
日光千人同心街道4 新郷宿→天明宿〔完〕
日光道中の脇往還は数多くあり、例幣使街道・御成道・日光壬生道・日光東往還を歩いてきました。
おそらくこれが最後になると思われる、日光千人同心街道を、甲州道中八王子宿(東京都八王子市)から、日光例幣使街道天明宿(栃木県佐野市)まで、桜の咲く時期に夫婦で歩きます。
2025.04.20
1.スタート地点まで


本日は京浜東北線・山手線の大きな工事があり、午前中東京方面の列車は全て東十条止まり。
羽田空港にアクセスする路線の工事らしく、どこまで便利にすれば気が済むのだろうがと思う一方、それで飯を食べている人々がいる限り、開発は永遠に続くのでしょうね。
工事をする人が本当にいなくなった時に初めて開発を止めるのか、ロボットに作らせて開発が続くのか。
ロボットが作ったは良いが、肝心な利用する人がいなかったら、何だったのだろうとなる気がします。



熊谷には中山道の熊谷宿があります。
空襲の影響で街道遺構が殆ど残っていませんが、現代の人々が街道を蘇らせています。
熊谷宿では全国でも珍しい、建物の中を街道が通っている場所があります。

中山道が通る建物

八木橋百貨店 江戸口
その場所はご当地百貨店の八木橋。
一店舗しかありませんが、熊谷市内では圧倒的な存在感です。

八木橋百貨店内の中山道
館内の中山道の様子。
開店直後まで待ってから入りました。

八木橋百貨店 京口
このような形で残っている街道は、歩いたことがありません。空襲で跡形もなくなってしまった街道を、現代の人々が復活させた素晴らしい取り組みですね。
八木橋百貨店内の中山道を歩いた時の記録はこちら↓
八木橋百貨店の事を思い出していたら、今まで街道を歩いて来た中で見てきた、数々のご当地百貨店を思い出しましたので、北から順に紹介します。

宮城県仙台市 藤崎

埼玉県川越市 丸広

石川県金沢市 大和

三重県津市 松菱

岡山県岡山市 天満屋

鹿児島県鹿児島市 山形屋
一番印象的だったのが、鹿児島市の山形屋、目の前には路面電車が走り、周辺商店街のアーケードのデザインも建物と調和しており、ヨーロッパの街並みの様でした。
ご当地百貨店、いつまでも残っていて欲しいですね。
熊谷駅で秩父鉄道に乗り換え。
秩父鉄道に乗ると、懐かしくて個性的な駅や車両が楽しませてくれます。


上の画像の自販機、手前の商品から落下してくる仕組み。商品の豊富さもさることながら、手前と奥で商品が異なる棚があり、選べる様で選べないモヤモヤ感がたまりません。



新郷駅から街道まで少し歩きます。
2.新郷宿



新郷宿中心部に入りました。
宿には3つの機能、輸送・休泊・通信があります。
宿場には問屋場(といやば)という、現代でいうとターミナルと宅配便中継所と郵便局が一緒になった様な場所がありました。
昭和の時代は、国鉄の駅前に日本通運や中央郵便局があったのは、その名残りかもしれません。
現代は高速道路のインターチェンジ周辺が問屋場・宿泊・休憩の機能が移り、物流・ホテル・飲食店が集まっています。
往時は鉄道や自動車が無かったので、馬が重要な輸送インフラ、人々は馬をとても大切にしており、街道沿いに馬頭観音が多いのもその影響です。

新郷宿の次の宿は、利根川を渡った先の川俣宿。
輸送に関しては片継ぎ(かたつぎ)と呼ばれる、2つの宿でひとつの機能を担っていました。
具体的には、新郷宿では川俣宿方面の輸送を、川俣宿では新郷宿方面の輸送を受け持つ仕組みです。
話は少しズレますが、ヤマト運輸と日本郵便が、集荷はヤマト・配送は日本郵政、で連携をしています。





愛宕神社。
宿場町の目抜き通り突き当たり、桝形の角地に建っています。
街道を歩いているとテンションが高くなる風景のひとつで、神様が町を見護っている感が、力強く伝わってきます。




3.利根川



松の花、初めて見ました。
これが松ぼっくりになるそうです。

説明看板によると、江戸時代には100本あった松の木が、今から7年前の2018年に1本になったと、記されています。
上の画像の松だけが妙に貫禄があったので、その1本かも知れません。





スーパー堤防とは、斜面が緩やかな堤防で、決壊リスクや水が溢れた時の被害を低く抑えられる構造になっています。

スーパー堤防は、横から見るとわかりやすいのですが、かなり緩やかです。
利根川クラスの河川の場合、通常の堤防ですと、3段くらい登らないと堤防の上まで辿り着かないのですが、スーパー堤防は緩やかに土が盛られており、簡単に登れます。

利根川上流部の右岸堤防が決壊すると、氾濫が東京都まで達する恐れがあるため、この付近はスーパー堤防になっています。
ちなみに右岸とは、川の流れに向かって右側の岸をそう呼びます。




河口まで150kmもあるのに、さすが利根川、結構な川幅でした。
銚子街道を歩いた際に見た、利根川河口付近の川幅の広さは圧巻でした。

千葉県 銚子市

千葉県 銚子市

千葉県 銚子市
川幅は1km近くもありまるで海の様、流域面積が日本一の川である事が実感できました。
利根川の河口付近の銚子街道を歩いた時の記録はこちら↓
4.川俣宿





