
特別企画21 時速4kmの沼
地球上の全ての乗り物が、突然機能しなくなっていたら人はどうするか。
歩ける人は暫く呆然としてから、諦めて目的地まで歩いて向かうでしょう。
2011年3月11日、東日本大震災の日の夕方、東京に勤務していた私は、暗い夜道をゾロゾロと家の方向に、吸い寄せられる様に歩いて行く群衆の姿を目にしました。
地球上に乗り物があるのに、わざわざ歩いて目的地に行く人は、どの位いるのだろうか。
数えた人は限りなくゼロに近いと思われるが、その数えられる対象になった人の一人が私である。
これからお伝えする物語は、"目的地に歩いて行くという沼"に足を踏み入れて、抜け出すタイミングを逸した男の、「定線観測」という、活動記録である。
1991年、その男は「旅のお世話をする事」が好きで旅行会社に就職。入社前の卒業旅行で、東海道五拾三次を歩くことに。
2021年、その男は「旅のお世話をする人」を育てたくなり、観光ビジネスを教える大学に転職。
転職後、仕事の合間に中山道を歩くことになり、2021年春その男は日本橋に立つことになります。30年前に歩いた東海道も、今から歩こうとしでいる中山道も、起点は同じ日本橋。
一歩踏み込んだ先は、何処までも続く果てしなく深い沼でした。
1.定線観測

(2025.02.09 栃木県小山市)
私がはまった沼は、時速4kmで歩く旧街道という沼でした。
書店の旅のコーナーには、街歩きの本がズラリと並んでいます。その一角に旧街道を歩くためだけの"山岳マップの様な本"があり、その中から選んだ一冊が山と渓谷社の"ちゃんと歩けるシリーズ"の中山道。

(職場の本棚より)
歩き始めて気がついた事は、ガイドブックやネットに出ている歴史的景観は殆どなく、95%近くが日常の風景でした。

(2024.03.14 宮城県山元町)
いくら退屈だからといえど、その風景から目を逸らし、スマートフォンを見る事はできません。
目を逸らすと、自転車と衝突したり、車に轢かれてしまうから。
そうすると何が起きるか。
時速4kmでゆっくり進んでいるため、退屈な風景の中にも一定の間隔で、同じものが目に入ってきます。やがて観察する力が身に付いてきます。
あれっ?
峠を越えたら、道祖神が丸くなってた。

(2021.10.23 山梨県笛吹市)
甲州道中を西に向かい、笹子峠を越え甲府盆地に入ると球体の道祖伸が目に飛び込んできます。全国的にも珍しい様で、他地域では見た事がありません。
あれっ?
川を超えたら、ガードレールが黄色くなってた。

(2023.08.29 山口県岩国市)
黄色いガードレールは山口県内でしか目にしません。1963年の山口国体開催に合わせ、県産品の夏みかん色に塗り直した事が由来です。
あれっ?
神社の鳥居が、太くなっていた。

(2023.12.27 佐賀県神崎市)
佐賀平野に入ると、極端に太い鳥居の両柱、良く見ると3つの石が重なっており、肥前鳥居と呼ばれています。
そんな経験が、「定線観測」という街道歩きの新たな楽しみを身に付けさせてくれました。
それでは「定線観測」のほんの一例を紹介します。
(1)サインポール
理髪店の店先にあるサインポール。
旧街道を歩くと、かつては多くの商店で賑わっていたものの、バイパスなどが開通し多くの店が閉店しています。
しかし、理髪店と郵便局は何故か今も街道沿いに現役で営業しています。

(2022906.04 水戸街道 東茨城郡茨城町)
水戸街道を東京から水戸まで約100kmを歩いた時の出来事です。
歩き始めて2日目、風景が退屈になり始めた頃に、サインポールが「目に飛び込んでんくる」ようになりました。
この「目に飛び込んでくる」瞬間が、街道歩きの醍醐味です。
水戸街道で撮影した、26本のサインポールをまとめて紹介します。







並べてみると様々な形のサインポールがあり面白いのですが、店全体を撮影した方が、より面白い画像集になると思いました。
(2)愛知県の喫茶店
東海道を大阪から東京まで歩いた際に、愛知県のモーニング文化を思い出し、実際に喫茶店はどのくらいのペースであるのか、この目で確かめて見ようと定線観測を開始。

