
春日大社 禰宜の道。思索の道。戦前の文人らが藝術を語った、きっと。⑰
禰宜の道は<ねぎのみち>と読む。禰宜は宮司を補佐する神官のことで、いわばアシスタントたち。その彼らが住んでいた町が高畑にあった。社家町という。京都にも上賀茂神社の社家町が残っているが、春日大社のそれは広大。そこから本殿に通う道が上、中、下と山中に3本もある。しかも原始林の中を突き抜けている。神秘で厳か。


禰宜たちの組織は時代と共に縮小し、集団で住み込んだ地域の多くは一般に解放された。それが高畑の高級住宅地となり、志賀直哉などの文人が移り住んできた。彼はここで暗夜行路に取り組んでいる。明治の知識人たちは西洋化されていく反面、日本の古き時代への郷愁も強く持っていた。


下の禰宜の道の入り口あたりに志賀直哉の邸宅があった。武者小路実篤や小林秀雄や亀井勝一郎などが東京から馳せ参じている。彼らは日本の新しい時代の文化について語った。いつしかサロンとなった。当然、藝術が議論されたはず。京都には西田幾多郎の哲学の道があるが、下の禰宜の道はさしずめ思索の道。歩きながら欧州の絵画や彫刻について議論していたことだろう。


西洋の本質的な情報が少ないままに藝術が育まれていた。日本の藝術は欧米のアートとはそのありようを異にしている。下の禰宜の道をわたしは好んで散歩する。劇的な光が鬱蒼とした林の中に射しこんでくる。静寂。わたしは考えてしまう。現代アートってなんだろ?って。


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