
大多喜街道2 大多喜宿→勝浦宿〔完〕
大多喜街道は房州中往還とも呼ばれ、房総半島の中央部の長柄(ながえ)町から外房の勝浦市まで、南北に貫く約50kmの街道。道中北側の大多喜宿までは大多喜藩が使用した道、その先南側の勝浦までは住民が利用した道になっている。
夷隅(いすみ)川沿いに曼珠沙華が咲く、美しい里山沿いの道を、2日間かけてゆっくりと歩いてきました。
2026.09.18
1.大多喜城





夷隅神社の境内では、江戸時代から朝市が続いています。六斎市と呼ばれる月に6回開催される市の流れで、0と5の付く日に行われ、地元の野菜や加工品などが販売されています。




小学校校舎が城と一体化したデザインになっています。

大多喜町役場中庁舎。
1959年に建設され、後に建物の価値が評価されて、2013年にユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞を受賞し、2015年には日本の国登録有形文化財に登録されています。

一瞬気付かないで通り過ぎてしまうくらいシンプルな造りですが、無駄な動線を省くなど工夫が施されている様です。



大多喜城を目指しますが、山城なので見えてはいますが結構歩きます。突然現れる夷隅川の姿、地形を活用して川も城を守る役割を担っていたことが、よくわかります。


徳川四天王のひとり、本多忠勝を初代城主とする近世大多喜城の本丸跡に城郭様式で建設した博物館の建物。

耐震工事に備えて館内には入れず、祭りのポスターには天守閣の眺めが見納めの様な表記がありました。



大多喜高校の校内に薬医門と大井戸があり、入って良いかわからず悩んでいたら、朝練中の高校生に大丈夫ですよと勧められ、校内に入りました。



城跡にある学校に通える生徒は、卒業するとその価値に気が付くのかも知れません。
寄り道 城跡の学校と街道
街道を歩いてきた中で、印象的だった城跡に校舎がある学校を2つ紹介します。
2023.04.29 古河市立古河第一小学校
日光道中 茨城県古河市
日光道中古河宿にある古河城跡にある古河第一小学校は私の母校。校歌の歌詞に城が入っていたことを、後になって気がつきました。


通っている頃は、こんなに綺麗に整備されていませんでした。

小学校の頃はこの様な看板も無く、児童たちも城跡で学んでいる感覚は無かったと思われます。
日光道中を歩いた日の記録はこちら↓
2026.02.18 早稲田佐賀中学校・高等学校
唐津街道 佐賀県唐津市
唐津街道の終点、唐津城に夕方辿り着き城の入り口かと思ったら、学校の正門で驚きました。

街中の石垣がある風景、羨ましいです。

地元の高校かと思ったら、東京の私立大学の附属校が誘致されていて、商魂のたくましさに二度驚きました。

東京の私学誘致の由来が書かれています。
元々は佐賀県立唐津東高等学校だった場所で、最後の卒業生はどんな気持ちで通っていたのか気になりました。
唐津街道を歩いた日の記録はこちら↓
2.大多喜宿

いすみ鉄道は、脱線事故の影響で大原-上総中野間の全線で運休中。代行バスが運行しており、大原-大多喜間は2027年秋頃の復旧を目指してますが、残りの区間は未定の状態です。



本多忠勝。
徳川四天王と呼ばれ、武田軍から徳川家を守った「一言坂の戦い」での戦い振りが有名です。
姫街道を西から歩いた際、見付宿の手前にその一言坂がありました。

姫街道 静岡県磐田市
敵の武田側からも、「家康に過ぎたるものは二つあり 唐の頭に本多平八(忠勝)」と言われるくらい強かったそうです。

姫街道 静岡県磐田市
参考までに、過ぎたるもののもう一つ、「唐の頭」とは、兜の上につける南アジアなどに生息するウシ科の動物ヤクの毛。当時はなかなか手に入らなかったそうです。










いすみ鉄道の復活を祈ります。
3.天然瓦斯発祥の地



天然ガス井戸発祥の地。
この地で井戸を掘った男が、出てきた水が泡を含む茶褐色の水にガッカリして、タバコの火を投げつけたところ引火したのが、天然ガス発見のきっかけになったそうです。





池田精肉店。
中を覗くと肉をはじめ、野菜や雑貨などがキチンと揃っています。今ではなかなか目にする事がなくなってきた商店でした。


吉一。
中はレストランと食料品が揃う店、外観と内装のギャップがあり、入ってみたくなる店でした。

この付近では、勝浦街道と呼ばれている様です。




桜が咲いたら美しい写真が撮れそうな場所です。
4.夷隅川








夷隅川の対岸にキョンがいました。
鹿より一回り小さな草食動物で、本来は中国東部や台湾に分布する外来種になります。廃業した行川アイランドから逃げ出して、現在では4万頭を超えてしまい、在来種の生態系に悪影響を与える特定外来生物に指定されています。






他のお客様は勝浦タンタン麺を頼んでいましたが、私は辛い料理があまり強くないのでいつもの醤油ラーメンにします。








勝浦タンタン麺 江ざわ。
1954年創業の勝浦タンタン麺発祥の店、かなり混むそうです。
5.曼珠沙華

街道からそれた先の傾斜地に曼珠沙華の群生地が見えます。今日は大多喜城の後は見どころがないまま勝浦に着くのか、街道の神様がご褒美を与えてくださるのか、考えながら歩いていたら、ご褒美が来ました。これは行かない訳には行きません。

曼珠沙華は妙満寺の境内とその周辺に咲き乱れていました。


ご近所の人が来て、知り合いを連れてくる前に下見に来たら、今年は1週間くらい早咲きだと話してました。ここは穴場らしく、そんなに混まないそうです。


素晴らしい景色をありがとうございました。







6.勝浦宿









今日から4日間勝浦大漁まつり。
最終日は賑やかになりそうです。


これにて終了。
勝浦の街中を散策します。

祭りの準備は出来上がっています。



郷土資料室を見学。
広島に出征中に終戦をむかえ、勝浦に戻り漁師をしていた市内在住の方の証言を元にした企画展をやっていました。よくここまで展示品を集めたなと、学芸員や関係者の努力に感心しました。



高照寺は、勝浦朝市発祥の地です。




房総の魚は美味しいですね。


店の前を神輿が通過していくのを見送ってから、勝浦の町を後にしました。
普段私が神輿の同好会に入って担いでいる江戸前神輿は、掛け声と上下に揉みながら担ぎます。勝浦の神輿は静かに担ぐスタイルの様で、所変われば担ぎ方が変わるのも、文化の違いで面白いです。
明日は私は東京の駒込で神輿担ぎます。


先週39度の熱が3日間続き、病み上がりで2日間歩きました。初めて経験した足が攣りそうになりながらの行軍で、人間は歩かないでいると足の筋力がここまで落ちるのかと痛感しました。
房総半島の街道は、久留里街道を残すのみとなりました。
次回は九十九里方面でまだ歩いていない「多古銚子街道」を2日間かけて歩きます。