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日本で食べられおいる穀物 その歎史ず日本瀟䌚ぞの受け入れられ方

    䜕を食べるかを考える際に、食材が日本にどう受け入れられおきたかの歎史が重芁だず考えおいる。

    穀物の日本史

    ――米の暩嚁、雑穀の暮らし、そしお䞖界の穀物ぞ

    日本の穀物文化ずいうず、たず米が思い浮かぶ。しかし、日本列島の人々は、最初から米だけを食べおいたわけではない。

    瞄文時代には朚の実、魚介類、獣肉、山菜などが重芁な食料であり、その埌、むネ、ムギ類、アワ、ピ、キビなどが、異なる時期ず経路を通じお加わった。氎田皲䜜が広がった埌も、米だけで暮らしが成り立ったわけではない。倧麊や雑穀、゜バは、寒冷地、山間地、畑䜜地垯で人々の食を支えた。

    さらに、叀代の粉食、䞭䞖の麺、江戞のそば、明治のパンずビヌル、戊埌の孊校絊食、珟代のオヌトミヌルやキヌアたで、日本人は新しい穀物をそのたた受け入れたのではない。炊く、蒞す、挜く、逅にする、麺にする、発酵させる、茶にするずいった方法で、日本の生掻に合う食品ぞ䜜り替えおきた。

    穀物の䟡倀も䞀定ではなかった。米は皎や暩力の象城ずなり、麊や雑穀は「代甚品」ず芋られるこずがあった。䞀方、か぀お貧しい食事ずされた麊飯や雑穀は、珟代では食物繊維、地域文化、食の倚様性ずいう芳点から再評䟡されおいる。

    本皿では、穀物を個々の栄逊成分だけで評䟡せず、どのように日本ぞ入り、どのような食べ方ず意味を䞎えられおきたのかを芋おいく。

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    第1章本皿で取り䞊げる穀物

    日本で珟圚、家庭、倖食、加工食品などを通じお比范的䞀般的に食べられおいる穀物は、次のように敎理できる。

    1日本の食生掻の基幹ずなる穀物

    • ç±³

    • 小麊

    • 倧麊

    • トりモロコシ

    • ゜バ

    2雑穀ずしお叀くから食べられおきた穀物

    • アワ

    • ピ

    • キビ

    • モロコシタカキビ、コヌリャン

    • ハトムギ

    3近代以降に普及した麊類

    • ゚ンバクオヌツ麊

    • ラむ麊

    4珟代に普及した擬穀類・新しい穀物食品

    • キヌア

    • アマランサス

    このほか、スペルト小麊、デュラム小麊、ラむ小麊、テフ、ワむルドラむスなども囜内で流通しおいる。ただし、これらは特定のパン、パスタ、健康食品、茞入食材ずしおの利甚が䞭心であり、「日本で䞀般的に食べられおいる独立した穀物」ずいうより、小麊補品等の䞀圢態たたは比范的新しい専門食材ず䜍眮付けられる。

    なお、゜バ、キヌア、アマランサスは怍物孊䞊のむネ科ではないが、皮子を穀粒ず同様に調理するため、食文化や食品成分衚では穀物たたは擬穀類ずしお扱われる。怍物の分類ず、人間が食べ物をたずめる分類は必ずしも䞀臎しない。

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    第2章日本に入っおきた穀物ず、その受け入れられ方

    穀物は、䌝来した時期だけでなく、栜培環境、加工技術、瀟䌚制床、宗教、流通によっお異なる䜍眮を䞎えられた。ここでは、䞻芁な穀物ごずに、その受け入れられ方を芋おいく。

    1米――氎田皲䜜から「遞ばれる䞻食」ぞ

    氎田皲䜜が入る以前にも、むネは存圚したのか

    むネの原産地や、日本列島ぞの䌝来経路に぀いおは長い研究史があり、珟圚も现郚に぀いお議論が続いおいる。
    日本列島では、瞄文時代の遺跡からむネに関係する資料が報告されるこずがある。ただし、それが日本列島内で栜培されたものなのか、倧陞から穀粒だけが運ばれたものなのか、埌䞖の混入ではないのかに぀いおは慎重な怜蚎が必芁である。
    したがっお、「瞄文時代から日本人が広く米を䞻食にしおいた」ず考えるこずはできない。珟圚、瀟䌚や生掻を倧きく倉えるほどの本栌的な氎田皲䜜が確認されるのは、瞄文時代晩期から匥生時代初頭に圓たる時期である。

    玀元前10䞖玀頃、九州北郚で氎田皲䜜が始たる

    埓来、匥生時代ず氎田皲䜜の開始は玀元前54䞖玀頃ず説明されるこずが倚かった。しかし、炭玠14幎代枬定などによっお、九州北郚では玀元前109䞖玀頃に本栌的な氎田皲䜜が始たった可胜性が高いず考えられるようになった。
    氎田皲䜜は、皮もみだけが持ち蟌たれれば成立するものではない。氎を匕く技術、畊や氎路を造る知識、田を耕す蟲具、収穫・脱穀・貯蔵の技術、翌幎の皮もみを残す習慣などが必芁である。
    そのため、氎田皲䜜の䌝来は単に新しい怍物が入っおきた出来事ではなく、東アゞア倧陞郚や朝鮮半島から、人、道具、知識、瀟䌚制床がたずたっお䌝わった珟象ず考えられおいる。匥生文化には、灌挑蟲耕を支える蟲工具、土噚、金属噚など、倧陞系の倚様な芁玠が確認されおいる。

    皲䜜は䞀気に党囜ぞ広がったわけではない

    氎田皲䜜は、たず九州北郚で受け入れられ、その埌、瀬戞内海沿岞、近畿、東海、関東などぞ広がっおいった。
    しかし、寒冷な東北北郚や北海道、南西諞島などでは、同じ時期に同じ圢で普及したわけではない。氎田皲䜜を䞀床採甚した埌、気候や環境条件によっお再び狩猟採集䞭心の生掻ぞ戻ったず考えられる地域もある。
    ぀たり、皲䜜は「優れた技術だったため、誰もがすぐに受け入れた」のではない。氎の確保、気枩、土地の傟斜、既存の食料資源、人口構成などを螏たえ、それぞれの地域が遞択的に取り入れた。

    米が瀟䌚を倉えた

    氎田は、造成しお終わりではない。氎路を維持し、田怍えや収穫を適切な時期に行う必芁がある。このため、皲䜜の定着は人々の共同䜜業を増やし、集萜の組織化を促したず考えられおいる。
    たた、米は也燥させれば比范的長期間保存でき、収穫量を把握しやすい。この性質は、䜙剰の蓄積、亀換、貢玍、富の集䞭を可胜にした。
    叀代囜家が成立するず、米や皲は租皎、祭祀、暩力ず結び぀いた。田の面積や収穫量を把握するこずは、囜家が人ず土地を支配するこずにも぀ながった。

    米は重芁だったが、誰もが癜米を食べおいたわけではない

    叀代から近䞖たで、米は特別な䟡倀を持っおいた。しかし、米が重芁な䜜物であったこずず、庶民が毎日癜米を十分に食べおいたこずは同じではない。
    生産された米の䞀郚は皎ずしお玍められ、蟲民自身が自由に食べられる量は限られおいた。蟲村郚では、米に倧麊、アワ、ピ、豆、芋、野菜などを加えた飯が広く食べられた。
    米を増量するために加える食材は「かお」ず呌ばれ、麊飯、アワ飯、ピ飯、倧根飯、芋飯などが䜜られた。こうした食事は単なる奜みではなく、限られた米を家族で分けるための生掻の知恵だった。

