
房総往還3 木更津宿→大貫海岸
房総往還は内房と呼ばれる、東京湾に面した房総半島の西海岸を通る主要道。
参勤交代・外国船警備・内房と外房を結ぶ道の発着点・内房各地の湊を繋ぐ道、様々な用途で使われました。
今回は千葉県船橋市の船橋大神宮から館山市の館山市中心部まで、約110kmを歩きます。
2026.08.16
1.スタート地点まで

千葉豪雨から中2日、内房の沿岸部には土砂災害などが無いので、街道歩きを再開します。



東京駅八重洲口目の前にあるヤンマーのビル、都会のショールームに佇むトラクターがクールです。

スタート地点の木更津まではバスが最速、東京八重洲口に新しくできたバスターミナルから出発します。

豪雨災害でJRが不通になった勝浦方面のバス乗り場だけ大混雑、乗れない人が出るかもしれません。

バスの終点は製鉄所。
日本製鉄東日本製鉄所があります。

高速バスは渋滞が無いと本当に速いです。東京湾アクアライン経由であっという間の1時間でした。


木更津駅が、昭和の国鉄の駅がそのまま残ってます。無骨な駅舎、微妙に高い段差の階段、開け閉め自由な通路の窓、剥き出しの屋根、たまりません。

アーティストの増田セバスチャンがデザインしたアートピアノ。

2.木更津宿

歩き始めると、待っていたかの様に雨が降り始めました。小降りの時は履かない下の雨具も装着、雨の戦闘服で行軍を始めます。


昭和の商店街跡が見事に残っています。

この地図はわかりやすく、クオリティが高いです。


木更津県権令(ごんれい)の説明看板がありました(権令=県知事)。千葉県になる前は木更津県だったのですね。
調べてみると、廃藩置県でいきなり47都道府県になったわけではなく、統合や分割を何度か繰り返しています。
▽都道府県数推移一覧
1871年7月:305府県
1871年12月:75府県
1876年:38府県
1888年:45府県
1947年:46都道府県
1972年:47都道府県
木更津県があったのは、1871年12月の75府県に統一された年で、他の都府県も細分化されています。
ご興味がある方は都道府県数推移一覧の太字部分をクリックしてください。
さらに興味深かったのが、1876年の38府県に統一された年です。
一例ですが、
石川県=富山県+石川県+福井県
鹿児島県=宮崎県+鹿児島県
堺県=奈良県+大阪府の区部以外
神奈川県=神奈川県+東京都の区部以外
の様に、複数の県などが合併してます。
こちらも都道府県数推移一覧の1876年の太字部分をクリックすると、さらに詳しくわかります。
今回の情報は、イッシーのホームページから引用しました。
上記の内容以外にも、旧国名から現在の都道府県名までの変遷や、市町村合併の変遷など、飽きることがありません。
歴史は繰り返しますので、人口減少が続いた末には再び元に戻る可能性が有りそうです。






ぶらり木更津まち歩きによると、木更津は古くから交通の要衝で、古東海道の時代は鎌倉と船で結ばれ、江戸時代は木更津船と呼ばれる船が、江戸と房総を結んでいました。
その後は東京湾フェリーが川崎まで運行していた時代船の時代は終わり、現在は東京湾アクアラインと陸路に主役が引き継がれています。
3.八剣八幡神社


八剣八幡神社の名には、縁起の良い八が二つも入るので人気がありそうです。ホームページを見ると、いきなりお詫びとご案内が目に飛び込んできます。
「令和8年8月8日八つるぎ八まん日和 」の日限定の御朱印と御守りが大人気で、足りなくなってしまったそうです。


御来光の道。
外房の玉前(たまさき)神社から富士山を通り出雲大社までを結ぶ、北緯35度22分上の一直線の道。春分と秋分には太陽が昇る軌道と一致します。
次に歩く伊南房州通往還では、東の起点となる玉前神社に立ち寄る予定なので楽しみです。







枡形を挟んで反対側には厳島神社があります。小さいながらも境内が池に囲まれているなど、存在感がかなりありました。






4.桜井




請西藩(じょうざいはん)藩主、林忠崇。
江戸時代の大名経験者で一番遅くまで生き延びたため、「最後の大名」と呼ばれる様になりました。
幕府に忠を尽くすためにと藩を守るために脱藩し、幕末・明治・大正・昭和生き延び、1941年に92歳で生涯を終えます。

負けない神社と称する理由が二つあります。
ひとつは、明治時代に起きた2度の大火や台風被害などを受けながらも再建され続けたこと。もうひとつは、林忠崇の生涯が波瀾万丈でしたが、常に諦めない=負けない姿勢で生き延びたことです。

雨宿りをしながらゆっくり滞在。
小さな神社ではありますが、素晴らしい空間でした。




5.企業城下町


坂田漁協解散記念碑。
新日本製鐵君津製鐵所(当時八幡製鐵所)の進出にあたり、漁業権の放棄した歴史的事実を後世に伝えるための記念碑です。

房総往還を歩いていると、埋立地と海岸線の境目を何度も目にしてきました。
彼方に見える工場の煙突を見ていると、埋立するまでに、利害関係者と漁業協同組合の間でどの様なやり取りがあったのか考えてしまいます。
何年間交渉したのか。
どんな政治力を発動したのか。
自治体はどう動いたのか。
どんな妥結点だったのか。
漁業関係者はその後どうなったのか。
この記念碑には、その様な事は記されていません。

今日は日曜日なので、コープみらいには50台は超える配送車が留まっています。
高齢者向けの配送サービスのニーズがある事が実感できました。


日本製鉄企業城下町の地図。
坂田漁業協同組合が解散しなかったら、この城下町はなかったのですね。


かずさマジックは、日本製鉄の社会人野球チームで、今年の都市対抗野球千葉県代表です。








小糸川の河口付近は、かつて海苔の産地だったそうです。


小糸川取水場の看板には、日本製鉄 東日本製鉄所と記されています。


この橋は撮影スポットとしては素晴らしいと思います。
6.大堀


埋立地の立役者といえばこの方ですね。





これから歩く富津岬から南側は埋立地が無いので、海苔が採れていると思われます。




歩道がない片道1車線の国道16号は初めて見ました。








青堀漁業は、最後まで漁業権放棄に反対していたようです。


7.富津岬



野口製菓。
かき氷が有名の様で、雨ですが賑わってました。




雨足が激しくなってきましたので、神社で雨宿りします。









8.大貫海岸


房総往還を歩き始めて、ようやく海岸線を見る事ができました。




三浦半島が近いですね。
この近さを見ると、古東海道のルートが、鎌倉から房総半島に船で渡っていた理由がわかりました。




寿司屋で座ったカウンターの隣の方が漁師で、ものすごく声が大きくて、元気で、訛っててました。
普段の漁は宇宙服の様なヘルメットを被って海底に沈んでから、アオヤギなどの貝を獲っているそうです。

今日は埋立地と漁師の事を考えながら歩いていましたが、最後に漁師さんと酒を酌み交わせることになるとは、思ってもいませんでした。
何しにきたのか聞かれたので、房州往還を歩いていると話をすると、「ぼけているんだね」と言い返してきます。
私が意味がわからずに首をかしげでいると、周りの方々がニヤニヤして答えを教えてくれました。こちらの言葉では歩いて行く事を「やんでく」と言うそうです。
「明日も1日やんできくね!」
と別れを告げて店を出ました。
全国の街道を歩いた旅の記録、時速4kmの世界はこちら↓