
日本の郷土料理 佐賀県各論
――有明海の干潟、玄界灘、佐賀平野と陶磁器の里が育てた食
佐賀県は九州の中では小さな県だが、食文化の輪郭はきわめて鮮明である。南には日本最大級の干満差をもつ有明海、北には外洋性の玄界灘があり、その間に広い佐賀平野、背振山地、天山山系、杵島山地などが横たわる。同じ県内に、干潟の魚介を食べる文化、沖合の魚を生で味わう文化、米と麦を中心とする平野の農耕文化、山間部の保存食、陶磁器産地の商業文化が並存している。
佐賀の料理は、豪華な名物だけで成り立っているのではない。ムツゴロウ、ワラスボ、クチゾコ、エツ、海苔など、その土地でなければ価値が分かりにくい生物を食材に変える知恵がある。根菜や鶏肉を小さく切って煮る「だぶ」、祭りの大鍋で作る「煮ごみ」、麦や米を節約しながら腹を満たす「だご汁」や「茶がゆ」には、限られた食料を分け合う工夫がある。
一方、唐津・呼子では新鮮ないかや玄界灘の魚、伊万里・有田では器と一体になった料理、嬉野では温泉水を利用した湯どうふが発達した。近世の城下町、長崎街道、港、炭鉱、焼き物の流通も、佐賀の食を外の世界へ開いてきた。
本稿では、佐賀県の食を「有明海の珍味」だけで語らず、海、平野、山、街道、祭礼、産業という複数の視点から読み解く。料理の背景にある暮らしをたどることで、佐賀の郷土料理が、環境に適応しながら地域を結び直してきた歴史そのものであることが見えてくる。

第1章.二つの海と広い平野――佐賀県の食を形づくった地理
1.有明海――干潟そのものを食べる文化
佐賀県南部の食文化を特徴づける最大の存在は有明海である。有明海は干満差が大きく、干潮時には広大な干潟が現れる。河川から運ばれる土砂と栄養分、潮の動きが独特の生態系をつくり、ムツゴロウ、ワラスボ、ハゼ類、クチゾコ、メカジャ、タイラギ、アゲマキ、海苔など、多様な生物を育ててきた。
これらは全国一律の市場で評価されやすい魚介ばかりではない。見た目、食べ方、旬、下処理を知る地元の経験があって初めて食材になるものが多い。ムツゴロウは蒲焼きにし、ワラスボは干してだしや酒肴にし、クチゾコは煮付けにする。干潟の食文化とは、単に珍しい生物を食べることではなく、その性質を見極め、保存と調理によって価値を引き出す知識の体系である。
2.玄界灘――鮮度を味わう北部の海
北部の唐津湾、呼子、玄海町周辺は、有明海とは異なる海の文化をもつ。玄界灘では、いか、あじ、さば、ぶり、たい、うに、あわびなどが水揚げされる。潮流のある海でとれた魚介を、刺身、塩焼き、煮付け、干物として食べる文化が発達した。
呼子のいかの活造りは、現在では佐賀を代表する観光料理である。透き通った身を刺身で味わい、残ったげそや耳を天ぷらや塩焼きにする。一尾を姿のまま見せながら、食べられる部分を最後まで使う料理である。観光名物としての華やかさの奥には、漁港で鮮度を保ち、魚を無駄にしない生活技術がある。
3.佐賀平野――米と麦、野菜を育てる低地
筑後川や嘉瀬川、六角川などがつくった佐賀平野は、県の農業と食生活を支えてきた。干拓によって耕地が広がり、米、麦、大豆、玉ねぎ、れんこんなどが生産される。水田が広がる景観は豊かに見えるが、低湿地では洪水や排水への対応が欠かせず、農業は水の管理と一体だった。
米は日常の飯だけでなく、すし、餅、酒、行事食の基盤となる。麦はうどん、だご、菓子などに使われ、米が不足する季節の食を補った。平野の根菜や豆類は「だぶ」「のっぺ汁」「煮ごみ」などに入り、一つの鍋で多人数に行き渡る料理を成立させた。
4.山地・街道・産地が生んだ地域差
北東部の背振山地、中央部の天山周辺、南西部の多良岳山系では、棚田、茶、みかん、山菜、きのこなどが暮らしを支えた。嬉野は茶と温泉、鹿島・太良は有明海の魚介とみかん、伊万里・有田は陶磁器、唐津は港と城下町というように、地域ごとの産業が食の形を変えている。
長崎街道は砂糖、菓子、異国由来の品々を運び、佐賀城下や小城、嬉野、塩田、有田などを結んだ。佐賀の郷土料理を理解するには、県境だけで区切るのではなく、福岡、長崎、壱岐・対馬、さらに海外へ続く人と物の流れを見る必要がある。

