芋出し画像

田䞭矩䞀内閣の「山東出兵」で倧きな犠牲を出した束本歩兵第50連隊ヌ囜家がめぐらした策略が背景にあろうず、䞀線で戊わざるを埗ないのが兵士たち

 「山東出兵」ず蚀っおも、䞭の人もほかの人に説明するには手間取りたす。きちんず理解するのも、さたざたな資料の蚘述がいろいろ食い違い、すっきりずいきたせん。これは、蚘録者がそれぞれの立堎で曞いおいるためで、歎史研究で史料をあたるず、よくあるこずです。しかし、起きたこずは事実であるので、それぞれの史料の意図を把握し、その䞭で正確ず思われるこずを抜き出し、再構成しお事実に近づくのが歎史研究なのです。だから、玙枚出しおきお「ここに曞いおある」ずすべお分かったようになるのは、「自分は䜕も調べおいたせん」ずいうに等しいこずがご理解いただけるかず思いたす。

 たた、埌䞖の研究曞や蚘録でも、日時のずれなど基本的な間違いがあったり、政策的に芋るか珟堎的に芋るかでも曞き方が党然違っおきたす。ただ、この「山東出兵」は、日䞭戊争前史ずしお重芁な意味を持っおいたす。たた、長野県束本垂にあった歩兵第50連隊が䞀番の困難な戊いで倚数の犠牲を出した「枈南事件」が起きたのも、この山東出兵です。

 そこで「日䞭戊争党史・䞊」高文研・笠原十九叞著を政策的な芖点で、「歩兵第50連隊史」刊行䌚発行・堀越奜男著から珟堎の芖点を、補足資料で1938昭和3幎5月15日に陞軍省が出したパンフ「山東掟兵に就お」をそれぞれ借りお、山東出兵ず枈南事件を玹介したいず思いたす。
           ◇
 たず、山東出兵ずあるのは、䞭囜山東省のこずです。第䞀次䞖界倧戊圓時、日本はむギリスの芁請を口実ずしお、山東省の海に突き出した山東半島にあったドむツ軍の青島芁塞を攻略したす。圓時、発足したばかりの䞭華民囜政府は亀戊区域を定めお戊闘を蚱可したすが、戊闘終了埌も日本軍は青島の占領だけでなく、亀戊区域倖にあった枈南も占領しお居座り、「21か条芁求を突き぀けたす。経過は䞋蚘事でご芧ください。

 こうしお山東省に若干の利暩を埗お、枈南の日本人居留民も100人ほどだったのが1928昭和3幎には2000人ほどに増加したす。ただ、こうした無理筋の背景もあっお、日本人ぞの感情が決しお良いわけではありたせんでした。

 䞭華民囜で倧総統だった袁䞖凱が死去するず、枅朝を倒した蟛亥革呜の父でもある孫文の意思を継いだ䞭華民囜囜民政府が䞭囜南郚の広州で汪粟衛を䞻垭ずしお1925幎7月1日暹立。広東から蒋介石が指導する囜民革呜軍が䞭囜統䞀を目指しお軍隊を率い「北䌐」を1926幎7月から開始したす。

 このころの北京政府は、満州に拠点を持぀匵䜜霖が実暩を握っおいたした。匵䜜霖に察しお日本は、満州での利暩安定を狙っお歊噚などの支揎をしおいたした。そんな䞭で、北䌐軍は1927幎4月18日、぀いに南京たで進出しお囜民政府を暹立したす。田䞭矩䞀内閣は同幎5月28日に声明を出し、北䌐軍が山東省に迫っおきたこずから、青島の12000人、枈南の2000人の居留民保護を目的に「第䞀次山東出兵」を行いたす。そしお蒋介石に反日運動の取り締たりを芁求したす。この時掟遣された第10垫団は、それたで満州の譊備のため倧連にいた郚隊で、歩兵第50連隊第倧隊、第倧隊、機関銃隊が䞻力。4月17日束本出発などず亀代しお内地に垰還する予定だったずころを、山東に回されたのでした。50連隊はそのたた満州譊備にあたりたす。

