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日本の郷土料理 滋賀県各論

    ――琵琶湖の魚と近江米、街道と農村祭礼が育てた湖国の食

    滋賀県の食を語るとき、中心にあるのは琵琶湖である。県面積のおよそ6分の1を占める湖は、魚介を与える漁場であるだけでなく、周囲の水田を潤し、人と物を運ぶ道となり、京都や大阪へ食料を送り出す基盤にもなった。山から流れ込む水、湖岸のヨシ帯、内湖、水路、水田、集落は、それぞれ独立した風景ではない。魚の産卵、稲作、漁、保存、祭礼を通じて結び付いてきた。

    滋賀の代表食としては、ふなずし、近江牛、近江米、赤こんにゃくなどが知られている。しかし、名物だけを並べても湖国の食文化は理解できない。小アユ、ホンモロコ、スジエビ、大豆、日野菜、丁字麩、かんぴょう、茶、餅、漬物、山から届く海産物まで見渡す必要がある。農林水産省は滋賀県の食文化を、湖北、湖東、湖南、湖西という四つの地域から紹介している。農林水産省「関西地方 滋賀県」

    本稿では、郷土料理を昔の珍しい献立として切り離さない。湖と田の環境、保存技術、街道と商い、農村の共同作業、家庭の手間が、どのように一皿へ集まったのかを考える。そして現代の私たちが、産地名や有名さだけでなく、魚種、漁期、原料、加工地、資源管理、食べる量を確かめて選ぶための視点を探る。


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    第1章.琵琶湖を囲む四つの食文化圏――湖は一つ、暮らしは一様ではない


    1.湖北――雪、保存、北国街道の食

    湖北は長浜、米原、余呉など、琵琶湖の北から北東に広がる。伊吹山地や野坂山地に近く、県内でも冬の積雪が多い。湖岸の水田と山間の集落では、雪に閉ざされる季節を見越して、秋までに穀物、豆、野菜、山菜、魚を保存する必要があった。干す、塩漬けにする、発酵させるという技術は、好み以前に冬を越す仕組みだったのである。

    湖北では、琵琶湖の魚を用いるだけでなく、北国街道や峠を越えて日本海側の食材も入った。敦賀方面から運ばれた鯖や昆布、にしんなどが農村のハレの食に組み込まれ、焼き鯖を甘辛く煮てそうめんへ味を含ませる鯖そうめんが育った。海のない県に海魚料理があることは矛盾ではなく、街道が食の海岸線を内陸まで伸ばした結果である。

    春の農繁期に、嫁いだ娘へ親元から鯖を贈る「五月見舞い」の習慣も伝えられてきた。鯖は動物性たんぱく質を補う食材であると同時に、家と家をつなぐ贈り物だった。湖北の料理を読むときは、雪国の保存食、田植えを支える食、長浜曳山祭のごちそうという三つの時間を重ねて見る必要がある。


    2.湖東――米、近江商人、加工品の文化

    湖東は彦根、東近江、近江八幡、日野など、比較的広い平野と街道沿いの町を含む。鈴鹿山系から流れる水が水田を潤し、米、大豆、野菜を育ててきた。琵琶湖や内湖の魚介も得られ、農業と漁業が近い距離で営まれた。集落の食卓では、米と豆、季節野菜、湖魚を組み合わせる料理が基礎となった。

    一方、湖東は近江商人ゆかりの地域でもある。中山道や御代参街道などを通じて人と商品が動き、商人は近江の品を各地へ売り、帰りには別の土地の原料や情報を持ち帰った。食材を長く保たせ、運びやすい形に加工し、贈答や土産として価値を伝える感覚は、商いの文化と深く結び付く。

    赤こんにゃく煮、丁字麩のからしあえ、丁稚羊羹、泥亀汁などは、湖魚料理とは違う方向から湖東の暮らしを示す。色、形、包み方、保存性、少量でも満足を得る味付けが工夫されている。近江商人の食を華美な商家料理だけで説明せず、奉公、旅、留守を守る家、農作業、季節の贈答まで含めて捉えたい。