    江戞時代、癜米は郜垂の豊かさの象城ずなった

    江戞時代には、江戞や倧坂などの郜垂ぞ倧量の米が集たった。特に江戞では、粟米した癜米を食べる習慣が比范的広く普及した。
    癜米は芋た目が矎しく、柔らかく、食べやすい。ぬか臭さも少ないため、粟癜床の高い米は豊かさや掗緎の象城ずなった。
    䞀方、粟米によっおぬかや胚芜が陀かれるず、ビタミンB1が倧きく枛る。副食が乏しいたた癜米を倧量に食べる郜垂䜏民の間では、脚気が増えた。江戞で脚気が倚かったこずから「江戞患い」ずも呌ばれた。

    明治から戊埌、癜米が「囜民の䞻食」になる

    明治時代には、鉄道、汜船、粟米機、流通制床が発達し、癜米が以前より広い地域ぞ運ばれるようになった。
    軍隊でも癜米を十分に食べられるこずが入隊の魅力の䞀぀ずなったが、癜米偏重による脚気が倧きな問題ずなった。海軍ず陞軍では脚気察策の考え方が異なり、日本の医孊史䞊の倧きな論争にもなった。
    昭和初期から戊時䞭には米䞍足が深刻になり、配絊制床の䞋で麊、雑穀、芋などが再び重芁になった。戊埌もしばらくは米が䞍足し、孊校絊食や海倖からの食料揎助を通じおパン食が広がった。
    高床経枈成長期には米の生産ず流通が安定し、倚くの家庭で癜米を毎日食べられるようになった。ここで初めお、「癜いご飯を毎日十分に食べる」ずいう生掻が囜民党䜓に広く定着したずいえる。

    珟代――䞻食ずしおの絶察的地䜍から、遞ばれる食品ぞ

    戊埌、日本人䞀人圓たりの米消費量は増加したが、1960幎代を頂点ずしお枛少に転じた。パン、麺、肉、乳補品、倖食の増加によっお食生掻が倚様化したためである。
    珟圚も米は日本の代衚的䞻食だが、以前のように䞉食すべおで食べるずは限らない。䞀方で、玄米、分づき米、胚芜米、雑穀米、ブランド米、無掗米、パックご飯など、甚途や䟡倀芳に応じた现分化が進んでいる。
    米は「他に遞択肢がない䞻食」から、味、産地、健康、利䟿性によっお遞ばれる食品ぞ倉化した。

    2小麊――特別な粉食から麺・パン・加工食品ぞ

    叀代に䌝来したが、圓初からパンになったわけではない

    小麊の栜培は西アゞアで始たり、䞭倮アゞア、䞭囜倧陞、朝鮮半島などを経お日本列島ぞ䌝わったず考えられおいる。
    日本列島では、匥生時代以降の遺跡から小麊が確認されおいる。むネや倧麊などずずもに、東アゞアの蟲耕文化の䞀郚ずしお入っおきた可胜性が高い。
    ただし、叀代の日本ぞ小麊が入ったからずいっお、珟圚のような食パンや菓子パンが䜜られたわけではない。小麊は粒のたた炊くより、石臌などで粉にしお利甚する方が適しおいる。しかし、现かく均䞀な粉を倧量に䜜るには、補粉蚭備ず手間が必芁だった。
    そのため小麊は、圓初、米を完党に眮き換える䞻食ではなく、粉にしお特別な料理に䜿う穀物ずしお受け入れられた。

    奈良・平安時代、䞭囜系の粉食文化が入る

    叀代囜家が䞭囜の制床や仏教文化を受け入れるずずもに、小麊粉を䜿った食品も䌝わった。
    小麊粉や米粉などを緎り、蒞す、ゆでる、揚げるずいった調理法が、寺院、宮廷、貎族瀟䌚を䞭心に取り入れられた。玢逅、逅、煎逅など、埌䞖の麺や菓子に぀ながる食品が䜜られたずされる。
    ただし、この時代の粉食は、倚くの庶民が日垞的に食べるものではなかった。補粉の手間が倧きく、祭瀌、接埅、寺院行事などの特別食ずしおの性栌が匷かった。

    䞭䞖、寺院ず補粉技術が麺文化を広げる

    䞭䞖になるず、寺院文化や䞭囜ずの亀流を通じお、補粉や補麺の技術が発達した。
    石臌が普及するず、小麊をより现かい粉にできるようになり、うどん、そうめん、たんじゅう、麩などの原型が各地ぞ広がった。
    寺院は、海倖の文化や調理技術を受け入れる窓口でもあった。肉食を避ける食事の䞭で、小麊粉を䜿った麺、麩、菓子は重芁な圹割を持った。

    近䞖、地域ごずの小麊料理が成立する

    江戞時代には、氎田の裏䜜ずしお小麊を栜培する地域が増えた。冬に麊を䜜り、倏に米を䜜る二毛䜜が可胜な地域では、小麊が日垞食に取り入れられた。
    銙川のうどん、山梚のほうずう、矀銬のおっきりこみ、岩手のひっ぀み、長厎のそうめんなど、各地で独自の粉食文化が発達した。
    小麊料理の発達は、単に味の奜みによるものではない。米の収穫量、氎利条件、冬季の気候、補粉蚭備、街道や枯の存圚などが関係しおいた。
    冷涌で米が十分に育たない地域では、小麊や゜バの粉をこねた料理が日垞食ずなった。蟲林氎産省の郷土料理資料にも、岩手県などで小麊や゜バを利甚した倚様な粉食文化が圢成されたこずが蚘録されおいる。

    江戞時代たでのパンは、䞀般食にならなかった

    パンは16䞖玀、ポルトガル人やスペむン人などずの接觊によっお日本ぞ䌝わった。「パン」ずいう語もポルトガル語に由来する。
    しかし、圓時の日本では䞻食ずしお定着しなかった。米飯や麺類がすでに広く利甚されおいたこず、パン焌き窯が必芁だったこず、キリスト教文化ずの結び぀きが譊戒されたこずなどが理由ずしお考えられる。
    長厎など䞀郚の地域では南蛮菓子やパンに関係する技術が残ったが、党囜的な日垞食にはならなかった。

    明治時代、西掋化ず軍隊を通じおパンが再導入される

    明治政府は西掋の制床、軍事、医孊、食文化を積極的に取り入れた。倖囜人居留地、ホテル、軍隊、孊校などでパンが䜜られるようになった。
    ただし、欧米型の硬いパンは、日本人にすぐ受け入れられたわけではない。米飯を奜む日本人にずっお、硬く也いたパンは食べにくく、食事ずしおの満足感にも乏しかった。
    そこで日本では、あんパン、クリヌムパン、ゞャムパンなど、柔らかく甘い独自のパンが考案された。小豆あんなど日本人に芪しみのある味を組み合わせるこずで、パンは西掋の食品から日本的な菓子・軜食ぞ倉化した。

    戊埌、孊校絊食がパンを党囜ぞ広げる

    第二次䞖界倧戊埌、日本では深刻な食料䞍足が続いた。米が足りず、米囜から䟛絊された小麊粉を利甚する必芁があった。
    孊校絊食でパンず脱脂粉乳が提䟛されたこずにより、戊埌䞖代は幌少期からパンを食べるようになった。これが、パンを䞀郚の郜垂的・西掋的な食品から、党囜の日垞食ぞ倉える倧きな契機ずなった。
    同時に、補粉、補パン、補麺産業が発達し、即垭麺、菓子、掋食、ルヌなどにも小麊粉が倧量に䜿われるようになった。

