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Photo bycapjpn

ちょっとした親切の価値

    「撮りましょうか?」

    咄嗟に声が出ました。昼下がりの住宅街を歩いていた時のことです。

    マンションのエントランスの前で、スーツ姿の男性がスマートフォンを持ち、ランドセルを背負った女の子とその母親らしき女性を撮影していました。おそらく今日が小学校の入学式だったのでしょう。状況を瞬時に察知した私は、声をかけるべきだと判断したのです。

    「すみません、ありがとうございます」

    スーツ姿の男性はスマートフォンを私に渡し、小走りで家族のもとへ向かいました。

    「はい、撮りまーす!」

    私はそう言ってシャッターを押しました。最近のスマートフォンはカメラの進化が著しいのでおそらくこれで大丈夫なのでしょうが、念のため2回撮るのが若い頃からの習性です。

    「もう1回撮りまーす!」

    再度シャッターを押した私は、男性にスマートフォンを返しました。

    「すみません、ありがとうございました」

    「いえいえ」

    そして私はまた歩き始めました。声をかけてからまだ1分ほどしか経っていなかったはずです。

    しかし、この家族にとっては非常に価値の高い1分になったでしょう。私が撮影を引き受けたことによって、3人の集合写真が手に入ったわけですから。

    私が撮った写真は、この3人だけでなく少女の祖父母や親戚の皆さんも喜ばせることになるかもしれません。いつか彼女が人生の節目を迎えたときに、過去の記録として登場する可能性もあります。

    そう考えると、私も嬉しくなります。自分があの場に通りかかって声をかけたことの意義は、何十年経っても、私がこの世からいなくなったとしても、目に見える形で残されるのです。

    ドラマチックな人助けではありませんが、このようなちょっとした親切だって、他者のウェルビーイングに役立つものです。そして、自分が人として生きていることの価値を実感することもできます。

    ただし、そのためには他者の置かれた状況を察する必要があります。見逃してしまうこともよくあるでしょうが、自分が役に立てるかもしれないという意識は、常に持っているようにしたいものです。

    令和8年4月8日
    せたともき(勢田朋来)

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