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元管理職ママ、名前も言えない中国語ゼロから、45歳で北京の大学院生になってみた。

    日本では社会人になってから大学や大学院で勉強するなど、30代や40代の学びなおし「リスキリング」も流行っているけど、中国では全く流行っていない。
    中国は人が本当に多すぎて(なんせ日本の約11倍!)、基本的には中国人は30歳までしか大学院には入れないらしく、
    外国人でも35歳までくらいしか奨学金ももらえないし、40代の大学院生なんてほぼいないんじゃないかと。
    中国では、毎年1000万人以上の人が大学を卒業するんだから、そりゃ高年齢の人は不要だわ、苦笑。

    昨年の春に北京にやってきて、色々なことがあった後に、9月から北京の某大学院へ入学できることに。学部は「国際中文教育(国际中文)」。要は中国語の先生になる人を集めた学部。
    自分は教育学部を卒業していることもあり、一応教育学部ですと言えなくはないけれど、正直言って、ここ以外は年齢含めて落ちたので選択肢がなく。。。
    大学院に入ること自体も相当厳しかったので、入学許可がおりた時はとても嬉しかったけど、入学したら絶望しか待っていなかった。

    入学当初は、最初は自分の名前も正しく言えず(今も時々怪しい💦)、
    「今日は何月何日?」と聞かれても答えられず(言えないどころか、全く聞き取れない!)、全部中国語で行われる授業は何一つ聞き取れず、
    数百人の大学院生を束ねる劉老师(劉先生)には相当無下に扱われ、半年くらいは近寄るなオーラを出され続け、無視されていたに近いような……。
    何度も辞めたくなり、泣きたくなり、実際本気で泣いたこともあった……。
    「北京でリスキリングの45歳!」なんていうかっこいい美談ではなく、
    ゼロというか、マイナスというか、目の前には越えられそうにない大きな壁がはだかり、でもなんとかしなきゃでもがき続ける毎日。
    元々北京に来る前は、今世の中的には増えている「管理職女子&ママ」をやっており、多少は会社でも役に立っていたような気もしなくはないけど、自分の無力さをどん底まで味わった。

    劉老师含め、今は周囲の助けもあり、なんとか辞めずに10か月間、大学院を通い終えて残り一年となったけど、今の中国語レベルでは卒論答弁ができないし、相当頑張らないと卒業が危うい綱渡りの日々。まぁ、頑張り続けるしかない毎日。(没办法:方法がない)

    周囲の大学院生は、大学を出たばかりの22か23歳が大半で(正直自分の子供でもおかしくない年齢だわ!)、あとは数年働いてみたけど、やっぱりやりたい仕事が違ったと思って、将来中国語の先生を目指す人がちらほら。
    人によっては中国語はネイティブレベル、小さい頃からやっていた人、親や親戚に中国人がいるという人も多く、最低でも4年は大学の専攻で中国語をやった人ばかりで、話せないのは私くらい!?
    中国語レベルが低すぎてコミュニケーションが図れない中、年齢の差を含め、その人たちと一緒に授業を受けるって、結構きついわけで……。
    当たり前だけど、大学院の授業と、中国語の勉強は全く違い、ちょっと中国語の勉強をしても大学院の授業には全くついていけず、授業が理解できなさ過ぎて先生が話していた内容を確認する復習には相当な時間を要し、そうなると中国語を勉強する時間はない。

    さらに、大学は今住んでいる家から遠い。中国では、中国人も留学生も殆どの人は、大学内にある大学の宿舎で生活するので、中国語漬けになれる機会も多いけど、私の場合は家族で住んでいるので、毎日片道17キロ、往復34キロ。その距離を電動車(电动车)という名の原チャリで通っていて、往復1時間半もかかるので正直通学も楽ではなく、修行に近いというのか。

    大学時代の仲良しの、今は専門学校の先生をしている友人に伝えたら、
    「34キロ、1時間半も毎日原チャリに乗っているなんて信じられない!
    20代の学生じゃないんだから!!もうこっちは更年期で体調悪いのに、
    よくそんなことできるよね。ほんとに同級生?」って驚かれた、苦笑。

    北京にばかりの来たときは7歳くらいは年齢のサバを読めたけど、北京の空気が悪すぎること、毎日の原チャリ生活でシミができ始めてしまったこと、寝不足等から若干実年齢に近づいている気がする。北京、恐るべし!

