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039 今日も開廷してる

    私たちの心の中では
    ときどき裁判が開かれます

    誰かに嫌なことをされた時
    自分が失敗をした時
    人間関係でモヤモヤした時

    その法廷には
    二人の専門家がいます

    一人は、検察官

    「あの人が悪い」
    「あんなことをするなんて許せない」
    「だから、自分は傷ついた」

    相手を糾弾するための証拠を集めてきます

    もう一人は、弁護士

    「自分にも事情があった」
    「仕方なかった」
    「本当は悪気なんてなかった」

    自分を守るための証拠を集めてきます

    粗探しと正当化
    そんな検察官と弁護士だけど
    どちらも必要な存在

    検察官がいなければ
    不当な扱いを受けても声を上げられません

    弁護士がいなければ
    自分を責め続けてしまいます

    でも
    どちらにも共通点があります

    それは
    「勝つこと」が仕事だということ

    ここで
    多くの人は心の中に裁判官を置こうとします

    「結局、誰が悪かったのか。」
    「自分は正しかったのか。」
    「相手は間違っていたのか。」

    でも
    心の問題は
    必ずしも判決を出す必要は
    ないのかもしれません

    むしろ必要なのは

    傍聴人かもしれません

    傍聴人は 
    判決を下さない

    ただ、裁判を見ている

    「相手を責めるために
    証拠を並べ立てている検察官がいるな」

    「自分を守るために
    いろんな理由をつけようとしている
    弁護士がいるな」

    と見届ける

    心の健康とは
    どちらが正しいのか
    という判決を下すことではなく

    自分の心の中で
    裁判が開かれていることを知って
    その様子を見守ることなのかもしれません

    人は、自分を守る弁護士にも
    誰かを責める検察官にもなってしまう

    だからこそ必要なのは 
    「誰が正しいか」を急いで決める裁判官ではなく
    裁判の行方を決めない
    静かに見つめる傍聴人なのかもしれません

     
     

    鈴木

     
     
    しんどいをゆるめたい人 児童発達支援管理責任者/公認心理師/ 終活の一環としてnote

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