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日本の郷土料理 山梨県各論

    ――山に囲まれた甲斐の国で、粉・芋・果実・街道が結んだ食


    山梨県の食文化を一つの言葉で表すなら、「山の内側で育ち、峠の向こうと結ばれた食」である。

    県土の中央には甲府盆地が広がり、その周囲を富士山、南アルプス、八ヶ岳、関東山地が囲む。海には面していないが、甲州街道は江戸へ、富士川の流れと道は駿河へ、峠道は信濃や相模へ続いていた。山に囲まれていることは孤立を意味せず、限られた出入口を通じて、人、塩、魚、穀物、技術が行き交う条件になった。

    稲作に適する平地が限られた地域では、小麦、そば、雑穀、芋を組み合わせ、粉にひくことで食料を無駄なく使った。ほうとう、吉田のうどん、おざら、みみ、うす焼きは、その粉食文化から生まれた。山間部では、じゃがいもや乾燥野菜、漬物が暮らしを支え、海のない甲斐では、駿河から運ばれたあわびが煮貝という名物になった。

    一方、甲府盆地の扇状地、少雨、長い日照時間、昼夜の寒暖差は、ぶどう、桃、柿などの果樹栽培に生かされた。果実は生食だけでなく、ころ柿、月の雫、瓶詰、ジュース、そしてワインへ姿を変え、近代以降の山梨を代表する産業になった。

    本稿では、山梨の郷土料理を名物の一覧として並べず、山地と盆地、日常と行事、保存と流通、農家の食と近代産業を結ぶ仕組みとして読み解いていく。


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    第1章.山に囲まれた甲斐――盆地・高地・川筋が分けた食


    1.甲府盆地と扇状地――米だけでは測れない豊かさ

    甲府盆地は、釜無川、笛吹川、その支流がつくった平地と扇状地からなる。低地では水田が営まれたが、傾斜があり水が地中へしみ込みやすい扇状地は、必ずしも稲作に向かなかった。

    そこで、畑には小麦、そば、豆、野菜を植え、のちにはぶどうや桃などの果樹を育てた。水田の広さだけを基準に見れば不利な土地でも、乾燥しやすい土壌と日照を別の作物に生かすことで、食料と現金収入を得たのである。

    農林水産省は、山梨が四方を山に囲まれ、内陸性の気候、少ない降水量、長い日照時間、昼夜の寒暖差をもつことが果樹栽培に適していると説明している。農林水産省「山梨県の伝統食」

    盆地の食文化は、米が不足したから粉を食べたという単純な話ではない。水の得やすい低地、乾いた扇状地、山裾の畑を使い分け、異なる作物を一つの食卓へ集める知恵だった。

    2.富士北麓、東部、峡南――標高と斜面が変える主食

    富士北麓は標高が高く、冷涼で、火山性の土壌が広がる。稲作が安定しにくい土地では、小麦、大麦、そば、きび、とうもろこしなどが重要だった。太く強い吉田のうどんは、こうした土地の粉食文化を背景にもつ。

    県東部の山村では、斜面の小さな畑に雑穀や芋を植えた。上野原市棡原に伝わる「せいだのたまじ」は、小粒のじゃがいもを皮ごと味噌で煮る料理であり、畑の収穫を最後まで使い切る発想が表れている。

    富士川沿いの峡南地域では、谷の斜面と川筋の集落が暮らしの単位になった。十谷周辺の「みみ」、身延のゆば、南部の茶など、同じ県内でも、地形と信仰、交通によって異なる食が育った。

    山梨を「甲府盆地の食」だけで語ると、高地や谷筋の工夫が見えなくなる。標高差は収穫時期をずらし、作物を変え、麺の太さや汁の濃さ、保存方法まで変えてきた。

    3.水車と粉――穀粒を食べやすくする共同の装置

    小麦、そば、とうもろこし、雑穀は、粒のまま煮るだけでなく、粉にすることで用途が大きく広がる。水でこねれば麺や団子になり、薄く焼けば携帯しやすい間食になり、汁へ入れれば少量でも家族に分けられる。

    山梨の村々では、水流を利用した水車が製粉を支えた。農林水産省の解説によれば、江戸時代から水車が普及し、明治期には県内に三千を超える水車があったとされる。農林水産省「山梨県の伝統食」