    3.湖南――京都との近さと甲賀の土

    大津、草津、守山、栗東、甲賀などを含む湖南は、京都に近く、東海道が通る。大津は琵琶湖水運と陸路が交わる場所で、近江米などを集めて都へ送る役割を担った。京都風の雑煮、ちらしずし、棒鯖ずしなどが伝わる一方で、ふなずしや湖魚料理も食べられる。都の文化を受け入れながら、湖国の原料へ置き換えてきた地域である。

    草津周辺の平野では米と野菜、守山周辺では湖岸と農村の食、甲賀では茶、もち米、かんぴょうなどが育った。水口かんぴょうは、夕顔の果肉を細長くむいて乾燥させる。巻きずしの具として知られるが、乾物にすることで、収穫期の作物を季節の外へ運び、軽くして売ることができる。

    信楽の朝宮は茶の産地であり、山間の霧、寒暖差、傾斜地などの条件が茶づくりに生かされてきた。茶は飲み物であるだけでなく、餅、羊羹、漬物、街道の休憩と結び付く。湖南の食は、京都の影響をそのまま写したものではない。湖岸、東海道、山間の甲賀が交わり、外から来た様式を土地の原料で作り直した文化である。


    4.湖西――棚田、鯖街道、湖魚の鍋

    湖西は大津北部から高島にかけて、比良山地と琵琶湖の間に細長く続く。平地が限られ、山の斜面には棚田が築かれた。湖北と同様に雪の影響を受ける地域も多く、野菜の塩漬け、乾燥、なれずしなど、冬を越す保存技術が発達した。高島の畑地区に伝わる畑漬けは、冷涼な環境そのものを保存設備として利用する。

    若狭から京都へ海産物を運んだ鯖街道は、朽木を通る。塩鯖や焼き鯖は途中の集落でも食べられ、鯖のなれずしとして長期保存されることもあった。湖の魚と日本海の魚が同じ地域で発酵食品になる点に、湖西の位置がよく表れている。山が隔てる一方、峠道は異なる海をつないだ。

    湖岸では、イサザ、ウナギ、湖魚、鶏肉、牛肉などを「じゅんじゅん」と呼ばれる鍋にする。名称や具材には地域差があり、すき焼き風に煮るもの、だしを多くするものなど一つの型には収まらない。冬、正月、春祭り、人寄せの場で鍋を囲むことが、料理の意味の一部である。


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    第2章.湖の魚を食べる――漁、保存、発酵の技術


    1.淡水魚の多様性――「魚」は一種類ではない

    琵琶湖では、小アユ、ホンモロコ、ニゴロブナ、ビワマス、イサザ、ハス、ウナギ、コイ、ゴリ類、スジエビ、セタシジミなどが食べられてきた。魚種によって生息場所、漁期、脂の量、骨の硬さ、大きさが違うため、同じ調理法では扱えない。刺身、塩焼き、甘露煮、佃煮、煮付け、鍋、炊き込みご飯、発酵と、素材ごとに料理が分かれた。

    湖の魚は海魚より小さいものが多く、骨ごと食べる料理も多い。小魚を一尾ずつ選別し、焦がさず煮含め、形を崩さず商品にするには手間がかかる。佃煮を単なる「甘辛い保存食」と見ると、魚種の違いと加工技術が隠れる。炊き方、山椒の有無、砂糖と醤油の配合によって、家庭や店の味が生まれる。

    滋賀県立琵琶湖博物館は、琵琶湖の生き物と環境だけでなく、人々の暮らしとの関係を展示の中心に置いている。滋賀県立琵琶湖博物館 湖魚を味わうことは、生物名を覚えるだけではない。どの場所で、どの季節に獲れ、どの大きさを食べてきたかを知る入口になる。


    2.ふなずし――米を捨てる料理ではない

    ふなずしは、塩漬けしたフナを飯に漬け、乳酸発酵させるなれずしである。現在は卵をもつニゴロブナが代表的な原料だが、滋賀ではウグイ、ハス、アユ、ドジョウ、鯖なども地域ごとなれずしにしてきた。塩漬け、塩抜き、飯漬け、重石、発酵、保存という長い工程を経て、骨までやわらかく、酸味と香りをもつ食品になる。

    飯は発酵の場を作るために大量に使われる。食べるときに取り除かれる場合が多いことから「米を捨てるぜいたくな食品」とも見えるが、冷蔵設備のない時代に魚を長期間保ち、祭礼や正月まで命をつなぐ技術だった。米が豊かに作れる近江盆地と、魚が得られる琵琶湖が近接していたからこそ成立した。

