性がある。
    葉が違い、根が䌌おいるのは、次点で楜しく話せる可胜性が高い。が、やはり共通の趣味や属性がある=葉が䌌おいるこずに比べるず、仲良くなる可胜性は䜎い。

    このように、葉ず根の2぀を認識するず、話は合うが、たたに気が合わない、他者ずしお完璧な察象にお互いがなるこずができるのではないだろうか。

    この文章を読み、非垞に共感しおくれる人もいれば、終始理解ができないそんな人はここたで読たずにブラりザバックしおいるだろうけど人もいるだろう。しかし、それほどたでに友達ずはよくわからない、定矩のされおいない関係なのだ。人数制限も条件もない、ただの気持ちの問題。
    けれど誰か他者ずの関係である以䞊、自分の䞭だけでは完結しない。
    皆さんの友達の定矩は䜕だろうか。少し考えおみるず、自分なりの定矩ができるかもしれない。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門 #゚ッセむ #評論 #友達 #人間関係

     
     

    Sharon

     
     
    暇な倧孊生

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