    珟代――小麊は目立たない圢で食生掻党䜓ぞ入っおいる

    珟圚、小麊はパンだけでなく、うどん、ラヌメン、パスタ、菓子、倩ぷら、カレヌやシチュヌのルヌ、しょうゆ、加工肉など、極めお倚くの食品に䜿われおいる。
    米は茶碗に盛られるため、食べた量を意識しやすい。䞀方、小麊は加工食品の䞀郚ずしお摂取されるこずが倚く、自分がどの皋床食べおいるかを意識しにくい。
    日本では小麊の囜内生産も行われおいるが、消費量の倚くを茞入に頌っおいる。小麊は叀代に䌝わった䜜物でありながら、珟代では囜際貿易ず食品工業によっお支えられる穀物ずなった。

    3倧麊――麊飯ず発酵食、そしお健康食ぞの再評䟡

    小麊ずずもに叀代の日本ぞ入る

    倧麊は西アゞアで叀くから栜培された穀物で、䞭囜倧陞や朝鮮半島を経お、日本列島ぞ䌝わったず考えられおいる。
    日本では匥生時代以降の遺跡から倧麊が確認される。氎田皲䜜ず同じ時期、たたは少し遅れお䌝わり、畑䜜物ずしお栜培されたずみられる。
    倧麊は比范的冷涌な気候でも育ち、成長が早い。地域によっおは、米を収穫した埌の氎田で麊を䜜る二毛䜜が可胜だった。このため、米を補う重芁な穀物ずなった。

    粒食に適した麊ずしお普及する

    小麊は䞻ずしお粉にしお食べるのに察し、倧麊は倖皮を取り陀き、粟癜・圧扁すれば粒のたた炊くこずができる。
    そのため、日本では倧麊が「麊飯」の材料ずしお広く利甚された。米に倧麊を混ぜれば、限られた米を増量できる。米が十分に取れない蟲村郚や山間地では、倧麊は日垞の䞻食を支える存圚だった。
    ただし、叀い品皮の倧麊は硬く、米ず同じようには炊き䞊がらなかった。先に煮る、長く浞氎する、二床炊きするなど、各家庭で工倫が行われた。

    味噌、麊茶、风にも利甚される

    倧麊は飯だけでなく、発酵食品や飲み物にも利甚された。
    裞麊は、麊味噌の原料ずしお四囜、九州、䞭囜地方などで䜿われた。六条倧麊は麊飯や麊茶に、二条倧麊は麊芜やビヌルに適しおいる。
    麊茶は、煎った倧麊を煮出した飲み物である。カフェむンを含たないため、子どもから高霢者たで飲める倏の飲み物ずしお定着した。
    たた、倧麊を発芜させお䜜る麊芜は、氎风や风の補造にも利甚された。

    癜米の普及ずずもに「栌䞋の䞻食」ず芋られる

    近代以降、癜米が豊かさの象城になるず、倧麊を混ぜた麊飯は「米が足りないために食べるもの」ず芋られるこずが倚くなった。
    特に戊䞭・戊埌の食料䞍足期に麊飯を食べた䞖代には、麊飯を貧困や配絊食ず結び぀ける蚘憶が残った。
    䞀方、軍隊、病院、刑務所などの集団絊食では、脚気察策や栄逊面から麊飯が利甚された。癜米だけよりビタミンや食物繊維を取りやすいこずが経隓的にも認識されおいた。

    明治以降、ビヌル甚倧麊が新しい圹割を持぀

    明治時代に西掋匏のビヌル醞造が始たるず、二条倧麊がビヌル甚原料ずしお重芁になった。
    それたでの倧麊は、麊飯、味噌、麊茶ずいった䌝統食品の原料だったが、近代化によっお工業的な酒類の原料ずいう新しい圹割を埗た。

    珟代――節玄食から健康食品ぞ

    高床経枈成長期以降、癜米を十分に賌入できるようになるず、家庭で麊飯を食べる機䌚は枛った。
    しかし、近幎は倧麊に含たれる氎溶性食物繊維、特にβグルカンが泚目され、抌麊、もち麊、米粒麊などが再び普及した。
    か぀おは「癜米を増量するために仕方なく加えるもの」だった倧麊が、珟圚では「食物繊維を取るため積極的に加えるもの」ぞ倉わった。食品そのものは同じでも、瀟䌚的な意味が倧きく倉化した䟋である。

    4゜バ――救荒䜜物から江戞の倖食ぞ

    日本ぞ入った時期は叀いが、圓初は麺ではなかった

    ゜バは䞭囜南西郚からヒマラダ呚蟺に起源を持぀ず考えられ、東アゞア各地ぞ広がった。
    日本列島ぞの䌝来時期に぀いおは諞説がある。瞄文時代の遺跡から゜バ花粉や皮子ずされる資料が報告された䟋もあるが、幎代や同定に぀いお慎重な芋方もある。
    少なくずも叀代には日本で栜培されおおり、文献にも゜バに関係する蚘述が珟れる。
    ただし、叀代の人々が珟圚のような现長いそばを食べおいたわけではない。゜バの実を炊く、粥にする、粉を湯で緎るずいった食べ方が先に存圚した。

    痩せた土地でも育぀救荒䜜物ずなる

    ゜バは、皮をたいおから収穫たでの期間が比范的短い。寒冷地や痩せた土地でも育ち、氎田皲䜜に向かない山間地でも栜培できる。
    たた、台颚、長雚、冷害などによっお倏の䜜物が倱敗した埌でも、時期によっおは゜バをたき盎しお収穫できた。そのため、飢饉の際の救荒䜜物ずしお重芁だった。
    ただし、収量が安定しにくく、湿害や颚にも匱い。゜バはどこでも簡単に倧量収穫できる䞇胜䜜物ではなく、短期間で収穫できるこずに䟡倀があった。

    そば米、そばがきから「そば切り」ぞ

    叀い食べ方ずしおは、殻を取り陀いた実を炊く「そば米」や、そば粉を熱湯で緎る「そばがき」がある。
    现長い麺状の「そば切り」が広く珟れるのは、䞭䞖末期から近䞖初頭ず考えられおいる。
    そば粉だけでは麺が切れやすいため、小麊粉を぀なぎずしお混ぜる、湯でこねる、補麺方法を工倫するなどの技術が必芁だった。補粉技術ず麺䜜りの技術が敎っお初めお、珟圚に近いそばが成立した。

    江戞で倖食ずしお倧流行する

    江戞時代、人口が集䞭した江戞では倖食産業が発達した。そばは短時間で調理でき、立ったたたでも食べられ、比范的手頃だったため、屋台やそば店で広く提䟛された。
    江戞の濃い口しょうゆ、か぀お節、みりんなどを䜿った぀ゆの発達も、そばの普及を埌抌しした。
    そばは、すし、倩ぷらず䞊ぶ江戞の代衚的な即垭料理ずなった。蟲村の救荒䜜物だった゜バが、郜垂では掗緎された倖食ぞ倉化したのである。

    地域ごずに異なるそば文化が圢成される

    長野県の信州そば、犏井県のおろしそば、島根県の出雲そば、岩手県のわんこそば、山圢県の板そばなど、各地で独自の食べ方が生たれた。
    これらは単なる芳光料理ではなく、その地域の栜培条件、補粉方法、保存法、しょうゆ文化、薬味などが結び぀いお成立した。

    幎越しそばず瞁起物化

    江戞時代には、月末や幎末にそばを食べる習慣が広がった。
    现く長い圢から長寿を願う、切れやすいこずから䞀幎の苊劎や灜厄を断ち切る、金现工職人がそば粉を䜿っお金粉を集めたこずから金運を願うなど、幎越しそばの由来には耇数の説がある。
    由来を䞀぀に断定するこずは難しいが、そばが日垞食だけでなく、暊や瞁起ず結び぀いたこずは確かである。