    独特の香りだけを面白がると、食文化の核心を外してしまう。発酵期間、塩分、魚の状態、切り方、飯を添えるかどうかで味は異なる。薄切り、茶漬け、吸い物など食べ方にも幅がある。農林水産省は、ふなずしを含む滋賀の多様な伝統食を紹介している。農林水産省「滋賀県の郷土料理」


    3.小アユ、もろこ、えび豆――小さな魚介を無駄にしない

    琵琶湖のアユは、川へ上って大きくなるアユと同じ種でありながら、湖内で小型のまま成熟するものが多い。春から夏の小アユは、山椒煮、甘露煮、天ぷら、佃煮などにされる。頭や骨ごと食べられる大きさは、処理の手間を減らす一方、鮮度と火加減を強く問う。

    ホンモロコは焼き物、甘露煮、天ぷらなどに向き、泥酢を添える「焼きもろこのどろ酢」も伝わる。スジエビを大豆と炊くえび豆は、湖の動物性食品と畑の植物性食品を一つの鍋で合わせる。いさざ豆、ごりの佃煮、小魚の山椒煮も、少量ずつ獲れる資源を米の副菜として保存する発想に立つ。

    これらは一度に大量に食べる主菜というより、飯に添えて少しずつ食べる料理だった。甘辛い味が濃い場合は、現代の食卓では一皿の量を調整し、野菜や汁物と組み合わせたい。塩分や糖分だけで否定するのではなく、保存食として生まれた理由を理解し、今の暮らしに合う量へ置き換えることが大切である。


    4.ビワマスと「あめのいおご飯」――旬を一鍋で分ける

    ビワマスは琵琶湖の固有種で、秋には産卵のため流入河川を上る。かつて雨で川の水が増えたときに上る魚を捕らえ、米の上にのせて大鍋で炊いた料理が「あめのいおご飯」「あめのうおご飯」「ます飯」などと呼ばれた。魚を丸ごと炊き、身をほぐして飯へ混ぜれば、大きな一尾を家族や親戚で分けられる。

    炊き込みご飯は、魚の脂とうま味を米へ移し、骨や皮の周りまで使う料理である。刺身や切り身の見栄えとは違い、炊き上がった後の取り分けに共同作業が生まれる。秋の魚、収穫した米、人が集まる日が重なって一つの献立になる。

    現在のビワマスは、漁獲、養殖、流通、冷蔵技術によって食べ方が広がり、刺身や丼でも提供される。だからこそ、料理名だけでなく、天然か養殖か、漁期、産地、冷凍履歴を確かめたい。旬とは暦上の言葉ではなく、魚の生活史と資源状態を含む考え方である。


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    第3章.米と水田の食文化――湖と田を往復する命


    1.近江米――「近畿の米蔵」を支えた水

    琵琶湖を囲む近江盆地では、山からの水と平野を利用して稲作が営まれてきた。近江は京都に近く、荘園や寺社領も多かった。大津などの港や街道を通じて米が都へ運ばれ、滋賀は「近畿の米蔵」とも呼ばれた。米は飯だけでなく、餅、酒、すし、菓子、贈答、神饌の原料になった。

    しかし「近江米」という表示だけで、すべての米が同じ味になるわけではない。品種、栽培地、水管理、収穫時期、乾燥調製、精米、保存によって食感と香りは変わる。ふなずしの発酵に使う米、炊き込みご飯の米、餅にするもち米では、求められる性質も異なる。

    米を選ぶときは銘柄と価格だけでなく、生産地域、栽培方法、精米日、用途を見る。湖へ流れ込む水を意識した農法を選ぶことは、田だけでなく湖の環境にも関わる。米を湖魚と一緒に食べる滋賀では、生産と水質を別の問題として扱えない。


    2.魚のゆりかご水田――湖・水路・田をつなぎ直す

    湖岸の水田は、かつて水路や内湖を通じて琵琶湖とつながり、フナなどの魚が産卵のため入り込む場所でもあった。水田の浅く温かい水と豊富な餌は、稚魚が育つ環境になる。近代的な排水設備や高低差のある水路は農作業を効率化した一方、魚の移動を難しくする場合がある。