第2章.有明海の食――干潟の生き物を味に変える
1.ムツゴロウの蒲焼き
ムツゴロウは有明海の干潟を象徴する魚である。干潮時に泥の上を跳ね、胸びれを使って移動する姿はよく知られている。料理では素焼きにしてから甘辛いたれをつけ、蒲焼きにすることが多い。独特の香りと締まった身を、濃い味付けによって食べやすくする方法である。
ムツゴロウは日常の惣菜であると同時に、来客や祝いの席にも用いられてきた。白石町の「須古ずし」では、もともとムツゴロウの蒲焼きを具に使ったとされる。現在は漁獲や入手事情の変化から、えびやコノシロなどを使う場合もある。材料が変わっても、地元の海と田から得たものを一つのすしにまとめる思想は受け継がれている。農林水産省「須古ずし」
2.ワラスボ、クチゾコ、メカジャ
ワラスボは細長い体と鋭い歯をもち、初めて見る人には強い印象を与える。生のまま広く流通させるより、干物にして保存し、焼いて酒肴にしたり、砕いてだしにしたりすることで価値が高まる。乾燥は保存のためだけでなく、香りとうま味を凝縮する加工でもある。
クチゾコはシタビラメの仲間で、煮付けにすると身離れがよく、甘辛い煮汁を含んで飯に合う。メカジャは小型の甲殻類で、塩ゆでなどで食べられる。有明海の食材には、標準和名より地方名の方が生活に根づいているものが多い。名前は、生物分類よりも「どの季節に、どう食べるか」という地域の記憶と結びついている。
3.ふなんこぐい――冬の保存と祝いの味
「ふなんこぐい」は、寒ぶなを昆布で巻き、長時間甘辛く煮る料理である。主に鹿島市周辺で、二十日正月の頃に食べる習慣が知られている。骨まで柔らかくなるよう煮込み、保存性を高める。寒い時季のふなを利用し、昆布と砂糖、醤油の味を含ませた料理には、保存食と行事食の二つの性格がある。
海に面した佐賀で淡水魚料理が受け継がれた背景には、水田、堀、クリークが張り巡らされた平野の環境がある。かつて淡水魚は身近なたんぱく源であり、農村の水辺は食料を得る場所でもあった。ふなんこぐいは、佐賀の食が海だけでなく、田と水路の生態系にも支えられてきたことを示している。
4.海苔――干潟から生まれた現代の基幹食品
佐賀海苔は県を代表する水産物である。河川の栄養分、広い干潟、大きな干満差を利用し、網を潮の満ち引きに合わせて管理する。海苔は古い採集食から、養殖技術、乾燥加工、等級評価、流通を備えた産業へ発展した。
焼き海苔や味付け海苔として食べるだけでなく、巻きずし、おにぎり、汁物など日常食を支える。生産現場では海況や水温、栄養塩の変化が品質を左右する。郷土食を守ることは料理名を残すだけではなく、海の環境と生産技術を次世代へつなぐことでもある。

第3章.平野の米麦と共同体の料理――須古ずし、だぶ、煮ごみ
1.須古ずし――田と海を一箱に収める
白石町須古地区に伝わる須古ずしは、すし飯を「もろぶた」と呼ばれる木箱に敷き、具を彩りよくのせ、切り分ける箱ずしである。農林水産省の紹介では、500年以上前、領主が米の品質向上に尽くしたことへの感謝から、領民が地元の山海の幸を用いて献上したという伝承がある。農林水産省「須古ずし」
具には錦糸卵、ごぼう、しいたけ、奈良漬、かまぼこ、魚介などが使われる。かつてのムツゴロウが別の魚介へ置き換わることがあっても、すし飯の上に地域の産物を配置し、大勢で切り分ける基本構造は変わらない。須古ずしは一人前ずつ握るすしではなく、共同体が一つの箱を囲む料理である。
2.だぶ――具を小さく切る合理性
「だぶ」は鶏肉、れんこん、ごぼう、にんじん、しいたけ、こんにゃくなどを小さく切り、だしで煮た汁物である。冠婚葬祭や集まりの際に作られ、地域や家によって汁の量、味付け、とろみの有無が異なる。名称の由来には、汁を「だぶだぶ」に多くしたことにちなむという説などがある。
具を小さくそろえると、火が通りやすく、限られた材料を多人数へ均等に分けやすい。根菜、乾物、鶏肉という保存しやすい材料を一つの鍋で煮るため、準備と配膳にも合理性がある。郷土料理の切り方は見栄えだけでなく、燃料、時間、公平な分配という生活条件から生まれている。