    せっかく覚えたこともすぐ忘れ、一進一退どころか二退している気がするけど、自分が勝手に選んだ道だし、人生波乱万丈な方が面白い気もし、元気なうちは死ぬまで挑戦!? それを自分で自分に言い聞かせて、前向きに。前はわざわざ言い聞かせる必要もなかったけど、今は言い聞かせるしかない、苦笑。

    光浦靖子さんのカナダ留学の本を読んで多少影響は受け、勇気もいただいた。私の中国語ゼロレベルでの大学院生活の方が内容的には濃すぎないか!?と思ったりしながら、葛藤し、挑戦し続ける毎日。
    無事卒業して、いつか中国語を聞いたときに、AIの力を借りずに中国人と一緒に笑える日が来るといい。




    北京にやってきた理由

    北京には20年以上前の大学生の時に、来たことがある。
    今とは全然違う世界で、自由に写真とか取れなかったし、トイレはドアがない「ニーハオトイレ」、自慢なのか?Tシャツをめくって大きなお腹を出して歩くおじさんたちを毎日目にし、小さい子はすぐトイレに行ける(トイトレ?)ように、お尻が開いたズボンをはいていたような。。
    当時、空港から白タクにつかまって連れまわされるわ、大切だったカメラは盗まれるわ、お腹は下すわで、何一つ良い思い出がなく、一生来ることがないと思っていた場所だった。

    でも人生とはわからないもので、自分では予想もつかないことが起きることがある。
    たまたま、夫が仕事の都合で北京に来ることになり、超反抗期の子供もいる中、私が一人でワンオペを3年間やる自信がなかったこと、北京と東京の行き来も簡単にはできない中、3年間も子供が夫と暮らさなくていいのか?(過去に夫が地方赴任になって3年近く未就学児二人を育てながらワンオペしていた過去もあるので)、キャリアより大事なこともあるよなーとか、色々悩んだ上、会社の制度を利用して仕事を休ませていただけることになり、人生において自分なりの新たな挑戦をしたくて、決断した。


    最初は大学院生になる予定ではなく・・・

    元々は中国語をゼロレベルから北京大学の語学クラスで昨年の秋から勉強する予定だった。その前に少し時間があるので、今通っている大学院の、大学の外国人語学クラスに2~3カ月行こうとし、手続きも済ませて前日に学費の支払いに行ったところ、なんと、ビザの問題が発生し、明日からは通えないとなり。明日から勉強する気満々だったのに、奈落の底に突き落とされた感じで、数日寝込むほどのショックを受けた。
    今までは翻訳ソフトを使いながら、休職前の忙しい中、手探りでかなり頑張って自力で手続きをしてきたものの、限界を感じ、失敗を機に自分だけでは無理だなと思え、留学エージェントを通すことに。
    無駄なお金は人に払いたくないと思うものの、ここはお金をけちるとか言っている場合じゃない!と考え直した。
    エージェントの担当者とは色々話をした上で、
    「大学の語学クラスに行ってもなんのキャリアにもならない。
    中国語を少し話せる人なんて山ほどいます。
    せっかく今まで20年近く社会人をやり、職もあるなら、
    語学の留学クラスではなく大学院目指したらよいのでは?
    資格にもなりますし、HSK5級が受かれば通えますよ。」と言われ、
    HSK5級のレベルもよくわからずに、純粋にその言葉を信じた私は、
    別の大学の、ベテラン先生を紹介してもらい、一対一でHSKに受かるためだけのテクニックとも言える授業を10週間毎日受け、奇跡的にHSK5級に合格し、大学院への切符も手に入れた。