    水車は単なる機械ではない。収穫した穀物を持ち寄り、粉にし、各家庭の鍋や鉄板へ戻す、村の食料加工拠点だった。粉食は「米の代用品」ではなく、複数の穀物を調理可能な形へ変える技術の体系である。

    4.甲州街道と駿河への道――海のない国の流通

    甲州街道は甲斐と江戸を結び、富士川沿いの道や舟運は駿河へ通じた。信濃、相模、武蔵への峠道もあり、塩、魚、乾物、茶、砂糖などが出入りした。

    海がないから魚を食べなかったのではない。傷みやすい魚介を運ぶため、塩をする、醤油に漬ける、干す、煮るといった処理が必要になった。その代表があわびの煮貝である。輸送の不便さが、保存技術と濃縮した味を生んだ。

    反対に、甲斐からは果実、織物、穀物加工品などが外へ出た。山梨の郷土料理は県内で完結した食ではなく、峠を越える物流のなかで形づくられたのである。


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    第2章.粉食の国――ほうとう、うどん、みみ


    1.ほうとう――鍋の中で主食と副食を合わせる

    ほうとうは、小麦粉を水でこねて平たく切った麺を、かぼちゃ、芋、大根、人参、白菜、きのこ、油揚げなどと煮込み、味噌で仕立てる料理である。麺を別にゆでず、打ち粉ごと鍋へ入れるため、汁に自然なとろみがつく。

    麺、生野菜、保存野菜、大豆加工品、味噌を一つの鍋にまとめられる。忙しい農家にとって、複数の料理を別々につくるより合理的で、家族の人数や収穫物に応じて量を調整しやすい。

    武田信玄の陣中食だったという話は広く知られるが、確実な起源として断定することはできない。農林水産省も、米づくりに向かない山間部で日常食として親しまれた背景とともに、名称や由来には諸説があると紹介している。農林水産省「ほうとう」

    ほうとうの本質は、名将の物語よりも、畑の作物を鍋一つで温かく分け合う日々の技術にある。

    2.おざら――同じ粉を夏の身体へ合わせる

    冬に温かいほうとうがある一方、夏には「おざら」が食べられる。ほうとうより細めの麺をゆでて冷水で締め、野菜や油揚げを入れた温かい醤油味のつゆにつける料理である。

    暑い時期に、熱い鍋を囲まず、冷たい麺でのど越しをよくする。同じ小麦粉を使いながら、気温と農作業に合わせて調理法を変えている。農林水産省「おざら」

    ほうとうとおざらは別々の名物というより、季節で切り替わる一組の粉食として見ると分かりやすい。冬は打ち粉のとろみで保温し、夏は水で締めて軽く食べる。粉そのものより、温度と水分の扱いが料理の性格を決めている。

    3.吉田のうどん――織物の町が育てた強い麺

    富士吉田市周辺の「吉田のうどん」は、太く、硬く、強いこしをもつ。味噌と醤油を合わせた汁、ゆでたキャベツ、油揚げ、すりだねなどを添え、店や家庭によって馬肉をのせる。

    富士北麓では、冷涼な気候と火山性土壌のため稲作が難しく、小麦や雑穀が主食を補った。また、昭和初期に織物業が盛んになると、女性の機織りを止めず手を荒らさないよう、男性が力を込めてうどんを打ったという地域の語りもある。農林水産省「吉田のうどん」

    この説明はすべての家庭に当てはまると断定できないが、麺の硬さ、仕事の分担、町の産業が結びついて語り継がれてきた点が重要である。吉田のうどんは、土地の食感を地域の誇りへ変えた料理である。

    4.みみと小豆ほうとう――粉が行事の形をまとう

    峡南の十谷周辺に伝わる「みみ」は、小麦粉の生地を小さく切り、折って形をつくり、野菜と味噌汁で煮る料理である。農具の箕に似るという説と、耳に似るという説がある。箕で福をすくう縁起物として、正月や祝いの席につくられてきた。農林水産省「みみ」

    小豆ほうとうは、ほうとうの麺を甘い小豆汁で食べる。小豆の赤色に魔除けの意味を重ね、正月、盆、祭り、田植えなどの節目に供えた。米や餅が貴重だった地域では、粉の麺が餅の役割を補うこともあった。農林水産省「小豆ほうとう」