3.煮ごみ、のっぺ汁、がめ煮
佐賀県では、根菜や鶏肉、こんにゃくなどを煮る料理が複数伝わる。「煮ごみ」は、とくに秋の祭礼「おくんち」などで大鍋に作られ、来客に振る舞われた。里芋、ごぼう、れんこん、にんじん、鶏肉などを使い、何度も温め直すうちに味がなじむ。祭礼の料理は家庭だけで完結せず、訪れる人を迎える地域の装置だった。
「のっぺ汁」は、里芋や野菜を煮て、とろみをつける汁物である。「がめ煮」は北部九州に広く分布し、炒めた鶏肉と根菜を煮含める。料理名や切り方、汁気には違いがあるが、季節の根菜と鶏を一つの鍋に集める点は共通する。これらは、佐賀の平野で得られる食材を無駄なく組み合わせる基本型である。
4.だご汁、平だご、ゆでだご
佐賀では小麦粉を練った生地を「だご」と呼び、汁に入れる、平たく伸ばす、ゆでて甘く味付けするなど多様に使う。だご汁は野菜の汁に小麦の生地を加え、少ない米を補いながら腹持ちを良くする料理である。平だごは形や厚みに地域差があり、家庭の手つきがそのまま味になる。
「ゆでだご」は、小麦粉の生地をゆで、黒砂糖などで甘くして食べる素朴な菓子である。米の祝い食に対し、小麦は日常の間食や農作業の補食を支えた。佐賀平野の二毛作は、米と麦を季節ごとに使い分ける食文化を育てたのである。農林水産省「佐賀県の郷土料理」

第4章.唐津・伊万里・有田――玄界灘、城下町、焼き物の食
1.呼子のいかと玄界灘の魚
呼子のいかは、鮮度を目で確かめながら味わう料理である。薄く切った身の透明感、歯ごたえ、甘みが評価され、活造りの後はげそを天ぷらなどにする。冷蔵、輸送、活魚管理の技術が整ったことで、港の料理が観光客にも提供されるようになった。
しかし、玄界灘の食は活造りだけではない。魚を干す、塩をする、煮付ける、すり身にするなど、漁獲の変動に対応する加工が暮らしを支えてきた。鮮魚を誇る文化と保存する文化は対立せず、同じ漁村の中で補い合っている。
2.松浦漬――鯨を余さず利用する加工食
唐津地方の「松浦漬」は、鯨の軟骨を細かく刻み、酒粕に漬けた食品である。日本海側の捕鯨や鯨肉流通と結びつき、硬い軟骨を塩抜きし、粕の風味で食べやすくする。酒肴や飯の友として少量ずつ味わう。
松浦漬は、主要な肉だけでなく軟骨まで利用する加工技術の産物である。保存性を高め、時間をかけて食感を変えることで、すぐには食べにくい部位を商品へ変えた。郷土料理には、豊かな食材を豪快に食べる料理だけでなく、残りやすい部位に新しい価値を与える料理もある。
3.呉豆腐――有田の器に映える柔らかな豆腐
有田町を中心に食べられる呉豆腐は、豆乳をでん粉で固めた食品である。一般的な豆腐のようににがりで凝固させるのではなく、葛粉やでん粉を用いるため、もちもちとなめらかな食感になる。ごま醤油などの甘みを含むたれをかけ、器に盛って食べる。農林水産省「佐賀県の郷土料理」
陶磁器の産地では、料理は器に盛られた姿まで含めて評価される。白く柔らかな呉豆腐は、色絵や染付の器に映え、来客料理や精進的な一品にもなる。食材加工と工芸が互いを引き立てる点に、有田らしさがある。
4.唐津焼・伊万里焼・有田焼と食卓
焼き物は料理そのものではないが、食べ方を形づくる。皿の大きさや深さ、鉢の口径、酒器の形が、盛り付け、汁の量、一人分の感覚を決める。唐津焼の土味、伊万里・有田の磁器の白さと絵付けは、魚、煮物、豆腐、菓子の見え方を変えてきた。
産地には職人、商人、窯元を訪れる人が集まり、外からの食習慣も入る。器を介した交流は、佐賀の料理を家庭の内側から商品と観光の世界へ広げた。食文化は口に入るものだけでなく、それを受け止める道具まで含む。

第5章.嬉野・山間部・長崎街道――茶、温泉、砂糖の文化
1.嬉野茶と山の畑
嬉野は茶の産地として知られる。釜で炒る製法や蒸す製法があり、丸みを帯びた茶葉と香りが特徴とされる。茶は日常の飲み物であると同時に、来客を迎え、菓子とともに会話の時間をつくる。山の斜面を利用する茶畑は、平野の水田とは異なる農業景観を形成した。
