殿、畏れながら申し上げまする|空気(なぜ他人の心理・行動を気にする)
出羽守様、尾張守様
新緑まぶしき折、殿におかれましては、いよいよご清栄のことと拝察仕り候。
さて、近頃、Xにて「チップ論争」なるものが巻き起こっておりました。
発端は、とある芸能人の方が、独逸にてチップを求められた場面の画像を投稿したこと。
そこから、「払うべきか否か」を巡り、様々な意見が飛び交った次第にございます。
この手の話、実はなかなか厄介にございます。
というのも、「チップ文化」と一口に申しましても、欧州と米国では背景がかなり異なるように思えるのでございます。
これすなわち、米国では、飲食関連で働く方々の賃金体系そのものにチップが組み込まれているとか。そのため、時給自体が極めて低く設定され、その不足分を客側が補う構造にございます。
つまり、チップは単なる「お礼」ではなく、半ば給与の一部として機能している次第。
一方、欧州では、多くの国で最低賃金や社会保障が比較的整っております。ゆえに、チップは「無ければ生活できぬもの」というより、追加的なお礼、あるいは臨時収入に近い側面であるとか。
もちろん、それでも飲食業に従事する方々の暮らしが楽とは限りませぬが。
いずれにせよ、欧州と米国とでは事情が違う故、米国の例をもって、欧州でも払うべきというのはいささか論理が飛躍しているように思われます。
その一方で、「欧州では皆が払う」という言い方をされておるお方もおりましたが、それもまた言い過ぎではないかと。
長く海外で暮らしておりますと、払わぬ人も普通に見ますし、地域差もかなり大きいように思われます。
そもそも、「欧州では」と一括りにするのは、風呂敷を広げ過ぎたる感ありに思われます。
独逸と伊太利亜でも違えば、都市と地方でも違う。観光地と地元の食堂でも空気は違う。
何より、その場その場の雰囲気というものもあるのでございます。
他方、懐疑派の言い分も、これまた自然なものにございます。
「そもそも、いくら払えばいいのかわからない」
「日本では馴染みがない」
「なんとなく納得感が薄い」
「円安の中、こちらも余裕があるわけではない」
まあ、正直な庶民の感覚でございましょう。
実際、日本で暮らしておれば、どこの国にどういうチップ文化があるかなど、細かく知る機会はそう多くありませぬ。
社会というものは変化するもの。昔はこうだった、も、案外当てにならぬものにございます。
ましてや、その国の経済事情や、店員の懐事情など、一旅行者には分かろうはずもございません。
そう考えれば、「わからないから戸惑う。戸惑うが故に、払うのは憚られる」というのは、ごく自然な心の状態かと思われます。
良質のサービスや味が当たり前で、チップを払わぬ国から参れば、なかなか払うのには高いハードルを超えねばならぬのではないかと。
ちなみにではございますが、それがし自身は、料理や接客への謝意として、満足の程度に従い払うようにして参ったところにございます。
サービスをしていただいた方の懐事情など、考えたこともございませんでした。
畏れながら、殿に申し上げとうございます。
そもそも、欧州ではチップを払うか否かに関して、何も「右向け右」をする必要がないのではないかと思う次第。
給与体系が法律により保障されているのであれば、チップは払いたい者が、払いたいと思った時に払えばよし。
現地の人々も、「隣の客がいくら払ったか」など、そこまで気にしておらぬのではありますまいか。
払わねば、「ああ、この人は払わぬ人なのだな」と思われる程度の話。多少ケチと思われることはあるかもしれませぬが、ただただそれだけのこと。
むしろ、今回の論争を見ていて感じたのは、皆、必死に「正解」を求めて「空気」を読もうとしているのだな、ということでございました。
よく、日本は「空気を読む文化」で息苦しいなどと言われます。しかし、SNSを眺めておりますと、案外、自分たちで勝手に息苦しくしておるのではないか、とも思うのでございます。
遠き異国の、一枚の写真。
たかがそれだけのことで、「正解」を探し、「間違い」を断じ、「どちらが常識か」を競い始める。
こういう論争に加わる前に、そっとアプリを閉じ、美味しいものでもお口になさった方が有意義な時間の使い方かと存じ上げる次第にございます。
筆:摂津屋風庵
また風の便りにて