    マンツーマン担当のベテラン教員には最初に会った日、
    「私は、20年ここで教員をやって山ほど学生を見てきたわ。頑張り次第でHSK4級は受かるかもしれないけど、HSK5級は絶対絶対無理!
    そもそも中国語を勉強して、半年もたってないし、覚える語彙は2500語。覚えられるわけがない!!普通は2年かかるから。」と言われたことが記憶にある。
    先生としては、大学院は就職するために行くための場所。私に職もあり、中国語を話せもしないのになんで大学院に行きたいのか?、2年くらい中国に滞在するのに、なんで今HSK5級の合格が欲しいのか全く分からないようで、「为什么(なぜ)?」をひたすら言われた。「日本ではリスキリング、割と流行ってます!と言いたくても、話せないので黙っているしかなかった。10週間は一緒に頑張り続け、先生なしでは受からなかったので、感謝しかない。

    先生によく言われたことは、
    リスニングでは内容を理解しようとするな。聞こえたキーワードだけ拾って。それが入っている選択肢がほぼ正解だから。
    これって、大学受験時の現代文は内容を理解しなくてもキーワードを結び付けろ等ならった、まさに受験テクニック!?
    内容理解はできないので、なんとなくキーワードになりそうな選択肢の中の漢字を先に見て、目星をつけ、聞き取るしかなかった。

    途中何度も嫌になり、受かる可能性が低いものに対して頑張り続ける意味があるのかとも思えたものの、最後はホント死に物狂いで毎日勉強をしていたので、受かった時は救われた気がした。
    努力は無駄ではない! そして、やらずにできないと決めつけてはダメだ!と改めて思えた。年齢を重ねると、世の中が見えて来るので、言い訳したり、やらずに諦めがちだけど、、挑戦し続ける気持ちを忘れてはいけない。

    受かった時に、エージェントと先生に連絡すると、
    それぞれから「素晴らしい!そんな奇跡は起こるんですね」的なことを言われ、絶賛していただいた。
    皆、それぞれできないという感じるパーセンテージ数は異なっても、できないって思っていたんだ、苦笑。

    大学院の授業が開始

    私の専攻は、「国际中文」(国際中文教育)。要は、中国語の先生になるための人ばかりが、世界中から集まってきて、一部中国人もいる。

    昨年9月から大学院生になってオンラインでのオリエンテーションでは何一つわからずだんだん不安にはなり、最初に授業に行ったとき、「マジ、来る場所間違えた!!」と本気で思った。だって何一つ聞き取れないΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン

    若干前向きに、1週間くらいたてば少しはわかるのかな?とも思ったけど、1週間たっても何一つわからない。私ここに何しに来たんだっけ!?

    正直、何度辞めたくなったことか。そして45歳にして、何度涙を流したことか。わからない自分、できない自分、悔しい自分、何もかもから逃げ出したい自分・・・。

    時間割の登録等も全て自分でこなさなくてはならず、全く書かれていることはわからないし、全部文字を翻訳ソフトで直して理解するのだから、かなりやばい人だったと思う。

    大学院生を束ねる先生に聞くしかなくて、事務室にいる劉老师のところに何度も足しげく通うものの、本当に私は話せなくて、自分の名前もちゃんと言えず、どういう漢字を書くのかを説明できなかったら、怒られて、答えてくれず。伝わらないので、話すのを止めて、携帯のGoogle翻訳画面を見せたら、先生70歳は超えているから老眼で見えなくて突き返されたこともあったっけ。さすがに画面を突き付けるのは失礼だと今では思うけど、その時は本当に切羽詰まっていたのだと思う。
    先生には勉強してからこいと何度も言われたけど、何言っているか暫く全く分からなかった。
    そして半年くらいしてから知ったことは、劉老师はなんと日本語が流暢だったということ!!
    こんなに大変な学生が目の前にいたのに、絶対に中国語しか話さないって、ひどすぎない!? 少しくらい助けてくれたってよかったじゃん!!と思うものの、彼なりに頑張れというメッセージというのか、そんなことが自分で解決できないなら大学院を辞めろということだったのか……。

    今でも私に対しては「頑張るしかない。とにかく頑張れ」というものの半年後から段々少しずつ心を開いてくれ、応援してくれ、会うたびに、日本語で「頑張って!」、その後中国語で「加油!」とは言ってくれる。
    大学院生が春休みの大雪の日も相談に通ったし、とにかく困ったら行くので、時には「今日行きます」とメッセージを送ると、「今日はもう来なくていいから、メッセージだけで」と連絡が来ることもあるくらい、苦笑。

