
SS#017_向こう側の部屋 / The Room Beyond the Mirror
その少女は鏡を見るのが大好きだった。
鏡の中では、右と左が入れ替わる。
自分の部屋なのに少しだけ知らない場所になるのが面白いらしい。
ある日、いつものように鏡を眺めているとき、少女は鏡に小さな綻びがあることを見つけた。
そこだけ、鏡面がわずかに波打っている。指で押すと、ふにゃ、と弛んだ。
少女は面白くなって、机の上にあったものを掴んでつつき始めた。それはハサミだった。危ないとは思ったけれど、鏡がどうなっているのか知りたかった。
先端でそっと突く。
ふに、ふに、ふに。
数回つついたところで、ハサミの先が不意に鏡へ沈み込んだ。
「あっ」
引き抜こうとした時には遅かった。
ハサミはするりと向こう側へ吸い込まれていった。
鏡の向こうにも、こちらと同じ部屋がある。
そして、こちらと同じように驚いた顔をした少女がいた。
あちらの少女は、少し困っているように見えた。
光学異性体とは、鏡に映したような関係にありながら、完全には重ならない分子のことです。生物の体では、アミノ酸は主にL型、糖はD型が使われています。
あとがき的なもの:
この話は、細菌の代謝物に含まれるDアミノ酸から発想を始めました。生物は左右非対称な分子でできています。もしそれが鏡写しになった世界があれば、と思ったところから、この鏡の国の話になりました。
利き手が反対の人には、便利なハサミになったはずです。