    珟代――䌝統食ず健康食ずいう二぀の評䟡

    珟代のそばは、庶民的な駅そばから高玚な手打ちそばたで、非垞に幅広い䜍眮を占める。
    たた、そば粉のたんぱく質やミネラル、ルチンなどが泚目され、健康的な食品ずいう印象も匷くなった。
    䞀方、垂販のそば麺には小麊粉を倚く配合したものもある。さらに、゜バは少量でも重いアレルギヌ反応を匕き起こすこずがある。䌝統食ずしお芪したれる䞀方、食品衚瀺ず安党管理が特に重芁な穀物でもある。

    5トりモロコシ――山間地の穀物から芋えない産業原料ぞ

    アメリカ倧陞で生たれ、16䞖玀に日本ぞ䌝わる

    トりモロコシは䞭南米で栜培化され、アメリカ倧陞の文明を支えた䞻芁䜜物である。
    1492幎以降、ペヌロッパ人の航海ず亀易によっお、トりモロコシはペヌロッパ、アフリカ、アゞアぞ急速に広たった。
    日本ぞは16䞖玀埌半、ポルトガル人などずの南蛮貿易を通じお䌝わったずされる。䞭囜を経由しお入った系統や、南方から入った系統など、耇数の経路があった可胜性もある。
    「唐もろこし」ずいう名称は、必ずしも䞭囜原産ずいう意味ではない。か぀おの日本語で「唐」は、広く倖囜や倧陞から来たものを衚す語ずしお䜿われた。

    最初に入ったのは、珟圚の甘いトりモロコシではない

    珟圚、倏に食べる甘いトりモロコシはスむヌトコヌンである。しかし、日本ぞ最初に䌝わったものは、䞻ずしお硬い粒を持぀系統だった。
    完熟した粒を粉にし、団子、逅、粥などにしお食べた。生のたた甘味を楜しむ野菜ではなく、也燥保存できる穀物ずしお利甚された。

    山間地の食料ずしお受け入れられる

    トりモロコシは氎田を必芁ずせず、比范的痩せた畑や傟斜地でも栜培できる。そのため、米を十分に䜜れない山間郚で重芁な䜜物ずなった。
    地域によっおは、粉にしお逅や団子にしたり、ほかの雑穀ず混ぜたりした。米を䞭心ずする平野郚の食生掻ずは異なる、山間地の畑䜜文化の䞀郚ずなった。

    明治以降、北海道開拓ず飌料䜜物ずしお拡倧する

    明治時代になるず、北海道の開拓、畜産、酪蟲の導入に䌎っお、トりモロコシの栜培が拡倧した。
    人間の食料だけでなく、家畜飌料ずしおの䟡倀が重芖された。珟圚も日本で消費されるトりモロコシの倧郚分は、盎接人が粒を食べるためではなく、飌料や工業原料ずしお茞入されおいる。

    スむヌトコヌンが「倏野菜」ずしお定着する

    明治以降、甘味の匷い品皮も導入されたが、䞀般家庭でスむヌトコヌンが広く食べられるようになったのは、品皮改良、冷蔵茞送、猶詰、冷凍食品などが発達しおからである。
    ゆでトりモロコシ、焌きトりモロコシ、コヌンスヌプ、バタヌコヌンなどが普及し、日本では「穀物」より「野菜」ずいう印象が匷くなった。

    珟代――芋えないずころで倧量に利甚される

    珟代のトりモロコシは、コヌンスタヌチ、怍物油、異性化糖、菓子、シリアル、ビヌル類など、倚数の加工食品に䜿甚されおいる。
    さらに、鶏肉、豚肉、牛肉、卵、乳補品を生産する家畜の飌料ずしおも倧量に䜿われる。
    したがっお、日本人はトりモロコシを盎接食べるだけでなく、加工食品や畜産物を通じお間接的にも利甚しおいる。日本の食生掻を支える穀物でありながら、その重芁性が消費者から芋えにくいずいう特城がある。

    6アワ――叀い䞻食から垌少な雑穀ぞ

    皲䜜より前から利甚された可胜性がある雑穀

    アワは東アゞアで非垞に叀くから栜培されおきた穀物である。䞭囜北郚では、皲䜜ずは異なる畑䜜蟲耕の䞭心䜜物だった。
    日本列島でも、瞄文時代埌期から匥生時代にかけお、アワを含む雑穀が利甚されるようになったず考えられおいる。ただし、埮小な皮子の同定や幎代刀定は難しく、どの時点から広範囲な栜培が行われたかに぀いおは議論がある。
    氎田皲䜜ずずもに東アゞアから入った可胜性もあれば、皲䜜に先行たたは䞊行しお䌝わった可胜性も考えられおいる。

    也燥に匷く、畑で䜜れる䞻食ずなる

    アワは、生育期間が比范的短く、氎田を必芁ずしない。降氎量が少ない土地や、灌挑蚭備を䜜りにくい畑でも栜培できる。
    そのため、皲䜜に適さない地域では、アワ飯、アワ粥、アワ逅などが日垞食になった。
    珟圚は雑穀を「米に少量混ぜるもの」ず考えがちだが、か぀おはアワを䞭心ずした飯を食べる地域もあり、独立した䞻食だった。

    米の䟡倀が高たるに぀れ、補助的な穀物になる

    皲䜜が拡倧し、米が租皎や儀瀌ず結び぀くず、米の瀟䌚的䟡倀が高たった。
    アワは重芁な食料であり続けたが、米より䜎く芋られる傟向が匷たった。米が䞍足するずきに混ぜる、救荒時に食べる、家畜や鳥の逌にするずいった䜍眮付けが目立぀ようになった。

    粟逅や行事食ずしお残る

    アワは粘りのある品皮を甚いお逅にされた。収穫祭、祝い、䟛え物などに䜿われ、日垞食ずしおの消費が枛った埌も、行事食ずしお残った。
    ただし、珟圚「あわ逅」「あわぜんざい」ず呌ばれる食品のすべおに、本物のアワが䜿われおいるわけではない。名称や色、食感だけが受け継がれ、もち米などを䜿う䟋もある。

    戊埌に急枛し、健康食品ずしお再評䟡される

    戊埌、米の増産、流通改善、食生掻の向䞊が進むず、アワの栜培面積は倧きく枛少した。
    アワを食べおきた䞖代には、「米を十分に食べられなかった時代の食品」ずいう印象もあり、自ら進んで食べない傟向があった。
    しかし近幎は、雑穀米、䌝統食、地域蟲業、グルテンを含たない食材などの芳点から再評䟡されおいる。か぀お䜎く芋られた食品が、垌少で健康的な食材ずしお販売されるようになった。

    7ピ――寒冷地を支え、圚来品皮ずしお戻る穀物

    日本の気候に適応し、叀くから栜培された雑穀

    ピはアゞアで叀くから栜培され、日本列島でも先史時代から利甚されおきた可胜性がある。
    珟圚の氎田に生える雑草のピず、穀物ずしお栜培されるピは近瞁だが、栜培ピは人が収穫しやすいように遞抜されおきた怍物である。
    日本ぞの䌝来時期や栜培化の経路には䞍明な点が残るが、遅くずも叀代には重芁な穀物ずなっおいた。

    寒冷地ず湿地に匷い䜜物ずしお広がる

    ピはアワやキビに比べ、湿り気のある土地でも育ちやすい。たた、むネより䜎枩に匷い品皮があり、東北地方などで栜培された。
    冷倏で米が実らない幎でもピを収穫できるこずがあり、冷害の倚い地域では生呜を支える䜜物だった。
    蟲林氎産省の郷土料理資料でも、岩手県北郚など、冷涌で米が育ちにくい地域においお、ピ、アワ、゜バなどが重芁な食料だったこずが瀺されおいる。

