
房総往還1 船橋宿→八幡宿
房総往還は内房と呼ばれる、東京湾に面した房総半島の西海岸を通る主要道。
参勤交代・外国船警備・内房と外房を結ぶ道の発着点・内房各地の湊を繋ぐ道、様々な用途で使われました。
今回は千葉県船橋市の船橋大神宮から館山市内まで約110kmを歩きます。
2026.08.12
1.スタート地点まで

2021年から本格的に街道を歩き始めて、毎年夏は長距離街道を歩いて来ました。
2021年 中山道
2022年 北国街道 三国街道
2023年 西国街道
2024年 北陸道
2025年 奥州街道 松前道
2026年の夏は長距離街道を歩く時間が作れなかったので、房総半島一周をする2つの街道を歩く事にしました。

出立前日の夕方に、逆走台風と呼ばれた台風15号が茨城県から上陸し、西に抜けて行きました。台風は通過した後にも注意が必要で歩くか悩みます。

そんな時、報道は駅前の様子・傘が飛ばされた人の姿・一番大変そうな場所にレポーターがヘルメットを被り立つなど、参考程度にしかなりません。

歩くかの判断は、JRの特急列車と運休常連路線(川沿い・山間部・海岸線を通る路線)以外の、主要幹線に計画運休があるかです。

今回歩き始める船橋駅まで利用する、京浜東北線と総武線は運行予定でしたので、雨雲レーダーを見ながら行ける所まで向かう事にします。

総武線に乗っている間、外はずっと豪雨が続きます。

風は吹いておらず、雨が小降りになったので歩き始めます。


2.船橋宿

房総往還の起点の船橋大神宮までは、成田街道を歩きます。この区間は成田街道と東金御成道で2回歩きました。


廣瀬直船堂の店先には土嚢が置かれています。






船橋の地名の由来。
日本武尊が東征の際に、海老川を渡り易くするために漁師が、船を並べた上に板を渡し船橋を作った事が由来との伝説があります。

左の道が成田街道、右の道が房総往還になります。成田街道を歩いた時の記録はこちら↓


船橋大神宮の正式名称は意富比神社(おおひじんじゃ)。境内には凛とした空気が漂っています。



3.谷津

少しの間、千葉県の動脈的な存在の、国道14号と京成本線と並走します。




習志野市に入ると旧家が目に入ってきて、不思議とほっとします。

この付近は野田佳彦元総理(第95代)のお膝元、毎朝06:30~08:30に付近の駅前でビラを配っています。


最近祭りのポスターを定線観測してますが、近年の盆踊りブームは影響しているのか、今年の夏は房総半島で考察してみます。



サッポロラガービールの木製短冊。
風に揺られて素敵です。





塩味の様です。
どのボタンを押したら良いか難しい自販機です。


松屋フードホールディングスの3店舗が一体化したフードコート型店舗です。道の駅やショッピングモールの様な食事のスタイルが、身近な道沿いで楽しめる、これから流行る、もう流行っているのかもしれません。
4.幕張本郷






一本松公園盆踊り大会。
千葉県のマスコットキャラクターのチーバくんが登場するそうです。


街道を歩き始めて約2時間、社寺仏閣以外で初めての遺構の案内看板です。
この付近の江戸時代の地名は馬加(まくはり)村で、変遷して現在の幕張になっている様です。



この付近は海岸林になっており、街道が埋立地ができる前の海岸線沿いを通っていた事が窺えます。




拝殿が無く、神社としては機能していない様子です。

幹線道路から外れ、往時の面影が残る道筋に入りました。


子守神社は幕張の総鎮守、安産・子育て・厄除けの神様として親しまれています。






ラジオ体操をやろう!!
夏休みらしい告知です。




5.検見川宿






この付近が検見川宿の中心部と思われます。
宿場町で史跡などの情報がない場合の、多角的な見分け方を紹介します。
宿場の出入口の目安
町の守護神としての役割も担う神社がある。
宿場の中心部
銀行や郵便局がある。
間口が広い旧商家がある。
道筋
クランク状に曲がった桝形がある。
町名
上町・中町・下町、上宿・中宿・下宿などの地名がある。


イオンスタイル検見川浜、お買い物バスの停留所案内が、電柱に貼られています。これは斬新かつ便利。
以前観光地開発の仕事で、観光客向けのシャトルバスを走らせた際に、バス停留所を設置する際の地権者交渉が大変だったので、電柱をバス停留所として活用する方法は画期的だと思います。