(2022.12.29 名古屋市緑区)
想像を遥かに超えた件数の多さに驚き、どの店も地域のコミュニティの場として、お客様で賑わっていました。44件の喫茶店を紹介します。











愛知県内で観測出来た喫茶店の件数は全部で44件、約2kmに1店もあり、そのうち約8割が昭和風喫茶店でした。
(3)バス停留所
路線バスは昔から走っているため、バイパスなどの新しい道ではなく、旧街道を走っています。
しかし、多くの路線は本数が極めて少なく、バスにはあまり遭遇しません。

(2022.05.28 茨城県石岡市)
ところが、バスの本数が多かろうと少なかろうと、バス停留所は必ずあります。乗客から見つけられやすい様に、直径30cmのスペースに、シンプルにデザインされながら、一生懸命に自己主張をしています。
西国街道を京都市から下関市まで歩いた際に撮影した40種類のバス停留所を並べてみると、芸術作品の様になりました。


コミュニティバスの割合が、高い事に気が付きます。
その他の定線観測としては、木製電柱・公民館・郵便局・エネオス・カラーマンホール・コカコーラの自販機など、歩く道によって様々なテーマを定めながら、沼の中を彷徨って行きます。
2.ラーメン
1日平均30km近くを歩いていると、食べる事が最大の楽しみになってきます。
最初に中山道を歩いた時の昼食は、東海道中膝栗毛の、弥次さん喜多さんを真似して、蕎麦に日本酒を引っ掛けたり、ご当地グルメを堪能しながら歩いていました。

(2021.04.20 埼玉県鴻巣市)
蕎麦やご当地グルメは間違えなく美味しいのですが、店探しの手間・食事時間・食費がまぁまぁの負担になってました。
次に歩いた甲州道中、とても暑かった日に猿橋宿手前の町中華に入り、瓶ビールと醤油ラーメンをオーダー。
この組み合わせが絶妙で、身体にスッと入ってきました。

(2021.10.09 山梨県大月市)
この時は夫婦で歩いており、食後に二人でこの組み合わせはいい!と感動しその後は、醤油ラーメンと瓶ビールが昼食の定番になります。
その後の昼食の9割以上が、醤油ラーメンと瓶ビール、回数にすると200杯と200本を平らげている計算になります。
思い出に残る醤油ラーメンを3杯紹介します。
(1)佐野ラーメン
日光例幣使街道を、群馬県の倉賀野宿から日光に向けて歩いていた途中、栃木市内の新大平下駅前の町中華。もちもちの縮れ太麺、絶品の佐野ラーメンでした。

(2022.04.09 栃木県栃木市)

(2)尾道ラーメン
ラーメンを頼んだら、スープにギトギトの背脂が乗ってて、これなんですかと店員さんに聞いたら、「尾道ラーメンとも呼ぶらしい」との返事。
場所は福山市なので尾道ラーメンと言いたくない様でした。

(2023.08.24 広島県福山市)

(3)富山ラーメン
真夏の北陸道で熱中症になりそうな状態で駆け込んだ店。
普通にラーメンを頼んだら、真っ黒なスープのラーメンが登場。富山のラーメンは普通に頼んでも、富山ブラックが出てくる様です。

(2024.08.21 富山県富山市)

(4)西国街道奇跡の全昼食ラーメンコンプリート

街道歩きは時速4㎞で進むため、ルート上からせいぜい1~2km逸れるのが限界距離となります。自動車の様に「あの店に行ってみようか?」といった感じの店選びは出来ません。
しかも昼食時は店の営業時間が概ね11:00~14:00と限られています。更に旧街道を歩いているので、国道やバイパスの様に飲食店が"ありそうでありません"。日本を代表する東海道でさえ、草津宿から東に向かうと昼食場所が殆どなく、和菓子店の大福が昼食になった時がありました。
2023年夏に21日かけて歩いた西国街道。京都から下関まで、500km級の街道の全昼食が、ラーメンでコンプリート出来た奇跡の記録を紹介します。



面白かったのが、原則は醬油ラーメンを注文するのですが、九州に近付くにつれて、醤油ラーメンがメニューに無かったりして、スープの色が徐々に白っぽくなっていく事でした。
中でも奇跡と言えたラーメンが上の画像の⑯、広島県岩国市欽明館自販機コーナーのラーメンです。その日、2023年8月29日の昼は錦帯橋付近を通過するので、店があるだろうと安心しきっていました。