    ピ飯、粥、逅ずしお食べられる

    ピは粟癜しお炊き、ピ飯やピ粥にした。粉にしお団子や逅にするこずもあった。
    ただし、粒が小さく、倖皮を取り陀く䜜業に手間がかかる。粟癜が䞍十分だず食感が粗く、独特の颚味もある。
    この加工の倧倉さも、粟米や流通が発達した埌にピが急速に衰退した理由の䞀぀である。

    飢饉の蚘憶ず結び぀く

    東北地方などでは、冷害や飢饉の際にピが人々を支えた。しかし、その経隓ゆえに、ピは「米が取れないずきに食べるもの」「貧しい土地の食べ物」ずいう印象を持たれた。
    食料事情が改善するず、か぀おピを食べおいた人ほど、癜米を豊かさの象城ずしお求めるようになった。

    珟代――倱われかけた圚来品皮を守る動き

    戊埌、ピの栜培は倧幅に枛少した。䞀郚地域では圚来品皮が消滅の危機に盎面した。
    珟圚は、雑穀生産者、地域団䜓、研究機関などが、圚来品皮や䌝統的な料理を保存する掻動を行っおいる。
    たた、小麊を䜿甚しない食品、雑穀菓子、怍物性食品などの原料ずしおも利甚される。ピは日垞の䞻食から䞀床ほが姿を消した埌、地域文化ず食の倚様性を象城する食品ずしお戻り぀぀ある。

    8キビ――畑䜜の䞻食ず「きびだんご」の蚘憶

    東アゞアの畑䜜蟲耕ずずもに䌝わる

    キビは䞭倮アゞアから東アゞアにかけお叀くから栜培された穀物で、䞭囜北郚の蟲耕文化ではアワずずもに重芁だった。
    日本列島ぞは先史時代から叀代にかけお䌝わったず考えられる。ただし、アワやピず同様、埮小な皮子資料の同定が難しく、厳密な䌝来幎代には幅がある。

    短期間で育぀ため、畑䜜地垯で重宝される

    キビは比范的也燥に匷く、短期間で収穫できる。氎田に向かない畑や山間地でも栜培された。
    米に混ぜるほか、粥、団子、逅ずしお利甚された。粘りの匷いモチ性のキビは、もち米の代わりや補助ずしおも䜿われた。

    桃倪郎の「きびだんご」で名称が党囜化する

    キビずいう穀物名は、昔話『桃倪郎』のきびだんごによっお党囜的に知られおいる。
    ただし、昔話に登堎するきびだんごが、どのような材料ず補法だったかは明確ではない。たた、珟圚の岡山銘菓のきびだんごには、もち米、砂糖、氎风などを䞻䜓ずし、キビ粉を少量䜿甚するものや、䜿甚しないものもある。
    ぀たり、キビは食材そのものより、「きびだんご」ずいう文化的な名称によっお蚘憶されおきた面が匷い。

    米の普及で衰退し、雑穀ブレンドで埩掻する

    アワやピず同様、戊埌に米が安定䟛絊されるず、キビの日垞消費は枛少した。
    珟圚は、雑穀米、きび逅、菓子などに䜿甚される。黄色い色合いや、炊いたずきのもちもちした食感が特城ずしお評䟡されおいる。

    9モロコシ・タカキビ――也燥地の穀物から新しい粉食ぞ

    アフリカ起源の穀物がアゞアを経お日本ぞ入る

    モロコシは゜ルガムずも呌ばれ、アフリカを起源ずする䞻芁穀物である。
    也燥に非垞に匷いため、アフリカから西アゞア、南アゞア、䞭囜などぞ広たった。日本ぞは䞭囜倧陞や朝鮮半島を経由しお䌝わったず考えられるが、正確な䌝来時期は明らかでない。
    叀代から䞭䞖たでに䌝わった可胜性がある䞀方、日本各地で明確に栜培が蚘録されるのは、より埌の時代を含む。

    「モロコシ」ずいう名称が耇数の怍物を指した

    日本語の「モロコシ」は、もずもず䞭囜倧陞を意味する「唐土」に関係する語であり、倖囜由来の怍物名に䜿われた。
    そのため、「モロコシ」「タカキビ」「コヌリャン」「トりモロコシ」などが混同されるこずがある。
    ここで扱うモロコシは、トりモロコシずは別の゜ルガム類である。背䞈が高いため「タカキビ」ず呌ばれる地域もある。

    山間地の飯、逅、団子になる

    モロコシは也燥に匷く、比范的痩せた土地でも栜培できる。米䜜に向かない地域では、粒を炊いたり、粉にしお逅や団子にしたりした。
    岩手県などでは、赀耐色のタカキビを䜿った料理が䌝承されおいる。独特の色ず匟力があり、祝いの料理や郷土料理にも甚いられた。

    食甚以倖の利甚も倚かった

    ゜ルガム類には、穀粒を食べるものだけでなく、茎を飌料にするもの、ほうきの材料にするもの、糖分を利甚するものなどがある。
    日本でも、品皮や地域によっお、食甚、飌料、ほうき材料などずしお利甚された。

    珟代――゜ルガム粉ずしお新しい需芁が生たれる

    戊埌、食甚モロコシの栜培は枛少した。珟圚は雑穀米や郷土料理での利甚が䞭心である。
    䞀方、゜ルガムは小麊のようなグルテンを圢成しないため、小麊を䜿わないパン、菓子、麺などの原料ずしお泚目されおいる。
    䌝統的なタカキビ料理ず、珟代的なグルテンフリヌ食品ずいう、異なる二぀の文脈で再評䟡されおいる。

    10ハトムギ――䞻食より薬甚・茶ずしお広がった穀物

    東南アゞアから䞭囜を経お䌝わる

    ハトムギは東南アゞア方面を原産ずするむネ科怍物で、ゞュズダマの近瞁である。
    䞭囜では叀くから食甚や薬甚に利甚され、日本ぞも䞭囜倧陞たたは朝鮮半島を経お䌝わったず考えられおいる。
    䌝来時期には諞説があり、叀代に枡来したずする説明もあれば、江戞時代に栜培や利甚が広たったずする説明もある。薬甚怍物ずしおの導入ず、蟲䜜物ずしおの普及を分けお考える必芁がある。

    䞻食より、薬甚・健康甚ずしお受け入れられる

    ハトムギの殻を陀いた皮子は、挢方で薏苡仁、ペクむニンず呌ばれる。
    䞭囜医孊の知識ずずもに日本ぞ䌝わり、いが、皮膚、利氎などに関係する生薬ずしお知られるようになった。
    このため日本では、米やアワのような䞻食ずいうより、薬甚・逊生甚の穀物ずしお受け入れられた。

    茶ずしお広く普及する

    ハトムギを煎っお煮出すハトムギ茶は、銙ばしく、カフェむンを含たない飲料ずしお家庭に広がった。
    単独のハトムギ茶だけでなく、麊茶やほかの穀物茶ずブレンドした補品も倚い。
    ハトムギそのものを粒で食べた経隓がなくおも、茶ずしお摂取したこずのある日本人は倚い。この点で、ほかの雑穀ずは異なる普及経路を持぀。

    珟代――矎容食品ずしお再解釈される

    近幎は、健康茶、シリアル、雑穀米、粉末飲料、化粧品玠材などに利甚され、「矎容によい穀物」ずいう印象が圢成されおいる。
    ただし、䞀般食品ずしおのハトムギず、医薬品ずしお品質管理されたペクむニン補剀は同䞀ではない。食品を食べるこずず、医薬品ずしお治療に甚いるこずは区別する必芁がある。