茶の価値は成分だけでは測れない。湯を沸かし、器を温め、少量ずつ注ぐ行為が、家の中に節目をつくる。佐賀の食文化において、茶は料理の外側にありながら、食事と人間関係を整える重要な存在である。
2.温泉湯どうふ――水が調理法になる
嬉野温泉の湯どうふは、温泉水で豆腐を煮る料理である。温泉水の性質によって豆腐の表面が溶け、煮汁が白濁し、とろりとした口当たりになる。豆腐という全国的な食品が、その土地の水によって別の料理へ変わる代表例である。
重要なのは、温泉に入れるという珍しさではなく、水の性質を経験的に理解し、料理へ応用した点である。現在は調理用の温泉水や専用豆腐が商品化され、家庭でも再現できる。旅館料理だったものが土産物、家庭食へ広がる過程も、現代の郷土料理の一つの姿である。
3.長崎街道と菓子文化
江戸時代、長崎に輸入された砂糖は長崎街道を通って各地へ運ばれた。この道筋は「シュガーロード」とも呼ばれ、佐賀や小城には羊羹、丸ぼうろなどの菓子文化が育った。砂糖は当初から誰もが大量に使える日常品ではなく、贈答、祭礼、茶席、薬用など特別な価値をもっていた。
小城羊羹は砂糖と寒天、小豆を煮詰めて固め、保存性を高めた菓子である。表面が乾いて糖化した食感を好む伝統的な製法もある。丸ぼうろは小麦粉、卵、砂糖を用いる焼き菓子で、外来の菓子技法が地域の材料と嗜好に合わせて定着したものと考えられている。
4.茶がゆ・お茶がい――倹約から生まれた日常食
茶で米を炊く「茶がゆ」「お茶がい」は、少ない米を水分で増やし、さらりと食べる料理である。佐賀藩の財政難や倹約と結びつけて語られることもあるが、実際には地域や家庭で作り方が異なる。冷や飯を使う、茶の濃さを変える、漬物や味噌を添えるなど、日常の都合に合わせて作られた。
粥は病人食だけではない。暑い季節や農作業の朝にも食べやすく、米を無駄なく使える。豪華な名物の陰にある茶がゆのような料理こそ、日々の身体と家計を支えた食文化である。

第6章.祭り、祝い、もてなし――大鍋と器が結ぶ人々
1.おくんちと煮ごみ
佐賀県各地の秋祭りは「おくんち」と呼ばれ、新米の収穫を祝い、氏神へ感謝する行事として行われてきた。唐津くんちのような大規模な祭りだけでなく、集落ごとの祭礼でも親族や客を迎え、料理を振る舞う。
煮ごみやがめ煮、すしなどは前もって多く作れ、温め直しや盛り分けがしやすい。祭りの料理には、珍しい材料よりも、来客の人数が変わっても対応できることが求められた。大鍋は単なる調理器具ではなく、地域の受け入れ能力を表すものだった。
2.祝いのすしと餅
米どころでは、すしと餅が人生儀礼や年中行事の中心になる。須古ずしのほか、巻きずし、ちらしずし、魚を使ったすしなどが作られ、正月、節句、婚礼、法事などの場で食べられる。酢飯は保存性を高めるとともに、普段の白飯とは違う特別感を生む。
餅もまた、正月、祝い、農作業の節目に欠かせない。もち米を蒸し、共同で搗く作業は、食料加工と共同体の確認を兼ねていた。現在は機械化や購入が進んでも、餅を供え、分けて食べる意味は残っている。
3.「およごし」「にいもじ」に見る野菜の知恵
佐賀の郷土料理には、魚介や肉を主役にしない副菜も多い。「およごし」は野菜をゆで、ごまや味噌などで和える料理で、季節の青菜を食べやすくする。「にいもじ」はなすなどを用いる夏の料理として伝えられ、暑い時季に酸味やさっぱりした味を生かす。
副菜は目立たないが、旬の野菜を大量に食べ、保存や味の変化をつける役割を担う。郷土料理を名物の主菜だけで見ると、日常の食卓を支えたこうした料理が抜け落ちる。主食、汁、漬物、和え物の組み合わせにこそ、地域の食事の全体像がある。
4.酒と器、もてなしの完成
佐賀平野の米と良質な水は酒造りも支えた。日本酒は祭礼、婚礼、神事、来客の席で用いられ、料理と器を結びつける。盃や徳利に有田焼、唐津焼などを使えば、土地の産物が一つの卓上にそろう。
