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本音の仮面

    「あれ……傷?」


    朝、歯を磨きながら鏡を見ていて気づいた。

    頬。

    耳の下あたりから、真っ直ぐ細い線が入っている。

    三センチくらい。

    浅い傷だった。


    「引っ掻いたかな……」


    寝ている間に掻いたのかもしれない。

    それくらいにしか思わなかった。

    コンシーラーを軽く乗せる。

    隠れた。

    問題ない。


    そのはずだった。




    「どっちがいいですか?」

    「合わせますよ」

    ぴり。

    傷が、微かに痛んだ。


    「嫌じゃなかった?」

    「全然!大丈夫です」

    ぴり。

    今度は、もう少し深い。

    トイレの鏡を見る。

    傷が、少し濃くなっている気がした。


    会話中。

    「大丈夫です」

    笑った瞬間。

    ぴり。


    傷が、少しだけ裂ける感覚がした。



    その瞬間だった。



    上下がひっくり返ったような感覚と共に、

    周囲の顔が、一斉にズレた気がした。


    笑っている。


    でも。


    ガラスに映った顔だけが、
    冷え切った仮面みたいだった。




    「すごいね!」


    明るい声。

    なのに、 窓に映った仮面は、 少しも笑っていない。




    「嬉しいです」

    笑顔。

    でも、 鏡の中の仮面だけが泣いていた。


     

    電車の窓。

    店のガラス。

    スマホの黒い画面。

    反射するたび、
    感情だけが仮面になって浮かび上がる。


    息が止まりそうになる。



    逃げるみたいに、エレベーターへ飛び込んだ。



    閉ボタンを何度も押す。

    ドアが閉まる。

    静寂。

    白い蛍光灯。


    呼吸が浅い。

    喉が痛い。


    震える指で頬を触って、鏡を見る。


     


    傷が、ない。


     


    「……え」


    鏡に近づく。


    何もない。


    皮膚は滑らかだった。


    ほっとしかける。


    その瞬間。


     


    気付いた。


     


    そこにあったのは、真っ白な顔だった。


    目も、口も、感情もない。


    のっぺりとした、何もない顔。


     


    息が止まる。


     


    鏡の中の“それ”が、
    ゆっくりこちらへ乗り出してくる。


     

    ぴり。

     


    頬の奥で、また何かが裂けた。


     


    つかまる。


     


    そう思った瞬間。



    聞き慣れた音と共に、
    エレベーターが開く。


    「何食べる?」


    不意に、声が滑り込んできた。


    二人組だった。


    何事もない顔で乗り込んでくる。


     


    「なんでもいいよ」


     


    その言葉に、思わず身体が強張る。

    でも声は続く。


     

    「じゃあ並んでお寿司か、
    並ばないでパスタどっちがいい?」




    少しだけ考えて、

    「……並ばないほうかな」

    と、相手は笑った。


     

    その瞬間。

    痛んでいた頬が、少しだけ静かになる。



    そういえば、
    前にもらった飴がバッグの中に入ってた気がする。

    ふと、そんなことを思った。



    閉まりかけたエレベーターの鏡に、
    一瞬だけ、自分の顔が仮面に見えた。


     

    それは、
    今までみたいな、貼りついた笑顔じゃない。

    困ったみたいに、 少しだけぎこちなく笑っていた。


    次の瞬間には、もういつもの自分しか映っていなかった。

     
     
    考えることが好きです。 考えすぎて疲れるので、別のことを考えて逃げながら遊んでいます。 雪玉を雪だるまに。日常を人間に。 そんなエッセイ……だといいなぁ。

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