検見川宿の区割りは、現在も往時と変わらず、間口が狭く奥行きが長い、短冊型区割りが多く残っていました。


検見川宿は東関東自動車道によって寸断されており、その高速道路下に地蔵菩薩が佇んでいました。
6.稲毛










かつての海岸林の丘の上に建っており、海岸線があったと思われる国道14号沿いの海側に一の鳥居が建っています。
拝殿から一の鳥居を眺めた延長線上に、富士山が見えるものと思われます。




明治天皇が軍隊の訓練の様子をご覧になる際に立ち寄られたそうです。



稲毛パレス。
昭和風で無骨でクールなマンション、地域のランドマークになりそうです。








瓶ビールを頼むも、お昼はアルコール提供をしておらずお預けに。結果的に午後は快調に歩けました。
7.千葉神社

千葉都市モノレール。
レールの下に車両がぶら下がる懸垂型モノレールとして、世界最長の営業距離(15.2km)として、ギネス世界記録に認定されています。


モノレールが通過しても、鉄道の様な大きな音が出ていません。


左の建物が千葉JPFドーム。
2021年に千葉競輪場の跡地に建てられた屋内競輪場。イベントスペースとしても使える様です。










日本初の二層構造の拝殿。
上下の拝殿で参拝ができるそうです。


千葉常胤(ちば つねたね)。
房総を拠点に、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて活躍した武将。
石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、房総に逃れた際に大きな支えとなり、鎌倉幕府の誕生に尽力しました。








妙見大祭(みょうけんたいさい)。
8/16~22の7日間行われる千葉神社夏の例大祭で、今年がちょうど900回目の節目の年。祭りが7日間に及ぶのは、妙見様の姿の一つである北斗七星に因み、一つ一つの星に願いを掛けるためです。
歩いた翌日の8/13に千葉豪雨で千葉市内は甚大な被害を受けましたが、祭りは斎行されました。その背景には第二次世界大戦の空襲で社殿や御神輿等が燃失した中、終戦翌日の8/16に戦災復興の祈りも籠めた例祭を粛々と斎行した歴史があるからです。
素晴らしいなと思いました。



昼食後辺りから、豪雨が降ったり止んだりを繰り返します。降りがピークの時は雨宿りをしながら歩き、なんとか県庁前まで辿り着きました。
豪雨は一回で過ぎるのに、今回は台風一過とはいえ、変な天気だなぁと思いながら、千葉都市モノレールの県庁前駅で雨宿りをしていました。



8.寒川宿


君待橋(きみまちばし)。
橋の名の由来は諸説ありますが、源頼朝が平安末期に海を渡り千葉にやってきた際に、千葉常胤が一族を率いてここで迎えたという説が有名です。
という事は海岸線がこの付近まであったのですね。

またもや豪雨。
本日最大級の雨足の豪雨が突然降り始めます。行き場がなく閉業した居酒屋の50cm位の軒先で立ち尽くしてました、

上の画像がその瞬間の雨雲レーダー。
雨雲レーダーは、地球上を2分30秒で1周する気象衛星ひまわりから送られてくるデータを元に予測しているので、極めて精度が高いです。
そのデータを元に作成された5分刻みの棒グラフを見ると、10分で小降りになるのでじっと耐えます。




寒川神社。
相模一の宮の寒川神社とは関係が無いようです。
埋め立て前は目の前が浜でした。同社沖に船がさしかかると帆を半分下げる礼帆(れいはん)という儀礼があり、房総往還を通過する馬上の人は、神社前では下乗していました。

寒川神社の参拝中に本日5回目の豪雨に見舞われます。
本日の豪雨遭遇時刻は、11:35・12:07・13:47・14:03・14:29
と3時間で5回もありました。
これは異常値です。





9.蘇我野宿




蘇我比咩神社(そがみめじんじゃ)。
蘇我の地名の由来は、かつて日本武尊が東征の際に相模から総国に渡る際に暴風に見舞われました。その際にこの地の浜に打ち上げられて蘇生した日本武尊の妃の弟橘媛が、「我蘇り」と言ったのが由来とも言われています。






10.浜野宿













村田川渡船場跡。
かつては上の画像の公園跡は上総と下総の境で、かつては村田川が流れており、明治初期に架橋されるまでは渡船がありました。
国境の川が完全に埋められている珍しい例です。
11.八幡宿




あと少しで宿なのですが、赤提灯の誘惑に負けて入店します。




千葉県の内房は江戸前海苔の産地、海苔の専門店が目に入り始めます。


街道歩きの宿が街道沿いにあると満足し、更に部屋から街道が眺められると大満足です。
明日の天気予報も本日同様不安定なので、日の出とともに歩き始め早めに終わりにします。
全国の街道を歩いた旅の記録、時速4㎞の世界の「目次」はこちら↓