    同じ小麦粉でも、平たい麺、太いうどん、耳形の団子、甘い行事食へ変わる。粉食文化の豊かさは、材料の多さではなく、形と食べる場を変える力にある。


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    第3章.救荒と畑の知恵――芋、雑穀、乾燥野菜


    1.せいだのたまじ――小芋を救命作物から郷土料理へ

    上野原市棡原の「せいだのたまじ」は、小粒のじゃがいもを皮つきのまま油で炒め、味噌、砂糖、水などで照りよく煮詰める料理である。「たまじ」は小さなじゃがいもを指す地域の言葉である。

    江戸時代後期、甲斐国の代官・中井清太夫が凶作に備えてじゃがいもの栽培を奨励し、人々を救ったと伝えられる。その名にちなんで「清太夫芋」と呼ばれ、やがて「せいだ」になったという。農林水産省「せいだのたまじ」

    重要なのは、救荒作物が非常時だけの食で終わらなかったことである。商品になりにくい小芋を捨てず、味噌で味を含ませ、日常の惣菜や酒肴へ高めた。貧しさの記憶を残しながら、現在は地域の誇りとして食べられている。

    2.とうもろこし、きび、そば――斜面に適した穀物

    山間部では、水を張る平地が乏しくても、斜面の畑にとうもろこし、きび、あわ、そば、小麦を植えることができた。作物ごとに寒さや乾燥への強さ、収穫時期が異なるため、複数を育てることが凶作の危険を分散した。

    粉にした穀物は、団子、餅、粥、麺、うす焼きに使われた。うす焼きは、小麦粉などを水で溶き、味噌やねぎ、野菜を加えて薄く焼く素朴な料理である。農作業の合間の小昼にもなり、特別な道具を使わず短時間でつくれる。農林水産省「うす焼き」

    雑穀は白米より劣る穀物ではない。土地に合う作物を選び、粉砕と加熱で食べやすくし、日々の食料を安定させるための選択だった。

    3.乾燥野菜と漬物――冬と端境期へ季節を運ぶ

    山間部や高地では、冬の低温と積雪、春の端境期に備え、収穫物を干す、漬ける、貯蔵することが欠かせなかった。大根、芋がら、豆、きのこ、山菜は、乾燥させると軽くなり、長く保存できる。

    干した食材は水で戻すと、生とは異なる歯ごたえとうま味をもつ。ほうとうや煮物へ入れれば、汁を吸い、少量でも料理に厚みを加える。漬物も、ご飯の脇役だけでなく、季節外れに野菜を食べる仕組みだった。

    富士北麓には、鳴沢菜など地域の菜を漬ける文化がある。冷蔵庫のない時代、保存は味の固定ではなく、乾燥、発酵、塩抜き、煮直しを通じて食材の姿を変える連続した調理だった。

    4.味噌――鍋、芋、麺を一つにまとめる調味料

    味噌は、ほうとう、みみ、せいだのたまじ、汁物、田楽など、山梨の郷土料理を横断する。米が十分でない時代にも、大豆と地域で得られる麹を使って仕込み、塩味とうま味を一年の食卓へ備えた。

    山梨では米麹と麦麹を合わせる甲州味噌が知られる。地域や蔵、家庭によって配合や熟成は異なり、一つの標準味にまとめることはできない。だからこそ、同じほうとうでも汁の香りや色に家ごとの差が表れる。

    味噌は保存調味料であると同時に、異なる食材を一つの鍋へまとめる接着剤である。粉、芋、季節の野菜、油揚げを受け止め、毎日の献立を成立させてきた。


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    第4章.街道が運んだ海と大豆――煮貝、馬肉、身延ゆば


    1.あわびの煮貝――距離を味に変えた海産物

    あわびの煮貝は、醤油を使ってあわびを煮含めた甲府の名物である。海のない県の代表的な海産物料理であることに、山梨の流通史が凝縮されている。

    駿河湾でとれたあわびを醤油に漬け、樽へ入れて馬で甲州へ運ぶあいだに、揺れや馬の体温によって味がしみたという説が知られる。武田信玄の陣中食だったという説など、起源には複数の伝承があり、確定的には語れない。農林水産省「あわびの煮貝」