ところが平日であったためか、商店街の一斉定休日に当たったのか、昼食を提供する店がことごとく無く、たまたま利き酒コーナーがあったので、つまみを食事代わりに、うっかり飲んでしまいました。

宿まで15kmくらい歩くので、お代わりを我慢し昼食は諦めて西に進みます。
1時間くらいすると、絶滅危惧種的な自販機コーナーが見えてきました。
年間2,000km近く歩きますが、この様な自販機コーナーに遭遇するのは年に1回程度です。

自販機コーナーがあるだけでも奇跡なのですが、大概あるのが、うどんの自販機になりラーメンがあればさらに奇跡だなと覗き込むと・・・・

なんとそこにはラーメン自販機が。
売切れボタンが点灯していない事を祈ります。

あつあつの醤油ラーメンがいただけました!
この日の岩国市の最高気温は33℃、もうそんな事関係ありません。汗だくになりながらスープを飲み干しました。
3.富士山
富士山を見ると、心が洗われます。
富士山を見ると、思わず立ち止まります。
富士山を見ると、元気が湧いてきます。
七つの街道から遥拝した霊峰富士を、北から順に紹介します。

(2025.02.05 栃木県下野市)
観察地点から富士山まで約200km、関東平野だからこその眺め、冬の朝のご褒美でした。

(2021.12.05 茨城県古河市)
氷点下の中、日の出と共に利根川を渡り、寒さに震えながら振り向いたら、曙色の空の奥に佇んでいました。

(2025.01.26 埼玉県宮代町)
富士山が見えるとは思ってもいない場所で、想定外の大きさで道の正面に現れた時は、度肝を抜かれました。

(2022.10.08 埼玉県川越市)
雨上がりの川越宿郊外、川を渡る橋の上から遠くを眺めたら、ぬう〜っと靄の彼方に登場しました。

(2021.10.30 山梨県韮崎市)
甲府盆地の西、七里ヶ岩を過ぎた頃、もう見えないだろうと振り返ると、甲州道中を歩いた中で1番綺麗な姿が拝めました。

(2024.05.19 静岡県御殿場市)
富士山に1番近い脇往還で、富士山を独り占め出来そうと、数多く撮影した中の1枚、水田に逆さ富士が映ってました。

(2023.02.26 静岡市清水区)
薩埵峠を昇ったら、想定外の河津桜と紺碧色の海、その奥には霊峰富士。
これぞ、死ぬ前にもう一度見たい風景です。
4.四季
日本には四季があります。
春夏秋冬で街道の景色が違うので、本当に好きな街道は4度歩いてみたくなります。
(1)春
街道歩きは、春の景色が一番が美しく見えます。
草花が咲き始め、風が心地よく、心身共にリラックスしているからかもしれません。

(2022.03.05 埼玉県川口市)

(2023.03.11 静岡県沼津市)

(2022.04.09 栃木県栃木市)

(2021.04.20 埼玉県鴻巣市)
(2)夏
街道歩きで一番つらいのが夏。
熱中症にならない様に、身体を内外から冷ましながら慎重に歩きます。そんな中でも夏の季節感は、心の熱さを一瞬冷ましてくれます。

(2021.06.27 中山道 長野県上松町)

(2024.07.21 長野県松本市)

(2022.08.12 栃木県鹿沼市)

(2022.08.15 新潟県上越市)
(3)秋
街道歩きで秋の主役は紅葉と社寺仏閣。
人々の祈りの神事に、紅葉・黄葉、植物の彩りが華を添えます。

(2024.10.27)

(2023.11.05 埼玉県越谷市)

(2023.11.26 福島県白河市)

(2023.11.26 福島県白河市)
(4)冬
冬の街道歩きが実は一番楽です。
私の最適な街道歩きの温度は10℃。ただし5m以上の風が吹くと苦行の道に豹変します。

(2023.12.25 福岡県小竹町)

(2024.01.06 佐賀県武雄市)

(2023.01.08 愛知県豊川市)

(2022.01.29 福島県白河市)
5.街道萌え
街道を歩き過ぎると、普通の人が感動しない場所で立ち止まり、その景色に心を癒される、「街道萌え」を経験する事が出来ます。
いくつかの代表的な事例を紹介します。
(1)曲線
川の流れの如く、街道の道は緩やかな曲線を描いています。
道の流れに身を委ねたくなります。