粟嶋神社拝殿の、柱・梁・彫刻・天井絵など、ひとつひとつが丁寧に造られていました。




家康の分霊が、川俣宿を通ったと記されています。
家康の遺言には、葬儀は静岡県の久能山、後に栃木県日光山に小さいお堂を建て分霊を祀れ、とありました。
1617年3月15日から4月4日まで、久能山から日光山まで家康の分霊が通った道を、御尊櫃御成道(ごそんひつおなりみち)と呼びます。
経路は東海道で平塚宿まで、そこから北上し川越を経由し忍宿で、日光千人街道に入り、日光に向かったそうです。
江戸を通過すると大変だったのか、川越を通る理由があったのか、真相が気になります。

川俣事件。
渡良瀬川の上流にある足尾銅山から流出された鉱毒により、中下流域の農作物や魚類は甚大な被害を受けました。
被害農民たちが、銅山の操業停止を求めるも応じない国に抗議しようと、1900年2月に2,500人が集い、東京に向かう途中でこの地で警官隊と衝突した事件が川俣事件。

日本公害史の原点と言われた、足尾鉱毒問題の中で最も大きな事件でした。






コーヒーを飲んだら、口の横から漏れてきます。私がボケてしまったのかと思って飲み口をよくみたら、穴の位置が逆でした。上の画像の左が不良品、こんな事もあるのですね。







5.茂林寺


農園では、人間が収穫しやすい高さに剪定されている梨の木が、珍しく自然な形で植えられてます。
これが本来のストレスなく育った梨の姿です。
昨年夏に北陸道を歩いた時も、伸び放題の梨の木見ました。

富山県 富山市
上の画像の梨の木は、放置されている感じで、ほぼほぼ落下していました。
普段食べている、剪定された梨との味の違いが気になります。

これより2つの寄り道をします。
ひとつめは、30年勤めた前職の旅行会社で、ターニングポイントでお世話になった3人の上司の1人である松井さんのご自宅が、街道の近くにあるので会いに行きます。
松井さんは、新入社員の時の総務系の責任者で、独身時代に家を探してもらったり、寅さんの様な人で、大人の振る舞いを背中で教えて頂きました。
入社し15年の月日が経った春には、松井さんは代表取締役社長になり、新規事業の部署の立ち上げをゼロから任され、数多くの失敗と成功を経験する事ができました。


松井さんの単身赴任先には、家族で2度会いに行く関係でしたので、本日は夫婦でお邪魔して昔話に花を咲かせました。

昔話に花が咲きすぎたので、延長戦は今月末に、先ほど歩いてきた川俣宿のおでん屋さんで一献傾ける約束をして、お暇する事に。
ふたつめの寄り道先は茂林寺(もりんじ)。
民話で有名な分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)の舞台となった寺に向かいます。






茂林寺に来るのは、小学生の頃に家族で来て以来、その頃は地面に置いてあった様な記憶でしたが、台座の上に置かれてますね。








茂林寺沼は、里沼として文化庁が認定した日本遺産の一部です。
日本遺産に選ばれるには、単体だけの魅力では選ばれません。ストーリーが必要で、茂林寺に関わってきた、人・文化・歴史が、選定の際に大きく影響したと思われます。

寄り道はここまで、川を遡り館林宿に向かいます。
6.館林宿













館林といえば正田醤油。
醤油メーカーのシェアトップ4は上から順に、キッコーマン(千葉県野田市)、ヤマサ醤油(千葉県銚子市)、正田醤油(群馬県館林市)、ヒゲタ醤油(千葉県銚子市)、この4社でシェア5割を超えてます。
街道沿いに無いのかと期待しておりましたが、鉄道の駅の近くに工場がありました。今も昔も物流の利便性はとても大切ですね。
全社共に利根川沿いにあるのは、舟運・気候・大量消費地の近さが影響したのだと思われます。




7.渡良瀬川











田中正造。
足尾鉱毒問題を解決するために、村に入って農民と共闘し、国会での演説や質問や明治天皇への直訴など、日本の環境保護運動の先駆者でした。


またもや田中正造の石碑。
私が通っていた小学校の近くには、日本一の広い渡良瀬遊水地がありました。
遊水池は足尾鉱毒問題と関係があり、小学校の頃、田中正造の名前を、授業で聞いた覚えがあります。
渡良瀬遊水地、子どもの頃遊びに行ったら迷子になり、日が暮れてきて本当に焦った事があります。どのくらい広いかというと、栃木・群馬・埼玉・茨城の4県にまたがり、面積は33km²(東京ドーム700個分)もあります。

椿田城跡。
城跡といっても今も人が住むお屋敷。
周りには堀らしき跡の水路が残っていました。


8.天明宿


佐野市やその周辺の飲食店でラーメンを頼むと、多くの店で縮れ太麺の佐野ラーメンが出てきます。






佐野市内には、街道の脇道にも魅力的な建物が数多く残っています。
普通に住んでいますので、中には入れませんが、それなりに楽しめます。

扇屋でお土産の柏餅を購入。





例幣使街道に合流しました。
この先はすでに歩いておりますので、今回はこれにて終了。このまま日光に行こうか迷いましたが、キリがないのでやめておきます。
例幣使街道、天明宿を歩いた時の記録はこちら↓
佐野駅に向かいます。


殿町通り。
大老井伊直弼が通った事で、殿町通りと呼ばれる様になったそうです。




両毛線で小山まだ出て、宇都宮線で帰ります。
今回は春の花々を楽しみながら歩こうと計画し、前半は桜を楽しみ後半は野の花々を楽しみながら歩く事が出来ました。
日光に向かう街道はこれで、日光道中・日光例幣使街道・日光御成道・日光壬生道・日光東往還・日光千人同心街道、六道を歩いた事になりました。
日光と名が付く道はもう無いのか、探せばまだ出てくるのか、どううなることやら。
次回は、水田に水が張り始めた関東平野の何処かの道を歩いてみたいです。