    確かなのは、生の魚介を山越えで運ぶには加工が必要だったことである。保存のための濃い味は、やがて酒肴や贈答にふさわしい価値へ転じた。交通の制約が、その土地にしかない名物を生んだのである。

    2.馬と街道――運ぶ力が食べる文化にもなる

    山梨では、峠道や河岸を結ぶ輸送に馬が重要だった。荷を運び、農作業を助け、暮らしを支える動物であり、富士北麓などでは馬肉を食べる習慣も育った。

    吉田のうどんに甘辛く煮た馬肉をのせる店があるのは、単なる珍味ではなく、地域の畜産と流通の歴史を映している。ただし、馬肉の利用は県内一様ではなく、時代や地域、家庭によって異なる。

    あわびを運ぶ馬の伝承と、うどんの具になる馬肉は、同じ馬をめぐる文化でも役割が異なる。一つは物流の記憶、もう一つは食材としての利用である。両者を区別して見ることで、街道が生活全体を支えたことが見えてくる。

    3.身延ゆば――精進と栄養を両立する大豆加工

    身延町周辺では、ゆばが名物としてつくられている。豆乳を温め、表面にできた膜を一枚ずつ引き上げる。生ゆば、乾燥ゆば、揚げゆばなどに加工し、刺身、煮物、吸い物に使う。

    身延山久遠寺の門前では、肉や魚を避ける精進料理のなかで、大豆からつくるゆばが大切な食材になった。日蓮の弟子たちが師の栄養を補うためにつくったという伝承もあるが、由来は信仰とともに語り継がれてきた物語として受け止めるべきだろう。農林水産省「生ゆば」

    ゆばは、山中で海産物に頼らず、保存性とたんぱく質、料理の格を両立させる食品である。大豆を豆腐とは別の食感へ変える加工技術が、寺院と門前の食を支えた。

    4.川魚と湖魚――内水面を季節の食にする

    山梨には富士五湖、河川、養殖池があり、鯉、わかさぎ、あゆ、ますなどが食べられてきた。塩焼き、甘露煮、洗い、フライなど、魚の大きさや鮮度に応じて調理法を変える。

    海魚が街道を通って届く一方、川や湖の魚は、身近な水辺から得られる季節のたんぱく源だった。漁獲や養殖、観光と結びつき、地域によって位置づけは異なる。

    「海なし県」という言葉だけでは、山梨の魚食は説明できない。遠方の海産物を加工して運ぶ文化と、内水面の魚をその場で食べる文化が重なっている。


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    第5章.果樹王国の成立――ぶどう、桃、柿


    1.扇状地、日照、寒暖差――不利を果樹の条件へ変える

    甲府盆地の扇状地は、水田には使いにくい一方、水はけがよい。降水量が比較的少なく、日照時間が長く、昼夜の気温差が大きいことも、ぶどう、桃、すもも、柿などの栽培に生かされた。

    果樹栽培は、自然条件に恵まれただけで成立したのではない。棚の整備、剪定、摘果、袋掛け、病害虫対策、収穫後の選別など、長い手仕事の積み重ねが品質を支える。

    現在の「果樹王国」という印象は、近代以降の品種改良、鉄道や道路による出荷、観光農園、贈答市場の発達を経てつくられた。盆地の地形を産業へ変えた歴史なのである。

    2.甲斐八珍果――果実を尊ぶ古いまなざし

    江戸時代の記録には「甲斐八珍果」として、ぶどう、梨、桃、柿、栗、りんご、ざくろ、くるみなどが挙げられる。数え方には異説があるが、多様な果実が甲斐の特産として意識されていたことを示す。農林水産省「山梨県の伝統食」

    果実は、収穫期に生で食べるだけではない。干す、砂糖で煮る、菓子に包む、搾る、発酵させることで、季節と距離を越える商品になる。

    山梨の果物文化を現代の高級贈答品だけで見ると、保存と加工の歴史が抜け落ちる。庭木や畑の実を家族で食べ、余ったものを干し、町へ売り、産業へ育てた連続性が重要である。