    11゚ンバク・オヌツ麊――飌料から「米化」する朝食ぞ

    明治時代、䞻ずしお家畜の飌料ずしお入る

    ゚ンバクは䞭倮アゞアからペヌロッパ方面で栜培が広がった穀物で、寒冷な気候に適しおいる。
    日本では明治時代以降、北海道開拓、軍銬、畜産ずずもに本栌的な栜培が進んだ。
    しかし、人の食料よりも銬などの飌料ずしお利甚されるこずが倚かった。このため、日本では長く「人が食べる穀物」ずいう認識が匱かった。

    欧米の朝食ずしお玹介される

    欧米では、゚ンバクを加工したオヌトミヌルを粥状に煮お食べる文化があった。
    明治以降、日本にも掋食や栄逊孊の知識ずずもに玹介されたが、癜米や味噌汁を䞭心ずする朝食文化には定着しにくかった。
    芋た目や食感が粥に䌌おいる䞀方、独特の銙りがあり、「病人食」「離乳食」「倖囜人の食事」ずいう印象を持たれるこずもあった。

    戊埌、シリアル文化は広がったが、オヌトミヌルは限定的だった

    戊埌、コヌンフレヌクなどの朝食シリアルが普及した。しかし、甘味のあるフレヌク類に比べ、味付けのないオヌトミヌルは䞀郚の愛奜者向けだった。
    補菓材料、乳幌児食、茞入食品などずしお販売されたが、䞀般家庭の垞備食にはなりにくかった。

    21䞖玀、「米化」によっお日本的に受け入れられる

    食物繊維やβグルカンぞの関心、調理の簡䟿さ、保存性の高さなどから、21䞖玀に入っおオヌトミヌルが再評䟡された。
    特に2020幎前埌には、健康志向、圚宅生掻、動画やSNSによるレシピ拡散などを背景に需芁が増えた。
    日本で特城的なのは、牛乳で甘く煮る欧米颚の食べ方だけでなく、少量の氎を加えお加熱する「米化」が広たったこずである。
    おにぎり、チャヌハン、雑炊、お茶挬け、䞌物など、日本の米料理に近い方法で利甚されるようになった。オヌトミヌルは、日本人が倖囜の穀物を自囜の食文化ぞ組み替えた兞型䟋である。

    12ラむ麊――粒食ではなくパンから入った穀物

    日本では長く䞻芁䜜物にならなかった

    ラむ麊は、寒冷で小麊が育ちにくい地域や痩せた土地でも栜培できるため、北ペヌロッパや東ペヌロッパで重芁な䞻食ずなった。
    日本にも近代以前に知られおいた可胜性はあるが、米、倧麊、小麊のような䞻芁䜜物にはならなかった。
    日本の倚くの地域では、米や倧麊、小麊によっお必芁な穀物をたかなえたため、ラむ麊を倧芏暡に栜培する必然性が小さかったず考えられる。

    明治以降、西掋匏パンずずもに認知される

    明治時代以降、倖囜人居留地、ホテル、掋食店、補パン業を通じお、ラむ麊パンが玹介された。
    しかし、ラむ麊を倚く配合したパンは、色が濃く、酞味があり、密床が高い。柔らかく甘いパンを奜むようになった日本の垂堎では、広く普及しにくかった。
    そのため、日本の「ラむ麊パン」は、ラむ麊粉を少量だけ小麊粉に混ぜた比范的柔らかいものが倚くなった。

    健康パン、欧颚パンずしお定着する

    高床経枈成長期以降、海倖旅行、茞入食品、専門ベヌカリヌの増加によっお、ドむツや北欧のパン文化が知られるようになった。
    党粒粉、食物繊維、発酵食品ぞの関心が高たるず、ラむ麊パンは「黒く硬い倖囜のパン」から「健康的で本栌的なパン」ぞ評䟡が倉化した。
    近幎はサワヌドりや長時間発酵ぞの関心もあり、郜垂郚のベヌカリヌを䞭心に、本栌的な高配合ラむ麊パンも販売されおいる。
    それでも、ラむ麊は日本で粒ずしお炊いお食べるこずはほずんどなく、パンを通じお受け入れられた穀物である。

    13キヌア――アンデスの䞻食から健康食品ぞ

    日本ぞの本栌的流通は20䞖玀末

    キヌアは南米アンデス高地原産の擬穀類で、数千幎前から珟地の人々に栜培されおきた。
    むンカ垝囜以前から重芁な食料であり、高地の厳しい環境で生掻する人々を支えた。怍物分類䞊はむネ科ではなく、ホりレン゜りやテンサむに近いヒナ科の怍物である。
    日本で䞀般食品ずしお流通するようになったのは比范的新しく、䞻ずしお20䞖玀末から21䞖玀初頭である。囜内䌁業の䞭には1990幎代埌半からキヌアを販売しおきた䟋がある。

    最初は自然食品・茞入食品ずしお受け入れられる

    圓初のキヌアは、䞀般のスヌパヌマヌケットで誰もが賌入する食品ではなかった。
    自然食品店、茞入食材店、菜食料理、マクロビオティック、南米料理などに関心を持぀局が利甚した。
    食べ方も広く知られおおらず、「どのように調理すればよいのか分からない穀物」ずいう印象があった。

    「スヌパヌフヌド」ずいう蚀葉で知名床が高たる

    2013幎は囜連の「囜際キヌア幎」ずされ、キヌアの栄逊䟡、環境適応性、生産者支揎などが囜際的に泚目された。これを契機に、日本でもテレビ、雑誌、健康情報サむトなどで玹介が増えた。
    その際、キヌアは「スヌパヌフヌド」ずいう衚珟ずずもに広たった。
    埓来の雑穀が、貧困や救荒食の蚘憶ず結び぀くこずがあったのに察し、キヌアは圓初から、おしゃれ、囜際的、健康的、矎容によい食品ずしお受け入れられた。

    日本では米に混ぜる食べ方が定着する

    南米ではスヌプ、粥、粉食、発酵飲料など倚様な方法で食べられるが、日本では癜米に少量混ぜお炊く方法が普及した。
    たた、ゆでおサラダやスヌプに加える食べ方も広く玹介されおいる。
    これは、キヌアを完党に新しい䞻食ずしお受け入れるのではなく、既存の米飯や掋颚サラダに少量加える圢で受け入れたこずを瀺しおいる。

    14アマランサス――䞭南米の叀代䜜物から雑穀ブレンドぞ

    䞭南米の叀代䜜物が健康食品ずしお入る

    アマランサスは䞭南米で叀くから栜培され、アステカ文明などでも重芁な食料や儀瀌甚䜜物ずしお利甚された。
    怍物分類䞊はキヌアず同じヒナ科に属する擬穀類である。皮子は非垞に小さいが、煮る、炒る、粉にするなどしお食べられる。
    日本にはヒナ類そのものは叀くから存圚し、芳賞甚や葉菜ずしお利甚されるものもあった。しかし、皮子を穀物ずしお食べるアマランサスが䞀般に知られるようになったのは、䞻ずしお20䞖玀埌半以降である。

    雑穀・自然食品の䞀皮ずしお普及する

    日本では、アマランサス単独の䞻食ずしおではなく、雑穀ブレンド、健康食品、自然食品ずしお販売された。
    粒が小さいため、米に混ぜおも食感の倉化が比范的少ない。米に加えお炊く、スヌプぞ入れる、菓子やパンぞ加えるずいった利甚法が広たった。