    そこで滋賀では、魚道を設け、魚が田へ上りやすくする「魚のゆりかご水田」の取組が進められてきた。田を米だけの生産装置と考えず、湖の生態系の一部として管理する発想である。農家、水路を守る集落、漁業者、消費者が関わらなければ持続しない。

    森、川、里、湖のつながりの中で、伝統的な漁業と稲作、生物多様性、食文化を維持する仕組みは「琵琶湖システム」として世界農業遺産に認定されている。滋賀県「琵琶湖システム」 認定は完成の証明ではなく、環境と生業を次代へつなぐ責任を確認するものと受け取りたい。


    3.餅、すし、酒――米が時間を変える

    炊いた米はその日の飯になるが、搗けば餅になり、麹と酵母の働きを借りれば酒になり、魚と塩とともに発酵させればなれずしになる。乾燥させたあられやかきもちは、さらに長く保存できる。同じ米でも、水分、温度、微生物、時間の与え方によって食品としての役割が変わる。

    滋賀の農村では、正月、祭り、田植え、収穫、寺社の行事に米の料理が組み込まれた。ちらしずし、鯖の棒ずし、ひとかわずし、おあえ団子、餅などは、人が集まる日を形にする。日常には飯と漬物、汁物があり、ハレの日には米を搗き、酢を合わせ、魚や豆を加えた。

    米料理を「炭水化物」とだけ呼ぶと、加工の違いも食べる場面も消えてしまう。餅は少量でも密度が高く、すし飯には酢や砂糖、塩が加わる。酒は液体であり、発酵後の成分も摂り方も異なる。原料が同じでも別の食品として、量と組み合わせを考える必要がある。


    4.オコナイさんと神饌――食が共同体を確認する

    滋賀の農村には、五穀豊穣、村の安全、農作業の節目を祈る「オコナイ」と総称される行事が各地に伝わる。餅、米、豆、魚、野菜などを神前に供え、直会で分け合う。料理は味を楽しむだけでなく、誰が米を出し、誰が作り、誰が供え、誰と食べるかを確認する仕組みでもあった。

    地域の神饌や行事食は、古い形を一字一句守れば残るとは限らない。人口減少、担い手の高齢化、衛生基準、調理場所、家族構成の変化によって、材料や規模を変える必要がある。大切なのは、変更を隠すことではなく、何を残し、何を今の条件に合わせたのかを共有することである。

    農林水産省の地域紹介は、滋賀では農村文化が集落単位で継承され、在来野菜や農耕祭事、神饌が残ることを特徴に挙げている。農林水産省「関西地方 滋賀県」 郷土料理の継承はレシピの保存だけでなく、共同作業をどう組み直すかという課題でもある。


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    第4章.街道と商いが運んだ食――海のない県に海魚が届く


    1.東海道・中山道・北国街道――味の交差点

    近江国は、京都と東国、北陸を結ぶ交通の要所だった。東海道、中山道、北国街道、鯖街道などが通り、琵琶湖の水運も利用された。米、茶、麻布、薬、焼物などが外へ運ばれ、海産物、砂糖、昆布、にしん、鯖、調味料や料理の情報が入ってきた。

    宿場や港では、旅人へ短時間で食事を出し、持ち運べる食品を売る必要がある。餅、羊羹、漬物、乾物、すし、佃煮は、保存性と土地の記憶を両立させやすい。店の名物は、地域内で完結した家庭料理ではなく、移動する人が味を広める媒体となった。

    街道の食を「昔から変わらない味」と固定することには注意がいる。砂糖や醤油の流通、鉄道、缶詰、冷蔵、包装の発達によって材料と日持ちは変化した。それでも、土地の原料を加工し、旅の途中で食べやすくし、遠方へ届けるという目的は続いている。


    2.鯖そうめんと鯖ずし――若狭の魚を近江で料理する

    鯖そうめんは、焼き鯖を醤油や砂糖などで煮て、その煮汁をそうめんへ含ませる湖北の料理である。主食の麺と魚のおかずを一つにまとめ、焼いて日持ちを高めた鯖を無駄なく使う。長浜曳山祭の時期や農繁期の食として語られ、家庭によって汁の量や甘さが異なる。