    3.ころ柿――太陽と寒風で甘さを凝縮する

    ころ柿は、大きな渋柿の皮をむき、ひもにつるして干し、乾燥の途中で形を整えながら仕上げる。甲州市松里地区や南アルプス市などでつくられ、軒先に並ぶ橙色の柿は晩秋の景観にもなっている。

    乾燥が進むと水分が減り、糖が表面に白く現れる。農林水産省は、ころ柿の水分が二五〜三〇%程度で、より水分の多いあんぽ柿とは仕上がりが異なると説明している。農林水産省「ころ柿」

    干すことは、単に日持ちをよくするだけではない。渋みを抜き、甘さと食感をつくり、正月や贈答にふさわしい食品へ変える。太陽、乾いた風、人の手が共同でつくる保存食である。

    4.月の雫と桃の加工――傷みやすい果実を菓子へ

    「月の雫」は、甲州ぶどうの粒を一粒ずつ糖衣で包む菓子である。砂糖の衣が白く結晶し、かじると中から果汁が広がる。ぶどうが偶然砂糖液へ落ちたことから生まれたという由来が語られる。山梨県「月の雫」

    桃やぶどうは傷みやすく、見た目の基準から外れる果実も出る。瓶詰、シロップ漬け、ジャム、ジュース、菓子に加工すれば、収穫期を越えて食べられ、規格外品も生かせる。

    果物の加工は、生果より劣る二次的な利用ではない。水分、糖、香りを調整し、保存性と運びやすさを高め、別の食文化をつくる仕事である。


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    第6章.ワインと近代化――果実を産業へ変える


    1.明治初期の試み――ぶどうを醸す産業の始まり

    山梨では明治初期にワイン醸造の試みが始まり、勝沼の若者がフランスで醸造技術を学ぶなど、近代産業としての基盤がつくられた。山梨県は、県内でワイン生産が始まった時期を明治初期と説明している。山梨県「山梨ワイン」

    ぶどうを生で売るだけでなく、搾って発酵させれば、保存できる酒になる。ただし、欧州の技術をそのまま移すだけでは、気候、品種、食習慣の違いに対応できない。栽培と醸造の双方で試行錯誤が必要だった。

    ワインは突然現れた西洋文化ではない。長くぶどうを育ててきた農家、果実を加工してきた技術、交通と販売の発達の上に成立した、山梨の近代的な郷土産業である。

    2.甲州種――土地と技術を味にする

    甲州は、山梨を代表する白ぶどう品種である。淡い色の果皮をもち、生食にも醸造にも利用されてきた。現在は、辛口、甘口、スパークリング、樽熟成など、多様なスタイルのワインがつくられる。

    同じ品種でも、畑の標高、土壌、日当たり、収穫時期、醸造法によって味は変わる。地域の違いを隠すのではなく、違いそのものを価値として示す考え方が広がっている。

    「山梨のワイン」とは一つの味ではない。盆地、峡東、富士北麓などの環境と、生産者ごとの判断を瓶の中に表す、多声的な地域食品である。

    3.鉄道、観光、贈答――産地の物語を外へ届ける

    鉄道と道路の整備は、生の果実と瓶詰のワインを大都市へ運びやすくした。観光農園やワイナリー見学は、消費者を産地へ招き、畑、収穫、醸造を体験として伝える。

    ここで売られるのは飲み物だけではない。富士山や盆地の景観、ぶどう畑の季節、生産者の物語を含む「場所の経験」である。ワインは、食と観光と農業を結ぶ媒体になった。

    一方、贈答品や観光土産としての評価が高まるほど、日常の農作業や低価格帯の地域消費が見えにくくなる。産地を持続させるのは、華やかなブランドと地道な畑仕事の両方である。

    4.郷土料理との新しい関係――組み合わせを再発見する

    ワインは洋食だけの酒ではない。味噌を使うほうとう、醤油味の煮貝、ゆば、川魚、ころ柿、桃の加工品などと合わせる試みが進んでいる。

    伝統料理をワインに合わせて軽くすることもあれば、ワイン側の酸味、香り、甘みを料理へ寄せることもできる。重要なのは、何でも「相性がよい」と宣伝するのではなく、塩味、脂、甘み、香りの関係を具体的に確かめることである。