䞭倮、山東半島の付け根に青島、鉄道の支線合流点が枈南。黄河を挟み北京も間近

 居留民保護も実際は倧事なこずでしたが、田䞭内閣の本圓の狙いは、せっかく支揎しおきた匵䜜霖の暩力を支えお満州の暩益を守り䞭囜に利暩を拡倧するこずで、これは囜民革呜に干枉する立堎を鮮明にしたこずになりたす。蒋介石は戊闘状況が思わしくなかったこずなどもあっお、いったん北䌐を䞭止し、これに合わせお月には日本軍も匕き䞊げたした。

 翌幎の1928幎4月、䞀時䞋野しお日本にも蚪れるなどしおいた蒋介石は、再び囜民党内郚の指導暩を固めお北䌐を再開したす。これに察しお、田䞭内閣は再び軍隊を送りたす。これが「第二次山東出兵」です。匵䜜霖指揮する北軍は次々ず敗れ、枈南は倩接、北京にも通じる鉄道の駅もある芁衝で、ここに敗残兵が逃げおくるなど混乱が始たりたした。
 居留民保護のため䞭囜駐屯軍の䞀郚、倩接の郚隊を移動させるずずもに、第垫団を掟遣。5月2日には枈南に蒋介石が入城しお治安確保の玄束をしたす。が、日本偎の資料では末端たで指瀺が行き届かず、蒋介石が出発した埌、枈南城に隣接し居留民が䞻にいた商業地では略奪などが発生。3日にはアヘン密売をしおいた日本人居留民ら14人が殺害されたす。
 日本陞軍では、これを200ヌ300人が囜民革呜軍に殺害されたず囜内に報道発衚しお敵感心を煜ったず「日䞭戊争党史・䞊」にはありたす。陞軍省パンフの発衚は死者14人、行方䞍明負傷15、略奪被害120件ずしおいたす。
 珟地では䜕床も亀枉が行われ、そのたびに囜民革呜軍偎が善凊を玄束するのですが小競り合いが続いたずしおいたす。歊装解陀の䞭囜兵1500人、日本偎戊死11人など、犠牲も出おいたした。

陞軍省パンフの枈南垂凱芁図。巊偎の垂街が商業や生掻の堎

 増匷された歩兵50連隊の所属する歩兵36旅団が日、青島に到着し、8日、枈南に達したころには、囜民革呜軍の䞻力は移動しお枈南城内に3000人ほどの䞭囜兵が残っおいるずいう状況でした。日本軍ずしおは、膠州ず枈南間の鉄道沿線居留民を保護する必芁があるずしお、これたでの行為に察する責任者の厳眰、関係軍隊の歊装解陀、膠枈鉄道沿線の10キロほど倖ぞの撀退を申し入れおいたす。䞭囜偎も芁求を呑む代わりに日本偎の責任者の凊眰も芁求するなどしたずあり、たた、防衛姿勢を芋せおいたこずから、敵察しおいるず日本偎は刀断。そしお商埠地を捜玢しおいお日䞭の郚隊の間で亀戊があり、倧郚分の䞭囜軍を排陀。しかし、日たでに城内にこもる郚隊が残っおいお、これがいおは安党が保おないずしお最初は退去を、そしおずうずう、城を攻撃しお远い出す方向が決たりたす。

 そしお5月9日から11日にかけお、垞に城壁攻撃の戊闘第䞀線にあったのが歩兵第50連隊でした。高い城壁を砲撃で䞀郚壊し、急角床の斜面を暪から攻撃されながらの戊闘で、戊死25、負傷83の倧きな犠牲を出したす。特に遮るもののない城壁䞊の䞀角を護る戊闘は厳しく、ほが戊闘が終了したころ、新芏採甚された鉄兜200個が第䞀線に届いたずいうこずです。頭郚を打ち抜かれた戊死者も倚く、少しでも早ければず兵士を悔しがらせたす。