    今期の3月からの彼の卒業論文に関する授業を取ろうとしたら、定員オーバーで締め切られて取れなくて、定員追加をお願いに行った。
    授業はオンラインで申請する形で、開始時間前からPCを開いて待機をし、時間になったらすぐにアクセスしても、サーバーダウンで申請ができなかった。サーバーダウンによる、定員オーバー。さすがにひどすぎない!?
    定員の追加申請に行ったら、「中国語できないんだから、取らなくていいよ。他のを受けたらいい。」と言われるも
    (中国語のレベルは低いけど、その言い方はひどい💦)
    「話すのは難しいですが、漢字があれば理解できるので、どうしても受けたい。」としつこくしつこく3日くらい事務室に通ったけど、「慌てないで(别急着)」と言って対応してくれず。登録締め切りの最終日、諦めつつ、本来昼休みは先生はいないのだけど、敢えて閉まった事務室に行ってトントンたたいたら、劉老师がドアを開けてくれた。
    「普通来ないよ、昼休みに。でも○○(私の名前)来るかなってちょっと思った。」と笑って言って、最終的に授業の人数も増やしてくれて受講ができた。
    満員だった論文の大教室授業では、できない私を毎回指すし(いつ指されるかわからず、怖すぎて緊張感半端ない)、時には大教室の前まで行って、例文を読まされ(読めないと、教えてくれはするものの、もっと勉強しないと言われ)、時には黒板に私の名前を例文を書いたり(彼のおかげで、中国語ができない超有名人になってしまった)するものの、今の大学院生活では彼の存在は大きい。
    授業中「私が来年死んでなければ、卒論答弁後に卒業手続きを行います。でも年だから来年のことはわからない。」なんて冗談を言うけど、いなくなったら困るので来年、いやその後もご健在でいていただきたい。


    私のレベルで模擬授業は苦しすぎる

    目指すのは中国の先生なので、前学期は話せないのに、模擬授業までさせられた。模擬授業の時の私の発音が間違っていて、模擬生徒たちが正しい発音で返してくれるという。私の場合、授業をやるというより、単に資料を読んでいるだけだし。それなのに発音(声調)が違うとなると、他の生徒たちにも申し訳ない気持ちに。
    中国語をわからない自分が人に中国語を教えるなんて無謀だわΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン


    中国語できない人連合!?

    最初は自分ができなさ過ぎて、自分だけができないと思っていたけど、私以外に中国語レベルが高くない人たちがいるということにだんだん気づいた。
    それは国家プロジェクトでもあるサウジアラビア人ご一行。
    彼らの大半は、英語の先生で、将来中国語の先生になるために来ている。

    授業の最初の頃は私の中国語勉強期間は半年位だったけど、彼らも一年半だという。ただ、彼らは私より明らかに話せて聞ける。でも彼らは漢字が難しすぎて、読解ができない。
    私が何一つ聞き取れないのに、彼らは聞けて話せるんだからすごすぎる!と思うけど、彼らは本当に読めないと言い、完全に私と彼らの悩みは異なる。
    私たちだけが他の生徒と比べて、並外れて中国語のレベルが低いということだけは共通している。

    他の国の生徒たちから見れば、多くのサウジアラビア人たちは中国語ができない人たちという風に見られがちだけど、1年半で漢字が理解できるのはすごいことで、7か国語話せる人もいたりとかなり優秀な人たちがたくさんいる。
    授業によりサウジアラビア人以外受けられない授業もあったけど、前期の授業では、劉先生に頼んで、今回も私だけ2科目、サウジアラビア人の授業に加えてもらった。
    同じ内容の普通にある授業の第一回目に行った際、担当の教授に私のレベルが低いか受講して大丈夫か聞いたところ、
    「あなた本当に大学院生なの? 私の授業はレベルが高いし、論文を読んで毎回グループごとに討論してもらい、別途発表もあるから、難しい。同じ授業を他の先生も担当しているから、他に行った方がいいわ。サウジアラビア人のクラスもあったと思うし。」と言われ、また劉老师に相談に行った。