    新しい組み合わせは伝統の破壊ではない。地域にすでにある食品を別の文脈で味わい直し、次の食卓へつなぐ再編集である。


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    第7章.継承と再編集――名物の背景を未来へ渡す


    1.家庭食から観光名物へ――標準化の利点と危うさ

    ほうとう、吉田のうどん、せいだのたまじ、あわびの煮貝は、飲食店や商品として県外にも知られる。商品化によって、家庭でつくられなくなった料理の名前と味が残り、生産者や地域に収入が生まれる。

    しかし、観光客に分かりやすい「標準形」が広がると、家庭ごとの味噌、季節の具、麺の厚さ、煮込み時間の違いが見えにくくなる。郷土料理の価値は、正解が一つであることではなく、土地と暮らしに応じた多数の型があることにある。

    店の味と家庭の味を競わせる必要はない。異なる役割を記録し、どの場で誰がつくってきたのかを伝えることが大切である。

    2.学校給食と体験――食べる前に手を動かす

    学校給食で郷土料理を出すことは、子どもが地域の味に触れる入口になる。ただし、給食の設備、時間、衛生基準に合わせるため、家庭の調理をそのまま再現できるわけではない。

    粉をこねる、麺を切る、みみを折る、柿を干す、味噌を仕込むといった体験を組み合わせると、料理が自然に存在するものではなく、人の手と季節によってつくられることが分かる。

    継承とは、完成品を一度食べることだけではない。生地の硬さ、火加減、乾き具合、発酵の香りを身体で覚え、自分で判断できるようになる過程である。

    3.「やまなしの食」――名前と記憶を記録する

    山梨県は、県内で受け継がれてきた料理や加工品を「やまなしの食」として整理し、特に次世代へ継承したいものを選定している。また、地域で伝承活動を行う人や団体を支える制度も設けている。山梨県「やまなしの食」

    一覧化は、知られていない料理を見つけ、地域を越えて共有する助けになる。一方、名称だけを残しても、つくる場や材料が失われれば文化は続かない。

    必要なのは、レシピ、写真、聞き書きに加え、畑、加工場、道具、共同調理の場を結びつけて残すことである。料理の背景にある生活まで記録して、初めて次の世代が意味を読み取れる。

    4.気候変動と担い手――固定せずに守る

    果樹やワインは気温、降水、病害虫の影響を強く受ける。山間部では農家の高齢化や耕作放棄が進み、在来の作物、干し場、水車跡、共同作業の維持が難しくなる。

    伝統を守ることは、昔と同じ材料を同じ量だけ使い続けることではない。収穫時期を変える、耐暑性のある品種を試す、少人数で仕込める道具を使う、飲食店や学校と分担するなど、条件に応じた更新が必要である。

    変えてよい部分と、残すべき意味を見分けることが継承の核心になる。山梨の食がもともと地形や流通の制約へ適応してきたように、未来の郷土料理も変化のなかで生き続ける。


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    おわりに――海のない土地が育てた、境を越える食


    山梨の食文化は、海がないこと、山が多いこと、水田に向かない土地があることから始まる。しかし、それらは欠如の一覧ではない。

    水田にしにくい扇状地は果樹園になり、斜面の畑では小麦、そば、雑穀、芋が育った。穀物は水車で粉になり、ほうとう、うどん、みみ、うす焼きへ姿を変えた。小粒のじゃがいもは味噌で煮られ、救荒の記憶を伝える料理になった。

    海産物は峠を越えるために加工され、あわびの煮貝という名物になった。身延では大豆がゆばとなり、精進の食を支えた。柿は寒風と日光でころ柿になり、ぶどうは砂糖菓子やワインへ変わった。

    これらに共通するのは、限られたものをそのまま受け入れるのではなく、粉にする、煮込む、干す、漬ける、発酵させる、運ぶという技術で価値を変えてきたことである。

    山梨の郷土料理は、閉ざされた山国の食ではない。

    山の内側で土地に適応し、街道を通じて外の世界を受け入れ、食材の境界を越えてきた歴史なのである。

    参考資料

     
     
    栄養素だけで食材を評価するのではなく、味、季節、土地、調理法、体との関係、歴史や食文化まで含めて、食べものをまるごと考えます。 東洋医学をはじめとする伝統的な食養生の視点と、現代の知見の双方を手がかりに、自分の体と暮らしに合う食を、自分で選ぶためのコラムです。

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