
まだ見ぬ五月へ、四月の終わりに見る光
ああ、もう四月が終わってしまうんだな、と、こうしてキーボードを叩きながら思う。今日は四月最後の金曜日。窓の外は、まだ眠たげな薄い光を孕んでいて、新しい葉をつけた木々の緑が、ぼんやりと滲んでいる。
指先が、少しだけひんやりとしている。昨日の雨のせいだろうか。それとも、季節が、ほんの少しだけ、次の色へと移ろうとしているサインなのだろうか。
四月という時間は、いつも少し慌ただしい。新しい生活が始まり、新しい顔と名前が交錯し、街の空気もどこか浮足立っているような気がする。桜の花びらが舞い散るなかで、私たちは、希望とか不安とか、いろんなものを胸に抱えて、少しだけ背伸びをして歩き出す。
でも、そのざわめきも、こうして月末を迎えると、だんだん静まっていく。まるで、息を深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出すみたいに。残ったのは、少しの疲労感と、過ぎ去った日々への、ほんのりとした愛おしさだろうか。
新しい緑の色が濃さを増していくように、私たちの心の中にも、何か新しいものが育ち始めているのかもしれない。まだ小さくて、頼りなくて、でも確かにそこにある、そんな予感のようなもの。
今日という金曜日が終われば、週末がやってくる。そして、その週末を過ぎれば、もう五月だ。時の流れは、いつも私たちを置いていくけれど、それでも、私たちは、この過ぎゆく時間を、少しでも長く、心に留めていたいと願う。
四月の終わり。それは、終わりであると同時に、始まりの予感でもある。窓の外の光が、少しずつ強くなっていくように、私たちの明日も、きっと、新しい光で満ちていくのだろう。そうだといいな、と、私は、静かに思うのだ。