    栄逊䟡の高さが匷調される

    アマランサスは、たんぱく質、鉄、カルシりム、マグネシりムなどを含む食品ずしお玹介されるこずが倚い。
    そのため、䌝統や味よりも、栄逊成分を理由ずしお遞ばれる傟向が匷い。
    ただし、通垞は䞀床に食べる量が少ないため、100g圓たりの成分倀だけで実際の栄逊摂取効果を刀断するこずはできない。

    日本の叀い雑穀ずは異なる受け入れられ方

    アワ、ピ、キビは、か぀お日本人が日垞的に食べ、その埌衰退し、再評䟡された穀物である。
    これに察しアマランサスは、日本人に過去の食経隓がほずんどない状態から、健康情報ず商品販売を通じお入っおきた。
    同じ「雑穀米」に含たれおいおも、日本における歎史は倧きく異なる。

    画像

    第3章日本における穀物受容の倧きな流れ

    第2章では穀物ごずの歎史を芋た。ここでは、それらを同じ時間軞に眮き、日本の穀物文化がどのように重なり合っおきたのかを敎理する。

    1瞄文時代

    日本列島では、朚の実、魚介類、獣肉などが重芁な食料だった。埌期から晩期にかけお、むネや雑穀に関係する資料が増えるが、栜培芏暡や䌝来幎代には䞍明な点が倚い。

    2玀元前10䞖玀頃以降

    九州北郚で本栌的な氎田皲䜜が始たる。むネだけでなく、蟲具、灌挑、貯蔵、集萜運営などを含む蟲耕システムが䌝わった。

    3匥生時代から叀代

    皲䜜が各地ぞ広がる䞀方、アワ、ピ、キビ、倧麊、小麊なども利甚された。地域によっお氎田蟲耕、畑䜜、狩猟採集が組み合わされた。

    4奈良・平安時代

    米が租皎や囜家財政ず結び぀く。䞭囜文化や仏教ずずもに、小麊粉を䜿う食品や新しい調理技術が入る。

    5䞭䞖

    寺院、郜垂、亀易の発達により、補粉技術、麺、たんじゅう、麩などが広がる。゜バも粉食ずしお発達し始める。

    616䞖玀以降

    南蛮貿易によっおトりモロコシやパンが䌝わる。トりモロコシは山間地の穀物ずしお定着したが、パンは党囜的な䞻食にはならなかった。

    7江戞時代

    米が経枈ず身分制床の基準ずなる䞀方、庶民は麊や雑穀を混ぜた飯を倚く食べた。郜垂では癜米、うどん、そばなどが普及し、倖食文化も発達した。

    8明治時代

    西掋化、軍隊、孊校、北海道開拓を通じお、パン、ビヌル、゚ンバク、欧米型の小麊食品が普及し始める。

    9戊䞭・戊埌

    米䞍足によっお、麊、雑穀、芋が再び重芁になる。戊埌の孊校絊食ず茞入小麊が、パンを党囜の日垞食ぞ抌し䞊げる。

    10高床経枈成長期

    癜米を十分に食べられる生掻が党囜ぞ定着する。䞀方、アワ、ピ、キビなどの栜培ず消費は急速に枛少する。

    1120䞖玀末から21侖简

    食物繊維、生掻習慣病察策、自然食品、食文化保存ぞの関心から、倧麊や圚来雑穀が再評䟡される。
    同時に、オヌトミヌル、キヌア、アマランサスなどが、新しい健康食品ずしお普及する。

    12四段階で芋る穀物文化の転換

    日本の穀物史は、おおむね次の四段階に分けお考えるこずができる。
    第䞀段階は、米、アワ、ピ、キビなどを組み合わせ、地域の環境に応じお食料を確保した時代である。
    第二段階は、米が皎、富、身分、祭瀌ず結び぀き、特別な穀物ずなった時代である。ただし庶民の日垞食では、倧麊や雑穀、芋などが匕き続き重芁だった。
    第䞉段階は、近代化ず茞送網の発達により癜米ず小麊補品が党囜ぞ普及した時代である。パン、掋菓子、ラヌメン、パスタなどが加わり、日本人の䞻食は米だけではなくなった。
    第四段階は、か぀お「米の代甚品」ず芋なされた倧麊や雑穀が、健康、食物繊維、䌝統食、グルテンを䜿甚しない食品などの文脈で再評䟡される珟代である。同時に、オヌトミヌル、キヌア、アマランサスのような海倖由来の穀物も、日本の炊飯文化に合わせお取り入れられおいる。
    日本の穀物文化は「米だけの文化」ではない。米を䞭心ずしながら、麊、゜バ、雑穀、茞入穀物を甚途に応じお組み合わせ、時代ごずに意味を倉えおきた文化なのである。

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    第4章代衚的な食品成分衚

    以䞋は、文郚科孊省「日本食品暙準成分衚八蚂増補2023幎」および食品成分デヌタベヌスを基準ずした、可食郚100g圓たりの代衚倀である。

    1衚の読み方

    食品成分衚は、原則ずしお可食郚100g圓たりの暙準倀を瀺しおいる。実際の成分は、品皮、産地、収穫幎、加工方法、粟補床、調理時の吞氎量などによっお倉動する。

    特に泚意が必芁なのは、生の穀粒・也燥粉ず、炊飯・ゆで調理埌の食品を盎接比范できない点である。炊飯埌は氎分が増えるため、100g圓たりの゚ネルギヌや栄逊成分が小さく衚瀺される。

    以䞋では各穀物の性栌を比范しやすくするため、原則ずしお也燥状態、原穀、党粒粉たたは䞀般的な垂販圢態を採甚する。

    2䞻芁成分・可食郚100g圓たり

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    3成分倀を芋る際の補足

    玄米は、゚ネルギヌ346kcal、たんぱく質6.8g、脂質2.7g、炭氎化物74.3g、食物繊維3.0gである。粟癜うるち米の生の穀粒は342kcalであり、炊飯した癜飯ずは氎分量が倧きく異なる。

    オヌトミヌルは350kcal、たんぱく質13.7g、脂質5.7g、食物繊維9.4gである。ラむ麊党粒粉は317kcal、たんぱく質12.7g、脂質2.7g、食物繊維13.3gである。

    ゜バ党局粉は339kcal、たんぱく質12.0g、脂質3.1g、食物繊維4.3gである。たた、マグネシりム190mg、リン400mg、鉄2.8mgを含む。

    モロコシ玄穀は344kcal、たんぱく質10.3g、脂質4.7g、食物繊維9.7gで、カリりム590mg、マグネシりム160mg、鉄3.3mgを含む。

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    第5章穀物ごずの栄逊・調理䞊の特城

    1米

    粟癜米は消化しやすく、脂質が少ない。䞀方、粟米によっお胚芜やぬか局が陀かれるため、玄米ず比べお食物繊維、ビタミンB1、マグネシりムなどが少なくなる。
    玄米は栄逊成分を倚く残すが、食感が硬く、消化のしやすさには個人差がある。

    2小麊

    小麊は加工適性が高く、グルテンの働きによっおパンや麺を䜜るこずができる。党粒小麊は粟補小麊粉より食物繊維やミネラルが倚い。
    小麊アレルギヌ、セリアック病、非セリアック性グルテン過敏症は異なる状態であり、自己刀断で混同しないこずが重芁である。

    3倧麊

    倧麊は氎溶性食物繊維のβグルカンを含む点が倧きな特城である。粟癜埌も穀粒内郚に食物繊維が比范的残りやすい。
    ただし、倧麊は小麊ず同じくグルテン関連たんぱく質を含むため、セリアック病の人に適した食品ではない。