    鯖の棒ずしは、塩や酢で締めた鯖をすし飯にのせる。湖南では京都との近さ、湖西では若狭と京都を結ぶ道、湖北では北陸との流通が影響した。海魚を食べる料理でありながら、米は近江で作られ、酢や押し方、祭礼での位置付けは地域で作り直された。

    現在は脂ののった鯖を一年中入手できるが、昔の料理をそのまま再現しているとは限らない。鯖の産地、解凍か生か、塩締めや酢締めの程度、米の産地、製造地を見れば、同じ料理名の中身が見えてくる。海のない滋賀で鯖を選ぶことは、流通の歴史を選ぶことでもある。


    3.赤こんにゃくと丁字麩――色と形で記憶される食品

    近江八幡の赤こんにゃくは、鮮やかな赤色で知られる。現在の着色には一般に鉄分を含む食品添加物が使われ、唐辛子の辛さで赤いわけではない。由来には諸説があり、織田信長の派手好みに結び付ける伝承もあるが、物語と確認できる製法史は区別したい。

    丁字麩は、四角い形に焼いた麩である。丸い車麩などとは形と食感が異なり、水で戻して絞り、きゅうりやねぎと辛子酢味噌であえる。乾燥した麩は軽く、保存と運搬に向き、必要な分だけ戻せる。小麦のたんぱく質を加工した食品であり、米中心の食卓に別の食感を加えた。

    赤こんにゃく煮も丁字麩のからしあえも、原料そのものより加工が食品の個性を決める。色や形は土地の印となるが、添加物、原料産地、製造地、味付けまで同じとは限らない。「名物の見た目」を楽しみながら、何からどこで作った食品かを確かめたい。


    4.丁稚羊羹と近江商人――甘味を持ち運ぶ

    滋賀の丁稚羊羹は、小豆餡に小麦粉や米粉などを加えて蒸し、竹皮で包む蒸し羊羹として伝わる。練り羊羹より水分が多く、甘さが控えめなものが多い。名称の由来には複数の説明があるが、奉公先へ戻る丁稚に持たせた土産という物語は、家族、商い、移動を結び付ける。

    竹皮は包材であると同時に、香りと見た目を与える。蒸す製法、薄い形、切り分けやすさは、大勢で分ける菓子に向く。ただし、現在の商品は包装、砂糖量、日持ち、冷蔵の有無が店ごとに異なる。伝統名だけで製法を一つに決めることはできない。

    丁稚羊羹を近江商人の倹約だけで説明すると、「安い菓子」という印象に偏る。限られた材料を蒸してまとめ、家族から奉公人へ持たせ、茶とともに分ける食品として見ると、別の価値が見える。甘味の歴史は砂糖の量だけでなく、包み、運搬、贈答、休憩の時間を含んでいる。


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    第5章.畑・茶園・雪国の保存食――湖魚だけではない滋賀


    1.日野菜――在来種を漬物で残す

    日野菜は、日野町を中心に受け継がれてきた細長いカブの仲間で、根の上部が紫紅色、下部が白い。独特の辛味と苦味をもち、葉も利用できる。酢漬けにすると根の色が淡い桜色へ移り、「桜漬け」とも呼ばれる。見た目の美しさだけでなく、土地に適応した種と漬物技術の組み合わせである。

    在来野菜は、全国流通向けの均一な大きさや形になりにくい。曲がり、細さ、色の違いがあっても、漬物には使える。収穫した直後に塩を当て、酢や調味液で仕上げれば、旬を延ばし、飯の副菜として少しずつ食べられる。

    日野菜漬けを選ぶときは、日野菜の産地、種の系統、製造地、調味液、着色の有無を区別して見る。「日野菜を使った漬物」と「日野町で栽培・加工されたもの」は同じとは限らない。地域名を守るには、野菜を食べるだけでなく、採種と栽培を続ける農家を支える必要がある。


    2.近江の茶――朝宮、土山、政所の違い

    滋賀には朝宮茶、土山茶、政所茶など、地形と歴史の異なる茶産地がある。甲賀の朝宮は山間の霧と寒暖差、土山はまとまった茶園と生産、東近江の政所は山深い集落で受け継ぐ在来の茶樹など、それぞれの条件が味と生産方法に表れる。「近江の茶」は一つの均一な商品ではない。