    「私の中国語の水準が低いからサウジアラビア人クラスに行かせてもらえないか?」と劉老师に言うと、
    「なんで?○○(私の名)は、日本人でしょ?サウジアラビア人じゃないでしょ。」と言われたけど、しつこく言うと、
    「プライドないの? 他の70人は全員サウジアラビア人だよ。大丈夫?」と言った後に、
    (プライドより、単位が大事!!笑)
    「とりあえず一回目の授業に行ってみて、直接担当教員がいいと言えば、好きにしていいよ。手続しなきゃいけないから決めたら教えて。」と言われ、行った。
    サウジアラビア人対象の第一回の授業で驚いたことは、70人がいると言われていたのに、ドアを開けると先生一人しかおらず。日本人の私を見た先生には「ここはサウジアラビア人クラスだから、間違ってい思ますよ。」と言われ、事情を話すと先生は「サウジアラビア人しかいないけど、いいですよ。」と言ってくれたので通うことに。
    誰も授業に来ないって…自由過ぎない!?
    第二回目からは他の生徒たちも来て、16週間一緒に授業を受けた。
    私以外は全員サウジアラビア人なので、北京の大学院にいるのに、まるでサウジアラビアに留学したみたいじゃないかと思えたけど、数人は他のクラスで一緒の知人もいたし、仲良くなると、前の席に一緒に座ろうと言ってくれたりで、いつも彼らは親切にしてくれ、たくさん助けられた。
    後からわかったことは、彼らの大半には子供がおり、家族で北京に来ている人も多く、私が「子供二人いるから、勉強だけ集中してできないし、毎日忙しい。」というと、「2人なんてたいしたことないよ!私は子供、4人いるから!」と言われ、びっくりした。


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    私以外がサウジアラビア人のクラス。色々助けてもらった半年。


    日本語専攻の大学生・王さんとの週2ランチ&実践練習

    入学したての中国語教授法の授業を受けた際、授業の内容が何一つわからず、授業後先生にどうしたら中国語ができるようになるかを聞いたら、まず先生は驚いた。
    「あなた本当に大学院生(研究生)? なぜここにいるの?
    授業の内容わかった?」と聞かれたものの、何一つ聞き取れず、その様子に先生の驚きは半端なかった。
    でもとても親切な先生で、
    「中国人と話をしたらいい。知り合いいる?」と聞かれ、
    「いない。」というと、じゃ、「日本語教えられる?」といわれ、
    「日本語ならできます。」というと、
    「日本語学科の子を紹介するから。男子と女子どっちがいい?」と言われたものの、「男子」「女子」という言葉も勿論聞き取れず、先生がしびれをきらして紙に漢字を書いてくれ、「女子」を選んだ記憶がある。
    先生も私が中国語をできないといったものの、できないのレベルに驚きすぎていた姿が忘れられない。
    最終的には、大学三年生の王さんを紹介してくれた。
    最初に会う前日に一緒にお昼を食べましょうと連絡をくれ、食べたけど、
    私は「ニーハオ(你好)」と言った以外は中国語話せず。
    彼女は大学に入ってから日本語を勉強し始め、私よりは断然流暢だったものの、「日本語ができないから、日本語を話すのが怖い。先生と話すのも怖い。」とカタコトながらに何度も言っていたので、それに対して私が易しい日本語で返すだけだった。
    その後は週2回学食ランチをしつつ、2時間一緒に日本語と中国語を使ってそれぞれの文化や生活習慣の話をしている。
    今でも込み入る話になると私は中国語がわからず、彼女は日本語がわからないのでうまくAIの力も取り入れながら交流している。


    ネットのタオバオ(ネットショッピングサイト)で教科書を買ったら、コピーされた本がが届いた

    ネットで教科書を買ったらなんと、白黒でコピーされ、さらには製本された本が届いた。明らかに著作権に反していない?と驚いた。
    王さん曰く、「そうそう!中国語では偽物よく届くから。返金してもらって。」といい返金の仕方も彼女から学んだ。
    教科書を勝手にコピーして製本した方が無駄じゃないかと思うけど、、。
    ほんと中国はわからない、苦笑。
    彼女曰く食べ物も中身が違ったり、写真と違うものんもよく届くから気を付けて!とのこと。

    ヤクルトは中国の会社でしょ!?

