
とある介護士の記録|第二話 403号室
403号室
ピンポーン ピンポーン ピンポーン
ああうるさい。うるさいうるさいうるさい。
事務所の403号室のナースコールランプが点滅している。
「はやくぅきてぇ」とあの甘ったるい声が聞こえてくるようだ。
消灯時間はとうにすぎている。時計をみると00:57だ。
チッ
「松川さん、どうされましたか??」ナースコール越しだというのに勝手に笑顔になっていた。癖だ。もはや呪いだ。
「きてぇ。さみしいよぉ。おねがいよぉ...」
「すみません。消灯時間が過ぎています。もう寝る時間ですよ。さみしいという理由では、私たちも行けないんです。」
「胸がくるしぃのぉ...」
気のせいだよ!と言いたくなるのを飲み込む。
「すみません。すぐ伺いますね。」
暗い廊下を歩く。常夜灯が、403号室へ私を誘導している。
今この瞬間、全部のブレーカーが落ちればいい。ナースコールも、仕事も、私の神経も、全部いっぺんに切れてくれたらいいのに。
今夜だけで4回目の403号室へ入る。
暗い部屋でテレビのチカチカした明かりが、小さく細い老婆を気味悪く照らしている。私はそっと近づいた。
「すみません。松川さん。どうされましたか?」
「さみしいのよぉ」
「胸の苦しさはどうですか??」
「さみしくてくるしいのよぉ」
その言葉が、部屋の空気を数度下げた気がした。
なんでもいいが、その甘ったるい話し方はやめてほしい。可愛くもなんともない。甘えたいのなら逆効果だ。
この老婆は、若い頃からこうして、周囲の人間に甘えて生きてきたのだろうか?成功体験があったからこその、今この瞬間なのか?勝手に想像した瞬間、心の奥がじわっと冷えた気がした。
私の仕事は、この人の寂しさを埋めることではない。
「すみません。また巡回で来ますので。」
もう寝ましょう、そう続けようとした途端に泣き出した。
「ぐすっ、ぐすっ...。ここにいてぇ...。手ぇ...握っててよぉ...。あんたの手で...ね...あっためてよぉ」
今すぐにでも走って逃げ出したい。それが可愛いのは子供だけだ。今この状況は、お化け屋敷よりも肝試しより怖い。
だけど私は、「すみません」と微笑むことしかできない。
「少し眠って、そしたら私、また来ますから」
そう言ってゆっくりと403号室を後にした。
ピンポーン ピンポーン ピンポーン
事務所に戻ってから、まだ20分も経っていない。
彼女は一晩中これを繰り返すつもりだ。やらなければならない雑務は山積みになっている。夜勤の相方が仮眠から戻ってくるまで後1時間だというのに。
「なにやってたんですか」と今夜も冷たい視線で見つめられるんだろう。お前のようにナースコールも無視してれば仕事も捗るだろうよ!と心で毒づいてみせても、仕事はなくならないし、ナースコールは鳴り止まない。
「きてぇ、はやくきてよぉ。くるしいのよぉ」
重たい足とは反対に早すぎる笑顔を携えて、私はまた403号室へ向かう。
———
朝になり、記録用紙を取り出した。
「403号室 松川良子 4:00入眠確認」