    煎茶、番茶、ほうじ茶など、摘採時期と加工によって飲み方も変わる。上等な一番茶だけが茶文化を代表するのではなく、日常の食後や農作業の休憩に飲む茶も産地を支えた。餅、丁稚羊羹、漬物、ふなずしの茶漬けなど、茶は食品の味をつなぐ。

    茶を選ぶときは、産地名、品種、摘採時期、被覆、蒸し、火入れ、ブレンドの有無を見る。湯温と時間を変えれば、同じ葉でもうま味、渋味、香りが変わる。健康成分だけを求めて大量に飲むより、食事との組み合わせと自分の体調に合わせたい。


    3.大豆、打ち豆、くるみごぼう――畑のたんぱく源

    大豆は、豆腐、味噌、醤油、煮豆、打ち豆などへ加工される。打ち豆は、水で戻した大豆をつぶして乾燥させたもので、表面積が増えるため火が通りやすい。大根、かぶ、里芋などと味噌汁にすれば、冬の保存野菜と豆を一つの鍋で食べられる。

    えび豆は大豆とスジエビ、いさざ豆は大豆とイサザを炊き合わせ、畑と湖を一皿にする。甲賀の「くるみごぼう」は、枝豆をすりつぶした衣でごぼうをくるむ料理であり、名称の「くるみ」は木の実ではなく「くるむ」動作に結び付くと説明される。祭礼の神饌として伝わる地域もある。

    豆料理は植物性食品だから自動的に薄味とは限らない。保存や飯の副菜にするため、味噌、醤油、砂糖をしっかり使う場合がある。豆そのもの、加工品、調味した郷土料理を分けて考え、現代の食事では汁を飲み切らない、小鉢で添えるなど、食べ方を調整できる。


    4.漬物と「ぜいたく煮」――時間の進んだ食品を作り直す

    湖北や湖西の雪深い地域では、白菜、菜、大根、山菜などを塩漬けにして冬へ備えた。白菜の葉を一枚ずつ重ねる「たたみ漬け」、高島の畑漬けなど、材料と気候に合わせた方法がある。発酵が進むと酸味や香りが変わり、そのまま食べるだけでなく別の料理へ移す。

    古漬けのたくあんを水で塩抜きし、だしや醤油、唐辛子などで煮直す料理は「ぜいたく煮」と呼ばれる。せっかく漬けたものを手間をかけて戻して煮るための名ともいわれるが、実際には時間が進んだ漬物へ新しい食感と味を与え、最後まで使う料理である。

    昔の保存食を現代に生かすとき、当時と同じ塩分を必要とするとは限らない。冷蔵庫と少人数世帯では、少量を漬け、早めに食べ切る選択もできる。一方、発酵した古漬けをすぐ廃棄せず、安全を確かめて煮物へ変える発想は、食品ロスを減らす知恵として読み直せる。


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    第6章.近江牛と鍋料理――名産肉を地域の食卓へ戻す


    1.近江牛――ブランド名を飼育の工程として読む

    近江牛は、滋賀県内で肥育された黒毛和種の牛肉として流通する地域ブランドである。全国的な知名度が高く、すき焼き、しゃぶしゃぶ、ステーキなどで食べられる。しかし、霜降りの量と価格だけを見れば、飼料、水、飼育期間、健康管理、枝肉の評価、流通という工程が隠れる。

    ブランド牛の歴史は、古い文献の記述と、現在の名称・認証制度を分けて考える必要がある。江戸時代に彦根藩から肉の味噌漬けが贈られたという記録は、近江で牛肉が特別な食品として扱われた歴史を示すが、それが現在の商品規格と同一だったわけではない。

    近江牛を選ぶときは、産地証明、個体識別情報、部位、脂の入り方、用途を見る。脂が多い肉だけを上位とせず、赤身やすじ、切り落としを煮物や鍋に使えば、一頭を幅広く利用できる。名産を守るとは、高価な部分だけを称賛することではない。


    2.牛肉の味噌漬け――保存と贈答の技術

    牛肉の味噌漬けは、肉を味噌床に漬けて風味を移し、焼いて食べる。冷蔵設備が乏しい時代には、塩分を含む味噌で表面を覆うことが保存と運搬に役立った。薬用の名目で贈られたという歴史も伝えられ、牛肉が日常食ではなく特別な品だったことを示す。