郷土料理は食材だけで完成するのではない。誰に、どの器で、どの順番で出すかというもてなしの作法まで含む。佐賀では農業、水産、醸造、陶磁器がそれぞれ独立した産業でありながら、祝いの席で一つの文化として結びついてきた。

第7章.観光化と継承――珍味を「生きた日常食」として残す
1.名物化が生んだ光と影
呼子のいか、嬉野温泉湯どうふ、佐賀牛、竹崎かに、佐賀海苔、小城羊羹などは、県外から人を呼ぶ強いブランドになった。名物化は生産者や料理店の収入を支え、地域名を広める。一方、分かりやすい料理だけが繰り返し紹介されると、だぶ、茶がゆ、和え物のような家庭料理が見えにくくなる。
観光料理と家庭料理のどちらか一方が本物なのではない。活造りも、祭りの大鍋も、日常の漬物も、それぞれ異なる場面で地域を支えている。佐賀の食を伝える際には、華やかな料理の背後にある漁、農業、加工、家庭の手仕事を示す必要がある。
2.環境変化と有明海の食
有明海の食文化は、生態系の変化と切り離せない。漁獲量の変動、海況、水温、河川からの栄養、干潟環境などが、海苔や魚介の生産を左右する。かつて身近だった食材が手に入りにくくなれば、料理も代替材料へ変わる。
須古ずしの具が変わることを、ただ「伝統が失われた」と見るべきではない。地域は昔から、得られる食材に応じて料理を調整してきた。ただし、なぜ材料が変わったのかを記録しなければ、海と料理の関係は忘れられる。代替と継承を両立させるには、レシピだけでなく環境の履歴も残すことが重要である。
3.家庭から学校、商品へ
郷土料理の継承は、家庭内の口伝だけでは難しくなっている。少人数世帯では大鍋料理を作る機会が減り、魚の下処理や長時間の煮込みも敬遠されやすい。その一方、学校給食、料理教室、地域行事、加工食品、飲食店を通じて、子どもや移住者が郷土の味に触れる機会が生まれている。
商品化すると、衛生、保存、輸送、表示の基準に合わせる必要があり、味や形が変わることもある。それでも、家庭で作られなくなった料理を完全に消さないためには、商品や外食が記憶の入口になる。重要なのは、便利になった製品を否定せず、元の料理がどのような場で食べられたかを一緒に伝えることである。
4.佐賀らしさとは何か
佐賀らしさは、ムツゴロウやいかといった一つの食材だけにはない。干潟の生物を蒲焼きや干物にすること、平野の根菜を小さく切って大鍋で分けること、温泉水で豆腐の食感を変えること、豆乳をでん粉で固めて器に映すこと。そこには、土地の条件を弱点ではなく食の個性へ変える姿勢が共通している。
また、佐賀の食は閉じていない。長崎街道から砂糖と菓子文化が入り、玄界灘の港から人と物が行き交い、陶磁器は国内外へ運ばれた。外から来た技術や材料を、その土地の水、米、豆、魚、器に合わせて作り替える力が、佐賀の食文化を豊かにしてきたのである。

おわりに――佐賀の食は、水辺と人の手がつくった
佐賀県の食文化は、二つの海と広い平野の対照から生まれた。
有明海では、干潟に生きる魚介を見分け、焼き、煮て、干し、食べられる形にした。玄界灘では、魚介の鮮度を生かしながら、干物や加工品によって漁の変動に備えた。佐賀平野では、米と麦、根菜、豆、鶏を使い、大勢で分けられるすし、汁物、煮物を育てた。
嬉野の温泉水は豆腐をとろけさせ、有田の陶磁器は料理の姿を整えた。長崎街道を通った砂糖は、羊羹や丸ぼうろの文化を生んだ。自然条件と交通、産業、工芸は別々に存在したのではなく、食卓の上で結びついている。
佐賀の料理には、見慣れない魚を珍味へ変える大胆さと、根菜を細かく刻み、汁を増やして皆に分ける慎ましさが同居する。豪華さと倹約、鮮度と保存、海と田、家庭と商品。その両方を受け入れる柔軟さが、佐賀の食の強さである。
郷土料理を残すとは、昔の材料と作り方を一字一句変えずに再現することだけではない。海や農業の変化を知り、代わる材料を選び、料理が生まれた理由を伝えながら、現代の食卓に置き直すことである。
佐賀の味は、干潟、川、クリーク、田、山、温泉、窯場を、人の手が結び合わせて生まれた。
その食文化は、土地から得られるものを見落とさず、最後まで生かし、誰かと分け合う知恵なのである。