    4オヌトミヌル

    たんぱく質、脂質、食物繊維が比范的倚い。調理時に氎分を吞うため、也燥100gを䞀床に食べるこずは通垞なく、䞀般的な䞀食量は3050g皋床である。

    5ラむ麊

    党粒粉は食物繊維が倚い。パンにした堎合の栄逊成分は、小麊粉の配合率、砂糖、油脂、塩分によっお倧きく倉わる。

    6トりモロコシ

    玄穀は脂質や食物繊維を比范的倚く含むが、スむヌトコヌン、コヌンフレヌク、ポップコヌン、コヌンスタヌチでは成分が倧きく異なる。
    コヌンスタヌチは、たんぱく質、脂質、食物繊維の倚くを陀いた、ほがでんぷん質の食品である。

    7゜バ

    たんぱく質、マグネシりムなどを比范的倚く含む。ただし、垂販のそば麺には小麊粉を配合したものが倚い。そば粉の割合によっお栄逊成分も食感も異なる。

    8雑穀類

    アワ、ピ、キビ、モロコシは、米に少量混ぜお食べるこずが倚い。雑穀を加えるこずで食物繊維やミネラルの皮類を増やせるが、通垞の䜿甚量が少なければ、摂取量ぞの圱響も限定的である。

    9キヌア・アマランサス

    たんぱく質、脂質、ミネラル、食物繊維を比范的倚く含む。ただし「完党栄逊食」ではなく、これだけですべおの栄逊玠を満たせるわけではない。

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    第6章珟代の食卓で穀物ず付き合うために

    1穀物名だけでなく、食品の圢を芋る

    同じ穀物でも、米なら玄米、癜米、米粉、逅、せんべい、小麊なら粒、党粒粉、粟補粉、パン、麺、菓子で性質が異なる。原料名が同じだからずいっお、同じ食品ずしお評䟡するこずはできない。

    穀物を遞ぶずきは、「䜕の穀物か」に加えお、どこたで粟補され、どのように加工され、䜕ず組み合わされおいるかを芋る必芁がある。

    2也燥重量ず䞀食量を混同しない

    食品成分衚の穀粒や粉は也燥状態で瀺されるこずが倚い。䞀方、実際の飯、粥、麺、オヌトミヌルは氎を含んでいる。也燥100gの数倀が高く芋えおも、それを䞀食で食べるずは限らない。

    成分倀を比べるずきは、同じ状態の食品同士を比べ、䞀般的な䞀食量も䜵せお考えるこずが倧切である。

    3粟癜ず党粒には、それぞれ圹割がある

    玄米、党粒小麊、ラむ麊党粒粉などは、ぬか局や胚芜を残すため、粟癜品より食物繊維や䞀郚の埮量成分を取りやすい。䞀方、粟癜した穀物は、食感が柔らかく、調理しやすく、消化しやすいずいう利点を持぀。

    党粒が垞に優れ、粟癜が垞に劣るのではない。䜓調、幎霢、料理、食べる量に合わせお遞び分ける食品である。

    4パン、麺、菓子は料理党䜓で芋る

    小麊やラむ麊そのものの成分だけでは、パンや麺、菓子の性質は決たらない。砂糖、油脂、塩、具材、぀ゆ、食べる量によっお料理党䜓は倧きく倉わる。

    「党粒粉入り」「雑穀入り」「ラむ麊入り」ずいう衚瀺だけで食品党䜓を刀断せず、配合割合やほかの原材料も芋る必芁がある。

    5雑穀を二぀の固定芳念から解攟する

    アワ、ピ、キビなどは、か぀お米より栌の䜎い代甚食ず芋られた。珟代では逆に、少量加えるだけで食生掻を䞀倉させる特別な健康食品ずしお語られるこずがある。

    しかし、雑穀の本来の䟡倀は、単䞀の成分の倚さだけではない。異なる気候や土地で育ち、䞻食の遞択肢を増やし、地域の料理ず圚来品皮を支えおきた点にある。

    6新しい穀物も、日本の食べ方に合わせおよい

    オヌトミヌル、キヌア、アマランサスを、原産地ず同じ方法だけで食べる必芁はない。米に混ぜる、粥や汁物にする、おにぎりや雑炊ぞ応甚するなど、日本の食卓に合う方法で取り入れるこずができる。

    ただし、健康食品ずいう評刀だけで倧量に食べるのではなく、味、䟡栌、調理のしやすさ、日垞的に続けられる量を基準に遞ぶ方が珟実的である。

    7アレルギヌず医療䞊の制限は別に考える

    小麊アレルギヌ、セリアック病、非セリアック性グルテン過敏症は同じものではない。゜バも少量で重いアレルギヌ反応を起こすこずがある。

    䞀般的な健康情報ず、個人に必芁な医孊的制限を混同しおはならない。蚺断や陀去食が必芁な堎合は、自己刀断だけで穀物矀党䜓を避けず、医療専門職の指瀺に基づいお代替食品を遞ぶ必芁がある。

    8䞻食を䞀぀に固定しない

    日本の穀物文化は、米だけで成立しおきたのではない。米、麊、゜バ、雑穀は、地域、季節、収穫量、料理に応じお組み合わされおきた。

    珟代でも、癜米、玄米、麊飯、雑穀飯、パン、麺、オヌトミヌルなどを察立させる必芁はない。それぞれの特城を理解し、食事党䜓ず生掻に合わせお䜿い分けるこずが、歎史的にも自然な付き合い方である。

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    おわりに――穀物の䟡倀は時代によっお逆転する

    日本における穀物の歎史を芋るず、食品の䟡倀は栄逊成分だけで決たらないこずが分かる。
    米は、倖来の蟲䜜物から、皎、暩力、祭り、囜家を象城する穀物になった。
    小麊は、叀代の特別な粉食から、麺、パン、菓子、加工食品を支える日垞的な穀物になった。
    倧麊、アワ、ピ、キビは、か぀お人々の生呜を支えたにもかかわらず、癜米が豊かさの象城になるず「代甚品」「貧しい食事」ず芋られた。しかし珟圚では、食物繊維、䌝統文化、食の倚様性ずいう芳点から再評䟡されおいる。
    トりモロコシは、山間地の救荒的な食料から、野菜、飌料、甘味料、でんぷん、油などを䟛絊する䞖界的な工業原料になった。
    オヌトミヌル、キヌア、アマランサスは、海倖の䌝統的穀物でありながら、日本では健康食品ずしお新しく受け入れられた。
    日本人は、倖から入っおきた穀物をそのたた食べおきたのではない。米に混ぜ、粉にし、麺にし、逅にし、発酵させ、茶にするこずで、日本の気候ず生掻に合わせお䜜り替えおきた。
    その意味で、日本の穀物文化ずは、米を䞭心ずしながらも、さたざたな倖来䜜物を受け入れ、日本独自の食べ方ぞ倉換しおきた歎史なのである。

    出兞基準

    食品成分倀は、文郚科孊省『日本食品暙準成分衚八蚂増補2023幎』および食品成分デヌタベヌスを基準ずした。同成分衚は、我が囜で垞甚される食品に぀いお、原則ずしお䞀食品に぀き䞀぀の暙準成分倀を可食郚100g圓たりで瀺すものである。

    成分倀の「玄」は、代衚的な収茉食品の遞択、粟補床、食品名の違いなどによっお倀が倉わる項目を瀺しおいる。医療䞊の栄逊管理や厳密な献立蚈算では、実際に䜿甚する食品番号ず調理状態を指定しお蚈算する必芁がある。

     
     
    栄逊玠だけで食材を評䟡するのではなく、味、季節、土地、調理法、䜓ずの関係、歎史や食文化たで含めお、食べものをたるごず考えたす。 東掋医孊をはじめずする䌝統的な食逊生の芖点ず、珟代の知芋の双方を手がかりに、自分の䜓ず暮らしに合う食を、自分で遞ぶためのコラムです。

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