    味噌は肉の臭いを和らげ、うま味と甘味を加えるが、焦げやすい。表面の味噌を適度に落とし、弱い火で中心まで加熱する必要がある。現在の商品は真空包装や冷蔵に支えられており、昔の保存法だけで安全性を説明することはできない。

    「伝統的な味噌漬け」という名称でも、肉の産地、部位、味噌の原料、漬け時間、製造地は異なる。贈答品では箱や物語に目が向くが、表示を読めば中身が見える。少量を野菜や飯と分け合う食べ方は、濃い味と脂を一度に摂り過ぎない工夫にもなる。


    3.じゅんじゅん――牛肉だけに限定しない鍋

    滋賀で「じゅんじゅん」と呼ばれる料理は、牛肉、鶏肉、湖魚などを、ねぎ、ごぼう、麩、豆腐、しらたきなどと煮る鍋である。語源には煮える音に由来する説などがあり、具材と味付けは地域や家庭で異なる。近江牛のすき焼きだけを指す言葉ではない。

    湖西ではイサザやウナギなど湖魚のじゅんじゅんも食べられた。湖東では牛肉、農村では鶏肉など、手に入るたんぱく源を野菜と一緒に煮る。鍋は一つの火を囲み、煮えたものから取り分けるため、人寄せや祭り、寒い季節の食に向く。

    鍋料理を評価するときは、肉の種類だけでなく、割り下やだしの量、野菜、締めの飯や麺まで含めて見る。汁に調味料と脂が残るため、すべて飲むかどうかでも食事全体は変わる。地域名物を自分の体調や人数に合わせ、具材の比率を調整してよい。


    4.日常の肉食と観光の近江牛――二つを分ける

    観光地で提供される近江牛は、すき焼き、握りずし、コロッケ、カレーなど多様な姿をとる。少量でもブランドを味わえる商品は入口になる一方、「近江牛入り」という表示だけでは使用割合や部位が分からないことがある。加工品では原材料表示と製造地を確かめたい。

    滋賀の家庭が毎日高級牛肉を食べてきたわけではない。豆、豆腐、湖魚、鶏肉、季節野菜が日常を支え、牛肉は祝い、贈答、来客など特別な場で存在感をもった。名産品と日常食を同じ県の食文化に置きながら、頻度と役割は分けて考える必要がある。

    食文化を観光商品だけで残そうとすると、高価な部位や見栄えのよい料理へ偏る。一方、すじ肉を煮る、切り落としを野菜と炊く、少量を皆で分ける技術も、地域の肉食文化である。一頭全体の利用と、無理のない量を評価する選択が、生産の持続性につながる。


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    第7章.琵琶湖の食を未来へ――選ぶための四つの視点


    1.世界農業遺産を「昔の保存」にしない

    琵琶湖システムは、山の森林、川、湖、湖岸の水田、伝統漁業、農業、食文化、祭礼のつながりを評価する。エリ漁のように魚の習性を利用する漁法、魚のゆりかご水田、環境に配慮した農業、湖魚を食べる文化は、別々の展示物ではなく相互に支える仕組みである。滋賀県「琵琶湖システムを学ぶ」

    ただし、遺産認定は現状が永遠に続く保証ではない。気候変動、水温、湖底環境、外来生物、河川や水路の構造、担い手不足、湖魚を食べる人の減少など、条件は変化する。古い漁具や料理を展示するだけでは、生きたシステムは維持できない。

    消費者が湖魚を食べ、田の環境に配慮した米を選び、地域の体験や学習へ参加することも仕組みの一部になる。滋賀県は「食べる」「学ぶ」「訪れる」「応援する」という入口から琵琶湖システムを紹介している。滋賀県「琵琶湖システムから生まれる食」


    2.魚種、漁期、資源状態を料理名より先に見る

    「湖魚料理」と書かれていても、使われる魚は小アユ、ホンモロコ、ワカサギ、フナ、コイなどで異なる。県外産の淡水魚を加工した商品もあり得る。料理名や店の所在地だけで産地を推測せず、魚種、採捕水域、天然・養殖、原料原産地、加工地を分けて確認したい。

    魚は毎年同じ量が獲れるわけではない。産卵場、水温、餌、外来生物、漁獲圧などの影響を受ける。名物だから常に提供すべきだと考えると、不漁時にも需要だけを固定してしまう。旬の別魚種へ替える、養殖を選ぶ、量を減らすことも文化を守る選択である。