(2024.09.05 福井県南越前町)
(2)追分
追分とは道の分れ目。
道も人も、出会いと別れの場。別れていく道のこの先に、どんな景色があるか想いを馳せ、いつの日かその道を歩く事になります。

(2024.07.22 長野県塩尻市)
(3)桝形
宿場町のクライマックスである、クランク状の道を桝形と呼びます。
その先にどんな景色が見えるのか、進むにつれて、じわじわと見えてくる瞬間が堪りません。

(2022.09.23 新潟県長岡市)
(4)坂道
坂道は景色が凝縮されています。
上から見る坂道・下から見る坂道、刻々と変化する道の表情を楽しみたくて、何度も歩みをとめてふり返ります。

(2021.07.11 岐阜県中津川市)
(5)道幅
往時の狭い道幅が残っている区間が稀にあります。
右側通行だったのか左側通行だったのか、馬同士はすれ違えたのか、様々な往時の状況を思いうかべながら、頭の中をタイムスリップさせます。

(2025.03.09 熊本県水俣市)
6.住職の言葉
街道を歩いていると、多くの神社と寺院の前を通ります。
私の感覚ですが、神社は地域の人に開放され、寺院は檀家さんに開放されている様に感じます。
神社の境内にはほぼ入りますが、寺院は遠慮してほぼ入らずに、代わりに門前に貼ってある、"住職の言葉"を楽しんでいます。
好きな言葉に出会うと、旅の疲れが一気に消えます。
私の好きな言葉が、
「かけた恩は水に流し 受けた恩は石に刻め」
日光東往還の、栃木県上三川町の西年寺で、お目にかかる事が出来ました。

(2025.02.09 栃木県上三川町)

(2025.02.09 栃木県上三川町)
ここでは、西国街道を歩いた時にお目にかかった、本日の言葉、43枚の記録を紹介します。






街道仲間に見せたところ、1番人気だったのが一休宗純の名言、
「大丈夫 心配するな 何とかなる」
でした。

シンプルな言葉って大切ですね。
7.地酒
街道歩きの楽しみのひとつが、地酒を飲む事。
街道沿いには酒蔵が存在しています。日本には千を超える酒蔵があるため、殆どの銘柄が全国に流通していないとも言えます。
ご当地のコンビニなどの小売店で並ぶ、一合サイズの日本酒を探して夜飲むが、街道歩きの夜の醍醐味です。

(2021.05.29 長野県佐久市)
その地域の空気の中で飲む味は別格で、様々な器の形やラベルデザインも楽しみ方のひとつ。
街道歩きで口にした地酒を、器ごとに紹介します。
(1)小瓶
御猪口に注いで飲むための器。
そのフォルムとラベルのデザインのバランスは、芸術的です。




(2)カップ
何処でも飲める機能を兼ね備えた器。
安定感抜群で、帰路の電車では欠かす事ができません。


(3)紙
カップより更に飲みやすい器。
手にすっぽりと収まるサイズが、飲むペースを後押しします。

(4)番外編
九州中南部に入ると、地酒の主役が焼酎に交代。
中でも鹿児島県は43市町村に対し、100を超える酒蔵が存在します。
薩摩街道を歩いた際は、飲食店で焼酎を楽しんだために、カップ焼酎は購入できませんでしたが、八代宿で入った店には200種類近くの焼酎があり、飲み比べが満喫できました。

8.街道鬼十則
街道歩きは、人様の住んでいる地域の道にお邪魔する事の繰り返し。
お邪魔しますの精神で歩く心構えが必要。
歩く際の作法や注意事項をまとめた「街道鬼十則」を、街道歩きの仲間七名で策定しましたので紹介します。











9.道はつづく

2015年春。
東京丸の内の丸善書店の、ビジネス本コーナーに平積みされた本のタイトルが、「歩くマジで人生が変わる習慣」。医師・解剖学者の養老孟子氏が推奨しています。
4月からの放送再開が決定したブラタモリ、昨年11月に放送された再開の予告的な番組のテーマが東海道五十七次。今後も街道をテーマにした特集が期待されます。
2025年は、時速4㎞の沼にはまる被害者が続出する元年になるかもしれません。私はそんな人たちの足を掴んで、首根っこまで引きずり込む事に集中して、一年間を過ごそうと目論んでいます。