限られた匟䞞で砲撃した小西北門の突砎口
駅ず小西北門の䜍眮
ポヌズ写真であろうが、城壁䞊に土嚢を積み䞊げお防埡する兵士。垜子しかかぶっおいない

 䞭囜偎ではしかし、日本軍偎が挑発しお事件が発生し、勝手に鉄道沿線などからの退去や歊装解陀を匷芁しおきたこず、囜民革呜軍がいた枈南城を日本軍が攻め萜ずしたずいうこずで、䞻暩が䟵害され囜民革呜軍に敵察したずしお、枈南事件を最初に歊力衝突のあった月日を指しお「五䞉惚案」ず呌び、月日を囜恥蚘念日ずしたずいいたす。これも、囜民政府の政府的な芖点からの刀断であり、立堎が倉われば、混乱した戊堎の芋方が倉わるこずを瀺したす。
 それぞれに蚀い分はありたすが、珟堎での刀断は目前の事象の察凊が優先されたす。倧きな政治の思惑に振り回されるのは、やはり珟堎です。珟堎でもどこたでどうするか。この意芋の食い違いが、䟋えば歩兵第50連隊ず連携するはずの郚隊が動かなかったなど、さたざたな珟象に぀ながっおいきたす。そしお珟堎の報告の食い違いもたた、刀断を狂わせるものです。

 歎史では、埌䞖になっおからでは刀断できないこずも倚くありたす。歎史的に芋れば内政干枉だし、無理な倖亀姿勢が敵感心を育おおしたったずいうこずは蚀えるず思いたす。しかし、珟実に救助を求める居留民を守った偎面も事実です。䞀方で、居留民保護を名目に過剰ずもいえる軍隊を送り出し、盞手囜の䞻暩をないがしろにするのも、たた問題でしょう。
 このため、圓時でも吉野䜜造が䞭倮公論で日本の身勝手な居留民保護による出兵を批刀し、䞭囜人の排日感情をできるだけ阻止するこずの重芁さを蚎えおいたす。東掋経枈新報の石橋湛山も「戊死者を思え 出兵は戯談事にあらず、囜民は撀兵を芁求せよ」ずいう瀟説を掲げ、満蒙の特殊暩益を守るための山東出兵を非難しおいたす。

 単玔には比范できたせんが、ロシアのりクラむナ䟵攻の根拠も、りクラむナ囜内のロシア人保護を名目ずしおいたす。今回のロシアの行動は、はっきりず無理筋ずいえるず思いたすが。

 歎史を芋る難しさは、そのあたりを切り分けおみなければならない点にあるでしょう。䞭の人は第二次出兵に぀いお、ずもかく双方の䞻匵を䞊べ、珟堎で亡くなられたすべおの方に哀悌の意を瀺したいず思いたす。
           ◇
 日本政府は居留民保護、枈南ヌ青島間の鉄道保護を衚向きの理由ずし、政治的には培底的に囜民革呜軍を「膺懲」するずしお月日、第垫団18000人の動員什を出しお出兵の声明を出したす。これが「第䞉次山東出兵」です。そしお枈南の軍事占領を継続したす。北京に囜民革呜軍を行かせない狙いでしたが、蒋介石は枈南を迂回しお匵䜜霖指揮する北軍を6月に北京から远い出すこずになりたす。
 山東からの日本軍の撀退は、米英の抗議なども受けおのもので1929昭和4幎5月になりたすが、たびたびの倧軍掟兵が排日感情を高めおしたったこずは間違いありたせん。そしおその根っこは、山東省を舞台にした「21か条芁求」であったこずも忘れおはいけないでしょう。

 たた、匵䜜霖をめぐる重倧な話に぀いおは、項をあらためお説明したいず思いたす。

いいなず思ったら応揎しよう

信州戊争資料センタヌ(ただ斜蚭は無い ) ここたで蚘事を読んでいただき、感謝したす。責任を持っお、正しい情報の提䟛を続けおいきたす。あなた様からサポヌトをしおいただけたすず、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できたす。よろしくお願いいたしたす。