    滋賀県の水産情報は、琵琶湖八珍、漁業のルール、試験研究などへの入口をまとめている。滋賀県「水産業」 商品の説明が資源管理や漁法に触れているかを読み、分からなければ店に尋ねる。その会話が、魚を匿名の原料にしない。


    3.「地元産」と「地元加工」を分けて読む

    郷土料理は、その土地で作られていれば原料もすべて地元産とは限らない。鯖そうめんの鯖、丁字麩の小麦、丁稚羊羹の小豆と砂糖、こんにゃくの原料、近江牛加工品の副材料などは、県外や海外から届くこともある。外来原料を使うこと自体が、直ちに文化の否定になるわけではない。

    近江は古くから交易の土地であり、外の原料を受け入れて加工し、独自の食べ方に変えてきた。重要なのは、原料産地と加工地を曖昧にしないことである。「滋賀県産原料」「滋賀県内製造」「滋賀の伝統製法」は、それぞれ別の情報を示す。

    表示を読むと、何を地域内で支え、何を広域の流通に頼っているかが見える。地元産を絶対条件にするのではなく、湖魚、米、茶、日野菜など地域性の核となる原料を見極め、加工技術や雇用も含めて選ぶことが現実的である。


    4.滋賀の食を選ぶ四つの問い

    第一の問いは「どの水と土地につながるか」である。琵琶湖、流入河川、水田、山間、街道という場所を確かめる。第二は「何をどのように保存・加工したか」である。塩漬け、発酵、乾燥、佃煮、味噌漬け、蒸し物では、食べる量も保存性も違う。

    第三は「誰が資源と技術をつないでいるか」である。漁業者、農家、加工業者、料理人、祭礼の担い手、採種を続ける人を見る。第四は「今の自分にどの量が合うか」である。濃い保存食や脂の多い肉を否定せず、小皿にする、野菜と合わせる、食べる頻度を整える。

    この四つの問いを持てば、「有名だから」「健康によいと聞いたから」「無添加だから」という一項目だけで食品を決めずに済む。琵琶湖の食文化は、湖の恵みを受け取る技術であると同時に、取り過ぎず、使い切り、分け合うための仕組みである。


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    おわりに――滋賀の食は、湖と田を往復する水の物語である

    滋賀県の食文化は、琵琶湖の魚だけでできているのではない。山の水が田を潤し、田の水が湖へ戻り、魚が湖と水路と水田を行き来する。米は飯、餅、酒、すしとなり、魚は焼き物、煮物、佃煮、鍋、なれずしとなる。水の循環が、食材と加工の循環を生んできた。

    同時に、滋賀は内向きに閉じた土地でもなかった。東海道、中山道、北国街道、鯖街道、琵琶湖水運を通じ、海魚、昆布、砂糖、商いの知恵を受け入れた。近江商人は品物を外へ運び、旅人と奉公人は味の記憶を往復させた。湖国の食は、地元産だけを純粋に守った結果ではなく、外から来たものを土地の暮らしに合わせた結果でもある。

    ふなずしは、強い香りの珍味である前に、魚と米を長く保つ発酵技術である。鯖そうめんは、海のない県の不思議な料理ではなく、日本海と農村を結ぶ街道の料理である。近江牛は高価な霜降りだけでなく、一頭を育て、識別し、さまざまな部位を食べる工程である。日野菜、茶、打ち豆、漬物は、畑と季節を小さな食卓へ届ける。

    大切なのは、名物の名前を集めることではない。どこで生まれ、何を原料に、どの時間をかけ、誰が作り、どの環境へつながっているのかを見ることである。そして、自分の体調と食事全体に合う量を選ぶことである。

    琵琶湖は、滋賀の風景の中心であるだけではない。

    魚、米、道、祭り、商いを結び、食べる人に環境との関係を問い返す、湖国の食文化そのものなのである。


    参考資料


     
     
    栄養素だけで食材を評価するのではなく、味、季節、土地、調理法、体との関係、歴史や食文化まで含めて、食べものをまるごと考えます。 東洋医学をはじめとする伝統的な食養生の視点と、現代の知見の双方を手がかりに、自分の体と暮らしに合う食を、自分で選ぶためのコラムです。

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