    子供が好きで時々ヤクルトを買うという話をすると、
    「ヤクルト、日本人も好きなんだね!中国人も好き。中国の会社だよね。」
    と王さんが言う。
    えー、日本企業だよ!というと、そんなわけないと。
    他にも海外の企業を中国企業だと言い出し、驚いた。
    漢字表記ががあって馴染みがあると、どうも中国の企業だと思っているらしい、苦笑。

    ハンギョドンは“臭鱼”(醜い魚)でミニョンは“小黄人”(小さな黄色い人たち)

    中国語は漢字を音で当てはめるけど、キャラクターは割と違う印象を受ける。サンリオキャラクターのハンギョドンはなんと「醜い魚」を意味する“臭鱼”と一般的に言い(現在サンリオの公式サイトでは別表記に)、ミニョンは“小黄人”。確かに見た目は黄色い人だけど、この言葉を聞いてキャラクターを想像できる外国人はいないのでは!?

    週2回行う王さんとの交流で私が中国語を話すのもだいぶ怖くなくなり、
    中国の様々な文化を直接教えてもらえるのは本当にありがたい。
    中国の人にどこまで聞いてもいいものなのか悩むことはあるけど、彼女にはなんでも聞ける。
    中国で唯一の中国人の友達と言えるのかな。


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    書きながら中国と日本の話をするためのノート。お互い漢字を使うと説明がしやすい!?


    AIなしでは生きられない

    AIで全ての宿題をこなしたり、論文を書くのは問題だけど、今の私の勉強にはAIは切り離せない。AIなしの授業は無理だし、中国語も勉強できない。
    最初は授業でどうやってAIを活用するかがわからず、授業のパワポの写真を全部Google翻訳で訳して内容を確認していただけど、どうやってもそのやり方では時間が足りなさ過ぎて、今では同時翻訳ソフトを活用している。
    ただ最初はわからなかったものの、日本語訳を見るとだいぶ間違っているので先生の話した言葉を同時に漢字にしたものを見ながら授業をしている。
    片方で漢字を見て、片方で話を聞くというやり方。
    また、中国語の勉強においても、ピンインが曖昧だったりなので、自分で取り組んだ上で全部AIでピンインから内容確認まで行う勉強をしている。これでもなかなか時間が足りない。AI無しの環境では、私のレベルでの大学院は絶対に無理な気が。


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    授業でうつしだされるPPT
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    Google翻訳を使用していたけど、全部の授業は無理だと感じた


    毎日通学に往復34キロ。一年で9000キロの北京の街を電動車(原チャリ)で走る

    北京の渋滞は半端ない。短い距離でも渋滞にはまると動かなくなる。
    でも便利なのが、電動車。電動自転車といい、自転車の一種に分類されるものの、どう考えても、原チャリ。これを自転車と言い張るには驚かされる。
    車両登録はしなくてはならないものの、免許はいらない。
    そして、北京では自転車と電動車は同じ専用レーンを走る。
    原チャリと自転車が一緒って無理がない!?と思うけど、時により無理があると思う。走るスピードも違うわけで。さらにワイマイ(外卖)、いわばデリバリーの電動車の運転が危ない。彼らは時間内にものを運ばないと職業を失うらしく、ある意味命がけでやっているから、ものすごいスピードを出し、クラクションも半端ない。
    中国人でも人により怖くて電動車には乗れないというけど、私の北京生活では必須アイテム。これがないと学校にも通いにくいし、近場の買い物にも行けない。気づいたら1年で9000キロも走っていた。でも、ほぼ学校往復だけという。卒業するまでにはせめて数か所はこれに乗って北京観光をできたらいいな。


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    電動自転車は「自転車」ではありもともとペダルがある。ただ付いていると引っ掛かり、かえって危ないから、たいていの人は壊して乗る!(私も!) これを自転車と言い張るのはすごすぎる!


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    電動車はどこにでも無料で止められるのが便利。
    ただ、めちゃくちゃに置く人が多く、通れないことも。考えて止めてほしいよなと思うことは日常茶飯事。


    継続中で、綱渡り状態の大学院生活。
    でも、今しか味わえない北京生活。
    「一進二退」生活が、早いところ、せめて一進一退になればいい。










    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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