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殿、畏れながら申し䞊げたする信頌遺産Made in Japanが残したもの

出矜守様、尟匵守様

初秋の候、殿におかれたしおは、たすたすご健勝のこずずお慶び申し䞊げたす。


さお、畏れ倚くも先日、我が家のテレビを買い替えいたしたした。

昚今、店頭には韓囜、䞭囜、日本など、さたざたな囜のメヌカヌの補品が䞊んでおるもの。
然るに、性胜を比范し、倀段を眺めし埌に、それがしが遞んだのはSony補のテレビでございたした。

理由は単玔にございたす。

日本のメヌカヌゆえ。

もちろん、今どきSonyのテレビがすべお日本囜内で補造されおいるなどずは思っおおりたせぬ。我が家にやっお来たテレビも、おそらく東欧のどこかで補造されたものでございたしょう。

それでも、日本のメヌカヌが蚭蚈し、日本䌁業のブランドを背負っお売られおいる。それだけで、それがしには䞀皮の安心感があるのでございたす。

いわゆる Made in Japanぞの信頌 ずいうや぀にございたす。


今幎の䞀時垰囜で、SLやたぐち号に乗りたしたおり、たたたた隣り合わせた男性が、か぀おシャヌプで技術職をされおいた方でございたした。

列車に揺られながらいろいろなお話を䌺ったのですが、特に印象に残ったのが、䞀぀の補品を䞖に出すたでに、どれほど倚くの確認や怜蚌が瀟内で繰り返されるかずいう話でございたした。

「そこたでやるのか」

ず思うような話もありたした。
䞭で働いおおられる方にずっおは、たたったものではないでしょう。

しかし同時に思ったのでございたす。

その「そこたでやる」が、日本補品ぞの信頌を培っおきたのではないか。

䞀぀䞀぀確認する。問題があれば戻す。たた確認する。念には念を入れる。

効率だけを考えれば、もっず簡単に枈たせる方法もあるのでございたしょう。

しかし、そうやっお䜕十幎も積み重ねられおきた仕事が、「日本のメヌカヌなら倧䞈倫だろう」ずいう、䞖界のどこかにいる消費者の感芚に぀ながっおいるようにも思う次第。

それがしがSonyのテレビを遞んだ背景にも、名も知らぬ技術者たちが長い幎月をかけお積み䞊げおきたものがあるず信じおおるからにございたす。


過日、我が家の郵䟿受けにe-bikeの広告が入っおおりたした。
そこに、

Nakamura ãªã‚‹ãƒ–ランド名のe-bikeの広告も混じっおおりたした。

「ほう、日本䌁業がペヌロッパでe-bikeを売っおいるのか」

ず思っお調べおみたすず――、

日本ず䜕の関係もございたせぬ。

日本らしい名前そのものに、䜕らかの䟡倀を感じおブランド名にしたのかどうかたでは存じたせぬが、少なくずも、「Nakamura」ず名乗れば日本を連想し、品質に安心するお方がペヌロッパにもおられる。

かようなブランド名の裏には、日本補品や日本瀟䌚のシステムの正確さ、それに察する信頌を連想させる䜕かがあるのでございたしょう。


自転車ず申せば、ここでは぀ずに有名なShimanoがございたす。
それがしは自転車競技が盛んなペヌロッパぞ来お、初めおその名前を知ったのでございたすが、自転車に詳しい人ず話しおいるず、圓たり前のようにShimanoの名前が出おくるもの。

「Shimanoはいい」

皆が、口を揃えおおっしゃりたす。

自転車愛奜家には絶倧な信頌を埗おいる日本䌁業の䞀぀なのでございたす。
圓然、それがしの自転車にもShimano補のパヌツが組み蟌たれおおりたす。

日本にいた頃には存圚すら知らなかった日本䌁業の評䟡を、倖囜ぞ来お倖囜人から教えられる。なかなか面癜いものでございたす。


このように考えおみたすず、「日本補ぞの信頌」ずいうのは、それがし䞀人の気たぐれでもなさそうに思うのでございたす。

映画『バック・トゥ・ザ・フュヌチャヌ』にも、日本補品をめぐる有名な堎面がございたした。

1950幎代では「日本補」が粗悪品の代名詞のように扱われおいたのに、1980幎代から来た䞻人公にずっおは、むしろ高品質の象城になっおいる。

その䟡倀芳の逆転を笑いにした堎面にございたす。

あの映画が䜜られた頃、日本経枈はたさに絶頂期ぞ向かっおおりたした。

それから長い幎月が流れたした。
日本経枈は䜎迷したず蚀われ続け、倱われた十幎が二十幎になり、二十幎が䞉十幎になりたした。

それでも䞍思議なこずに、

「日本のものはきちんずしおいる」

ずいう評䟡たで䞀緒に消えおしたったようには、私には芋えたせん。

むしろ海倖で長く暮らしおいるず、それが䞀郚の補品や技術の䞭に定着し、䞀぀のブランドむメヌゞずしお根を匵っおいるようにも感じる次第。


殿、畏れながら、䞀蚀申し䞊げずうございたす。


物事には、良い面ず悪い面が必ずございたす。

日本瀟䌚に問題がある。
やれ、政治が悪い。経枈が停滞しおいる。絊料が䞊がらない。瀟䌚が窮屈だ。
それもたた、珟実なのでございたしょう。

しかし、どこの瀟䌚にも倚かれ少なかれ、問題はあるもの。

己の目を悪いものばかりぞ向けながら、倖から聞こえおくる肯定的な声には耳を塞いでしたうのであれば、それもたた珟実の半分しか芋おいないこずになりたせぬか。

日本を耒めよ、ず申し䞊げおいるのではございたせん。日本を誇れ、ず匷制する぀もりもございたせん。

ただ、

悪いものを芋るのず同じ目で、良き点も受け入れおみればいかがでございたしょうか。

先人たちによっお築き䞊げられた、信頌ずいう目に芋えぬ䟡倀・評䟡は、確かに海倖にも根付いおおるのでございたす。
それを「日本瀌賛」の䞀蚀で片付け、芋なかったこずにする必芁もありたすたい。

日本瀟䌚の悪しきずころは、悪しきずころずしお批刀すればよろしい。しかし、良きずころたで悪しきものずしお語る必芁はございたせん。

悪いものは悪い。されど、いいものはいい。

それだけのこずにございたす。

倖囜で暮らしおおりたすず、日本に぀いお批刀的な声を耳にするこずもあれば、思いがけぬずころで高い評䟡を耳にするこずもございたす。

そのどちらか䞀方だけを拟い集めれば、芋えおくる日本の姿も圓然ながら歪んだものずなりたしょう。

良きものを良きものずしお受け入れるこずは、愛囜でも、日本瀌賛でもございたせん。

ただ、そこにあるものを、そこにあるがたたに芋る。

それだけのこずでございたす。

倖囜から聞こえおくる肯定的な声に時折耳を傟けおみれば、我々が圓たり前のものずしお芋過ごしおきたものに気づくはずにございたす。


筆摂接屋颚庵

たた颚の䟿りにお

いいなず思ったら応揎しよう